10月26日の夜、就寝するために目を閉じて横になっていると右太もも内側の辺りに、瞬間的に強い痛みがありました。場所的には、鹿児島県大隅半島の鹿屋航空基地だと感じました。過去のワークで、鹿児島県の軍都として特攻隊基地の鹿屋航空基地に光を降ろしていました。
最近、松果体摂取と地下壕の関連のワークが続いていたので、鹿屋航空基地にも地下施設があるのかもしれないと思いました。翌日、ネットで調べると《旧海軍航空隊笠野原基地地下道入口》に行き着き、鹿屋航空基地の東側に過去の作られた地下施設跡があるようでした。
鹿屋航空基地は、鹿児島県鹿屋市西原にある、第1航空群等が配置されている海上自衛隊の基地で、主に哨戒機や救難ヘリコプターの航空基地となっています。前身は、1936年(昭和11年)に創設された大日本帝国海軍鹿屋海軍航空隊です。
かなり広範囲に地下施設があったと感じます。地図を観て地下壕などの地下施設がある一帯に光を降ろすと「いいと思います」と伴侶が伝えて来ました。10月28日、午後から右前頭部に軽い頭痛を覚えました。場所的には、青森県の太平洋側で、地下壕があるのかもしれないと感じました。
調べてみると、やはり八戸に要塞があり、《幻の本土決戦計画 今に伝える「八戸要塞」》に内容が記されています。青森の太平洋側の八戸市で、太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)にかけて、本土決戦用に造営された通称「八戸要塞」の跡が、地元の研究家によって確認されました。
八戸市で約50箇所の要塞跡が点在し、98万人の人たちを動員して工事が行われ、未使用のまま終戦を迎えました。この八戸要塞跡は日本軍によって秘密裏に建造されたため、戦後もその存在が不確かなままであったといいます。天理御座所、松代大本営などの地下施設と同じパターンです。
地下壕工事を強いられた朝鮮の人たちを主とした、松取りのためだったと推測されます。地図を観て八戸要塞のある一帯を意図して光を降ろすと「ひび割れた」と伝えられました。土地の封印のための八戸要塞だったと感じます。過去のヒプノセラピーで、八戸の地は闇が深いと伝えられていました。
11月1日、右脇に軽い痛みがあり、石川県と感じました。石川県の地下壕をネットで調べると《地下壕探索 山中海軍病院》がヒットしました。旧山中海軍病院は、石川県加賀市の山中温泉にあった海軍病院です。1941年(昭和16年)から1942年(昭和17年)に多くの朝鮮人労働者が駆り出されて建設された地下壕です。
病院の地下治療室として地下壕が造られたのは全国で山中海軍病院が初めてだったといいます。旧山中海軍病院に光を降ろすと「いいです」と伴侶が伝えて来ました。11月2日、スマホに「浜松市」が表示されて、サインだと感じ、調べると《浜松市の戦争遺跡》があり、「陸軍中野学校二俣分校」の地下壕と感じました。
陸軍中野学校二俣分校は、静岡県浜松市天竜区二俣町に所在した、ゲリラ戦要員の短期育成を目的とした大日本帝国陸軍の教育機関です。諜報や防諜、宣伝など秘密戦に関する教育から、ゲリラ戦術の教育に変化していった中野学校とは異なり、当初からゲリラ戦術、破壊工作の訓練を目的に設置されました。
地下壕を含む旧陸軍中野学校二俣分校に光を降ろすと「光は入りました」と伝えられました。八戸要塞のように秘密裏に日本軍の指示の下で建造された地下壕は、他にもあると思います。いったいどのくらいの数の地下壕が日本にあるのかが疑問になり、ワークすべき地下壕を含めて、さらに調べていきました。(つづく)