安倍元首相銃撃後の日本、このままでは「暗黒時代」のドアが開くかもしれない

それでも政治は変わらないのか?
島田 雅彦 プロフィール

このまま政治は放置されるのか?

策略の真相は闇に葬られ、真相を暴こうとする者も排除され、テロを実行した者に全ての罪を被せ、一件落着が図られることになるのだ。

テロの連鎖は食い止められなければならないが、テロに強烈な動機を与えるような悪政や不正、搾取を改めるより、国家の無法は放置され、監視治安体制と言論弾圧の強化だけが図られる結果になるだろう。今のところ無法国家を抑止する制度も組織もほとんど機能していない。警察も検察も裁判所もマスメディアも国家に奉仕し、市民は沈黙と服従を強いられる。

『パンとサーカス』では「テロによって悪政を正すことはできない」と主人公は悟る。政府は「自分たちが正義の側に回ることで悪政を帳消しにできる」と考えるからだ。

いくら不正を告発しても、誰も法的処分を受けずに逃げおおせる。検察もマスメディアもたやすく抱き込まれる。国家権力と大企業は癒着し、株式会社日本政府を形成し、公益を無視して私腹を肥やすことに専心する。行政機関と結託すれば、企業の不正や違法は正当かつ合法になるのだから、当事者たちは断固として態度を改めようとはすまい。

 

この暗黒時代に救いを求める先があるとしたら、それは憲法くらいかも知れない。憲法自体が悪政からの解放宣言だったからだ。

日本政府はホワイトハウスや国際金融、多国籍企業、CIA、宗教団体などのロビイストが相乗りするバスみたいなもので、首相も大臣も官僚もそれに奉仕する番頭に過ぎない。自民党もその補完勢力も率先して憲法を軽視するが、それは憲法が独裁や戦争、人権軽視を許さない法典であり、市民を守る盾になっているからだ。憲法の条文にはアメリカには絶対服従などとは書かれておらず、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から消し去る努力を宣言している。政府に異議を申し立てる私たちの行動は憲法によって保障されているし、特定宗教と政治の癒着も憲法によって牽制されているのだ。

憲法軽視の議員たちは、自分が議員である前に国民の一人であることを忘れているのか? 曲がりなりにも国民の代表であるべき議員がなぜ国民の権利を制限し、安全を奪い、生活を圧迫するのか? それは自分で自分の首を絞めるに等しい。アメリカや特定宗教団体や国際金融の忠実な僕になることで得られる特権を奪われ、路頭に迷った時、何に助けを求められるのか、今一度その欲ボケした頭で考えるべきだ。

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