殺された安倍元首相は顕彰すべき功績などほとんどなく、無駄に最長在任記録を作っただけで、その間に民主主義と経済を破壊した。GDPや民間の所得、年金は下落し、倒産、自己破産は増加、数々の疑惑に対し、国会で虚偽答弁を重ね、公文書の改竄、破棄を促し、公金を濫用し、バラマキ外交に終始し、ロシアとの領土交渉に失敗し、ポンコツ戦闘機の爆買い等、米政府のATMとして奉仕し、改憲と軍備増強を訴え、レイプ事件のもみ消しを図るなどの悪行の方が目立つ。
にもかかわらず、戦死した軍人を軍神に奉るかのように、元首相の神格化を政府は率先して図ろうとし、マスメディアが追従している。議論もないまま拙速に国葬を決めたのも、一連の罪状が蒸し返されるのを避けるため、また旧統一教会との癒着関係の追及をかわすためであろう。つまりは臭い物に蓋をするのに国葬を使うという甚だ不謹慎なことをしている。「死ねば、全て免罪」となるのなら、誰も生前に罪を償う気にはなるまい。
国葬による神格化にはもっとせこい利害が絡んでいる。自民党内の派閥の均衡を保つため、安倍派に配慮したということもあるが、神輿を失った安倍友たちの生き残り作戦でもあろう。国葬の場でのテロを未然に防ぐ名目で、治安強化を図る意図も見え隠れする。
大転向の嵐
今後は大転換ならぬ、大転向の嵐が吹き荒れるに違いない。政権批判をトーンダウンさせることから、言論自粛は始まる。今回の暗殺事件は安倍批判をしていた者たちが誘発したかの短絡や、自民党と旧統一教会の癒着をなかったことにする論調も一部の論客たちに見られたが、そういう「腰砕け」はより顕著になるだろう。右翼による吊るし上げやSNSでの炎上を恐れて、「民主主義を守る」などと紋切り型に終始するような態度も同様である。
元々右翼サイドについていた者たちは増長し、さらにリベラル攻撃を強め、自発的服従を競い合うが、リベラルサイドの切り崩しも始まっている。すでに国民民主党や日本維新の会などは完全に自民党の補完政党であり、清和会に近い外部派閥になっているが、立憲民主党の足元もおぼつかず、立民と共産党との協力関係を妨害し、自民党に秋波を送る連合と同じ轍を踏み、宏池会となら組んでもいいような雰囲気になってきた。このように中道リベラルの右への転向が一層進むことによって、全体主義国家への道筋が既定路線となってゆく。ここはリベラルの踏ん張りどころである。