オウム真理教は、麻原彰晃が「ヒマラヤで悟りを開いて解脱した」という触れ込みで、1986年頃から布教活動を展開するが、その組織拡大の原動力となったのは、実は統一教会からの脱会組であった。彼らは、元自衛官を含む10人程度のグループで、1988年当時、「千代田区神田淡路町に事務所を構えていた」(元教団幹部)という。この脱会組が、統一教会で得たビジネスセンスをオウムに持ち込んだのである。
統一教会は、資金集めや反共運動をめぐる路線の内部対立から、1983年10月には、統一教会を母体としてスタートした日刊紙「世界日報」に、国際勝共連合の幹部が乱入する事件が起きている。
この時、同紙編集局長の座を追われ、教会をも除名された副島嘉和氏が、霊感商法を「詐欺まがいの高額販売」「脱税工作」として内部告発した。副島氏によれば、当時統一教会の日本支部は霊感商法で得た月額20億円もの資金を〇〇に送金しており、1983年の時点ですでに総額2000億円にも達していたという。
また付け加えておけば、統一教会からオウムに“移籍”した、先の脱会メンバーの多くは、バブル経済が崩壊した1991年までに教団から姿を消し、その一部がのちに別の新興宗教を興しているという。
政治から経済へ
1951年に施行された宗教法人法は、戦前の国家神道体制が国家主義を育てたというGHQの考え方に沿う形で、宗教や信仰を国家から分離し、そのうえで宗教法人の活動の自由を最大限保証している。
それゆえ、戦後の宗教は、「政治の問題」から「経済の問題」へと論点を移して語られることになったと言えよう。なぜなら、宗教団体などの場合、法人になれば自動的に税制面で優遇される権利を得たからである。