第2話 羽
結局ジゼルはそのまま工房に居座っていた。彼女の父は銀狼騎士団百人長であり、弓の名手として知られている。『羽墜とし』という異名で知られ、身の丈以上の超大型の機巧弓で、かつてはグリフィンをも射落としたとされていた。一種の神話めいた話だがそれは事実で、そのとき撃ち落としたグリフィンの頭蓋骨は王城に飾られているとのことだった。
そんな偉大な英雄の娘だから、武具を作るものとしては武勇伝を聞きたいとばかりに交代で休憩に入る連中は多い。裏手の庭で鍛錬をするジゼルを見たり、少し話を振ったりしては、人狼族の少女の逞しい肉体に見惚れていた。中には下心を持つものもいるのだろうが、ジゼル自身は気にすらしていない。
リゼはその様子を工房四番室の窓から見て、やりきれないような、妙に心がざわつくような感覚に支配されて、ゴーグルを付け直した。
「弦はエルメリア鋼線を編んだものが一番いいな。これについてはリゼが編んだものが一番使いやすかった。ジョイント部分は摩耗を考慮して合金素材を——」
自身の機巧弓についてのカスタマイズをオーダーするジゼルは、コンパウンドボウから発展していった機巧式の弓、パワード・コンパウンドボウの今後の課題についても工房の連中と話し合っていた。
鋼鉄の糸——その線で矢をつがえる以上、これらの弓に必要な筋力は亜人でなくては得られない。もしくは、魔力で肉体を強化する術が必須だ。滑車を使って筋力のアシストをすることで多少はマシになっているが、それでも鍛えた肉体なしには満足に矢を引けない。
高い威力、飛距離、命中精度——それらを兼ね備えた弓兵の安定した運用は軍隊の勝率を大きく左右する。戦場における死因の大半が矢傷なのだ。
ウルドは蜂蜜漬けの杏をかじって、それからレモンを絞って、やはり蜂蜜で割ったジュースを呷った。初夏。午後の日差しは強く、工房では換気口に取り付けられたプロペラが回り、また空冷式の冷却配管から冷気が絞り出されているが、それでも高温の炉を扱うために熱気がこもる。
バロールは短時間で人を回し、休憩を適度に取らせることで熱中症を回避しようと積極的に水分補給だったりを促していた。経営者であるバロールは、人件費より人命を重視する。それが職人たちの意欲にも反映され、この工房はコルネルス王国のカルドア地方でも名の知られたものとなっていた。
「ウルドの旦那」
丸太に座っていると、三十半ばくらいの男が声をかけてきた。作業着の腰回りの工具ポーチは、工具が一つでも落ちたら大事故の元であるとしてこの工房では撤廃されており、多少手間でも道具は工具箱で持ち歩くよう徹底している。彼は自分の番号が振られた赤い工具箱を手に、もう片方で持っていた水袋を手渡してきた。
「エウルの姐さんからです。俺はこのあと祭りの方に行ってきますが、旦那はどうされます?」
「祭り? ……ああ、晴天祭か。俺は、……まあ、暇があったら覗こうかな」
「たまには羽を広げるのも大事ですよ。少しははめを外したって、バチは足りませんって」
「たまにならな。……お疲れ」
「ええ、では」
晴天祭。それを聞くと、ウルドの手は自然に立てかけていた剣に伸びる。
恩師で、師匠で、父親。頑固で乱暴で、酒好き。ろくでもないくそジジイ。でも、ウルドにとっては肉親とすら言える老剣士・ゴルドーの愛剣でもあった一振りだ。
ある幻獣と戦った際に折れたが、それをバロールが打ち直したものである。かつての竜の名をそのままとって、ミラスラグナという銘を切られた竜刃鋼の剣だ。この一振りで大きな街と周辺の土地、城——つまりは爵位や地位、土地まで手に入るだけの価値がある。竜刃鋼の武具とは、そういうものなのだ。
今、ゴルドーはどこにいるのか。なにが理由で突然旅に出たのか。それはついぞわからぬ疑問であり、長年の友人であるバロールさえも見当がつかないと言っていた。
鞘に収められた剣を抱くようにして握り、庭を眺める。
青々と繁った木々と草花が風に吹かれ、耳に心地のいい音を奏でながら木の葉を巡らせる。
考えてもわからない問題というものは世の中にはどうしてもあるもので、今現在ウルドが抱えているこの悩みやなんかもそういった類のものだろうと思えた。
どうせ考えてもわからないのなら、考えなければいい。
頭でそう理解している。頭では。
でも心はそれを受け入れず、激しく拒絶していた。
ドラグオンズ・ニーア:デイブレイク — 古き竜帝の玉座 — 雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き @9V009150Raika
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