EP1 藍玉の瞳

第1章 火の海は対岸にあらず

第1話 青い思いは交わらない

 コルネルス王国——大陸では二番目に大きな版図を誇る大国で、六十年前における転廻事変てんかいじへんの舞台ともなった土地だ。

 魔に堕した者——デーモンと呼ばれる怪物が氾濫した一連の事件で多くの損害を被ったが、時間をかけて再興を果たしていた。

 肥沃な土地を開墾し、岩がちな山々を切り拓き、坑道を掘って、海に出向いて——そうやって多くの産業を経て他国と国交を持ち、また国内の様々な種族の亜人と手を取り合い、今の繁栄がある……概ね、そのような国だ。


 喧騒に包まれた都市では年に一度の催し物が開かれており、城壁に設られている門を任されている衛兵たちは出入りする人々に目を光らせていた。城伯閣下に何かあってからでは遅い。不手際があれば、職を失うという意味合いではなく、物理的な意味で自分たちの首が飛ぶ。

 給金の良さと責任の重みは等価だ。我々は城伯閣下、そして無辜むこの民の無数の命を守らねばならない。多くの衛兵はそう胸に刻み、職務に励んでいた。


 誇りを捨てれば人として終わる。人を人たらしめるのは高潔さである。


 この国の国民性である。


「しっかし、城伯閣下のお祭り好きも大したもんだね」

「雨季明けは特に、な。グリューゼ家は代々晴れ渡った空を好まれる」

「六十年くらい前の、あの事変で竜に助けられた……っていう? 確か雲間から竜がやってきたんだっけか」

「そう、その——」

「おいこらお前ら、駄弁ってないでこっちを手伝え」


 雑談に興じる若い衛兵を、壮年の厳しげな顔をした衛兵が咎めた。若い二人は「すみません!」と謝罪し、壮年衛兵が応対しているキャラバンへ向かう。


「我々の仕事上、いくら口で言われようともみすみす通すわけにはいかん。荷を見せてもらうが、いいか?」


 壮年の衛兵がキャラバンを率いる、小太りな小男……そうとしか言えない、ヒューマンというよりはドワーフのような、けれど尖った耳ではない小柄な男にそう言った。小男は「それでしたらこちらを」と言い、懐から書状を取り出す。

 ベテランの壮年はそれを読んで、「いいだろう、通れ」とだけ言った。小男は手を揉みながら「さあて、稼ぎますぞ!」と言って御者に下知を送った。


 若手の衛兵は、小男を平然と通したベテランに食ってかかるような口調で迫った。


「見るからに怪しい男でしょう、あれ。どうして通したんです」

「城伯閣下の兄上直筆の書状だ。蝋の捺印もそうだ。追い返せば、立場が危うくなるのは我らが主人だし、それにな」


 空を見上げた彼がふっと微笑んだ。


「往々にして、悪事とは白日の元に曝け出されるものだ。空におわす、竜神様によってな」


 と、そこに二人の若い男女が現れた。

 一人は黒髪の少年で、腰にはバスタードソードを提げている。革鎧と、裏地が青い黒染めのマントを纏っていた。彼は若い衛兵二人もよく知っていて、この街で暮らす健全で勤勉な青少年であった。


「いい獲物は獲れたかい?」


 衛兵がそう質問すると、少年は幻獣に引かせている荷車を指差した。そこにはダークブラウンの毛皮に、白んだ灰色の腹部を持つ二メートル近い鹿のような幻獣が二頭いた。すでに血抜きされており、体には刀傷が走っている。決定打となっているのは、いずれも首を狙った深い斬撃と矢傷だ。

 衛兵二人は感服する。まだ十五、六の少年少女が敵性指定ではないにしろ、それでも一般動物に比べ生命力の強い幻獣を仕留めるのだから。


 森林地帯に生息し、その名の通り撥水性のある毛皮によって水分を弾きつつ、自らの体内にある水圧袋から高圧の水流を放って天敵を迎撃するレジーターヒルシュは、こちらが襲ったりしなければ動く背景というくらいのものだが、一度怒らせれば安物の防具では一発でおしゃかにする水鉄砲をぶっ放すとんでもない幻獣だ。

 何も知らない狩人初心者が喧嘩を売って、翌日川辺で風穴を開けられ水浸しになって死んでいる、という話は度々聞く。


「凄いね、ばっさり切られてる。こっちは見事に喉を射抜かれてるね」

「喉元は柔らかいんです。頚椎と頸動脈を一撃で砕いて断ち切るんですよ。そうしたら、上手くいけば一撃でいけます。今日は運良くレジーターヒルシュを二頭仕留めましたし、すぐに捌いて売りますよ。余った肉はエウルさんに美味しく、シチューにでもしてもらおうかな」

「いいね、レジーターのシチューか……。よかったら、俺たちにも少し肉を分けてくれないかい?」

「いいですよ。奥さんのところに持って行っておきます。前にイノシシを持って行った時みたいに娘さんに怖がられないといいんですけど」

「はは、まだ小さいから、こういう仕事をしていると怖いって思っちゃうのさ」


 少年——ウルドは鍛治工房のバロール工房で暮らしており、若いながらも街では人望のある狩人だった。城伯閣下が治めていると聞くと仰々しいが、街自体は特別大きくない。人と人との繋がりは強く、それが場合によっては息苦しかったり、あるいは心強かったりするところだ。

 ウルドは数年前にここにやってきて、当時は老いた剣士と暮らしていたが、一年前にその老人は旅に出ると言ってここを出立している。ウルドがそれについてどのように思っているのかは、恐らくバロールとその妻のエウルしか知らないだろうが、やはりどこか、何かしらの衝撃はあったに違いない。


 少年の隣には、キッとした顔の少女。強気そうな人狼族の少女だった。彼女はダークブラウンの髪と狼の耳、それから尻尾を揺らしており、軽装備であった。背にした機巧式の弓を武器に、百発百中の命中精度と素早い速射を得意としている。彼女の父は誉れある王国騎士団の一つ、銀狼騎士団で百人長をしているほどの人物だった。


「ウルド、お腹空いた。レジーター捌いて、その辺でなんか食べようよ」

「なら俺の家に来ないか? 美味いものがたくさんある」

「工房にぃ? 暑苦しそう。それに私、リゼに嫌われてるし」

「同い年で、女同士だからだろ? エウルさんならあっという間に美味いもん作ってくれるし、杏のハチミツシロップ漬けハニーアプリコットもあるぞ」

「それで釣る気か……本音をどうぞ」

「手伝い任されたら、ジゼル、お前にも押し付ける」


 そんなやり取りをする、青春真っ只中の二人。なんともまあ……こう、清々しくなる光景だ。


「ゴルドーさんって人、どこ行ったんでしょうね。ウルドくんの師匠なんでしょう?」

「さあな。……そのゴルドーって爺さん、噂じゃあ昔、千の敵を前にたった一人で戦って、屍の山を築いたっていうけど……」


×


 ガンッ、という力強い、金槌で金属を叩く音。熱せられた炉から取り出される半ば溶けている赤熱化した塊を、若い見習いが矢のように飛び交う符牒に合わせて思い切り振るった大槌で叩き、火花を散らしていた。


「バロールさん、冶金工房から届いた——」

「エルメリア鋼は三番室! マルグレット、お前は泥を練っておけ! それから藁を……」

「おいこら、もっと腰に力を入れろ! 腕じゃなくて全身で叩け!」

「もういっぺん言ってくれ、そんなんじゃ聞こえねーよ! 腹から声出せや!」


 荒々しくも、やる気に満ちた大声。工房長のバロールは丸太のような傷だらけの腕を組んで、長年経営してきた自分のバロール工房を見回した。繊細な技術を持つ鍛治師、荒削りだが未来輝かしい若手、手伝いバイトの配達員に、受付の……妻には悪いが、美人だと思ってしまうエルフの女性。


「あんた、ミランダちゃんのお尻見てんじゃない!」


 件の妻が、オーク族のバロールの背中をどんっ、と叩いた。獣人族の中でも特に女性優位である人虎族の妻、エウルだ。野生の虎は繁殖期以外は群れを作らなかったり、メスの縄張りを囲うようにしてオスの縄張りがある……聞くだけだと、オスがメスを囲うような暮らしに思えるが、人虎族は完全な女性優位社会だ。


 けれども、ヒューマンの一部が掲げる奇妙な『女さん絶対社会』ではない。強者としてあるべき者が、強者として庇護すべきものを守る社会。それが人虎族の暮らしだ。彼女らは我が子を中心に家庭を築き、そして我が子を守らせるために旦那のケツを叩いて、自らも肉体に鞭打って家の仕事をこなす。


「仕方ねえだろ、若い頃のお前みたいにハリがあるケツで……」

「惚気るんじゃないこの馬鹿。そんなんで許すわけないでしょうが。……そろそろウルドが帰ってくるんじゃあないのかい?」

「ん、ああ。あいつ、ますますゴルドーの野郎に似ていくな。……俺が打ち直した剣も、だいぶ上手く使っているみてえでな」

「今度は子煩悩かい? ったく。ま、だからあんたを番にえらんだわけで——」


 そこまで言って、背後から「ちょっと!」と怒鳴られた。


「二人ともいちゃつかないでよ! お父さん、アモレドス鉱石ってどこ?」


 振り返ると、バロールとエウルの娘であるリゼがそこにいた。母と同じ虎の血が強く出た、見るからに男を尻に敷きそうな少女である。

 作業着には油汚れが散って、ゴーグルは日焼けしてくすんでおり飴色になっていた。髪の毛をバンダナでかき上げ、暑いのか……若い子がはしたないぞと言いたくなるように、胸覆いだけの上半身を作業着からはだけさせていた。


「お前な、もう少し周りの目を考えろ」

「そっくりそのままお返しするけど? 人前で子供みたいにイチャコラしてさあ」


 自覚があるだけに、リゼの一言にバロールとエウルは黙り込むしかない。


「ま、まあ……それはそうとアモレドス? あれなら尽きたって言っただろ。どうしてだ。何に使うんだ」

「籠手の、前腕のガード部分に使おうと思ったの。エルメリア鋼より頑丈で、軽い素材って言ったらあれしかないし」

「ああ……しっかしなあ。無い物ねだりはできんだろう? ウィンドホールド村に行けばあるかもしれんが、お前一人では行かせられんぞ」

「そりゃ……確かに私じゃ危険だけど」

「ウルドをジゼルに取られるって焦ってんのかい、リゼ」

「な……ぉ、そっ、そんなんじゃない! あいつがいたらそのうち幻獣素材だって潤沢に入ってくるでしょ! ただのビジネスよ! いずれここはリゼ工房になるんだから! 今のうちから経営を見直して——」


 なんてわかりやすい子なのとエウルは呆れつつも、


「なら、それこそ明日にでもウルドにウィンドホールドまでのお使いを頼めばいいでしょう?」

「あー、まあ……そーだけど」


 ぽりぽりと手袋越しに虎耳の裏を掻くリゼ。金色の毛髪に、焦茶の縞模様は母譲りだが、職人気質なところは若い頃のバロールそっくりだ。煮え切らない態度は、まあ年頃の少女なら仕方ない。


「ただいま、バロールさん、エウルさん。リゼもただいま」「お邪魔します」

「おう、お疲れさん」「お疲れ様。あら、ジゼルも、いらっしゃい」


 リゼは内心、舌打ちする。

 なんであの狼女が。


「……まだ仕事の途中でさ、四番室戻るね」

「あ、ああ……リゼ、根を詰めないようにな」

「……ふん」


 バロールとエウルは困ったように微笑んだ。ジゼルは「職人って大変ね」と、こちらもこちらで気づいていない様子である。ウルドは薄々察しつつも、言うべきかどうかを迷っていた。


 ……別に俺は、どっちが好きとか嫌いとかじゃない。今は、それどころじゃないだろう。


 それが彼の思いだった。

 藍玉の、深い海のような目を通路に消えたリゼにむけ、それからエウルにレジーターヒルシュを仕留めて、ちょうど今毛皮などを売ってきたことを報告するのだった。

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