ゴヲスト・レザレクト — デヰブレイク・リフレイン —

雅彩ラヰカ/絵を描くのが好きな字書き

【壱】生贄

第1章 水神・蛟龍の深桜

第1話 光が射し、影が差す

 高校からかかってきた登校を促す再三の電話に嫌気がさして、担任の携帯番号を着信拒否したら、いじめの実行犯である生徒からメールが来た。証拠として残る電子メールの文面は、さも無断欠席を咎めるだけの口調だったが、稲羽銀乃いなばぎんのにはそれが巧みに迷彩された殺害予告のようなものだと認識できた。

 鬱陶しい。

 遮光性の高いカーテンは、わざわざアパレルメーカーの工場に横付けされた店で買ったのに、光が容赦なく差し込む。遮ってくれないじゃないか——それが嫌で銀乃はホームセンターで買ってきたベニヤ板を釘で打ち付けて、目張りしていた。太陽光は……あいつは嫌いだ。あいつは何でもかんでも白日の元に晒し、あることないことをさも事実であるように突きつけてくる。

 銀乃は生まれつき染色体異常が見られる先天性の病気で、頭髪は真っ白で目は藍色だ。色素を決定するモノに異常が出たとかで、顔立ちは父に似た中性的なそれだが、髪と目は裡辺りへん人離れしている。

 銀乃が生まれる少し前に独立戦争に勝利した八洲国裡辺地方自治州改め、裡辺皇国ではようやくまともな生活基盤が再生されつつあり、高校などの再開もそれが主だった理由であった。

 嫌というほどの空襲と爆撃、砲弾の嵐とミサイルの雨が降り注ぐ地上から裡辺人が地下へ逃げ込んで、その大規模な地下シェルターを改築・増築して、それから十数年の時間をかけて地上の復興を開始した。

 現在、地上はある理由から繁茂する大自然と、僅かばかりの人間の生活圏が点在している。

 地下都市。あるいは巣穴とも呼ばれる裡辺人の住処に、地上に築かれた復興都市が点々とあって、大勢は戦災によるダメージの煽りの中で暮らしている。

 うっすらと差し込むその輝きに、銀乃はため息をついた。いくら明度を下げたって変わりはしない。お前たちは無遠慮で厚顔無恥な神様気取りだ。カーテンもベニヤ板も役に立たない。気休めじゃないか。

 こんな昼日中に出歩くなんて——ため息をついて、ぽりぽりと頭を掻く。

 高校なり大学なりを再開して学習能力を磨かねば、学力を底上げせねば現代を生き残れない。それはわかる。インテリと呼ばれる連中の質を上げるための、国を挙げた政策だ。けれど自分たちは規格化されたプラモデルのパーツではないのだから、同じ型枠に押し込められても困るのだ。

 外からエンジンの唸りが聞こえてきた。ベニヤ板にあるスライド式の窓から見ると、ミラージュ自動車が隣の家から出て行くのが見えた。

 太古の時代に死んだ妖怪と呼称されている存在が、土中などでエネルギー鉱石となって埋蔵されている。そういった資源が偏在しているこの土地では、その妖涙石ようるいせきから妖力を精製して用いる特殊な生活基盤があった。

 世界中の地下資源は偏在しているもので、金やダイヤ、石油資源がある海外の地域と同じく、妖涙石はとりわけ裡辺に偏っていた。

 この妖涙石から染み出す妖力という、生命力と紐付けされることの多いエネルギーのおかげで、裡辺地域は昔から自然豊かで、戦後も短期間で自然が再生した。

 手にした妖力式携帯端末ミラフォンミラージュフォーンのメーラーからメール履歴を全て消し去って、銀乃は薄暗い部屋で着替える。いらだたされるだけのメールなど見て、何が楽しいのか。馬鹿げている。はっきりとそう思っていた。

 両親は仕事で家を空けていて、滅多に帰ってこない。ワーカーホリック同士で結婚し、社泊は当たり前。ひどいと一年以上帰ってこない。県外の情報系大企業、その支社の開発チーフを務めている母と補佐をする父は、息子のいじめをどう思っているのだろうか。相談しても「嫌ならやり返すくらいしてやれ」と言われる。

(できたら苦労しないよ)

 銀乃は上背こそ一七六センチと平均の一六六センチ〜一七〇センチよりやや大きいくらいにはあるが、それでも細身な方で筋肉が少ない。非力な自分では堅太り気味だったり、運動部で体力のあるいじめの実行犯連中に敵わないのだ。

 いや、勝つ方法はある。けれどそれは、やりすぎと言う結果を生んでしまうのだ。正当防衛を通り越した過剰防衛。中庸といえる対処法が銀乃にはない。

 携帯のウォレットのチャージ額は充分。現ナマで持ち歩いているとたかられてとられるが、電子決済なら本人確認ができなければ使えないのだ。

 嫌なことだらけだ。この世界をどうこうだなんてことは思わないし、できもしない復讐を企てるつもりもない。それでもままならない現実には嫌気が差して、喚いて当たり散らしたくなるような、そんな奇妙な衝動は確かなものとしてそこにあった。

 外からは蝉の鳴き声がしていた。ヒメハルゼミの騒がしい合唱と、やや早いもののニイニイゼミのすーっと透き通るような鳴き声だ。

 暑いし、出るのやめようかな——そうは思って、けれどくすんだ灰色の、日に焼けたバケットハットをかぶって部屋を出た。一人で過ごすには広すぎて、両親と兄と妹がいると騒がしくて狭い家。兄はすでに就職しており、がっちりっしたガタイのくせして超がつくインテリメガネなスーツスタイルで銀行員をしていて、妹はハツラツとしたきびきびした口調と共に作った友だちと中学校で勉強中だろう。

 黒いシャツに、灰色のデニムジャケット。下は濃いブラウンのチノパン。部屋にあった適当な衣類で、どちらも兄のお古だ。ファッションセンスなどドブに捨てている。それに、男の全員が全員盛っていて、女好みな衣類を身につけるわけではない。女が男の目など気にせず好きに衣類を着るように、男だってみんなが女の気をひいていると思ったら大間違いだ。

 家を出て玄関の鍵を閉めると、一層蝉の声がきつくなった。頭に響くような、さながら悲鳴のような大合唱はまさに夏という気風を伴うが、飽きてくるとただただうるさいだけでうんざりしてくる。

 外は妖煙——妖力が吐き出す廃棄煙で霞がかるようなフィルターがかけられている、そんな光景だった。太陽光の明るさはそれにある程度は減衰させられていて、なおも周囲の配管や排気口からは青い燐光を伴う妖煙が吐き出されていた。

 ある種の幻想的な、それでいて退廃的な外の世界。本土の連中に奪われた地上は今でも荒れ果てており、国が必死の瓦礫撤去や復興作業を行なっている。

 銀乃は持参していた対妖煙被甲ミラージュ・スモーク・マスクをつける。単にミラークマスクとも呼ばれるものだ。過剰な妖力を吸い込むと、体に異変が起きる。妖煙濃度が一定値より高い場合は、法的な強制力はなくとも大勢がミラークマスクをしていた。

 銀乃は心がざわついたり乱れたりすると、近所のちょっとした山に入る。今日もそうしようと、そう思って住宅街を歩いていると、向かう先からやかましいことこの上ない男の胴間声が聞こえてきた。

 眉根に皺を寄せて、銀乃は関わらないようにと念じて他人のふりで歩く。

「いいからこいって! 一発生でやらせてくれりゃあいいんだ! 小遣いだってやるっつってんだろ!」

「ちょ、ちょっといい加減にしてください! これから事務所に……」

 ちらりと見ると、昼間からほろ酔い気分であろう、頬が紅潮した五十がらみの頭髪の薄い男がパンツスタイルのスーツを着た若い女の手首を掴んでいた。二人ともマスクをしているが、男は酔いで血走った目を、女は心底うんざりという目の色で抵抗している。

 これはナンパではなく立派な犯罪だろう。嫌なものを見てしまった。そんな顔をしてしまったのだろうか。突然男が銀乃を睨み、詰め寄ってきた。

「何見てんだ、ガキ」

「……いえ、別に」

 突然胸ぐらを掴まれて、銀乃は息を詰まらせた。驚きもあるが、なにより思った以上に酒臭かったのが理由だった。マスクのフィルターはあくまで妖力元素を防いで浄化するもので、防臭機能は低い。

 頭部には乳白色の角が一本。鬼人族だろうか。力が強く、相手の手首を掴んで引き剥がそうにもどうにもならない。

「なんだよ、お前が女装して掘らせてくれるってのか? それでもいいぞ。おら、てめえも来い」

 なんて男だ。おかしな病気でもうつされたらたまったもんじゃないし、そもそもそんな趣味はない。銀乃はどうにかしないと、と思って、

「もしもし、神築城かみつき区の有馬通りで痴漢が……はい、はい。わかりました」

「な……このアマっ」

 さっきの女性がエレフォンで警察を呼んでいた。

「数分もしたら警察が来ますよ」

 男はたじろいで、舌打ち。千鳥足で走り、逃げていった。

 銀乃は伸びたシャツを名残惜しそうに見て、それからスーツの女に頭を下げる。

「すみません、助かりました」

「いいえ。むしろ助けられたのはこちらですから。……人間、ですか?」

「はい。あなたは……人間ではないですよね」

 女が目を丸くして「よくわかりましたね」と微笑む。

「俺、少しですけど妖力を感じられる素質というか、そういうのがあって、なんとなくわかります。種族まではわかりませんが」

「そうですか。……警察へは私が説明しますから、離れた方がいいですよ。高校生くらいでしょうし、学校に行っていないことがわかれば質問攻めに合いますから」

「……すみません、助かります」

 銀乃はそそくさとその場を離れた。女はしばらくそこにいたが、彼女も警察が嫌いなのか黙ってさっていったのが、辻を曲がるときに振り返ったら見えた。すぐさまパトカーのサイレンが響き始め、銀乃は山へ向かう寂れた県道へ足を向ける。

 閉塞的な世界クローズドワールド

 ここで俺たちは骨を埋めるのだろうなと、銀乃はそう思って酷薄な笑みを浮かべた。


×


 生嶋悠樹いくしまゆうきはふらつく足で路地に入った。あのガキども、ふざけやがって。そう吐き捨てて手にしていた紙袋越しにウイスキーを煽った。

 二十年前自分は軍人として戦っていた。この国の独立のため尽したのだ。女の一人二人と遊ぶくらい役得じゃないか。今頃軍の背広を着ているお偉方はその辺の女とヤりたい放題。なぜ自分だけが……。

「おじさん」

 後ろから声をかけられて、悠樹はのっそりと振り返った。そこにはさっき声をかけたグラマーなスーツ姿の女。絶対会社ではヤりまくりに決まっている。こういう馬鹿そうな女こそ出世するのは、体を武器にできるからだ。

 いや、しかし……。

「なんだよ、人気のないここまで来て。俺と遊んでくれるのかよ」

「ええ、少し。……退屈凌ぎになればいいけれど」

 ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外す。女はマスクを外して蠱惑的に、どこか嗜虐するかのような笑みを浮かべた。

「遊んで、おじさん」

 悠樹の酔いが回った理性は限界を迎えていた。まるでウサギに飛びかかる虎のように駆け出して、

 パンッ、と。

「え……あ?」

 右腕が半ばから吹き飛んでいることに気づいた。

「は……?」

「遊んでよ、おじさん」

 女の胸元がばっくりと裂けていた。そこには黒ずんだぬるぬるした粘液が生じており、目玉がぎょろぎょろと浮かんでいる。

「影女なの。タイタン合衆国ではシャドーピープルとも呼ばれているものね」

「ひぅ、っ、ぁぁっ、ひぃ……」

「さっきの子、可愛かったよね。ぞくぞくしちゃった。ぞくぞくしすぎてちょっと気分を落ち着けたいし、おじさんで遊ぶね」

 じゅるじゅると、彼女の手足の袖口から無数の影が伸びた。それらには鋭い牙がびっしりと生え揃っており、ぎゅるりと目玉が浮かんで……はっきり言って気持ち悪いものだった。

「待った、待つんだ、俺っ、俺が悪かっ——」

 影の触手が次々と悠樹に突き立てられ、一人の男が瞬く間に肉片と化す。

 軽く影を振るって、それを袖や胸元にしまい込むと女はうっそりと微笑む。

「あの子、この辺りに住んでるのかな」

 どろりとした、粘着質な笑みを浮かべた女はまるで鼻歌でも歌いそうな具合でマスクを付け直して、ゆったりと歩き出した。

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