「支持者高齢化」
7月10日に実施された参議院選挙で、公明党は1議席を減らし、6議席にとどまった。
比例区でも618万票で、目標にした800万票には遠く及ばなかった。
山口那津男・公明党代表(右)と岸田文雄・自民党総裁 by Gettyimages
選挙後に記者会見した山口那津男代表は、不振の原因として特定の選挙区に力を入れすぎて比例対策が疎かになったこと、自民党との選挙協力が必ずしもうまくいかなかったことをあげたが、それとともに最大の支持母体である創価学会の「組織力が衰えているのは事実。支持者が高齢化し、力がなくなっている」ことを認めた。
公明党の代表が創価学会の組織の衰えに言及するのは珍しい気もするが、今後もこの傾向が進行していく可能性は極めて高い。創価学会の力が衰えれば、それは公明党の党勢にダイレクトに響く。
国政選挙の場合、連立を組む自民党との選挙協力があり、公明党や創価学会の弱体化が顕著にならないことがある。
だが、地方選挙となれば、自民党との選挙協力はないので、公明党・創価学会の現在の力が明らかになる。私は、4年ごとに行われる主な地方選挙に注目してきたが、だいたいの選挙で公明党の集める票は党全体で前回から10パーセント程度減少している。
象徴的なのは昨年行われた東京都の葛飾区議会選挙である。公明党は9人の候補者を立てたにもかかわらず、1人が落選した。他の党では珍しいことではないが、公明党の場合、創価学会が票を巧みに分散させ、全員が当選する「完勝」をめざし、これまではほぼそれを達成してきている。その点で、完勝を果たせなかったことは、公明党・創価学会に衝撃を与えたはずだ。そのせいか、最近の「聖教新聞」では完勝という言い方を避けているようにも見える。
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実質的な学会員数を試算してみると
では、創価学会の組織は本当に衰えているのだろうか。公称では827万世帯となっているものの、この数はずっと変化していない。各家庭に授与される本尊の数がもとになっていると推測されるが、数字が変わらないということは、新しい入信者がほとんどいないことを意味する。新会員が赤ん坊という例も多く、これだと新たに本尊が授与されないので会員世帯の数は増えないのだ。
創価学会の実際の会員数を割り出す統計として唯一使えるのが大阪商業大学の「生活と意識についての国際比較調査」である。これは2000年から行われているが、信仰についても聞いている。
その最新の調査結果が明らかになった。それは2021年1月から3月まで実施されたもので、全国の6600人を対象としている。それによれば、有効回答数3522のうち、創価学会の信仰があると答えたのは66である。全体の1.87パーセントということになる。
これに総人口をかけてみると、約235万人という数字が出てくる。これまでの同大学の調査、あるいは別の調査の数字を加味しても、235万人というのはかなり信頼に値する数字である。
大阪商業大学の調査では、ずっと2パーセント台前半の数字をキープしてきた。それからすると、創価学会の会員の数が減ってきていることは間違いない。
高度成長期は遙か遠く
しかも、この調査では明らかにならないが、山口代表が言うように、会員の高齢化も選挙には影響する。
創価学会の選挙と言えば、「婦人部」のことが言われてきた。婦人部は主に既婚の女性会員の組織で、そこに属する女性たちが、「池田大作先生のために」と懸命に選挙活動に邁進してきたというイメージは強い。
ところが、婦人部は今はない。去年消滅し、主に未婚の女性が入る女子部と統合され「女性部」となったからである。そこには未婚と既婚で区別することが難しくなったという社会事情もあるかもしれないが、婦人部の高齢化が進み、その力が衰えてきたことが影響しているものと考えられる。創価学会の本部は統合の理由を明確には説明していない。「聖教新聞」では、会員が女性部の誕生を歓迎しているとする記事が掲載されているだけである。
どうして創価学会は衰退しているのか。答えは簡単である。
創価学会の会員が大きく伸びたのは、高度経済成長の時代で、その時期、地方から都会に求められる労働力として出てきた学歴が低く、貧しい人たちがターゲットになった。「金の卵」と言われた集団就職がその典型だが、彼らは都会に基盤がなく、しかも、中小企業や零細企業にしか就職できなかったので生活は不安定だった。そこを創価学会が救ったのである。
1950年代後半から70年代はじめまでに入会した会員が圧倒的に多い。彼らが高齢化し、すでに亡くなっている人たちも少なくない。創価学会では、子どもや孫への信仰の継承にはある程度成功したものの、信仰2世や3世では、どうしても1世ほどの熱意はない。選挙活動にしても、自分が創価学会の会員であることを明らかにしなければならないので、2世や3世はそれほど熱を入れないのである。
一時期に会員が爆発的に増えたがゆえに、それから数十年後には急速な衰退が待っている。これは、創価学会だけのことではなく、戦後に伸びた新宗教全般に共通する。しかも、今後会員が増える可能性はほとんどない。山口代表が頭を抱えてしまうのも、仕方がないことである。
創価大学の箱根駅伝選手も「学会離れ」か
2世や3世の信仰を強化する上で、1970年に創立された創価大学の役割は大きい。創価大学には宗教関係の学部や学科はないが、学生や職員のほとんどは創価学会の会員である。会員でない人間も、入学すると折伏にあい、会員になると言われてきた。
しかし、そこにも変化は起きているようだ。
創価大学は箱根駅伝でこのところ活躍している。ところが、出場した選手の出身高校を見ていくと、10人のうち、去年も今年も創価学園の出身者はわずか1人ずつだった。後は他の高校の出身者である。
では、彼らは創価学会の会員、もしくは会員の家の出身なのだろうか。なかには、そういう選手もいるだろうが、大半は信仰を持っていないのではないかと推測される。
というのも、「聖教新聞」で駅伝部の活躍は大きく伝えられても、個々の選手の信仰についてふれられたことが一度もないからである。
選手として活躍するには、相当な努力が必要で、ときには試練が襲ってくる。それを信仰によって克服したという話が出てきても不思議ではない。それがないということは、駅伝部の選手は信仰を持っていないからではないだろうか。他の大学の駅伝部と同様に、走力だけで呼び寄せられた可能性がある。
箱根駅伝はテレビで放送され、圧倒的な視聴率を誇っている。大学を宣伝するには、これ以上格好の手段はない。創価大学は、そのために駅伝部を強化しているのではないだろうか。
創価大学が創立さればばかりの頃には、東大に合格しても、それを蹴って創価大学に入学する信仰熱心な学生がいた。今、そんな学生はいない。創価大学としては、創価学会の会員子弟だけを相手にしているわけにはいかなくなったのだ。創価大学の「創価学会離れ」が進行している可能性がある。
「創共」共倒れの今
今回の参院選で、公明党以上に不振を極めたのが日本共産党である。5から3に議席を減らし、得票も約362万票に留まった。前回が約448万票、前々回が約602万票だから、相当に票を減らしている。このままいくと、約232万票をとったれいわ新撰組にも抜かれそうだ。
かつての共産党は、時に浮動票を集める力を発揮した。今はそれがない。共産党は、党員数や機関誌である「赤旗」の購読者数を正直に発表しており、昨年の時点で党員は約27万人、購読者は100万部を切ったとしている。しかも、党員のうち3割前後は党費が未納だという。
共産党は今月(2022年7月)の15日に結党100周年を迎えたものの、党は未曾有の危機を迎えている。
創価学会と共産党はかつて、各種の選挙において熾烈な戦いをくり広げてきた。どちらも都市下層民をターゲットにしてきたからである。あまりにその対立が激しかったため、1974年には「創共協定」を結んでいる。
これは共産党のシンパだった作家の松本清張が間をとりもったものだが、創価学会は公明党の竹入委員長や矢野書記長に無断でそれを行い、2人を唖然とさせた。
それほど両者の対立が激しかったということだろうが、今やそれも昔話である。
存在意義を失う反共動員の新宗教3者
安倍政権の時代には、政権と宗教団体の緊密な関係が取りざたされ、日本会議と創価学会のことに注目が集まった。安倍元首相の銃撃事件によって、実は統一教会もそこに深く関与していたことが広く知られるようになった。
日本会議、創価学会、統一教会と並べてみると、むしろ対立する関係にあるようにさえ見える。日本会議の中心は神社本庁だが、創価学会は長く、神社の鳥居をくぐることさえ、自分たちの信仰に背くとしてきたほどである。
しかし、日本会議が生まれるきっかけを作る上で重要な役割を果たしたのが「生長の家」で、その事務局を元生長の家の会員が担ってきたことを考えると、3者の共通性が明らかになる。
それは、「反共」ということである。冷戦構造が続くなかで、共産主義の脅威が指摘され、国内では共産党の勢力拡大が警戒された。共産主義に対抗し、共産党の力を抑える。3者は、それぞれが違った形で、これに貢献してきたのだ。
生長の家の創立者、谷口雅春は戦前から反共の立場をとり、戦後は憲法を明治憲法に戻すよう訴えた。
創価学会の池田大作氏が第3代の会長に就任したのは1960年のことで、安保闘争に対して、創価学会は中立の立場で臨んだ。そして、選挙では共産党と激しく戦った。
統一教会も、それと密接に関係する組織が「勝共連合」であり、安倍元首相をはじめ自民党の政治家がかかわりを持ってきたのも、反共のための政治運動だからである。
こうした勢力に支えられた安倍元首相が、凶弾によって命を落としたということは、歴史の転換点となる出来事なのではないか。
共産党は、ロシアや中国を批判しつつ、「生産手段の社会化」を綱領にかかげ続けている。これは、独占資本を解体することを意味するが、資本の側がそれに応じるわけもなく、実現するには革命が必要である。そうした思想が、今、多くの支持を集めるはずもない。
そうなると、反共の運動も意義を失う。日本会議の中心である神社本庁では、総長の人事をめぐって前代未聞の対立が起こり、ここのところそこを離脱する有力な神社が増えている。
創価学会も衰退し、統一教会も安倍元首相の事件で改めて叩かれているが、こちらも、信者の高齢化が進んでいるし、組織の力は確実に衰えている。
やはり冷戦を特徴とした戦後は、確実に幕を閉じようとしているのである。