第四章:王国の裏側
第121話「今言えることは」
ウ=イザーク城下町。
三年前までは悪辣非道な領主が支配する、人が作り出した地獄のような街であった。
しかし、三年前の反乱劇から始まった新政権、イザーク公国となってからは全く異なる位相を見せていた――
「いらっしゃいいらっしゃい! 今日はシルツ魚のいいのが入ってるよ!」
「こっちはシルツ苺特価だ! さあ買った買った!」
「戦士の皆様! 本日はシルツ鋼製の武具オークションです! 一流の戦士には一流の武具こそが相応しい! ならばこの機会を逃す手はありません!」
一度破壊され、再建された街の顔――イザーク市場。
元々はイザーク公国の領地で新たに産出されるようになった異界資源を中心とした、特産品を売る小さな市場から始まった場所であった。
初めはどこからともなく流れてきた商品を住民達が細々とやりとりするだけだった小さな市場も、三年の月日の後、国の経済を支える名物と化していったのだ。
「なんの! こっちは新たに開拓されたドーガ荒野産の魔鉄鉱石だ! 鍛冶職人のお歴々! この品質のインゴットは今を逃すともう手に入らないよ!」
「公爵さま一押しの生活魔道具! 親方は顔も名前も出さない謎の男で知られるオーマ工房製品が特別入荷! 一度使えば生涯手放せない逸品だよー!」
「公爵さまお抱えの薬師、これまた正体不明の天才薬学者コルトさま考案の薬を大量入荷! 戦いで負った傷の治療からちょっとした火傷まで! 更には並みの医者じゃ手に負えない病すらたちどころに治してしまうって触れ込みの奇跡の薬! このチャンスを逃す手はない!」
商人達は日々活発に叫び、その景気の良さをアピールする。
町民達はそんな商人達の勢いに乗せられるように金貨を掲げ、我先にと商品を購入しようとする。その顔には三年前の悲劇は少しも読み取れず、輝かしい今を堪能しようとしているようであった。
もちろん、人々の記憶から三年前の悲劇――勇者の暴走によって街の住民の半数が死亡した惨劇が消えたわけではない。
家族を、友人を、愛する者を失った残された者達からその心の傷を癒やす薬とするには、三年という年月は余りにも足りていない。
それでも、彼らはいつまでも俯いているわけにはいかなかったのだ。彼らの新たな支配者となったシャルロット公爵が起こした改革は今までの生活を一新させ、彼らの生活を豊かにした。
まるで悪魔が誘惑しているかのように領地は発展し、どこからやってくるのかわからない資源であふれかえったのだ。
更には、元が付くとは言え自国の技術最先端であった王都コルアトリアでもお目にかかることができないだろう画期的な魔道具の開発に、三年前までならば黙って死ぬしか無かった病や怪我を治癒する薬の販売。そして、それらが庶民の手に入るようになるまでに健全化された経済活動。
庶民達に難しいことはわからないが、シャルロット公爵政権になって以来、税金が下がったのだ。今までは代官という役人達が汚職を繰り返し、それを諫めるべき頂点であった前公爵が汚職の筆頭……つまりはとことん下の者が泣きを見る構造になっていたのだ。
未来はない。しかし今は極一部からすると楽しい。自分の死後のことなど全く気にもしない悪辣な支配者を頂点とする歪な社会に苦しめられてきた庶民達にとって、清廉潔白とまでは言わないものの公平で慈悲深い統治を行うシャルロット公爵は、憧れ敬うべき王として認められたのだ。
そんな新たな善き王が生活を豊かにしてくれているのに、いつまでも俯いているのは損。
今まで手に入らなかった富が手に入るチャンスなのに後ろを見ているだけでは取り逃がす。
そんなアグレッシブな者達から動き始め、今では誰もが心の傷はそのままに活発な経済活動を行う国へとイザーク公国は変貌したのであった。
◆
「フン……軍で採用するものよりも型落ち品に限定しているとはいえ、武具の売買は順調か。他国との貿易でもそこそこ利益を出せているのは大きいか……」
そんな明るい未来を約束する公国の暗部。国の真の支配者にして力尽くで配下となった者からすると驚くほど慈悲深い統治を指示している邪悪の化身――ウル・オーマは、金の出入りを記した書類を前に格闘していた。
「食品部門、薬品部門も順調……新しく支配下に置いた領域の異界資源もまずまずの利益を出しているな。この儲けはどう使うか……」
ウルは、支配下に置いた人間の役人達から提出される幾つもの数字が並ぶ書類をまとめ、指示を出すことを職務としている。
もちろん他にも『真の王』としてやるべきことは多々あるのだが、今最も重要な仕事はこれなのだ。
「職人への指導、工房の建設、維持費……できれば他国からも技術者を招きたいところだな……」
無の道の念力によって操られる無数のペンが何枚もの書類の上で踊り、様々な書き込みをしていく。
更にその上には魔道で作った目玉が浮かんでおり、無数の書類を同時に閲覧しているのだ。
魔王ウルは魔道を駆使し、一人でベテランの文官100人分の仕事は軽く熟している。こんな作業をこの三年、執務の時間はほぼ毎日繰り返してきたのだ。
本来ならば、
――が、残念ながら未だ魔王ウルを頂点とする魔王軍は組織として健全とは言いがたい状態であった。
(文官気質のゴブリンやコボルトの教育はしているとは言え、流石に三年ぽっちで仕事を任せるレベルにするのは無理があるからな……)
残念ながら、未だ配下の魔物にこの手の書類仕事を任せるのは不安しかない状況なのだ。
戦闘よりも頭を使う方に適正のある者を選んで教育を施してはいるのだが、何せつい最近まで服を着る文化すらない野生の獣同然だった連中である。そこに言葉を教え込み、文字の概念をたたき込めただけでも奇跡なのに、そこから本来10年単位でがっつり学問を学び頭脳を磨いた者のみが関わることを許される領地経営ができるレベルまで引き上げることなど可能だろうか?
(コルト辺りならもう問題は無いのだが、やはり未進化の下級種族では知能面にも限界がある。そこは教育で何とかすることも可能なのだが、時間ばかりはどうにもな……)
結論から言えば、魔王ウルの支配力があれば可能だったりする。
だが、どうしても時間が必要なのだ。ウルが満足できるだけの――最低でも余計な仕事を増やさないレベルで仕事を熟せるようになるまで、最低でも後五年は欲しい。
魔物は進化することで高等な知性を得るケースもあり、魔王軍幹部の面子ならば今の段階でもやろうと思えばできることだろうが、貴重な進化種をこんな机の前に縛り付けるのは非効率的であると言わざるを得ない。
高度に進化した知性を持つならば、それはそれとしてやってもらいたい仕事は他にいくらでもあるのだから。
(人間の文官に仕事をさせるのもやはり不安は残る……全て俺が目を通さなければどこで綻びが出るかわからんからな)
現状、文官として仕事をさせられるのは元々ウ=イザークに雇われていた人間だけだった。
だが、残念ながら人間は信用できない。今はまだ魔物の存在を周囲に隠し、配下に加えた人間のシャルロットを玉座に座らせるという支配構造を取っている関係上、ウル自らが表に出て仕事を割り振るわけにも行かないのだ。
ウルの目が届かない領地の経営は
しかしシャルロットを介すことで人間の文官達を操るのはどうしても無駄が多い上に情報の漏洩のリスクが高く、下手に重要な情報を見せてしまうと裏にいるウルの存在が露見しかねないという問題もあるのだから悩みの種は尽きない話であった。
結果的に、人間達には当たり障りの無い……ウルが裏にいるからこそできる異界資源に関する仕事などには一切触れさせず、ウルが全く関わらない人間の中だけで完結する街の修繕などに関する仕事しか回せないのだ。
信頼できる文官がいない……割と、国として致命的な弱点を抱えているのが今のイザーク公国の裏の顔なのだった。
「ウルー! 今いい?」
「ん? コルトか? どうした?」
頭の痛い文官問題に思いを馳せつつも、魔道による
三年前よりも更に上等な設えの白衣に身を包み、変わらず薬草臭い匂いをプンプンさせている薬学部門の長である。
コボルト年齢としてはもう成人に相当――本来のコボルトは主に外敵に襲われるという理由で平均寿命が三年未満なので、現在約五歳のコルトは大人側になってしまう――し、身体も大きくなっている。
もう結構な時間それなりの部下を抱えた長として活動した影響か、最近は昔のように弱気で自信なさげな態度を取ることは無く、どこか堂々とした振る舞いを身につけていた。
「薬学院の予算申請なんだけど……」
「予算申請はシャルロットの方に出せ」
「でも結局許可出すのはウルでしょ? だったらこっちの方が早いし……」
「金勘定はきちんと手順を踏むのが鉄則だ。俺の意思で使う分にはいくらでも使うが、公金を正式な手順で使いたいなら手続きは守れ」
「……相変わらず変なところで真面目だよね」
自分は好き勝手に何をやってもいいが、それ以外はちゃんとルールを守れ。それが魔王ウルの基本思想である。暴君そのものであった。
「まあいいや。了解」
「フン……で? 本当は何の用なんだ? 通らないとわかっている申請書を出しに来たわけではなかろう?」
コルトも却下されることはわかっていたのか、あっさりと申請書を引っ込めた。
コルトの管理する薬学院はウ=イザークの再開発で作られた施設であり、コルト管理下のコボルトやゴブリン達が日夜薬品開発、研究に勤しむ研究機関だ。
その研究成果は当然魔王軍が独占しているが、国民の血税を使っている関係上武具などと同じく、敵の手に入ってもさほど問題は無いと判断される型落ち品を商品として流通させている。
今では国家としての収入の一角を担う一大産業と化しているのだが……研究開発というのは、とにかく金がかかるものだ。この三年ですっかり『金』の価値と意味を学んだコルトは常に研究予算増額を目論んでおり、何かにつけてはついでに予算申請をするのが最近の行動となっているのだった。
故に、ウルは察する。この予算の話は話の前振りであり、本命は別にあるのだと。
「実は、これなんだけどね」
「うん……? 金貨か?」
「うん。薬学院の予算として受け取ったものなんだけど、ちょっと違和感があるんだ」
コルトは懐から取り出した袋から、一枚の金貨を取り出した。
一見するとありふれた普通の硬貨なのだが、コルトには何か違和感が感じられたのだ。匂いというべきか、魔道士としての感覚というべきか、とにかく何かがコルトの感覚に引っかかったのである。
「フム……確かに妙だな」
ウルもまた、一目見ただけでその金貨の異常性に気がついた。
コルトの数段上を行く魔道士であるウルからすれば、それは何となくの違和感……などという曖昧なものでは無い。
よりはっきりと、ウルにはこの金貨の異常が見えるのだった。
「――[無の道/四の段/断魔結界]」
「情報妨害の魔道結界?」
異変を察知したウルが行ったのは、魔道による結界を張ること。
元々ウルの執務室には最上級の守りの結界が常に張られているが、そこに更に重ねがけしたのだ。
「念のためな。通常防御でも問題は無いと思うが――」
――術を破られた感覚が漏れる恐れがある。
それだけ言って、ウルは続けて魔道を発動させるのだった。
「[命の道/三の段/偽りの看破]」
発動したのは幻術、変化などにより本来の姿と異なる仮の姿をした者の正体を暴く魔道である。
それを受けた金貨はビクッと震え、その体積を大きく増やしていく。色も金貨の輝かしい金属質の光沢からどんどん薄汚れていき、茶色い粘性の液体のようなものへと変質していくのであった。
「……なに? これ」
「さてな。今言えることは……こいつの主は、先のことを考える頭を持たないバカ。もしくはいっそ褒めてやりたくなるくらいの傲慢なナルシストだということくらいだな……」
コルトの手から離れ、直系三十センチほどにまで膨れたブルブルと震える