第四章:王国の裏側
第123話「その手の連中には」
「無事に潜入成功だな……ま、今回は正当な手続きありきだから当然だが」
ル=コア王国、首都コルアトリア。いつもと何も変わらない平穏な空気が流れる昼の自国に、旅装の一団が足を踏み入れた。
先頭を行くのは、コボルト形態を取る魔王ウル・オーマ。
付き従うのは、この三年で再編成された魔王軍階級より
後方支援、薬師軍団長 コルト。
特殊工作、暗殺軍団長、グリン。
物資補給、人間軍団長、クロウ・レガッタ・イシルク。
拠点強化、エルフ軍団長、ミーファーとその護衛シークー。
以上のメンバーだ。
新生ウル魔王軍は、曲がりなりにも一国を支配したことをきっかけに呼称を班から軍に正式に改め、各部門のトップも班長から軍団長と定めたのである。
実際に何が変わるというわけでは無いが、名前というのは大切だ。ただの集団の長から軍の統括と定められれば自然と気合いが入るというものである。
その他にも直接戦闘を担当する戦闘軍団長のケンキや遊撃軍団長のカーム、そして拠点防衛を担当する守護軍団長のアラフなどかいるが、あまりにも怪物まる出しなメンバーは今回拠点の守り担当である。
「今回は私の名前で普通に入国許可取りましたからね……相変わらず、皆さんは私の所有物という扱いですが」
「今回も面倒なことは任せるぞ。人間との交渉はお前に任せる」
このメンバーの中で、一番胃を痛めているのは間違いなく唯一の人間……元ハンターギルドマスターのクロウだろう。
未だその存在を公のものとしていないウル達には人間社会での肩書きが存在しないため、クロウを代表として正面から堂々と観光客として入ってきたのである。
つまり対外的にはクロウは魔物や亜人の奴隷を大勢引き連れたかなりの富豪ということになってしまったわけだが、もちろん誰一人として本当にクロウの命令を聞いてくれる者など存在しないので彼の胃に休まる暇は無い。
「ま……怪物の住処に単身突撃するよりはましですよ、ええマシですとも」
クロウを含めた戦闘力強化組は、この三年魔王の宣言どおりにウ=イザーク領土内にある他の魔物の領域に突撃して制圧する……という危険極まりない仕事を修行の一環として熟してきた。
更に、その予定が無いときはウル自身の領域の異界資源の回収をハンターらしく命じられることも多々あり、主の性格が色濃く出ているデストラップだらけの異界攻略を何度もやらされてきたのだ。
それだけやれば腕も上がるというものであり、また精神的に些か図太くなってきたようだ。肉体的にも加齢で衰えるどころか全身の筋肉が若返りを果たしており、人体の神秘を感じさせる仕上がりとなっていた。
「ところで……何で私達も? ご命令とあれば従いますが、人間の街で私達は浮いてしまうだけだと思うのですが……?」
クロウのため息に合わせて前に出て来たのは、頭をすっぽりと隠すローブを身につけたミーファーだ。
その格好はエルフの特徴である耳を隠すためのものであり、またエルフ由来の美貌を隠すためでもある。もし人間の街でミーファーが堂々と姿を晒したりすれば、確実に悪しき者を引き寄せてしまうという警戒心の表れであった。
「お前達は亜人奴隷への交渉役だ。この国は魔物だけではなく亜人迫害も酷いようだからな。可能ならばついでに手に入れておきたい。人間や俺たちのような怪物が話しかけるよりは同族か近しい扱いの者が声をかける方がいいだろう」
ル=コア王国で人権を認められず、迫害されているのは魔物だけでは無い。
エルフを含む、所謂亜人種族という存在も似たようなものであり、少し探すだけで目を覆うような扱いを受けている者が多数いるのだ。
そんな存在を傘下に加える際、迫害する側である人間のクロウや、そもそも交渉が可能とは思われていない魔物のウル達が声をかけても無駄に時間がかかる。それならば、エルフ以外の亜人からもある種の仲間意識が期待できるミーファー達が適任という考えであった。
しかし、それに未だ納得が行かないという様子の男――シークーが待ったをかける。
「……それならば、何もミーファー様ではなくともよかったのでは? 私だけでも……」
「お前の言うこともわかる。長であるミーファーではなく……死んだところで最小限の被害で済む下っ端のエルフでもいいと言えばいいのだが、やはり族長自らがというインパクトは交渉として強いだろうからな。いざという時の交渉時、決定権を持つ者か否かは非常に重要だ。特に、奴隷扱いを受けている亜人共からすれば文字通り種族としての命運をかけることになる。そんな決断を促す対象が何の決定権も持たないでは動く者も動かんさ」
「む、う……」
予想していた反論だったのか、弾丸のように放たれる説明に二の句を告げないシークー。
実際、ここまでの旅の間も……それどころか招集をかけられたときから何度も『ミーファー様を人間の国へ連れて行くのは反対』と主張しているシークーなので、ある意味慣れたやりとりなのだった。
「さて、他に質問は無いか? ……無いな? では今後の予定を決める……前に、そうだな。少々長い仕事になることだろうし、活動拠点を作りたい。クロウよ、この辺りで多少騒がしくしても目立たない、何なら何人か死んでも誰も気にしないくらいに治安の悪い場所の宿を探せ」
「……凄い注文ですね。その条件ですと、スラム街……それもかなり闇社会に近い場所になりますよ? もちろんマフィアの幹部クラスが利用するような豪華な宿ではなく、日常的に犯罪を犯しているような連中が屯するような汚い場所です」
「それでいい。生活環境の改善は必要だろうが、まずは闇に潜んでこそだ」
おおよそ、旅行先としては最悪の部類になると忠告するクロウだが、ウルは何一つ構わないと頷いた。
どこか生き生きとした様子の魔王は、そんな問題は何も気にしない様子であった。
「では行け。ここからはお前が先頭だ」
「はあ……?」
魔王の命令には逆らえない。仕方がなく、クロウは事前に調べておいた王都の地形……その恥部と表現すべき地区を目指して歩き出した。
「……何か、ウル様楽しそうですね?」
「ここ数年の書類仕事から解放されたからじゃ無い? やっぱストレス溜まってたんだよ、きっと」
植物を育てる仕事を任されているエルフ族と比較的接点があり、良好な関係を築いているコルトはミーファーとヒソヒソと小声でテンション高めの魔王について語った。
結局、魔王ウルは細々とした書類を相手に格闘する人ではなく、前戦で力を振るう野蛮人……否、獣なのだ。自分しかできないから自分でやっていただけでストレスを感じないわけではない反動で、随分開放感に浸っているようであった。
……尤も、そのウルが抜けた穴を埋めているのは
何はともあれ、怪しさ満点の一行はそのまま王都のスラム街へと消えていった。
右を見ても左を見ても危ない雰囲気を持った人間ばかりで、汚らしさしか感じない町並み。そんな中でも特にオンボロの宿にウルが目を付けたのだった。
「……客かい? 一晩で大銅貨5枚だ。メシと湯が欲しいならプラス大銅貨3枚だ」
「……随分良心的な値段だな?」
宿に入って出迎えたのは、明らかに宿の主人というには不釣り合いな強面の男だった。
左目は眼帯で覆われ、頭には大きな切り傷。左手の指が何本か根元から切り落とされており、どう見ても堅気の人間では無い。
ともあれ、人間相手の交渉を担当するのはクロウの役目。まずは率直に、一泊の宿代としては破格の安さに素直な感想を述べるのだった。
「へへへ……アンタ、この辺は初めてかい?」
「……そのとおりだ」
「何やらかしてこんなところまで来たのかは知らねぇけど、歓迎するぜ? 質問に答えてやるならここは立地も客層も最悪なんでな。ついでに防犯なんて全く俺は関与しねぇから、まあ色々とお客様負担ってやつにする結果だな」
「なるほど。それで、その値段はどの程度の広さの部屋に対するものだ? この人数が入れるのか?」
「あぁん? アンタ奴隷を部屋にあげるのか? 変わった人だねぇ……ま、生憎うちは衛生なんて気にしねぇから別にいいんだけど、それなら大部屋でもギリギリだな。さっきの値段は二人部屋のもんだが、大部屋なら銀貨一枚でいいよ」
「そうか。なら……え? ……わかりました。あー、店主よ。今この宿には他の客はいるのか?」
クロウは適当な部屋を借りて済ませようとしたのだが、後ろから魔王ウルの念話を受け、指示どおりに答えた。
「いや? 見ればわかると思うが、生憎この宿は好き好んで利用したい奴が来るところじゃねぇんでな。後ろ暗い奴が一晩の隠れ家として使うような場所なんだが、今日は平和なのかアンタが最初の客だよ」
「ならば店主よ。これでこの宿、貸し切りにしたい。期限は不明だが、もし長引けば追加で報酬を払う」
「あ? ……こ、こりゃ、金貨じゃねぇか!? アンタ、こんな宿に金貨出すってか!?」
クロウが差し出したのは、黄金色に光る金貨だった。もちろん使い魔を変身させた贋金では無く、正真正銘の金貨だ。
単純にこの宿の一室を取ろうと思えば、半年は借りられる値打ちがある。
「詮索は不要。……その辺りのルールは、理解して貰えると思うが? ああ、後食事もお湯も不要だ」
「へへへ……ま、そりゃどこの裏道でも変わらねぇルールだな。こんなボロ小屋差し出すだけで金貨貰えるってんなら断る理由はねぇさ。どうぞ好きに使ってくれ。看板は下ろしておくから、引き上げるときにこの場所まで連絡してくれや」
店主は渡された金貨を大事そうに懐にしまい込み、一枚の汚らしい地図を取り出した。どうやらこのスラム街の簡単な見取り図のようであり、指を指された場所は店主の自宅なのだろう。
どうやら、クロウの意を汲み店主はこの宿を完全に明け渡してくれるつもりらしく、自身は自宅に帰って以後一切干渉しないつもりのようだ。
こうして、金貨で叩いて宿を借りきったウル一行は、王都での活動拠点を得たのだった。
◆
――それから三日後。
「とりあえずの防衛はこんなものか」
金貨一枚で貸し切られたボロ宿は、劇的な変化を遂げていた。
外見は前と変わらず汚らしいボロ宿――宿の看板も下ろされたので、ただのボロ小屋だが、中身が全く異なる異界と化したのだ。
まず、この宿を限定としてウルが自らの領域としてしまった。あまり広げると潜入がバレるのでこの宿の内側限定だが、拠点とするには十分だろう。
そして、数多の魔道による物理、魔道両方に対する守護の術。並みの暗殺者ではこの宿に入って三秒で絶命することだろう。
更に宿そのものの改築も行われ、横になるのに躊躇するような不潔な寝床は清潔に整えられ、虫食いだらけの壁やらなにやらも全て上質な木材で補強されている。この辺りは『こんな場所にミーファー様を寝泊まりさせるわけにはいかない』とシークーが張り切った結果である。森に生きるエルフ族にとって、木材建築の補強くらいならばお手の物なのだ。
ついでにコルトが自分用の作業室として一室を実験室にしてしまったりといくらか改装されているが、ともあれこれで問題なくこの街での活動が可能になったと言えるだろう。
「で? これからどうするの?」
拠点の準備が整ったところで、一同は魔改造された大部屋に集まっていた。
今後の予定を確認すべく、まずはコルトがウルに向かって質問した。
「目的は例の偽金貨……使い魔の術者を探すことだ。この街に術者がいるのは間違いないのだが……流石にそれ以上の探知は妨害されていてな。後は人海戦術で探すしか無い」
「人海戦術って言っても……この面子で?」
ここにいるのは、表に出られない魔物組を含めても十名にも満たない。流石に数を頼りに調査することは難しいだろう。
そこを解決するには、まず手駒の現地調達をする必要があるのだ。
「何のためにこんな場所の宿を拠点として使うことにしたと思っている? 狙いは当然、このスラム街に根付いている
「マフィアですか……確かにいるでしょうが、そんな簡単に従うとは思えませんが、何か考えが?」
「またお金で雇うのですか?」
ウルの考えを聞いたクロウ、ミーファーが感想を述べるも、ウルは首を横に振るのだった。
「いや、その手の連中には力で行くのが一番だ。何のためにこんな治安なんて言葉すら存在しないような場所で金貨見せびらかす真似をしたと思っている?」
魔王ウルはニヤリと邪悪に笑い、窓の方を見た。
釣られて他のメンバー達も窓の方を見ると、そこには如何にもすねに傷を持っていますという風貌の男達がこそこそ集まっている。
どうやら、王都最初の犠牲者は、とあるマフィアに決まったようであった――。