第四章:王国の裏側
第120話「これを使ってやろうか」
「ぬぅ……この報告は、真なのか?」
「はっ……! 諜報部の入念な調査の結果ですので……その」
「間違いは無い、か」
ル=コア王国首脳部。国王執務室。
王の権威を示す、国内で最も尊い建造物たるコルアトリアの中にある、王が政務を行うための部屋だ。
執務室と一口に言っても、誰にも見せられない重要書類の保管、検討を行うための秘匿重視の部屋から配下を呼び出し話をすること前提の風通しのいい部屋など幾つか種類があるが、今主である国王アレスト・イーブル・モリメント・ル=コアが滞在しているのは後者の部屋であった。
「突然のイザーク公爵領の反乱と独立、そして勇者の暴走と聖女による制裁……国が荒れ、国力が落ちることは覚悟していたが、まさかここまでとはな……」
ル=コア王国からすれば青天の霹靂であった大事件――勇者の暴走と公国独立宣言。
王国の経済を握っていた有力者、イザーク公爵が勇者を原因とした反乱の末死亡し、その娘が公爵家の力を丸々保持したまま公国としてル=コア王国から離脱。国に属していた勇者の暴走という、ル=コア王国の存亡に関わる大スキャンダル。
不幸中の幸いというべきか、不幸の追い打ちと言うべきか、同行していたエルメス七聖人の一人の手によって鎮圧された勇者の暴走だが、街の住民の半数が死亡するという信じがたい被害を出してしまったことは動かせなかった。
勇者の力を人類に向けるのは御法度。そして、何を思ってそんなことをしたのかは王であるアレストにもわからないが、どんな事情であれその責任を取るのは勇者を管理していた責任者であるル=コア王国なのだ。
あまりにも予想外なダメージの数々に、本来ならば全力を持って阻止しなければならないイザーク公国の独立にも、自ら出張ってきた聖女アリアスの咎めるような視線を前にしては抵抗することも叶わなかったのである。
その甚大なダメージから想定される国力の低下は、当時より試算されていた。その未来予測だけでも目を背けたくなる被害であったが――公国独立事件より三年が経過した現在、実際に出て来た数字は当初の想定を遙かに超える経済的ダメージを叩き出していたのだった。
「何故、こんなことに……」
「公国……元公爵領が担っていた数々の経済活動を失ったことが大きいのは言うまでもありませんが、それだけならばまだ想定の範囲内でした。想定外だったのは、国中で膨れ上がった犯罪件数です」
「国が不安定になれば、まず国民の生活が不安定になる。その結果食い扶持を求めて犯罪が増えるというのは避けられん話だが……それにしても多すぎる」
「ええ。統計とは明らかに異なる数の犯罪が起こり、国を乱しております。しかも、そのほとんどが奴隷や下級市民の反乱……つまり、今まで黙って従っていた潜在的反乱分子の活性化です」
「今まで素直に従っておった弱者共が、何故示し合わせたように動き出す……? そして、何故潰されて終わりであるはずの弱者がこうも力を持つのだ……?」
ル=コア王国の王者、アレストは善き王では無い。では悪しき王なのかと言えばそれも首を傾げる程度の、善にも悪にも振り切れない中途半端な男である。
だが――それでも、この腐敗した王国のトップだ。その心と常識は、腐敗した国を象徴する程度には穢れており、弱者を虐げ食い物にすることに何の抵抗もない。
もし、彼が善に属する王であれば、恐らくは虐げられる民を解放し、皆が手を取り合い成長できるような国を作ったことだろう。
もし、彼が悪に属する王であれば、虐げられる者達が反乱などできないよう徹底的に服従させ、更なる力を得られる国を作ったことだろう。
そのどちらもできない、ほどほどに穢れた日和見主義の王。
それが彼の正体であり、こうしてその中途半端さが故に目の前で起きている問題を止められない無力な存在なのだ。
「……こうもタイミングが合っているのだ。もしや、何かが裏でこの騒動を操っているのではないか?」
だが、愚鈍な愚者が必ずしも正解に辿り着くことができないというわけではない。
不当に虐げられる民を守ることも、支配しきることもできなかった無能な王は、その無能を認めたくないが故にその原因を『他の誰か』に求めたのだ。
「これを見よ。我が国と違い、こちらは随分と景気がいいようでは無いか」
アレスト国王は、一枚の書類をつまみ上げた。
そこに書かれているのは、自国の経済と比較するために用意された各国の経済状況だ。
どれもこれも、三年間右肩下がりのル=コア王国を馬鹿にしているとしか思えないくらいに順調のようであったが、特に目を引くデータがあった。
「イザーク公国……異常だ。ここまでの急成長は明らかに異常だ」
アレストはそこに記されたデータを閲覧し、額に流れる汗を自覚する。
元はル=コア王国の領土だった土地だ。そこで取れる資源、成長の限界くらいは予測できる。だと言うのに、そんな計算を嘲笑うかのようにイザーク公国は急成長を遂げているのだ。
ここまでの成長をするためには、今まで無かった資源が突然湧き出てきた上で役人という役人が身を粉にして働き、なおかつ一切の不正も行わない……そんな、支配者からすると夢のような国作りをしなければならないだろう。
「もしこの急成長の種が、我が国からの略奪であったならばどうだ? 説明が付くのでは無いか?」
「貿易の元手となる資源が略奪品ということですか? では、我が国で多発する犯罪は公国が裏にいると?」
「可能性はあるだろう。治安の悪化に見せかけ、我が国の財を奪いそれを利益としている可能性はあるのだ」
アレスト国王は配下を前に、自分の仮説を披露した。
それは何の証拠も無い暴論だ。しかし『自分達が無能だから国が傾いている』という結論を出すのを嫌がる彼らからすると、非常に魅力的な結論であった。悪いのは自分では無く他の何かなのだ……という結論は。
誰かを悪者にする。それは、後ろめたいことがある人間にとって抗いがたい誘惑なのである。
「もし不当に我が国の財を奪っているならば、それは許されざる悪だ。我々にはそれを取り戻し国民のため戦う義務がある」
同時に、もっともらしいことを口にしながら景気の悪化に歯止めをかける策にもなり得るとアレスト国王は表情を崩した。
そもそも公国――公爵領を失ったことから始まった景気の悪化なのだから、そこを取り戻せれば万事解決と妄想したのだ。
「調べますか?」
「ウム……だが、下手に探りを入れるのもまずいか?」
責任転嫁ついでに欲望の矛先を向けただけではあるが、とにかく公国を悪者にしようという判断をしたアレスト国王。
しかし、現状の王国が公国に直接ちょっかいをかけるのはあまり上手い手とは言えない。
なにせ、自分のあずかり知らぬところで巨大な負い目を作ってしまった相手だ。そこにケチを付けるとなれば公国独立の後ろ盾となった聖女アリアスの心証をを損ねてしまい、ただでさえ悪化の一途である情勢がより酷いことになりかねないだろう。
国境を越えた権威を誇るエルメス教の大幹部の顰蹙を買うなど、どんな悪影響をもたらすかわかったものではないのだ。それを恐れない国など、信仰そのものを拒絶するガルザス帝国くらいなものだろう。
「では……魔神会に協力を求めてはいかがでしょう?」
「魔神会? なるほど……奴らならば誰にも感づかれることなく情報を集めることもできるか」
ル=コア王国が誇る魔道士集団の頂点、魔神会。十人の最高クラスの魔道士がその席に座る魔道研究機関の頂点であり、単純な武力では勇者、聖人に劣るものの、手札の多さや応用力といった総合力で比較すれば勇者や聖人にだって負けないと自負する逸脱者集団だ。
数年前に急な病で一人分空席ができてしまったと報告を受けているが、その後釜となる新人も順調に育っているということで頼れる存在だ。
少々……かなり偏屈なところもある研究者気質の者が集まっていることもあり、国王の命令ですら素直には従わないという大きな欠点があるが、七聖人の後ろ盾を持つ公国を探るのに彼ら以上のカードは無いだろう。
「では、魔神会の方へ指令を出します。報酬はいかがいたしましょうか?」
「余裕はないのだが……確か、実験材料を欲しがっていたか?」
「ああ……人体実験をやりたいから実験台を都合して欲しいと、確か最近申請がありましたな」
言うまでもないことだが、人体実験は法律でアウトである。そんな申請を堂々と国に出してくるあたりに魔神会の異常性が見て取れ、そしてそれを特に咎めない王家の腐敗もまた見て取れる一例であった。
「仕方が無い。王家の方で管理している奴隷を出す。その代償ということでこの仕事を受けさせろ」
「畏まりました」
配下は頭を下げ、退室していった。
奴隷もタダでは無いのだが、そこまで大きな出費でも無いと考えられるのは、法律を使う側である王ならではの発想だろう。
王国法において、無理矢理攫って奴隷にする行いは違法であるが、奴隷自体は合法だ。故に合法奴隷を買うことはできるのだが、法の下に認可されている以上国民としての最低限の権利は有しており、奴隷を無闇に殺すことは禁じられている。だが、王のお墨付きの奴隷となればどんな無茶をしても闇に葬られる。許可を出す、それこそが権力の力なのだ。
もちろん、奴隷とは言え同族が死ぬことに何も感じない人でなしであることを前提とした権力の使い方であるが。
そんなやりとりをしてから、少しの時が空いたとき、執務室の扉がノックされた。
最初からずっと、部屋の壁際で空気のように控えていた使用人が扉の向こうにいる使用人と会話し、何者が訪ねてきたのかを確認し、主であるアレスト国王へと伝えるのだった。
「陛下。王太子殿下がお目通りを願いたいとのことです」
「うん? 何用か……まあいい。許す」
訪ねてきたのは王太子――アレスト国王の実の息子、第一王子ドラム・アレスト・スコー・ル=コアであった。
父親の面影を持つ顔立ちをしており、それなりに鍛えられた未来の王として恥ずかしくない身体を持つ美丈夫だ。
部屋の主の許可を得た使用人が扉を開け、ドラム王太子を部屋の中に招き入れるのだった。
「父上、ご機嫌麗しゅう……」
「うむ。それで、突然どうしたのだ?」
アレスト国王は朗らかな笑顔で息子を迎えた。
アレスト国王は自分の息子であるドラム王太子を溺愛しており、素晴らしい後継者であると手放しに讃えている。他にもアレスト国王の子供は複数いるが、最も優秀と目にかけるドラムは特に愛情を注いでいるのだ。
残念ながら、王として正しい愛し方なのかと問われれば疑問が残ってしまうが。
「実は父上、少々お願いが」
「なんだ?」
「私が今行っているレイナーク地方の再開発計画なのですが、少々想定外の出費がありまして。できれば追加で融資をお願いしたいのです」
「むぅ……」
優雅に頭を下げて国家事業規模のおねだりをしてきた息子に、アレスト国王は顔を顰めた。
何せ、今国庫の金は減り続ける一方なのだ。一言で言えば金が無く、そこに金の無心となれば苦しげなうなり声の一つも出るというものである。
だが――
「――あいわかった。財政の方には私から言っておこう。必要な額を申請しておきなさい」
「ありがとうございます」
結局、息子に甘いアレスト国王は何の検討も行うこと無く息子の要望を叶えてしまう。
そこはせめて、資金はどれだけ必要なのか、何に使う予定なのか、想定外の出費とは具体的になんなのか――そういったことを入念にチェックし、評価するところから始めるべきである。
それが予算を組むということであり、国王の親馬鹿で国民の血税が右から左に流れるのだから民と財政担当の文官達からすれば堪ったものでは無いだろう。
しかし、そんな異常な光景もいつものことだとドラム王子は『言質は取った』と一瞬にやつき、さっさと退室してしまうのだった。
「まったく……あやつも、まだまだ詰めが甘いな」
王はそんなことを呟いた。
甘いのはお前だ――と、部屋で待機する使用人一同は思ったことだろうが、口には出さない。それが権力社会である。
そんなことをしていると、またもや執務室の扉が叩かれた。ただし、今度の相手は律儀に取り次ぎを待つというマナーなど持ち合わせておらず、室内の使用人が動く前にさっさと扉を開けてしまうのだった。
「呼んだかえ? アレスト坊や」
「……マジーよ。お前はもう少し王に対する敬意を持て」
入ってきたのは、推定年齢20歳ほどの美女であった。
上から下まで全身真っ黒のローブ姿という、私は怪しい魔法使いですと主張するようなファッションは気になるところだが、男としては否応なく惹きつけられる魅力を感じさせる女性だ。
だが、いくら魅惑的な美女でも普通は王に対してこんな無礼など許されるはずもない。
それが許されるのは、彼女が見た目どおりの小娘では無いからである。
「敬意? 私は坊やのおしめを替えたこともあるんだよ? そんなひよっこに敬意と言われてもねぇ……」
クツクツと笑う美女の口から飛び出した言葉は、自然の摂理に反するものであった。
どう見ても20歳そこそこの若者が、既に60を越えているアレスト国王が赤子のころに世話をした……まずあり得ない話だ。
しかし、そこに一切の嘘偽りは無い。何故ならば、彼女――マジー・ハリケーは50年以上もの年月を魔神会会長として過ごしてきた国内最高の魔道士であり、自らの老いすら魔道の力でねじ伏せた逸脱者なのだから。
「あー……わかったわかった。お主にこの手の話をしても意味が無いことはよく知っている。それよりも、仕事を頼まれて欲しいのだが……」
「もう聞いているよ。せっかくお墨付きが出たことだし、一つこれを使ってやろうかと思うんだがね?」
アレスト国王の話を遮り、全て承知していると頷いたマジー。
そんな彼女の手の中には、一枚のル=コア王国で発行されてるコア金貨が乗せられているのであった……。