ドレメ学院在学中に子供服の部門で装苑ファッションコンペでグランプリを獲得したり、以降大いにその才能を発揮。そのころ、自宅に弟に逢いに来た父静治と出会い、恋に落ちる。結核を煩う若い父のリハビリに積極的に協力し、父は退院。結婚。
デザインルームを持つが、以後飯田みゆき先生門下生としてアートフラワーとリボンフラワーを融合させた新しいデコレーションを考案して、全国に教室展開。大成功を納める。母の花のファンにはイギリスお王室も含んでいる。
長女美奈、長男雅人を出産してからも仕事は続けたが、美奈の受験を機会に引退。母親業に専念しても、決して教育ママにはならず、深夜の勉強を妨害する始末。家庭訪問に訪れる前の担任に「母に家で勉強させてと伝えてください」と御願いしたが「女の子は綺麗でいたほうが、人生トータルに考えて最終的に幸せになれるから、眼鏡かけるほど、にきびできるほど、座り過ぎで大根足になるほど勉強させません」という説得に担任の先生は納得させられてしまいました。
長男雅人は母にそっくりな気性の持ち主。A級ライセンスを持ち、レーサー並みのドライビングテクニックを持つ母の才能も引き継いだ。
長男雅人は神奈川大学の経済学部を卒業。長女の美奈は武蔵野美術短期大学を卒業。
美奈が眼精疲労のため、経済誌編集長をやめて、茶道教室運営に専念すると自らも不白流師範荒井宗玄という師号で協力。海外も含め全国的な活動に常に同行。圧倒的なファンが多く、かれらは自らを「宗玄派」とよび、グルーピーとなる。
リュウマチが始まっても教室には通い、とうとうお点前が出来なくなってもファンの要望に答えて毎回華麗なファッションで登場する母を、社中は鎌倉の3階にある茶室から声援を送っていた。だから鎌倉小町通りで知らない人はいないとまで言われる。
リュウマチが進行し、とうとう病院で寝たきりになってもベッドでネイルアートはしてもらう。若いハンサムな医師と食事の約束をするもてぶり。
入院中の昨年1月8日に夫を亡くし、四肢不自由のため、葬儀に出られなくても、パパが会いに来てくれたわと喜ぶポジティブぶりは健在、と思いきや一人になるとしくしく泣いていたと看護婦さんから聞き、周囲に気遣って気丈に振る舞う姿にみんなで涙した。
それから一年。2度病院を転院するうち、またもやその天然自然な性格は愛され続ける。
最後は広尾病院の六本木ヒルズと東京タワーの見える部屋で家族に見守られながら、永眠する。まるで楽しい夢をみているかのような微笑みを唇に浮かべながら。
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