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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第23章 青年期 決戦編

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第二百五十五話「鬼神の手打ち」

 戦いから3日が経過した。

 怪我人の治療も終わり、スペルド族の村には平和が訪れた。


 この3日間、俺たちはさらなる敵を警戒しつつ、休息していた。

 何もしなかったわけではないが、何かがあったわけではなかった。

 本当に平和な、何もない時間が流れた。


 ザノバはかなり疲れていたようで、一日の大半を寝て過ごしていた。

 だいぶ重症なのかと心配になったが、医者曰く、ただの筋肉痛だそうだ。

 生まれて初めての筋肉痛だそうで、「全身がバラバラになりそうだ……ジュリよ、余はもうすぐ死ぬ、余はお前に全てを教えた。余がいなくなっても精進せよ」などと遺言を言い残していた。

 ジュリもまた泣きながら、しかし決意の篭った目で頷いていたから、面白い。

 思わず駆け寄って、ザノバの手を取り「ザノバ、自動人形は必ず完成させてみせる。俺の仰ぐ神に誓おう。まかせておけ。神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん『ヒーリング』」と治してしまったぐらいだ。

 その後、ザノバは奇跡のような顔で立ち上がり、一式の修理についてくれた。

 ジュリはポカンとしていた。


 アトーフェも、村の中では比較的大人しくしていた。

 気づいたら村の連中に木材で玉座をつくらせ、戦士に戦いの手ほどきをしていたが、大事には至っていない。

 エリスが参加していたぐらいだ。

 シャンドルはそんなアトーフェを見て、やや恥ずかしそうにしていたが、時折表情に影を落としていた。

 やはり、アレクの事で思う事があったのだろう。

 王竜剣について返すべきかと尋ねても、戦利品なのだから、好きに使ってほしいと言われた。

 ああいう話を聞いたばかりでは、じゃあ俺がと使う気にもなれない。

 魔導鎧に頼りきりな俺が言うのもなんだが、使いすぎてダメになってしまいそうだし。

 しばらくは、オルステッドに預かっていてもらい、必要に応じて使わせてもらう形がいいだろう。


 ルイジェルドは、日がな一日中、ノルンと過ごしている。

 というより、ルイジェルドの行く所にノルンがひよこのように付いていってる感じだ。

 ルイジェルドにあれこれと色んな事を教わっている姿は、かつての俺やエリスのようだ。

 ノルンは勤勉だな。

 ……勤勉ってことで、いいんだよな?


 ドーガは女衆や子どもたちに大人気だ。

 この村に来た当初こそ怖がっていた彼だが、疫病で献身的に動いた事もあってか、垣根を越えた印象を受ける。互いを受け入れているのだ。

 最近は、純朴そうな顔で、木彫の人形のようなものを作って、子供たちと遊んでいる。

 オルステッドはボールをぶつけられなくなって、少しさびしそうだ。


 医師団もスペルド族の経過が良好という事で、疫病の研究の方へとシフトしている。

 村の食料を調べつつ、疫病の原因を探っている……というよりは、サンプルを集めている感じだろうか。

 アスラ王国に持って帰って、文献としてまとめるのに使うのだろう。


 クリフとエリナリーゼ、ジンジャーの三人には、第二都市イレルへと出向いてもらった。

 ビヘイリル王国に対しては捕虜を取って改めて要求を送りつけた。

 返事を受け取る人物が必要だ。

 護衛として、頭を剃ったスペルド族の戦士2名をつけたが、もしギースの作戦が終わっていないというのなら、各個撃破の危険もある。心配だ。


 俺はというと、今回の戦いの反省会だ。

 今回も、反省点はいくつもある。

 特に、谷に落とされた所がヤバかった。

 ギースが魔道具を使ってこないと、なぜ思っていたのか。

 その部分は次回に合わせて、もっと煮詰めておかなければなるまい。

 やられる分は仕方がないが、せめて同じ手は食うまい。


 ちなみに、アトーフェハンドはアトーフェへと戻り、俺の右手は治癒魔術のスクロールで元に戻った。

 思わずその手でエリスの胸を揉みしだいたら、顎先に一発いいのをもらって、半日を無駄にした。


 それから、あの魔術。

 アレクとの最後の戦いで使った魔術。

 あの感触は忘れないうちに数度試そうとしたが、中々成功しなかった。

 あれは恐らく、重力魔術だと思うのだが、もう一度、何かきっかけが欲しい所だ。

 重力魔術の強さは、今回の戦いで身にしみて分かったし。


 また、転移魔法陣についてもいろいろと考えなければいけない。

 今回のように色んな所に設置すれば、当然のように相手にも利用される。

 今後、そのへんの対策も取っていかなければならないだろう。


 それにしても、3日経過しても転移魔法陣の回復はまだだ。

 2日目にはアルマンフィを呼び出して俺の家族に問題は無いと聞いてはいるのだが……予定より魔法陣の回復が遅い。

 ヒトガミとは関係ない部分で何か問題でも起きているのかもしれない。

 心配だ。

 もっとも、心配しすぎても意味はない。

 俺は俺のできることをやらなければならない。



---



 4日目。

 第二都市イレルに使者として出向していた面々が帰ってきた。

 彼らは、ビヘイリル王国側からの返事を持ってきてくれた。

 一枚の書状に纏められたそれには、長々といろんなことが書いてあった。


「ビヘイリル王が、君に会うそうだ。鬼ヶ島側の戦力をどうにかしてくれれば、スペルド族の事は考えてもいいそうだ」


 が、返事を要約するとそんな感じだ。

 ひとまず、この村の存続は許される可能性は高いだろう。

 かなり早いスピードで戻ってきたが、焦って書いたのか、文字はよれていたが、印は本物だ。


 鬼ヶ島側の戦力というのは、アトーフェがおいてきたというムーア達の事だ。

 アトーフェの命令で鬼ヶ島の村人を人質に取り、立てこもっているということだ。

 今のところ、鬼神が彼らを無理やり倒す、という形でもないようだし……。

 まぁ、事後処理についての事を話しあいましょう、という事だ。


「……よし」


 こちらには、スペルド族の事以外で強い要求があるわけではない。

 ギースについての事は聞かなければならないが、その程度だ。


「そういう事なら、行ってきましょう」


 スペルド族も何人か連れて行こう。

 交渉次第だろうが、スペルド族が今後もビヘイリル王国内に住むのなら、受け入れられるように顔見せしていくべきだろう。

 じゃないと、また今回のような事が起こりかねない。

 もっとも、逆にスペルド族を見た市民団体が反対デモとか起こすかもしれない。

 鬼神とスペルド族の族長が握手をするセレモニーなんかも行いたい所だな……。


 なんて考えつつ、メンバーを選定した。

 戦闘に備えて、エリス、アトーフェ、シャンドル、ルイジェルド。

 交渉役としてミリス教団のクリフ。クリフのお供のエリナリーゼ。

 さらにスペルド族の戦士を二人連れて、首都へと行くことにした。

 残りはスペルド族の村で襲撃に備えてもらう。


 それから、メンバーではないが、捕虜も返還だ。

 とても悲しい事に、捕虜返還は要求はされていなかった。

 でも、誠意だ。

 とは言え、交渉決裂もありうるので、カードとして一人は残ってもらおう。


 そう思い、俺は捕虜に滞在してもらっていた小屋へと移動した。

 小屋の中では、捕虜の二人が会話もなく、ボンヤリと座っていた。

 彼らは俺を見ると、胡乱げな目を向けてきた。


「どうでしたか、スペルド族の村は」

「……」

「なかなか、いい所だったでしょう?

 美人が多いし、子供たちも元気。

 飯はちょっと野性的だけど、味は悪くなかったはずだ。

 戦士たちは無愛想だけど、人族に対して攻撃的ではないってことは、わかってもらえたはずだ」


 捕虜には、たった数日だが、自由に生活してもらった。

 もちろん、見張りは付けさせてもらったし、 武器は取り上げさせてもらったし、変装でない事を確かめるために一度裸に剥いたが、それ以外はおもてなしの精神で接したつもりだ。

 スペルド族の面々には、彼らを客人としてもてなすよう念を押したし、実際にスペルド族は捕虜に対して優しかった。


 彼らを拘束するようなことはなかった。

 村の中なら自由に出歩けたし、村の外にも、スペルド族の護衛をつけてなら、許可した。

 逃げることを心配したわけじゃない。

 透明狼に襲われる事を心配したのだ。

 ついでに、この2日で透明狼の狩りを行い、透明狼がどんな魔物かってのも、確認してもらった。


 飯に関しては、このあたりでとれたものだ。

 疫病の恐れがまだ少し残っていたが、他に食うものが無いのだから、仕方がない。

 とりあえず、ソーカス茶と合わせて飲んでもらった。


「……まぁ、俺たちが思った以上に、噂に惑わされていたってのは、わかった」


 騎士たちも、捕虜にされた時は絶望的な表情を浮かべていたが、今はリラックスしてくれている。


 まだ、スペルド族のいい所を伝えきったとは思えない。

 でも、少しはいい印象も残ったと思う。

 もう一人には、もうしばらく、満喫してもらおう。


 これで、俺がいなくなった途端、もう一人が顔のマスクを剥がして「ククッ、実は俺はヒトガミの手先だったのさ」とか言い出したら怖いが……。

 まぁ、ランダムで選んできたし、村に連れてきた時にも、念入りに身体検査はした。

 オルステッドもクリフも、今回はよく見て確かめてくれたし、何人かは残すし……大丈夫だろう。


「これから国と交渉をするので、片方を連れ帰ります。

 身分の高い方を残させて頂きたい所ですが、よろしいですか?」

「わかった」


 騎士は片方が頷き、もう片方が立ち上がった。

 素直なものだ。

 もし、この二人に個人的な因縁があって、もう片方を切り捨てようとしたら、嫌だなぁ……。


 まぁ、一応、国はこちらの条件を飲むと言っているのだ。

 なら、会って話さないとどうにもなるまい。


 そう思い、俺達はスペルド族の村を出発した。



---



 さらに四日後。

 国王との交渉は、あっさりと成功した。


 ビヘイリル王国の国王は怯えていた。

 態度こそ王様らしい感じだったが、俺の言動の一つ一つを気にしていたし、

 エリスやルイジェルド、アトーフェといった存在にもビクついていた。


 

 自分は剣神と北神に脅されていただけだ、と。

 偉そうな言葉を使って遠回しにだが、そう説明してくれた。

 猿顔の魔族を城内に匿い、俺が来た時にだけ入れ替わっていた事も認めた。

 一応、指輪を全てはずしてもらい、吸魔石も使わせてもらったが、

 現在はギースが入れ替わっているわけではないようだった。


 しかし、やはりあの時の王がギースだったらしい。

 まんまと騙された。

 声帯模写とかしてたのかもしれないが、さすが、凄まじい演技力だ。


 ともあれ、捕虜の名前を出しつつ強気に交渉すると、すぐに鬼ヶ島の戦力をなんとかしてくれれば、スペルド族について全面的に認めてくれると言ってくれた。

 こちらも、多額の賠償金や、領土をもらおうとか、そういう難題を押し付けているわけではない。

 元々この国に住んでいて、この国の助けになっていた人々を、認めてくれ、というだけだ。

 その上、討伐隊を強引に動かして現状を招いたのは、ギースの独断だ。

 国王としては、ため息を吐きながら飲まざるをえないだろう。


 ついでに、ここで要求を蹴れば、鬼族との縁も切れる。

 鬼族の捕虜をビヘイリル王国が見捨てる形になる。

 鬼族と密接な関係にあるこの国、鬼族との縁が切れる事は、この国の終わりを意味するのだから。



---



 というわけで、俺たちは第三都市ヘイレルルへとやってきた。

 遥か遠く、ぼんやりと火山のような島が見える港町。

 俺はここで待機し、アトーフェとシャンドルが鬼ヶ島へと渡り、鬼神との交渉を行う事にした。


 使者として、アトーフェとシャンドルに鬼ヶ島へと出向いてもらう。

 俺自身も鬼ヶ島に渡りたい所だが、一式が船に乗らないのがネックとなった。

 一式の重さに耐え切れる船が無いのだ。

 鬼神がどう動くかわからない状態では、一式の傍から離れない方がいい、という結論だ。


 何事もなく鬼神との交渉が終わり、鬼ヶ島での捕虜解放が終われば、ビヘイリル王国での一件は終了だ。

 スペルド族は、谷の近くではなく森の入り口付近に住む事を許された。

 疫病の原因は結局わからないままだったが、疫病の原因からは遠ざかるはずだ。

 移住に少し手間は掛かるだろうが、俺の仕事はほぼほぼ終わりだ。


 最後に鬼神と戦う可能性だけは考慮にいれて置かなければならないが……。

 剣神も北神ももういない。

 勝機はあるはずだ。

 ギースがまだ戦力を残しているのだとしても、厳しそうなら、一旦森まで戻り、態勢を立てなおしてもいい。 


「……」


 などと考えつつ、俺はエリスとルイジェルドを護衛に、灯台に登って海を見ていた。


 久しぶりの海はいいな。

 海は広く、大きい。

 晴天の空の下に広がる大海原。


 水平線の彼方に見える島が、鬼ヶ島だそうだ。

 鬼ヶ島、というからには、鬼っぽい顔の形をした島かと思ったが、普通の島だ。

 いわゆる火山島らしく、山からは煙のようなものが上っている。

 こうして見ると、雄大さや不気味さのようなものはあるが、禍々しさは無い。

 どちらかというと、素朴さがある。

 鬼族が住んでいるから、鬼ヶ島なのだろう。


 もちろん、海を眺めるためだけに灯台に登ったわけではない。

 理由は大海原の一点。

 鬼ヶ島へと近づく、一隻の船にある。

 アトーフェとシャンドルの乗った船だ。

 俺はこの灯台に立ちつつ、千里眼を使って彼らの交渉を見守るのだ。

 そして、交渉が失敗して鬼神が暴れ始めたり、ギースが交渉の場にひょっこりと姿を現したら、この位置から大規模な魔術を撃ちこむ算段になっている。

 鬼ヶ島にいる無関係の鬼族を巻き込み、ビヘイリル王国との交渉もおじゃんになりかねない計画だ。

 しかし、もし本当にギースが来るのなら、俺は撃つ。


「……ねぇ、ルーデウス、ちゃんと見えてるの?」

「見えてるよ。説明する?」

「いらないわ」


 エリスの言葉に苦笑しつつ、偵察を続ける。

 千里眼を使って見えるのは、島の一部だけだ。


 ただ、その一部、特に見やすい位置に、人が集まっているのが見える。

 浜辺だ。

 俺たちは、そこを交渉の場とした。

 ひときわ巨大な体を持つ鬼族、鬼神マルタ。

 その周辺には、戦士と思われる鬼族が立っている。

 戦士団の数名に包帯が巻かれていたりする所を見ると、何度か戦闘はあったようだ。


 彼らと相対しているのは、黒い鎧を身にまとった不気味な騎士たち。

 アトーフェ親衛隊だ。ムーアの姿もある。

 彼らも多少は負傷しているのかもしれないが、見たところダメージはない。

 さすが、鬼族の戦士団より圧倒的に強かった、という事か。

 それでも、鬼神と戦えばどうなるかわからんだろうが、村を人質に取った状態だ。

 戦わなかったのだろう。


 また、アトーフェ親衛隊の後ろには、人質なのか、五人ほどの鬼族の女子供が縛られているのが見て取れた。


 しかし、戦闘があったということは、人死もあったろう。

 これは一悶着あるかもしれない。


 そう思ってドキドキしつつ見ていたが、アトーフェとシャンドルが到着した後、人質の半分があっさりと解放され、鬼神とシャンドルが何事かを話し合い、その場は解散となった。

 どういう話が行われたのかわからないが、鬼神は肩を落としているようだった。

 千里眼は声が聞こえないのがネックだな。



---



「ルーデウス!」


 翌日。

 第三都市ヘイレルルの宿屋で寝ていた俺は、エリスの声で起こされた。


「……なんだいハニー、もう少し眠らせておくれよ」


 と思いつつ胸を揉もうとすると、手を払われた。

 カレったらいけずだわ。バイオレンスだし。

 でもあたしがいけないの。

 禁欲なのにさわろうとしたから。


「来たわ!」

「何が?」

「奴よ!」


 エリスはそう叫ぶと、部屋を飛び出していった。

 フィーリングで会話するのはやめてほしい。

 俺のような知的な人間は、曖昧な単語だと理解できないのだから。


「奴……?」


 俺はよくわからないまま、体を起こす。

 寝ぼけ眼をこすりつつ、窓から外を見る。

 すると、そこには赤黒い頭髪を持つ集団が、宿の前にたむろっていた。


「――奴か!」


 慌てて部屋を飛び出して、一階へと走った。


「……」


 鬼神は宿の前で、あぐらをかいて座っていた。

 彼の周囲には、鬼族の若者達が誰もが痛々しい表情をしていた。


 彼らと相対するように、エリスにルイジェルドといった面々が武器を構えて待機している。

 俺が進み出ると、人垣が割れて道が出来た。

 俺は鬼神の前へと進み出る。

 すると、シャンドルが俺に耳打ちをしてきた。


「鬼神が、手打ちにしたいそうです。罠の気配は薄かったため、連れて参りました」

「……わかりました」


 これ以上は戦わない、というのなら、俺もノーとは言わない。

 シャンドルの予想はわからないが、ギースの策略とも思えないし、見たところ、エリスやルイジェルド、アトーフェといった面々が警戒していないようにも見える。

 何か、この辺の人間に通じる、警戒心を解く何かがあったということだろうか。


「……」


 鬼神は俺をジロリと睨みつけると、探るような声音で聞いてきた。


「……おめが、カシラか?」

「はい。ルーデウス・グレイラット。責任者です」

「おで、マルタ」


 俺が頭を下げると、マルタも座ったまま、頭を下げた。


「話、ある」

「……こちらも少し、聞きたいことはあります」


 俺は鬼神に倣い、地面にあぐらをかいて座った。

 相手も同じ体勢だし、失礼には当たらない……と思いたい。

 と、思ったら、脇にいた若者が、すかさず俺の横にかしずいて、鬼神と俺の前に、盃をおいた。

 盃である。

 すぐに盃には飲み物が満たされる。

 俺のものには、恐らくこのへんの酒が。

 鬼神のものには醤油が。

 醤油といい、味噌といい、このあたりは文化が日本に近いのだろうか。


「飲め」

「頂きます」


 鬼神が一気にそれを煽り、俺もそれに倣う。あんまり酔っ払ってもまずいので、一口だけ。

 飲み切るのが礼儀かもしれないが……。


 しかし、さて、何から話したものか。

 まずは、ギースの事だろうか。

 あなたは使徒ですか、と。

 鬼神殿は、あまり頭のよろしくなさそうな風貌をしている。

 難しい事を、わかりやすく、簡潔に伝えねばなるまい。

 エリスにものを教えるかのように、優しくだ。


「おで、話、聞いた」


 少し迷っていたら、鬼神が口を開いた。


「魔王、村襲った、食い物奪った。許せない。でも戦わない奴、みんな生きてた」


 鬼神はそう言って、周囲の鬼族を見渡した。

 みんな生きてた……?

 少しでも戦闘があったのなら、死人は出たと思うが……いや、『非戦闘員』の死人は出なかった、ということか。

 アトーフェもそのへんの分別はわきまえていたらしい。

 いや、ムーアの作戦だろうけど。


「おで、お前の家、壊したけど、お前の戦わない奴、生かした。お互い様」

「……」

「鬼族、国守る。国、お前、負け認めた。おで、鬼族のカシラ。もう、戦う理由無い。手、打つ」


 アトーフェが村を襲ったのは許せない。

 でも、自分も俺の事務所を襲った。

 しかし、非戦闘員は攻撃しなかった。

 だからお互い様。

 鬼族は国を守る義務があるが、国はすでに負けを認めた。

 鬼族の頭として、戦う理由がないと判断するので、手を打ちたい。

 って所かな。


「ギースに関しては、いいのですか?

 何か頼まれていたのでは?」

「ギース、お前、国滅ぼす言った。だから、手伝った。けど、ギース逃げた。お前、国滅ぼさなかった。これ以上やる、国も、鬼族も滅びる」


 ギースは、俺がビヘイリル王国を滅ぼすと言った。

 けど、滅ぼさなかった。

 それどころか、ギースは逃げてしまった。

 これ以上やると、確実に国も鬼族も滅びる。


「ギース、嘘ついた。もう信じない」


 しかし、俺は国は滅ぼさない。

 ギースの嘘だった。


「おで、降伏する。おで、死んでもいい。でも、戦わない奴、命、助けてほしい」


 鬼神はそう言って、その巨大な巨体を、前に倒した。

 土下座に近い形。


 周囲の若者は、沈痛な面持ちだ。

 ここで俺が鬼神を殺す可能性が高いと思っているのだろう。


 敵を殺すのは、当然のことだ。

 そして、彼らは嫌々ながらも、それに従うつもりだ。

 鬼神が死に、自分たちが生きながらえる、その結末を。


 なぜそんな悲壮なのか。

 そう疑問に思ったが、しかし、そうか。

 国が敗北を認めた、という事は、鬼神たちも後ろ盾がない、ということだ。

 戦力はこちらの方が上で、これから戦おうと思えば、俺達は鬼ヶ島を蹂躙できる……。

 無論、俺にとっては、無駄な事だが。


 さて。

 殺すべきか、殺さざるべきか。

 鬼神はギースをもう信じないと言った。

 嘘をつけなさそうな感じのする御仁だし、信じてもいい。


 鬼神は、言葉は拙いが、決して馬鹿ではなさそうだ。

 俺の解釈があっていたとするなら、理路整然としていた。

 知能指数は不死魔族より上だろう。

 それなら、案外、嘘をつける、という可能性がある。


「……」


 少々考えた後、俺は最後に一つだけ聞いた。


「鬼神殿、あなたは、ヒトガミの使徒ではないのですね?」

「違う。ギース、ヒトガミの名前出した、けど、おで、そいつ知らない。知ってても、島、大事」


 鬼神の目は力強くまっすぐで澄んでいた。

 これで嘘をつかれていたら、俺はもう何も信じられない気がする。


「受け入れます」


 そう言うと、周囲がほっとした空気に包まれた。


 生かしておいた方がいい。

 その方が、後々のためになる。


「ですが鬼神様、あなたには、ギースと戦ってもらいます。逃げたり裏切ったりしたら、悪いですが、島に攻め入ります」


 ギースの罠を潰すという事を考慮すれば、これがいいだろう。

 鬼神と鬼族のつながりは深い。

 脅すのは好きになれないが、土壇場で裏切られるのも困る。


「わがっだ。闘うの、おで一人でか?」

「いえ、俺たちと、です」

「んだば、おでが死んだあと、戦わない奴、どうなる?」

「鬼族の生き残りに関しては、俺達の誰か……生き残った者が責任を持って、保護します」

「ん。嘘でねな」


 鬼神は頷いた。

 すると、先ほどの若者が、また鬼神の盃に醤油を、俺の盃に酒を注ぎ込んだ。

 鬼神がそれを持ち、捧げ持つ。

 俺もまた、真似して捧げ持った。


「鬼の角にかけて」

「…………龍神の名にかけて」


 俺が適当にそう返すと、鬼神は真面目くさった顔で頷いた。


「ん」


 そして、盃を空ける。

 こうして、鬼神との戦いも、終わった。



---



 その晩、ヘイレルル近くの浜辺にて酒宴が行われた。

 鬼族の酒が蔵より出され、鬼族全員と、俺達に振る舞われた。


 鬼族では、戦った後、仲直りをしたら、酒を飲み交わす習慣があるらしい。

 酒を飲んで、全てを水に流す。

 それが、鬼族流の手打ちだそうだ。

 俺は鬼神にしこたま飲まされ、途中から飲みきれずアトーフェに任せたら、そのまま鬼神とアトーフェの飲み比べが始まったので、ひとまず抜け出してきた。


 俺は解毒で悪酔いを覚ました後、しばらく宴の中を歩いていたが、ふと、ある人物がいないことに気付いて、波打ち際へとやってきた。

 そこでは、シャンドルが一人で飲んでいた。


「あぁ、どうも」

「隣、いいですか?」

「どうぞどうぞ」


 俺は彼の隣に座り、ふぅと息を吐いた。

 こんな離れた場所で彼が何を考えていたのか。

 それは、鈍い俺でもわかろうというものだ。


 アレクの事だろう。

 彼は最後の最後に、アレクに降伏勧告をしていた。

 北神といえど、息子と敵対して、殺したいとは思わないはずだ。


 もっとも、俺はそれを謝罪するつもりはない。

 もし、俺があそこで引いていれば、

 あそこでアレクを見逃していれば、

 もしかすると、この宴は存在していなかったかもしれない。

 北神はギースと合流し、鬼神と組んで、さらなる攻勢に出てきたかもしれない。


 実際、その判断をシャンドルも間違っていたとは思っていないのだと思う。

 シャンドルはなにかを言ってきたわけではない。

 割り切っていたはずだ。


「アレクの事は、残念でした」

「ええ」


 しかし、間違っていない事と、そのことについて黙している事は別だ。


「あの子は……昔から才能がありましてね。

 剣を持てば、誰よりもうまく操り、魔物と戦えば、一瞬で弱点を看破した。

 同年代で、彼に勝てる者はいなかった」

「……」

「だから、私も期待してしまいましてね。

 王竜剣を授けて、北神の名を継ぐように言ったのです。

 ですが、もしかすると、それがいけなかったのかもしれません」


 アレクは、英雄にこだわっていた。


「北神なんてものは、所詮は名前にすぎないのに。彼はこだわってしまった」


 シャンドルはそう言って、酒を飲み干した。

 俺に、言える事はない。

 この先、もっといろんな経験を積めば、北神と名乗るのにふさわしい何かが身につくのではないか。

 と、思うが、俺には言えない。

 アレクはもういないのだから。


「まぁ、過ぎた事です。私はしばらく悩むでしょうが、ルーデウス殿が気にかける必要はない。そういう戦いだったという、それだけの事です」

「……そうでしょうか」

「ルーデウス殿は子沢山だと聞いています。なら……また考えなければいけない機会もくるでしょう」


 子供に先立たれる親の気持ち。

 俺には、まだわからない。

 この先、わかりたくもない。


「何にせよ、我が息子の冥福を祈って」

「はい」


 そこで会話が途切れた。

 前から響く波の音、後ろから響く、饗宴の声。

 そんなBGMの中で、今回の戦いについて話していると、

 この戦いが本当に終わりなのだという実感が湧いてくる。

 ギースを倒していないどころか、姿を見てもいないのに、終わり。

 それが、終わった戦いに一抹の不安のようなものを芽生えさせる。


 結果的に、今回の戦いは、圧勝に近かった。

 だが、ギリギリであった部分や運の要素が強かった部分も多い。

 次はどうか。

 今回と同じぐらい立ち回り、勝利を得られるか。

 厳しいかもしれない。

 ギースは今回の戦いを見て、さらなる作戦を立ててくるだろう。


「結局、ヒトガミの最後の使徒は、誰だったんでしょうね」


 出てきたのは、そんな言葉だ。


 剣神は違う。

 北神も違う。

 鬼神もどうやら、違うようだ。


 ギースと、冥王ビタ。

 あと一人が、まだわからない。

 鬼神曰く、ギースは逃げたという。

 俺の予想通りなら、今回出会わなかった人物を連れての逃走だろう。


 しかし、何か。

 何か一つ、忘れている事がある気がする。

 一つ、ピースが欠けている。

 もう一人、使徒らしき人物がいたはずだが、出てこない。


「そうですね。正直、私も想像がつきません。

 もしかすると、別の場所で、別の使徒が動いているのかもしれませんよ」


 別の場所で、別の使徒。

 そう聞いて思い浮かぶのは、我が家の事だ。

 鬼神は襲わなかった。

 でも、別の手が伸びている可能性はある。

 俺たちはまだ、帰る術を持っていない。

 手は打ってあるが……しかし、予定よりも遅い。

 今頃、シャリーアでは戦いが起きているのではなかろうか。


「ふぅ……」


 悩んでも、仕方がない。

 やきもきするが、向こうは、向こうの人に任せるしかない。

 ただ、子供に先立たれる親の気持ちを味わいたいとは、思わない。

 そんな気持ちを味わいたくないがために、俺は戦っているのだ。


 そういう気持ちを押し流すように、俺は酒を口に含み、一気に嚥下した。

 はやく、帰りたい。


「おや?」


 ふと、シャンドルが顔を上げた。

 海の向こうを見ている。


「何か、光っていますね?」


 その言葉に、俺も海を見た。

 現在時刻は夜。

 海は真っ黒で、何も見えない。

 ただ波の音だけが聞こえてくる。

 千里眼を使ってみるが、やはり見えない。


「どこらへんですか?」

「ほら、あれです。近づいてきていますね」


 相変わらず、視界には何も映らない。

 しばらく目を凝らしていたが、やはり、何も見えない。

 シャンドルは、酔っ払って幻覚でも見ているんじゃなかろうか。


「灯りでもつけますか?」

「…………本当に見えていないんですか?」

「見えません。シャンドルさんの目が良すぎるんじゃないですか?」


 シャンドルは訝しげに眉をひそめた。

 確かに、千里眼持ちが言う事ではなかったかもしれない。

 もしかすると、俺が酔っ払っているせいで、見当違いの方向を見ているのか。

 もっと、上の方とか。


「……まさか! ルーデウス殿、魔眼を閉じてください!」

「え? あ、はい」


 目を瞑る。


「そうではなく、魔眼に注いでいる魔力を、限りなくゼロに!」

「……」


 俺は、言われた通り、魔眼の魔力を切った。

 予見眼も、千里眼も。


「……え」


 すると、見えた。

 今、まさに、波打ち際から砂浜へと上がってこようとしている存在が。


 そいつは、大きかった。2メートル半……鬼神と同じぐらいの大きさを持っていた。

 そいつは、金色の鎧を身にまとっていた。

 そいつは、六本の腕を持っていた。

 そいつは、そいつは、肩に人を載せていた。


 肩に乗っていた人物は、おかしな文様のついたローブを羽織っていた。

 ローブのフードを取ると、見覚えのある顔が飛び込んできた。


「あー、センパイとここで遭遇しちまうか……」


 猿顔の男……。

 ギースだ。


「やれやれ、見つからずに上陸しようと思ったら、いきなりこれか。うまくいかねぇな」

「フハハハハ、計画通りに物事が進むとは思わん方がいいぞ」

「違ぇねぇ」


 ギースに答えたのは、黄金の鎧に身を包んだ男。

 聞き覚えのある声。

 この笑い声を、忘れるはずもない。


「バーディ陛下……」


 バーディガーディ。

 なぜここに、なぜそんなものをつけて、なぜギースと一緒に。

 まさか、鬼神が裏切った?

 それともシャンドルが呼び込んだ?

 まさか、いや、でも、だって、え?


 様々な思いが脳裏を駆け巡るも、言葉にならない。

 体の奥底から、得も知れぬ震えのようなものが上がってきている。

 この黄金の鎧は、ヤバイ。

 何がどうヤバイのかはわからないが、そのヤバさ、禍々しさはわかる。

 これは、俺が生身で戦ったら、瞬殺される類の相手だ。


「久しぶりであるな、ルーデウス、それにアレックスよ」


 シャンドルもまた呆然としつつも、しかしその額には、びっしりと汗が張り付いていた。

 すぐに攻撃しなければいけないのに、動けない。

 そんな感じを、今のシャンドルからは見て取れた。


「叔父上。なぜ、ここに?」

「決まっておろう。我輩がヒトガミの使徒だからである!」


 バーディガーディは言った。

 堂々と、はばかることなく、言った。

 最後の使徒だと。


「……ああ」


 そうか。

 そうだな。

 忘れていた。

 散々、言われていたじゃないか。


 キシリカも、バーディは使徒の可能性があると言っていた。

 そして、ルイジェルドをスペルド族の村まで連れてきた人物は、何を隠そうバーディガーディだ。

 なんで忘れていたんだ。

 最後のピースがハマった感じ。


「ヒトガミの要請でルイジェルドをスペルド族の村に送り届け、

 戦いに備え、中央の海へと沈んだこの鎧を取りに行っておったのだ。

 冥王ビタ、剣神、北神、鬼神と力をあわせ、逃げ場を失った貴様らと、そして龍神オルステッドを倒し、我が――」

「旦那、旦那」

「なんであるか? 人がせっかく気持ちよく話している所を……」

「しゃべりすぎだ。そこまで言うことはねぇ」

「ふむ、つまらん男だ。策略は明かしてこそではないか」


 ギースは、頬をポリポリと掻いて、肩をすくめた。


 だが、今の言葉で、俺の中でも納得がいった。

 俺は、正しかった。

 剣神と、北神と、鬼神。

 彼らは、ヒトガミの使徒ではなかった。


 そして、もし、北神カールマン三世をのがしていれば、戦いは続いたはずだ。

 討伐隊は解散せず、そのまま、森を挟んでのにらみ合いが続いたはずだ。

 その間に、彼らは鬼ヶ島に上陸。

 アトーフェ親衛隊を蹴散らし、鬼神の憂いをなくす。

 北神と鬼神にあれだけ苦戦したのだ。

 そこにバーディが加われば、俺達に勝ち目は無い。


 だが、今なら。

 冥王は死んだ。

 剣神は死んだ。

 北神は死んだ。

 鬼神は降った。

 相手は、ギースとバーディだけだ。 


「いや、わかってるぜ、センパイ。

 センパイが森で勝利したってのは、ヒトガミから聞いた。

 今更のこのこ出てきても、勝ち目はねえってんだろ?」


 ギースは戦闘面では使い物にならない。

 だから、勝てる……。

 勝てる……のか?


「でもな、本当にそうかな?

 こちらのお方は、まさに伝説だぜ?」


 伝説という言葉に、バーディがふんぞり返る。


「4200年前。かの魔龍王ラプラスと相打ちになった、最強の魔王……」


 ごくりと唾を飲み込む。

 バーディの身につける金色が、その存在を証明するかのように光っていた。


「闘神バーディガーディだ。一人でも、十分だろう?」


 やはりか。

 やはり、これが、闘神鎧か。

 全身から立ち上る、異様な気配。

 本気のオルステッドを前にした時のような、寒気。

 勝てないと、本能的に悟る。


 瞬間、バーディガーディが、組んでいた腕を広げた。


「我は闘神バーディガーディ! 龍神配下『泥沼』のルー……」

「我が名はアレックス・カールマン・ライバック! 北神カールマン二世なり!

 不死身の魔王バーディガーディに一騎打ちの決闘を申し込む!

 不死魔族の名誉にかけて、受けられよ!」


 バーディが固まった。

 そして、困ったように脇にいるギースを見る。


「むぅ……我輩はルーデウスに決闘を申し込むつもりであったが」

「断りゃいいだろ」

「そうもいかん。魔王たるもの、決闘は受けねばならんと古来より決まっておる」


 呆れ顔のギース。

 ヒトガミはまだしも、ギースはやはり、手綱を握りきれていないのか。

 俺だって、バーディガーディやアトーフェといった面々を制御できる気はしないが。


「ルーデウス殿」


 その間に、シャンドルが耳打ちをしてきた。


「ここは、私が時間を稼ぎます。その間に撤退し、戦力を整え、対策を練ってください」

「シャンドルさんは?」

「生きては帰れないでしょう」


 息が詰まる。

 すぐに返事はできない。

 だが、すぐに頷くことはできた。

 俺は今、生身だ。

 すぐ近くに一式があるとはいえ、今、この瞬間は、生身だ。

 安全マージンとかの話じゃない。

 一切の勝ち目が無いのだ。


 二人で戦っても、足手まといになるだけ。

 ここで俺が戦う事は、デメリットばかりで、いいことはない。


「お願い……します」


 俺はそう言って、村の方へと走りだした。

 背後に響く凄まじい剣戟の音を聞きながら。

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