第二百三十四話「4人目」
各地の魔王への挨拶回りが終了した。
彼らは俺の方についてくれた。
アトーフェの名前は実に便利だ。
今のところ、全て順調だ。
うまくいってる。
うまく行きすぎなんじゃないかと思うほど、問題が起きていない。
ギースは不気味なほどに沈黙を保っている。
ヒトガミからの妨害も一切無かった。
こまめに家に帰って様子を見たが、家族に手出しをされるような気配もない。
傭兵団が集めてきた世界情勢にも目を通しているが、不安になりそうな動きも無い。
少なくとも、俺の行動はギースの企みとは無縁だった、という事か。
ギースの手紙はブラフで、別の何かを企んでいる……。
その何かが何かは、まだわからない。
わからないうちは、俺も自分で決めた方向に進むしか無い。
今のところ、ギース発見の報告もない。
うまく潜伏されている。
これは、キシリカに頼むまでは、見つかるまい。
そのキシリカも、見つかるのは時間の問題だろう。
その間に、俺は次の人物へのツテを作ってしまうことにする。
剣の聖地。
剣神ガル・ファリオン。
オルステッド曰く、珍しい剣の収集が趣味の気風のいい奴だそうだが、
エリス曰く、話を聞くような相手じゃないということだ。
一応、剣王ニナ・ファリオンとは顔を合わせた事もあるが……。
きっと、アトーフェと似たような感じだろう。
場合によっては今回も、一式によるごり押しでの交渉となりそうだ。
なら、今回も戦える人間で固めた方がいいだろう。
しかし、エリスやギレーヌみたいのが一杯いる所だ。
アトーフェ親衛隊のように、ボスがやられても見てるだけ、って事はないだろう。
大量の剣神流の剣士が一斉に襲いかかってくる……。
そう考えると、気が重い。
とりあえずエリスと……あと、誰を連れて行こうか。
アリエルあたりに無理を言って、ギレーヌを連れていくとか……。
「あなた! はやく食べてくれないと、お皿が片付かないよ!」
「ああ、ごめんよ。はい、ぱくぱく」
なんてことを考えている俺は、現在マイホームにて、嫁とご飯を食べている。
「ぴーまんも残さず食べるのよ!」
「ええっ、ぴーまんもかい? ぴーまんは苦手なんだよなぁ」
「ぴーまん残したらダメです! 大人は美味しくないものも我慢して飲み込まなきゃいけないのです!」
嫁はまだ小さく、五歳だ。
この家に屋根はない。食器は石で作られており、中には泥団子と泥水が入っている。
それもこれも、きっと俺の稼ぎが悪いせいだろう。
苦労をかける。
「ばぶー」
「もう、ノルンちゃんったら、さっきおっぱいあげたばっかりなのに、もうお腹が減ったの? しょうがないわねー」
そんな俺たちの娘は15歳だ。
もうすぐ16歳になる。
今年で魔法大学も卒業、ということで何やらイベントを催しているらしく忙しそうだが、まだママのおっぱいが恋しいらしい。
「わーい、ママ、ありがとー」
「ダメ! 赤ちゃんは赤ちゃん語しか喋ったらダメなの!」
「あ……はい。ばぶー」
娘は、まだ言葉が不自由なようだ。
乳幼児だし、仕方がないか。
「わんわん!」
「もう、アイシャもお腹が減ったの? しょうがないわね、ほら、ご飯よ、皆にはナイショよ!」
ペットも15歳だ。
最近は、家の仕事と傭兵団の仕事を両立させている、キャリアウーマンっぽい感じだが、大体いつもメイド服を着ている。
しかし、やはり犬畜生らしく、食欲には抗えないらしい。
「わふーん!」
「お腹がいっぱいになったら、ノルンちゃんと遊んであげるのよ!」
「わふわふ、わおーん」
「ばぶー……!」
「やぁん、くすぐったい!」
ペットは発情期のように興奮しながら、嫁と娘を一緒に抱きしめ、頬をペロペロとなめていた。
仲睦まじい。
俺も混ざろう。
「わーい、パパもパパもー」
「ダメ! パパはそんなことしないの!」
嫁に拒否られた。
家庭内差別という奴だろうか。
仲睦まじいように見えて、夫婦の仲は冷め切っているのだろうか。
冷えきった夫婦生活、これが倦怠期か。
ていうか、なぜ俺はペットじゃないのだろうか。
抱きついたり舐めたりしたいのに……。
「ぐすん、パパは嫌われてるんだね……」
「違うの! パパは立派な人だから、めったに帰ってこないし、赤ちゃんも抱いてあげられないけど、ちゃんと愛してるの! しかたないの!」
立派じゃなくてもいいから、近くで見守りたかった。
仕方なくなくていいから、赤ちゃんも抱いてあげたかった。
愛情は温もりなんだ。
温かいから、幸せなんだ。
「えっと、ルディ……いいかな?」
ふと後ろから、声が聞こえた。
振り返ると、隣家の窓から姑の……えーと。もういいか。
「ああ」
立ち上がろうとすると、服の裾を掴まれた。
ルーシーが不安そうな顔で、俺を見上げていた。
「パパ、もうお仕事行っちゃうの?」
思い返せば小一時間前。
剣の聖地に誰を連れて行こうか、いっそオルステッド社長にお出ましいただこうか。
交渉はどうすべきか、最初から喧嘩腰で行くべきか……。
と悩んでいる俺の所に、ノルンに連れられたルーシーがきた事が発端だった。
ノルンの後ろに隠れながら、もじもじと「あのね……パパ、遊んで?」と言うルーシー。
俺は一も二もなく了承したものだ。
「いや、ちょっとママとお話してくるだけだよ」
「……やだ」
「すぐ戻ってくるから。それまで、お姉ちゃんたちに遊んでもらってなさい」
「…………うん」
口をキュっと結んでうつむくルーシー。
後ろ髪を引かれるとは、こういう事なのだろう。
できれば、一日中遊んでいたい。
ルーシーの旦那でいたい。
だが、本当の嫁が呼んでいるのだから、行かねば。
「で、どうしたの? シルフィ」
手を洗ってからリビングに戻り、ソファに座っていたシルフィの隣に収まる。
「うん。その……最近、ルディ、忙しいでしょ? だから、急かすようで悪いんだけど、先に聞いておかないとって思って……」
シルフィは、頬をぽりぽりと掻きながら、照れくさそうに顔を伏せた。
なんだろう、もったいぶって。
「確か、もう、すぐにでも剣の聖地の方に行くんだよね?」
「ああ、準備が整い次第だから、あと2~3日で……」
あとは、メンバーの選出だけだ。
エリスと誰か。
剣神流の面々と話のわかる奴を連れて行きたい所だ。
アリエルに無理を言って、ギレーヌかイゾルテを貸し出してはもらえないだろうか……。
「どれぐらい行ってるの?」
「わからないけど、10日から30日ぐらいじゃないかな。近隣にも顔を出してくるだろうし」
剣の聖地の近くには、高名な剣術家や、修行中の鍛冶師もいるという。
そういう連中にも、顔をつないでおくつもりだ。
「そっか……うん、じゃあ、やっぱり間に合わないね」
「……何に?」
「出産」
言われ、俺はシルフィのお腹を見た。
大きく張ったお腹。
ちょっと大きくなった胸。
スレンダーなシルフィに似つかわしくない、体の変化。
「あー……もうそんな時期か」
いや、もちろん、忘れていたわけじゃない。
シルフィの事は、いつだって俺の心の中にあった。
ちょっと予定日などわかってない感じだったが、そうか、もうか……。
時間が流れるのは、早いものだ。
「……お腹、触ってみて?」
言われるまま、触ってみる。
触っているのはお腹なのに、その奥から、生命の鼓動を感じられる。
心臓が二つあるのでは、と思える、何か不思議な感覚。
否、今、シルフィは二つの命を持っているのだ。
そして、その生命は、シルフィと別れ、独立しようとしている。
「もうすぐ、ルーシーたちの弟か妹、生まれるよ」
シルフィはお腹を触る俺の手の上に、手を重ねた。
「今回は、産む時に、ルディ、いないんだよね?」
「いや、いるよ、家に」
「でも……ルディ」
「いるよ」
もうすぐ生まれると聞いて、「じゃ、よろしく」と家を空けられるわけがない。
そんなことをしたら、何のために今の事をやっているのか、本当にわからなくなってしまう。
「……ありがとうルディ。大好きだよ」
「俺も好きです」
シルフィが目を瞑ったので、肩に手を回して抱き寄せる。
ああ、幸せだなぁ……。
「あ、それでね。生まれる前にね、名前、教えて欲しいなって。ミリスに行く前に、考えておくって言ってたのに、教えてもらってないから」
俺は床に降りて正座した。
---
というわけで、しばらく家にいる事にした。
急がなければいけない、という気持ちが無かったわけではない。
だが、それ以上に、不安になったのだ。
正座をして、頭を下げながら、名前を考えていなかった事を告げた時、シルフィは怒るでも、むくれるでもなかった。
彼女は、青い顔をして、言葉を失っていた。
ただ、信じていた何かに裏切られたような、そんな顔をしていた。
その表情はすぐに消えて、「もう、今からでも考えておいてよ」と言ったが……。
あれは失望の顔だ。
愛想をつかされる。
という言葉が浮かんだのは、その直後だった。
ああ、そうだろうとも。
きっとシルフィは、この半年、ずっと俺を信じてきたのだ。
遠くにいても、自分の子供が生まれるのを心待ちにしていて、生まれたら笑顔と共に祝うものだと。
無論、俺だってそのつもりだった。
つもりだった。
行動では、表せてなかったわけだが。
少なくとも、頭のなかでは、そう思っていた。
「パパ。どうしたの? お腹痛いの?」
「いいや、ちょっと、ママの心を痛くしちゃったんだ」
「なら、ごめんなさいしないといけないね」
悩む俺に、ルーシーはそう言った。
だが、シルフィが求めているものは謝罪ではないだろう。
彼女が求めているのは、表面上の謝罪ではない。
そんな確固たるものではない。
もっと漠然とした……そう、安心感だ。
「ルーシー。ママはもう、ごめんなさいって言われても、また心を痛くされるかも、って思ってると思うんだ」
「でも、パパはもう、ママを痛くしないんでしょ?」
「しないよ」
「じゃあ、ママも許してくれるよ!」
シルフィだって、そんな事は最初からわかっていたはずだ。
俺はあまり家にはいられなくなる。
時には、こうして何かをすっぽり忘れてしまうこともあるだろう、って。
わかっていても、気持ちは別だ。
彼女は、昔から少しずつ我慢している。
子供を妊娠したというのに、俺がパウロの所に旅立った時も、
ロキシーと結婚した時も、エリスと結婚した時も。
その時、その時では、爆発もせず、理解を示してくれた。
俺の好きなようにやらせてくれた。
今回も、彼女は我慢したんだと思う。
名前を考えていないと聞いて、言いたいことをぐっと我慢したんだと思う。
きっと、彼女はこれからも、我慢していくのだろう。
俺は彼女を、我慢させてしまうのだろう。
今はいい。
しかし、我慢の限界は来る。
コップから水が溢れるように、人の器には限界があるから。
その時、シルフィは俺の前からいなくなるだろう。
日記であったように、フラッといなくなる。
それは、嫌だ。
俺は死ぬまで彼女と一緒にいたい。
お互いに、一緒にいたいと思い続けたい。
それは、ただのワガママなのだけど。
愛想を尽かされるとしても、
せめてシルフィに安心感を与えてやりたい。
どうすればいいのだろうか。
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そんな事をぐだぐだと悩んでいる間に、出産日が来た。
わずか一週間程度の事だ。
シルフィは何事もなかったかのように過ごしていた。
実際、何事もなかった、と思っているのかもしれない。
彼女は、あまり同じことを根に持つタイプではないと思う。
案外、先日の事も、残念だったとは思いつつも、さして重く捉えていないのかもしれない。
俺も、ぎこちなくはなかったと思う。
出来る限りシルフィと一緒にいながら、必死に子供の名前を考えた。
そんな中、陣痛からの出産だ。
エリスが当然の顔をして医者へと走り、
リーリャとアイシャが出産の準備をし、
ロキシーが補助の治癒術師として側に控え、
レオが子どもたちを別室へと連れていき、
俺は、ずっとシルフィについていた。
しばらくして、エリスが医者を持って現れた。
小脇にかかえられた医者も、目をぐるぐるしながらも、すぐに出産の準備にとりかかってくれた。
皆慣れたものだった。
シルフィも二人目だし、俺だって、これで四人目。
立ち会った人数は、アイシャやノルンを含めれば五人目だ。
前世を含めれば、もうちょっと多い。
医者だってベテランだし、この場に未経験者は誰一人としていない。
安心できる布陣だ。
そんな布陣の中、分娩が始まった。
しかし、誰一人慌てる事なく、落ち着いてスムーズな……。
「うっ」
頭が見えた所で、医者がうめいた。
一瞬にして安心感が薄れ、不安が体中を駆け巡る。
慣れているとはいっても、出産は出産。
油断するべきではなかったか。
逆子か、いや頭が見えたんだから……。
まさか死産じゃないだろうな。
ロキシーが立ち上がり、杖を持った。
「治癒魔術は?」
「必要ありません」
医者はそう言うと、分娩を続けた。
シルフィに必要最低限の声をかけつつ、順調に出産は行われた。
何か問題が起こったようには見えない。
「……あー、あー」
慌ただしくも静かな部屋の中に、赤子の声が響き渡った。
医者は何も言わぬまま、赤子を取り上げた。
何も問題は無いように見える。
でも、医者の表情は固いままだ。
その理由、俺にはわかった。
赤子を一目で見た時に、わかってしまった。
医者がうめいた理由、今なお、表情の固い理由。
赤子の髪が問題だった。
ルーシーは、生まれた時、ちょびっと生えた髪が、明るめの茶色だった。
ララは、生まれた時、髪は無かった。
アルスは生まれた時、側にいなかったが、俺が見た時は赤色だった。
「……」
シルフィの第二児。
その赤子の髪は、緑色だった。
エメラルドグリーンというほど明るくはない。
だが、緑だった。
そう、かつてのシルフィと同じような……。
「そんな……」
シルフィの顔色が、真っ青に染まった。
「あ……あ……嘘……」
ロキシーも、エリスも、アイシャも、リーリャも、普通の顔をしている。
うちでは、カラフルな髪の子が生まれる事は、そう珍しくない。
そして、ここにいるのは、ルイジェルドと縁のある者ばかりだ。
緑色の髪を見て、どうこう言う奴なんていない。
だが、シルフィは。
彼女は。
違う。
「……おめでとうございます。男の子ですよ」
「……」
絶望的な顔で赤ん坊を見ていたシルフィ。
医者に赤子を差し出され、胸に抱きつつも、どうしていいのかわからないとばかりに手を迷わせる。
「シルフィ」
俺は祝わなければいけない。
祝わない理由はない。
シルフィを労い、祝わなければいけない。
その後、大丈夫だよと言って上げなければいけない。
出来る限りの笑顔で。
安心感を与えるために。
「大丈夫、大丈夫だよ、ありがとう」
「……………ルディ……ごめんなさい」
俺が何かを言うより前に、シルフィはそう言った。
「謝る事は無いよ、だから――っと」
言いかけた時、電池が切れたかのように、彼女から力が抜けた。
赤子が滑り落ちそうになるのを、慌てて抱きとめる。
「えっ?」
「ルディ! どいてください!」
ロキシーと医者が、俺を押しのけるように俺の前に出てくる。
気を失ったシルフィの容態をチェックしている。
俺はそれを、呆然と眺めた。
「気を失っただけですね」
医者の言葉に、部屋にほっとした空気が流れる。
裸の赤子を抱いたまま、突っ立っていた。
ただただ、突っ立っていた。
アイシャが布を持って近づいてくる。
「お兄ちゃん、これ、おくるみ」
「あ、ああ」
アイシャに言われるまま、俺は布を受け取ろうとする。
シルフィは、不安だった。
漠然とした不安に、支配されていた。
そして、不安が的中したかのように、子供の髪が緑だった。
気絶したのは、緊張の糸が切れたのか、それともストレスが極限に達したのか。
俺が、もっと安心感を与えてやれれば、違ったのではないか。
悔やまれる。
だが、祝福する気持ちはあるのだ。
確かに、髪は緑だが、だからどうだということもない。
いつもと一緒だ。
四人目の子供。名前はちゃんと、考えてある。
「……あんた、何でここにいるの?」
唐突に、部屋の隅にいたエリスが、そんな言葉を発した。
俺に言ったのだ。
ふがいない俺に対し、エリスが辛辣な言葉を発したのだ。
胃にズンとなにかが来ているのを感じ取りつつ、振り返る。
「え?」
違った。
俺にではなかった。
部屋の中におかしな奴がいた。
金髪。白い学生服のようなカッチリした前留めの服、ズボン。
そして、キツネをモチーフにしたような、黄色い仮面。
「アルマンフィ……?」
アルマンフィは、俺の方をじっと見ていた。
正確には、赤子か。
緑色の髪をした、赤子を、じっと。
「ルーデウス・グレイラット。空中城塞に来い。ペルギウス様がお呼びだ」
そして、ペルギウスの呼び出しを告げた。