第百四十一話「誕生会」
作戦決行当日。
この日は、ノルンが家に帰ってくる日であり、
ロキシーが休みの日であった。
シルフィは別に休みではなかったが、アリエルに頼んで休日にしてもらった。
準備オッケー。
あとは作戦を実行に移すだけだ。
俺はノルンとアイシャ、ロキシーの三人を呼び集めた。
「話がある、ちょっと付き合って欲しい」
「何?」
妹二人は首をかしげていた。
しかし、ロキシーには、事前にサプライズパーティをすると伝えてある。
料理の準備や、プレゼントの受け取り等をするには、妹二人を家から連れ出さなければならない。
「わかりました。お付き合いしましょう」
と、自然と誘いに乗ってくれた。
ククク、自分が祝われる側だとも知らずに。
「ねえお母さん。お仕事残ってるけど出かけてきてもいい?」
「ルーデウス様のお誘いです。悪いわけがありません」
「じゃあ、あたしも行きます」
アイシャはリーリャに許可を取り、承諾。
「……」
ノルンはというと、少し難しそうな顔でシルフィを見た。
「ロキシーさんが行くのに、シルフィ姉さんは行かないんですか?」
「えっ?」
唐突にふられて、シルフィが挙動不審になった。
「えっと、ほら、ボクはルーシーの面倒を見ないといけないから!」
「先日はお二人とも出かけていたんですよね。シルフィ姉さんはそれでいいんですか?」
「えーっと……」
シルフィは助けを求めるように俺に目を泳がせた。
が、すぐにロキシーを見て、何かを思いついたように目を輝かせた。
「じ、実は、この話、ボクが計画したことなんだ」
「ん? どういう事ですか?」
「ノルンちゃん、ロキシーとあんまり仲良くできてないよね」
「まあ、確かに」
「家の中で険悪って、よくないよね。
だから、一緒にお出かけして親睦を深めてもらおうと思ったんだよ。
お互いを知れば、より仲良くできるだろうからね」
「……なるほど、わかりました」
ノルンはそれで納得した。
むしろ、アイシャの方が訝しげな表情になっている。
別にアイシャはロキシーと仲良くしてないわけでもないからな。
ロキシーが明日の授業の準備をする時に、お茶や夜食を持って行ったりなどもしている。
二人は二人で関係を築きつつある。
とはいえ、アイシャはすぐに脳内で自己解決したらしい。
まあいっかという顔をして、ニヤッと笑った。
……まさか、気づいているんじゃなかろうな。
「だから、今日は四人で楽しんできて」
「はい」
「はーい」
「お手数かけます」
少々冷や汗を流しつつも、三人を外へと連れ出すことに成功した。
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準備には時間が掛かる。
料理や飾りつけ、プレゼントの準備を二人で行うのだ。
余裕を見て、昼下がりまでは外で時間を潰したほうがいいだろう。
とはいえ、商業街の方には行けない。
プレゼントの受け取りにいったシルフィと鉢合わせても困る。
もちろん、宿場街や工房街、学校で時間を潰してもいい。
が、俺はそこである選択をした。
「釣りですか」
俺たちは、町の外に出ていた。
喧騒から離れた静かな小川である。
透明な川の中には、何匹もの魚影が見える。
「ああ。こういうのって親睦を深めるにはいいだろう?」
「先ほどのシルフィの発言も、まるっきり嘘というわけではなかったわけですね」
ロキシーとひそひそと話しつつ、あらかじめ用意しておいた釣具を取り出す。
リールやルアーなんて気の利いたものは付いてない。
よくしなる木材に、ジャイアントスパイダーの糸を組み合わせただけの、簡素な代物だ。
これに、ラジアータフロッグの頬袋で作られた浮きと、鉄製の釣り針を付ける。
餌はミミズだ。
「私、釣りなんてやったことないです」
「あたしもあたしも。一度やってみたいと思ってたんだ」
妹たちはそういいつつも、釣具を手にする。
アイシャは、浮きと釣り針、そして用意してきた餌をパパッとつけて、川の方へと走っていった。
そして、三平のようなダイナミックな動作で川に投げ入れていた。
本当にやった事無いのだろうか。
「兄さん、これどうするの?」
ノルンはというと、釣り針と浮きを手に途方にくれていた。
「ふふ、兄さんはわからんよ。何せ釣りなどやった事が無いからな」
俺は前世ではインドア派だった。
釣りになど行ったこともないし、興味もなかった。
無論、この世界に来てからも、釣りなど一度もやったことがない。
魚を手に入れたければ、川を凍らせればいいのだ。
「あの、ノルンさん。わたしが教えましょうか」
ロキシーがおずおずといった感じで申し出た。
どうやら、彼女は経験者らしい。
彼女も未経験なら、三人であれこれ試行錯誤するのもよかったかもしれないが、教えてもらえるなら俺も教えてもらおう。
「……お願いします」
ノルンは難しそうな顔で頷いた。
やはり、ミリス教徒ということで、ロキシーには少々思う所があるらしい。
もっとも、本気でロキシーのことを嫌っているわけではあるまい。
「――ご自分でやってみてください」
「こうですか?」
「そうです。お上手ですね」
「……ありがとうございます」
ロキシーが実に丁寧に教えている。
ノルンもきちんという事を聞いている。
よしよし。
ノルンとロキシーにも、仲良くして欲しいのだ。
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釣りが開始された。
ロキシーは熟練者だった。
なんというか、貫禄がある。
俺が土魔術で作った椅子に座り、釣具を片手に持って半眼になって水面を見ている。
その姿は、さながら座禅を組む修行僧のようであった。
そして、わずかに手に伝わってくる振動に反応して、針を上げるのだ。
先ほどからあまり大物は釣っていないようだが、それでも、現在で最も釣果を得ている。
「ロキシーさん、上手ですね」
「一人旅をしていた頃は、出来る限り自分で食べ物をとらなければいけませんでしたからね」
「そういえば、旅をしていた頃、ルイジェルドさんが魚を取ってくれました」
「彼も釣りを?」
「いえ、槍で、トンって水の中を突いたら、穂先に魚が三匹もついてて――」
ノルンはというと、ロキシーの隣にすわり、ぽつぽつと会話をしている。
ぎこちないながらも、いい雰囲気だ。
「あっ、ノルンさん、アタリがきています。引いてください」
「えっ、えっ! は、はいっ! あっ……」
「よくある事です。餌を付け直しましょう」
ノルンは集中力散漫らしく、また一匹のがしてしまったようだ。
だが、ロキシーと会話する事自体は楽しいらしく、表情は明るかった。
「ふふふん、お兄ちゃん。さっきから調子が悪いみたいだけど、どうしたのかなー?」
アイシャはというと、絶好調だ。
何度か餌をとられたものの、3匹も吊り上げている。
「負けた方が勝った方の言うことを聞くって約束、忘れちゃダメだからね!」
先ほど、アイシャが「どっちが多く魚を釣るか競争しよう」なんて言ってきたので受けてやったが、現在の俺の釣果は0匹。
どうにも負けそうだ。
負けるのはいいが。
しかし、どうして初心者同士なのにこうも差が出てしまうのか。
アイシャはなんでもうまくやるな。
「俺に出来ることにしてくれよ」
「何してもらおっかなー。一晩ギューってしてもらいながら、アイシャ可愛いよ、なんて囁いてもらおっかな。それとも、シルフィ姉とかロキシー姉みたいに――」
「エッチィのは無しにしよう。父さんに怒られる」
「お父さん出すの禁止ー」
なんて話はするが、どうせ値の張る小物をねだられる程度だろう。
しかし負けるのはどうだろうか。
こんな所で、妹に兄を超えさせていいのだろうか。
否。
ここは俺の、兄としての威厳を見せ付けるべきではないだろうか。
優しくて頼りない兄より、力強くて頼れる兄を。
「アイシャ。俺も本気を出すぞ」
「今までは本気出してなかったの?」
「ああ、今から俺は、魔眼を使う」
「えぇー、ずるい!」
なんとでも言うがいいさ。
これが俺の本気だ。
1秒先の未来を見据えることで、圧倒的な差を見せ付けてやる。
魔眼を開眼した。
そのまま、浮きをじっと見つめる。
<反応無し>
<反応無し>
<浮きにピクリとした反応>
「フィィィッシュ!」
連日の素振りによって鍛えられし洗練された上下運動。
義手によって強化された腕は、抵抗を一切無視。
半ば強引に釣り針が引き上げられる。
「っしゃ、大物ゲッ……」
吊り上げられたのは、大きなブーツだった。
「……」
この世界にも靴は存在している。
そして、この川は魔法都市シャリーアの下流を流れている。
洗濯に、水汲みに、人々は日常的にこの川を使っている。
時として、なんらかの理由で靴を川に落っことしてしまい、見つからなくなる事もあるだろう。
あるいは、もっと上流で冒険者が落っことして、流れてきたのかもしれない。
「お兄ちゃん……」
アイシャが残念なものを見る目で見てきた。
いや、ここで少し考え方を変えてみよう。
これは靴ではない。
そう考えるのだ。
うん。
考え方を変えれば、全然違うものに見えなくもない気がする。
うん。
よく見ると、魚に見えないこともない。
魚と言っても過言ではない。
どう見ても魚だなこれは。
魚以外の何者でもない。
俺は靴を、魚籠の中へと放りこんだ。
「さぁ、これで1匹だ。すぐ追いつくぞ」
「えっ! 今の靴だったよね!」
「今のは靴のように見えるが、立派な川の生き物さ。俺は……ええと、シューズフィッシュとよんでいる」
「そのまんまじゃん! 無し! そんなのズルい!」
アイシャは魚籠に手を突っ込むと、靴を掴んで川の中へと投げ捨てた。
「ああっ!」
川にゴミを捨ててはいかんというのに。
まあいい。これもまたキャッチアンドリリースだ。
先ほどの靴はまだ子供だった。
ここで逃がしておけば、頑張って海まで行って、成長して戻ってくるに違いない。
そう思っておこう。
「あっ! と……よしっ! 四匹目」
なんて考えているうちに、アイシャが4匹目を釣り上げてしまった。
うん。
これはもう勝てないかもしれんね。
ごめんシルフィ、ロキシー。
俺は今夜、アイシャの慰み者になります……。
「そうです、いいですよ、引いて、引いて!」
「うっ……くっ……あっ!」
「頑張ってください。慎重に!」
ふと騒がしくなったので見てみると、ノルンが魚を釣り上げていた。
大物だ。
錦鯉ぐらいありそうだ。
「やった! つれた! 初めて釣れた!」
「すごい! 大物ですよ!」
ノルンが笑顔で喜び、ロキシーが手を叩いて喜んでいる。
実に微笑ましい光景だ。
来た甲斐があったな。
---
そうしている間に、日が傾いてきたので帰る事とする。
「そろそろ帰ろうか」
そういうと、妹二人がだだをこねた。
「えー、もう!?」
「……あと1匹ぐらい釣りたいです」
楽しい時間というものはあっという間に過ぎるものだ。
もう少し、あと少しと思う気持ちはわかる。
だが、お楽しみはこれからだ。
「暗くなったら、魔物が出るかもしれないからな」
「お兄ちゃんがやっつければいいじゃん!」
「ロキシー先生もいるのに……」
確かにこの辺の魔物なら、確かになんとかはなる。
俺とロキシー。
二人もいれば、ノルンとアイシャを護衛しきることは可能だろう。
今の俺には、それぐらいの力はあるはずだ。
とはいえ、それはそれだ。
そんな事を言い出せば、深夜までここに残ってしまう。
例え、この後に予定が無かったとしても、万が一の可能性の芽は摘んでおくべきだ。
「だめだ。また来ればいいだろ?」
「お兄ちゃん、自分が釣れないからって……」
「俺が本気を出したら、魚ぐらいいくらでも取れるんだよ」
俺は電撃も爆発も使えるから、釣りにこだわる必要なんてないんだ。
負け惜しみなんかじゃないやい。
「いいから、帰るよ」
「はぁい」
「はい」
釣った魚を魔術で瞬間冷凍して、持ち帰ることにする。
途中で焼いて食べる事も考えたが、パーティーはお腹を空かせて行くものだ。
魚は明日か明後日にでも食べればいいだろう。
帰路。
アイシャとノルンは、どっちが多く釣れた、どっちが大きかったと楽しげな会話をしている。
その後ろを、俺とロキシーが付いていく。
ロキシーの顔は、なにやら一つの事を成し遂げたようであった。
彼女とノルンは、ずっとギクシャクしていた。
今回のことで、それが改善に向かっただろう
「ただいまー!」
「おめでとう!」
家の中に入った瞬間、拍手が起こった。
まばらながらも惜しみない拍手。
玄関にはシルフィとリーリャ、そしてゼニスが立っていた。
ゼニスはぼーっとした顔で立っているだけだが、心なしか笑っているようにも見える。
「えっ!?」
唐突の趣向に、ノルンが驚いた声を上げる。
それに合わせて、俺とロキシーもまた、後ろから拍手をした。
ノルンが混乱した顔で振り返り、もう一度「えっ?」と呟いた。
何が起こっているのかわからないらしい。
混乱するノルンと、訝しげなアイシャ。
俺は二人を食堂へと促した。
部屋は簡素ながらも綺麗に飾りつけが為されていた。
横断幕こそないものの、壁には花が添えられている。
燭台が各所に置かれ、光を放っている。
また、テーブルには白いクロスがかけられ、その上には花瓶や皿が載っている。
一応、飲み物だけは用意されているが、料理は無い。
後で運んでくるのだろう。
テーブルの端。
いわゆるお誕生日席には、二つの椅子が用意されていた。
俺は二人をそこに座らせた。
「なんで? え?」
ノルンはやはり不思議な顔をしていた。
だが、アイシャはニヤリと笑った。
何かに感づいていたらしい。
聡い子だ。
二人が座ったのを見届けてから、リーリャがゼニスを席に座らせる。
シルフィやロキシーもそれに習い、順々に椅子に座っていく。
全員が座ったのを確認してから、俺はおほんと咳払いした。
「転移事件から7年。
長かったけれど、ようやく、家族が揃った。
父さんはいなくなり、母さんの記憶も元に戻るかわからない。
けれど、いつまでも悲しい顔をしていては、死んでしまった父さんもいい顔はしないはずだ。
父さんのためにも、俺たちは笑顔でいるべきだと思う。
こうして皆が集まったら盛大に騒ごうってのは、父さんの遺志でもある。
だから、今日はその遺志にしたがって、目一杯ハメをはずそう。
乾杯!」
そういって、俺は杯を持ち上げた。
「乾杯」
ノルンを除く全員が、静かに杯を持ち上げる。
彼女は変わらず、きょとんとしていた。
アイシャはもう完全に理解したらしく、ニヤニヤと笑っていた。
それにしても、明るい話にしようと思っていたのだが、なんだか湿っぽくなってしまったかもしれない。
いかんいかん。
笑顔にしなければ。
「シルフィ!」
「あ、はい」
シルフィに呼びかけると、即座に動いてくれた。
阿吽の呼吸という奴だ。
シルフィはテーブルの下から、例のブツを取り出した。
綺麗に包装された、大きめの箱が二つ。
シルフィはその片方を、ロキシーに渡した。
シルフィはその箱を、アイシャに。
ロキシーはノルンに、それぞれ手渡す。
「10歳の誕生日。おめでとう!」
「おめでとうございます」
二人は何を言われているのか、わからないようだった。
ノルンはもちろん、アイシャもだ。
「えっと、私たち、もう11歳だけど……?」
アイシャがこんな、狐につままれたような顔をしたのは始めてみるかもしれない。
さすがのアイシャも、プレゼントを貰える事は予想していなかったのだろう。
この顔が見たかった。
「うん。10歳の時は祝って上げられなかったからね。遅れちゃったけど、一年ぐらいならいいよねってルディが」
「お兄ちゃんが……?」
アイシャは感極まったように、もらった箱をぎゅっと抱きしめた。
そして、リーリャの方を見る。
リーリャはというと、優しげな表情でアイシャに頷き返した。
アイシャは嬉しさを隠し切れないという顔で、シルフィに向き直った。
「開けてみてもいい!?」
「もちろんだよ」
そういうと、アイシャとノルンは動いた。
包装用の布を勢いよく破ろうとして。
しかし、同時に思いとどまった。
ゆっくりとリボンを解いて、綺麗な布を開いていく。
なぜだか動きがシンクロしていた。
こういうところは姉妹なんだなぁ。
「わぁー、靴だ! ノルン姉はなんだった!?」
「見てアイシャ、私はコートだよ!」
二人はもらったものを見て、嬉しそうに笑っている。
あれだけ喜んでもらえるなら、選んだ方も満足というものだ。
すると、そこにリーリャとゼニスがやってきた。
「あ、お母さん! 見て!」
ノルンはゼニスに対してコートを広げて見せた。
もちろん反応は無い。
俺には、それが残念でたまらない。
ゼニスはこういう時、はしゃぐタイプだった。
俺が五歳の時も大はしゃぎで「どう? 私が一番ルディの趣味をわかっているでしょ?」と言わんばかりの顔で、本をプレゼントしてくれたものだ。
もし、彼女が通常通りだったら。
ノルンと共に、子供のようにキャーキャー騒いだだろう。
今のゼニスの。
この無表情は。
俺からすると、悲しい。
彼女が正気に戻り、パウロが死んだ事を知れば、悲しい顔しかできないかもしれない。
けれど、それでも、何の表情も浮かべないのは、胸を締め付けられる。
そう思った、次の瞬間――。
――ゼニスが微笑んだ。
「……えっ」
ゼニスの表情は、すぐに消えてしまった。
一瞬だった。
俺しか見ていなかったかもしれない。
「今、笑った?」
違った。
皆見ていた。
リーリャも、アイシャも、シルフィも、ロキシーも。
びっくりした顔でゼニスを見ていた。
「……お母さん」
直接微笑み掛けられたノルンは、目を丸くして、泣きそうな顔で、ゼニスを見ていた。
「……」
ゼニスは、ノルンとアイシャの頭を順番に撫でた。
その撫で方は、いつもより優しそうだった。
喜んでいるのだ。
娘の成長を。
「奥様……よかった……」
リーリャが静かにゼニスの肩を抱いた。
滅多に見られない、リーリャの泣きそうな笑顔だった。
ゼニスはボーっとした表情で、リーリャの手をさすっていた。
リーリャは泣くのを我慢するように、唇を噛んだ。
「これは、私と奥様からお二人に」
リーリャはゼニスを座らせてから、改めて二人にプレゼントを贈った。
美しい花の刺繍の入ったハンカチだった。
お揃いである。
「ありがとうございます。リーリャさん」
ノルンは素直に受け取ったが、アイシャは躊躇した。
同じものを受け取るという事に、少し違和感があったのかもしれない。
「えっと、お母さん、あたしももらっていいの?」
「ええ、もちろんですよ。あなたもパウロ様の娘、ですからね」
どういった心境の変化だろうか。
リーリャはアイシャに、あくまでメイドであるようにと言いつけていたはずなのに。
「これからも、ノルン様とルーデウス様をきちんと尊重しなければなりませんよ?」
「……はい、お母さん」
まあ、リーリャはリーリャという所か。
しかし、口ではああ言ったが、最近は言葉遣いにしろ何にしろ、
アイシャに対して厳しく教育している所を見たことはない。
彼女も彼女で、色々と思うところがあるのだろう。
リーリャが席に戻ると、ゼニスがリーリャの肩に手を置いた。
「奥様……」
「……」
リーリャは己の手に置かれた手を握り、静かに礼を言った。
「ありがとうございます」
二人の間で、耳に聞こえない会話のようなものが為されたようにも見えた。
ロキシーが、その様子を感慨深げに見ていたのが、印象的だった。
「ん?」
ロキシーを見ていると、後ろから袖を引かれた。
誰かと思ってみてみると、シルフィだった。
彼女は先ほど妹達に渡したのとは、別の箱を持っていた。
そうだ。
忘れてはいけない。
「ロキシー」
ロキシーが振り返る。
彼女は、俺と、箱を持ったシルフィを見て、首を傾げた。
「なん、でしょうか?」
シルフィは、彼女に告げた。
「はい、これ、ボクらからロキシーに」
「えっ、はぁ、え、あの、何の?」
「結婚祝いだよ。ロキシー、ルディとの結婚おめでとう!」
シルフィはそう言って、箱をロキシーへと渡した。
「ほら、開けてみて」
促されるまま、ロキシーは箱を開けて。
そして、中から出てきた帽子を見て、目を丸くした。
「あの、シルフィ、ルディ、これは?」
「ロキシー。ボクらも、ゼニスさんとリーリャさんみたいになろうね」
そういって笑うシルフィは天使のようだった。
ロキシーはその笑顔を受けて、下唇を噛んで。
ややうつむいて、帽子をぎゅっと胸に抱いて。
そして、消えそうな声で言った。
「ありがとう、ございます。シルフィ……」
ロキシーの目には、涙が光っていた。
後から聞いた話であるが。
ロキシーはこの時、はじめてシルフィに認めてもらったと、実感したそうだ。
---
その後、パーティは順調に進んだ。
まず、ケーキが運ばれてきた。
ふっくらと焼き上げたスポンジケーキのようなもので、クリームは使っていない。
中にドライフルーツがふんだんに織り込まれていた。
生地はほろ苦いが、フルーツの甘さがそれを補っている。
以前、アスラ王国で食べた事がある。
確かそう、10歳の誕生日に出てきたものだったっけか。
懐かしいな。
エリス、元気にしてるかなぁ。
あいつはどこいっても元気だろうけど。
俺みたいに結婚とか……してないか。
あのエリスと付き合える奴がいたら尊敬するよ。
ケーキについてリーリャに聞いてみた所、アスラ王国の伝統的な銘菓らしい。
お祝い事のある日には食べるそうだ。
ブエナ村では食ったことが無い。
パウロが嫌いだったから作らなかったらしい。
好き嫌いとは、パウロらしい事だ。
シルフィも今回作り方を習ったそうで、今度からは作ってくれるそうだ。
ノルンも美味しそうに食べていたし、俺も嫌いな味じゃない。
もっとも。アイシャはどうにも苦手なようで、フルーツを避けて食べようとしていた。
それを見て、リーリャが好き嫌いせずに食べなさいと怒りつつも、「旦那様を思い出しますね」なんて言って笑っていた。
アイシャが「お兄ちゃん、食べて」なんて言って甘えてきたので、甘いものに目がないロキシーをけしかけてみた。
二人であーんなんてし合うのを見れば、きっと楽しいだろう。
そんな軽い気持ちだったが、
ロキシーったら、何を勘違いしてしまったのか。
「アイシャさん。あなたは恵まれているからわからないかもしれません。飢えた時には、毒サソリでも食べなければいけない時があるんですよ」
「え、あ、はい」
お説教を始めてしまった。
かつてギレーヌも似たような事を言っていたが、みんなそうなのだろうか。
俺も魔大陸を旅している時にまずい食事に我慢していた時期はある。
しかし、毒のある魔物は食わなかったように思う。
俺も恵まれているという事だろうか。
「こんな甘くて美味しいものを残すなんてありえません。食べなさい」
「はい」
剣幕は無かったものの、結構な説得力で、珍しくアイシャがビビっていた。
そして、粛々とケーキを食べ始めた。
思えば、アイシャが素直に言うことを聞くのを見るのは初めてかもしれない。
いや、俺の言うこととか、ちゃんと聞くんだけどね。
でも、考えてみれば、好き嫌いをなくすってのは大事だ。
例えそれがケーキであってもだ。
また俺は間違えそうになってしまった。
さすがロキシーだ。
「どうしてもお腹いっぱいで食べられないというのなら、わたしが食べてあげますけど」
そう言った時、ロキシーのケーキはすでに無かった。
うん。
さすがロキシーだ。
「お腹いっぱいで食べられません」
アイシャの返事は即答だった。
ロキシーがお説教を再開するぐらい、早かった。
「だめです! 食べなさい!」
シルフィも俺も、あまりアイシャを叱らないし、
俺がそうしているせいか、リーリャも遠慮をしている気がする。
アイシャは賢いとはいえ、まだ11歳だ。
叱る相手は、必要なのかもしれない。
---
ロキシーと妹達の仲もよくなった。
いつしかノルンとアイシャも喧嘩しなくなった。
ゼニスも順調に良くなっている事が確認できた。
家族の絆は、より深まったと思う。
パーティは成功だ。
やはり、宴はいいな。
ノルンとアイシャ。
二人が十五歳になった時も、盛大に祝ってやろう。
学校の噂 その9
「番長はボウズ」