ピースロード2021inくまもと(熊本県平和大使協議会後援)

「ピースロード2021 in KUMAMOTO」が5月1日~5日まで開催された。

 5月1日はアクシデントもあったが、水俣~八代コースを無事に走り終えた。朝方は雷雨だったが出発式までには雨も止み、60㎞を完走した。出発式には市長代理の市長公室次長と水俣市議が来て下さった。コースでは強風だったが逆に追い風ビュンビュンで涼しく走れたとのこと。途中、日羅公将軍神社にも立ち寄り地域の方が歓迎してくれた。

 5月3日は八代~会場の熊本市民会館と、阿蘇神社~市民会館コースの2ルートからの走行だった。阿蘇コースには、阿蘇神社に地元佐藤阿蘇市長や元県教育長や熊本県国際協会・理事長も来て下さった。また、今年全面開通した阿蘇大橋(熊本地震で崩落)も通りながら、50㎞を完走した。八代出発式には、八代副市長も来て下さり、地元の議員も15㎞を共に自転車を漕いで下さった。八代コースは高校生の女子も数名走った。

 熊本県大会だがコロナ禍なので人数を絞っての開催となったが予想以上の70名が参加された。来賓挨拶には民団議長が立たれ、こんな熱い思いで韓日友好の為に走って下さり、ありがとうございます。感無量です」との言葉。40分の大会は盛会の中に終え、皆に見送られて玉名市に向かって出発した。

 5月5日は午前中はあいにくの雨。予定の9時からの出発式を13時30分に変更したが、午後からは晴天。自然の只中で出発式をして、有明海が見える国道を走り、コロナですので熊本も県を跨がないようにとの注意勧告がされていたので、2mだけ福岡県の土を踏み、熊本の全てのコースを終えた。

ピースロード2020inくまもと(熊本県平和大使協議会後援)

Peace Road 2020 inくまもとが7月12日から行われた。阿蘇神社での出発式前は、どしゃ降りの雨だったが、記念撮影の時には雨も止み、道中は小雨程度だった。途中、南阿蘇村の議員が役場前で出迎え、Peace Road 2020 in 熊本県大会が開催される嘉島町民会館まで縦走して行った。

大会には、県議会議員、国会議員秘書、市町村議員、YMCA役員、民団熊本役員などが参加した。代表ライダーがピースメッセージを読み上げ、ピースロードのビジョンを声高らかに宣言した。

その後、ライダーは一路、玉名市に向かった。勾配の激しい道だったが、ライダーらはさっそうと楽しそうに自転車を走らせた。ライダーの中には水害があった人吉市にボランティアに行った19歳の青年もいた。高校生だった4年前に初めてライダーとして参加したメンバーは、「ピースロードに参加したことで自転車の楽しさに触れ、いまでは大学でサイクリング部に所属しています」と、感想を語ってくれた。

7月19日の玉名での出発式で藏原玉名市長は、「昨日まで雨の予報だったのに凄いですね」と語られながら、若いライダー達の活気あふれる姿に感動され、「日韓友好・世界平和に向かって更にピースロードの活動が活発に推進されますことを願っています」と語られた。 途中、暑い中もライダー達は次の目的地・荒尾市に向かって一生懸命に自転車を漕いで行った。

荒尾市では令和2年7月豪雨で水害被害に遭われたまさしく忙しい最中でありながら、浅田敏彦荒尾市長が駆けつけて下さった。市長は映画「ペイ・フォーワード」の話しをされながら、心に沁みる話しをされ、ピースロードに感動を受けましたと語って下さった。

ピースロード2019inくまもと(熊本県平和大使協議会後援)

ピースロード2019inくまもとは今年も活発に7月13日から出発した。まずは、水俣ルート。翌日14日は八代ルートと阿蘇ルートである。出発式寸前まで大雨だったが、無事に阿蘇神社で安全祈願をして頂き、佐藤義興阿蘇市長にも見送られて出発。八代にも来賓の先生方が来て下さった。結構、道は厳しかったが、みんな頑張ってくれました。

熊本県大会には、大勢の方がお越し下さいました。県議や市議の方も来て頂き、熊日新聞にも掲載された。海外5ヶ国からもライダーの方が参加され、国際色豊かなピースロードである。ヨーロッパから来たメンバーには、日本で自転車を漕ぐのは初めての経験の人もいた。でも、「日本の人は優しいですね」「景色も綺麗だし、また来たい!!」とも言ってくれた。

最後は21日の玉名ルートである。この日も玉名市は大雨警報出るほどの大雨、急遽蛇ヶ谷公園から屋内の会場に移動、でも不思議に出発する時は雨も止んだ。玉名では地元県議にも見送って頂き、荒尾市では浅田荒尾市長の出迎えを受けた。そして、メンバーは一路県境を越えて福岡県に連結した。

 

ピースロード2018inくまもと(熊本県平和大使協議会後援)

        ピースロード 趣旨文

 2013年に2台の自転車が人と人を繋ぎながら北海道を起点として日本列島を縦走し、韓国へと3,800キロを連結しました。 この運動は大きな反響を呼び、翌年は北海道から九州、さらには韓国へと自転車リレーで繋ぐ  「Peace Bike 2014」として、各都市で自治体首長や地域社会のリーダーに「平和メッセージ」を届け、各地の韓国領事館の方々からは激励の言葉をいただきました。 その土台の上で、2015年は120か国を超える国が参加することとなり、名称は「Peace Road」となりました。 

 そして、テレビ放送や新聞報道でも話題となり、ロシアは車でアジア大陸縦断、モンゴルでは馬で平原を走り、アフリカでは徒歩で、南米では市民と共に大統領の護衛用バイクで行進するなど、国境を越えた地球規模の平和の祝祭となりました。 日本でもウラジオストックから北海道に連結されたコースと納沙布岬から出発したコースが、太平洋コースと日本海コースに分かれて日本全土を縦走しました。 

 2016年の「Peace Road in Japan」は、地域密着型の社会運動として人々の心を繋ぐ役割を果たすとともに、4月に発生した熊本地震で傷ついた人々の心と心を結ぶイベントして、一番被害が大きかった益城町役場での復興イベントも開催して参りました。2017年は、倒壊した民団での復興イベントや加藤神社での出発式も復興を祈願し、行わせて頂きました。北朝鮮の情勢の変化を後押し、アジアの非核化と世界平和に寄与する日韓の友好と南北問題の解決にも寄与する「Peace Road in Japan」の役割を果たして参りたいと存じます。

 

日韓トンネル(熊本県平和大使協議会後援)

1981年11月10日、韓国・ソウルにおいて第10回「科学の統一に関する国際会議」(ICUS)が開催された。同会議には,全世界からノーベル受賞者をはじめとする各分野の自然科学者、人文・社会科学系学者、文化人など総勢720名が参加した。その全体会議において、同会議の創設者である文鮮明師が「アジア大ハイウェイおよび日韓トンネル構想」を提唱された。

 この会議には日本から西堀栄三郎氏(日本山岳協会会長)が参加されていたが、国際ハイウェイ・日韓トンネル構想に接し、「自分も相当大きなことを言ってきたが、それをはるかにしのぐスケールだ」と、いたく感銘を受けられた。西堀栄三郎氏は日本に戻るとすぐに、「日本でも、日韓トンネル・プロジェクトを始めるべきだ」と主張され、「日韓トンネル研究会」(西堀氏の紹介で佐々保雄氏(北海道大学名誉教授)が会長)が1983年5月、東京に創設された。

 日韓トンネルは韓国の釜山・巨済島から対馬を経て日本の九州佐賀県唐津市を結ぶコースだ。総延長は209~231km(海底区間128~145km)に達する。一つの長いトンネルで通すのではなく、経由地ごとに3つの区間に分けて造る「短いトンネルを連結させる」ものだということが特徴である。細部の経路としては、巨済島から対馬下島と唐津市を結ぶA案(総延長209km、海底区間145km)、巨済島から対馬上島を経て唐津市へ行くB案(総延長217km、海底区間141km)、釜山から唐津市へ直接に結ぶC案(総延長231km、海底区間128km)などが提案されている。