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矢沢永吉が衝撃の真相を語る!35億円詐欺事件の真実とは

2022.07.19 公開

矢沢永吉が24年前に被害に遭った35億円の詐欺事件。今回、矢沢が番組のインタビューに答えてくれた。事件の真相を本人のインタビューと再現ドラマで紹介した。

言わずと知れた日本ロック界の礎を築いた矢沢永吉は、1972年、23歳の時、CAROLでプロデビューし、ソロ・アーティストとして活動後もヒットソングは数えきれない。武道館での単独アーティスト公演は146回と第1位!

歌だけではなく、矢沢の生き方を描いた自叙伝「成りあがり」は累計100万部を超えるベストセラーとなり、まさにカリスマ的存在に!

そんな矢沢が、今から24年前、衝撃的な事件に遭っていた。

事件の10年ほど前から世界進出を考えていた矢沢は、オーストラリア・ゴールドコーストに高層ビルを建て、世界へ発信できる音楽スタジオや音楽学校を作ろうとしていた。

ゴールドコーストで最も人気の地域 サーファーズパラダイスに広さ1万平方メートルの土地と、そこに建っていたビル2棟を購入。その費用約35億円は矢沢が日本の銀行から借りていた。

が、ちょうどこの頃日本のバブル景気が終わり、不動産不況が訪れていた。そこで矢沢は今ビルを建てるのは得策ではないため、しばらくは40~50入っているテナントの家賃収入を貯めて、3~4年後に状況を見て考えようと新たな高層ビルの建設は遅らせることに。

一方で、ビルの家賃管理などを行う会社をオーストラリアに作ることになった。CM現場などで出会い、それ以来親しくしていたハワイのコーディネーターをしていた人物に、テナントからの家賃収入の管理や、ビルのメンテナンスなど、責任者として任せることに。英語も達者で交渉能力もある彼ならオーストラリアの現地法人の責任者として適任だと考えた。

そして矢沢は、経理部長に現地法人のお金のことを担当してもらうことにした。

こうして、オーストラリアに会社を設立。テナントからの入金状況や管理する上でかかった出資がわかるように、オーストラリアの会社の口座、出入金がわかるものや、登記簿もオーストラリアの銀行からファックスで送ってもらうように依頼。矢沢は、人任せでなく自ら書類を送ってもらいチェックした。ところが、矢沢の知らないところで驚くべきことが行われていたのだ。

違和感を覚えたのは会社をつくって10年ほど経った1998年1月だった。銀行から送られて来るテナント料の入金状況の明細書が、わずか30ドルだが合計金額が違っていた。

そして、思いもよらない事態が判明する。会社を作ってから、毎月銀行からテナント収入の明細が送られてきていたのに、その口座も、支店長も存在しないという。

調査のため日本から3人のスタッフが現地へ。

現地法人の事務所に行くと、あるはずの事務所がなくなっていた。矢沢が作った会社は?ビルのテナント料は?どこへいってしまったのか?

協力してくれる弁護士が見つかり相談することに。弁護士は「これまで、東京に送られていた銀行の明細書や登記簿に記載されている送信元のファックス番号を調べてみたら、一つの会社につながりました」「オーストラリア・サケという会社です」と言った。矢沢の会社ではない謎の会社から送られていたのだ。

また送られていた登記簿も偽物で、購入したビルと土地は競売にかけられて、すでに別のオーナーに変わっていたという。35億円の土地と建物は矢沢の知らないところで、他人の手に渡っていたのだ。

残った借金は35億円。先が見えず何日も酒に溺れた。そんな時、矢沢の妻が言った。

それは“税理士の先生、マネージャーやスタッフ、みんなで全部検証したところ、本気で矢沢が返すと走ったら返せない金じゃない”ということだった。

強い決意と同時に、 なぜ、そんなことが起きたのかを必死に調べた。矢沢はさらにインタビューで「いろんなことを考えてくるとやはり、これはすぐそばにいる人間が何かしたのかなというところにたどり着いていきますよね、だんだん」と振り返った。

その人物、やはり経理部長しかいない。これは、矢沢が信用していた現地責任者と経理部長がグルになって起こした巨額詐欺事件だった。

それはオーストラリアに現地法人会社を設立した当初から始まっていたと思われる。現地責任者は、日本人向けのリゾート開発がオーストラリアで行われる情報を入手した。そこに出資をすれば、儲けられると考えたのだ。

出資するには、億単位の金が必要だった。そこで2人は矢沢が買った土地、ビルを担保にオーストラリアの銀行から金を借りることを考えた。

その方法は当時存在した、現地で会社を作る際の法律を悪用するものだった。

それは取締役を2人以上、そのうち1人は「オーストラリアに住む取締役を置かなければならない」という決まり。つまり最初に矢沢が作った会社にも、矢沢以外にもう1人現地の取締役が必要だった

そこで会社設立に関する書類の準備などを担当した現地の弁護士が取締役に。念書を書き、その内容はあくまで便宜上の取締役で実質のオーナーは100%矢沢であることを認めるものだった。

現地責任者は、矢沢を騙すために何日もかけて精巧な書類を作成していった。そして取締役の弁護士にこんな話を持ちかける。

「実は矢沢からこんな依頼を預かっていまして」「私たちを取締役にしてオーストラリアでの事業を進めてほしいと」そんな現地責任者に弁護士が「これは矢沢さんのサインで間違いないですか?」と確認すると、現地責任者は「もちろん」と答えた。それは他人が見れば見分けがつかないほど精巧に作られていた。

取締役の弁護士は、ニセの書類を信じてしまった。こうして取締役になった現地責任者は、矢沢のビルを担保に銀行から融資を受け、リゾート開発に億単位の出資を行った。毎月、東京の矢沢の事務所へ送っていた銀行の明細書や登記簿など借金したことがバレないように偽装工作が始まった。偽造した書類は銀行などから送られていると思わせるため、別回線のファックスも用意していた。

そしてオーストラリアで日本酒を作る会社を設立。この会社が「オーストラリア・サケ」だった。矢沢のビルを担保に銀行から金を借り、金儲けに走った2人。しかし日本のバブル崩壊の影響で日本人向けリゾート物件は想像以上に売れず、メインの出資会社が倒産。さらに日本酒の事業もうまくいかず銀行への返済が困難になった。担保にした物件が競売の結果出資者が決定、矢沢の夢だったビル建設予定地が他人の手に渡ってしまったのだ。

いずれ絶対にバレるに違いないのに、目先のごまかしを必死に行っていた。矢沢からビル建設の時期を決めたいと催促があると経理部長は、何か理由をつけてはビルがないことをバレないようにしていたという。

こうして、銀行の明細を偽造するためつじつまの合う金額を計算し必死に隠そうとしたが、30ドルのミスをしてしまったのだ。

矢沢はすぐに気づいた。経理部長も仲間だと…身内の裏切りそれにショックを受けていると「あなた。相手を憎んだところで、今更消えたお金や時間が戻ってくるわけじゃないでしょ?」「かわいそうなヤツらだと思ってこっちからパスしちゃいなさいよ」と妻。

そして、オーストラリア大使館からステファン・グリーンという検察官を紹介してもらった。事情を説明するとグリーンは「なるほど、その責任者の男についてはこちらで調べます。矢沢さんは、証拠になるようなものを全てこちらに送ってください」という。

被害届を提出し一方で、経理担当者には「お前が気付かなかったなら仕方ないな。俺はお前を信じるよ」「考えてみりゃお前も俺と一緒、あいつにやられた被害者だもんな。あいつには絶対責任取らせるから捜査で何かあったら協力してくれよ」とあえて責めず、時が来るのを待った。

さらに矢沢は、自らオーストラリアの会社に関する資料を全て調べ、証拠となりそうなものはオーストラリアの検察官の元へ送った。

事件発覚から4か月後、経理部長だった男が依願退職。矢沢は経理部長に、現地の検察も捜査が大変そうだから、もし話聞かせてくれと言ってきたら(現地へ)行ってくれないか、と告げた。

そして経理部長の部屋からメモが見つかる。そこには現地責任者との口裏合わせの内容が、はっきりと記されていたのだ。


この頃、矢沢が35億円もの詐欺被害にあったと各メディアが一斉に報じた。矢沢は生活拠点をアメリカに移した。騒ぐメディアから離れ、音楽活動に集中できる環境に居たかった。一方メディアは、オーストラリアの法律の事情や巧妙な手口のことなど知りもせず、アメリカに移住したことだけである事ない事を面白おかしく書き立てる。だが、それが矢沢の反骨パワーになった。

矢沢永吉が有名人だということで、あることないこと面白くおかしくメディアに書きたてられることに悔しさを感じた矢沢。例えば、破産宣告するなりメディアは引っ掻き回すだろう、そんなメディアにいい思いをさせたくない、そのためには時間はかかっても借金にきちんとカタをつける、というところにいきついたという。

また、アメリカで家族のことを見つめ直せたことも困難に立ち向かう力となった。

その一方で、矢沢はオーストラリアに何度も行き、積極的に捜査に協力。元経理部長に「次の仕事はうまくいってるのか?」と電話するなど疑わしい人物は逃さず、一定の距離を保っておく。

そして1998年8月14日、事件は大きく動く。オーストラリアにいた現地責任者が横領と文書偽造の疑いで逮捕された。その7か月後「矢沢さん、元経理部長を立件できます。こちらに連れてきてください」とグリーン検察官。

オーストラリアの事件なので日本では逮捕できない。「嘘をついて連れてきてはだめです。それは法律違反になります。検察が聞きたいことがあるそうだ、とちゃんと伝えてください」という。現地責任者が逮捕されたことも当然元経理部長は知っている。素直にオーストラリアに行ってくれるのか?細心の注意を払って交渉した。

1999年3月。元経理担当者をオーストラリアへ連れて行く日。矢沢側のスタッフが空港で迎える。矢沢の慎重な交渉がうまくいき、元経理部長はオーストラリアに旅立った。

聴取を受けること3日。1999年3月10日。元経理部長は銀行名の文書の偽造など計5件の文書偽造の疑いで逮捕された。が、実はここからが大変だった。有罪にできるか微妙だったのだ。

「今回の裁判、1番難しいのは、あなたのサインが偽造されたと証明することです。これができなければ、書類があなたの知らないところで作られたと立証することが難しくなります。すなわち、勝つことはできないでしょう」「あなたが今までサインしてきたモノ、1つでも、サインしたかどうか迷ったり、あやふやでは、向こうは、あなたは何も覚えていない。だから、これが偽造だなんてわかる訳ないと言ってくるでしょう」と検察官。「裁判では、イエスかノーだけです。迷いはアウトです。全て正直に答えることです」という。

矢沢は、スケジュールの第一優先は裁判にして欲しいこと、取締役が2人以上必要という法律があることへの問題、このままでは同じような第2、第3の事件が起きるだろうという思いを吐露した。

1999年10月、裁判が始まった。法廷で矢沢は、弁護士「これはあなたがサインしたものですか?」矢沢「ノー!」と、正々堂々と質問に答えた。そのまっすぐな姿勢が裁判官にも認められ、2003年2月、経理責任者に禁固4年、2003年3月、現地責任者に禁固10年の判決が下された。この事件はオーストラリア史上でもあまり類を見ない巨額の詐欺事件となった。矢沢が怒った現地在住の取締役が必要だった法律は改正された。

そして、2004年4月、矢沢は35億円の借金を完済した。

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