2010年08月08日

水戸知的障害者虐待事件、通称水戸事件

茨城県水戸市にあるダンボール加工会社「アカス紙器」でおきた事件です


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「知的障害」を持つ従業員への雇用助成金を騙し取ったことが発覚し、1996年の1月に社長・赤須正夫は逮捕されましたが、実はそれ以前に赤須から太腿を蹴られ被害を受けた女性従業員が告訴していました。そして、逮捕されたことがきっかけとなり、当時「アカス紙器」で働いていた20数名の「知的障害」を持つ従業員に対して、日常的に殴る・蹴るの暴行や性的虐待を行っていたことも次々と判明していったのです。
 
 虐待の内容は、素手で殴る・蹴るといった生易しいものではなく、金属の棒、角材、野球のバット、木の椅子等々を使った殴打であり、被害者の中には手術を行った人や、耳が大きくはれ上がり変形してしまった方などもいます。
 そのほかに、両膝の裏にジュースの缶や角材を挟んで正座させ、膝の上に漬物石を乗せて長時間座らせておくといったことや、未成年の従業員に手錠を掛けて階段の手すりに括りつけ長時間放置しておくといったことが頻繁に行われていました。
 また、食事を抜くといった虐待も行われており、1食2食はおろか、中には数日間食べさせてもらえなかった従業員もいました。赤須正夫は、そのような仕打ちを受け空腹となっている従業員に、タバスコを掛けたご飯を食べさせたり、満腹感を感じることのできない「障害」をもった従業員に腐りかけたバナナを大量に食べさせ「こいつらはバカだから何でも食べる」と言ってせせら笑っていたのです。
 また、「こいつらは国が認めたバカだ」などとの差別的言辞を始めとする言葉による暴力他、「知的障害者」である従業員の人間の尊厳を根底から否定するあらゆる虐待を行っていました。
 ところが、赤須正夫の行った虐待はこれに止まるものではありませんでした。
 赤須正夫は、判明しているだけでも寮で暮らしていた延べ10人ちかい女性従業員に対して性的虐待(レイプ)も行っていたのです。被害者の中には、中学校を卒業して就職したばかりの頃にレイプされた女性もいます。性的虐待は、繰り返し繰り返し頻繁に行われていました。

 被害者とご家族は、これらの虐待の事実を水戸警察署と水戸地検に告訴・告発を行いました。被害事実の全てを訴えることはできませんでしたが、その数は14名・20数件にも及びました。
 しかし、「知的障害者」では事件にならないという警察と検察の前提的かつ差別的な捜査の前に、雇用助成金詐取(詐欺罪)と暴行2件・傷害1件しか起訴されませんでした。その他性的虐待を含む数々の虐待事件は、「時効」や「嫌疑不十分」を理由として不起訴処分とされました。「知的障害者」の供述は「日時の特定などが曖昧である」、または「細部にわたる供述ができない」ことなどが「嫌疑不十分」の理由でしたが、そもそも検察は「知的障害者」が法廷で証言すること自体困難と判断し、公判が維持できなくなる(つまり無罪につながる)ことを恐れて立件したくないという思いがありました。はじめから赤須正夫の行った虐待事件の捜査に消極的だった水戸警察署や水戸地検は、本来自分たちが行うべき証拠集めまでも被害者の家族や支援者たちに行わせておきながら、被害者の尊厳を賭けたの心の叫びを全く黙殺したのです。
 公判審理されることになった、たった3件の虐待事件でさえ矮小化され起訴された案件であったために、赤須に実刑判決が下されるかについては微妙なところでした。被害者たちが第一に望んでいたことは、これまで散々嘘をつき通し、従業員を人間扱いもせず、毎日毎日暴行を行ってきた赤須本人が刑務所に行くことであったことは言うまでもありません。また当時、多くの新聞やテレビ等のマスメディアもその点に注目し、赤須の人間性とともに警察・検察の差別的捜査や行政の不作為を報道しました。
 1997年2月24日、『支える会』は、性的虐待の追起訴含めた水戸事件の真実の究明と赤須正夫への厳重なる刑事罰を求める署名(約2万8千筆)を水戸地検に提出し、水戸駅北口ぺディストリアンデッキにテントを構え、審理終了を許さないための72時間ハンストを決行しました。そして、論告求刑日であった2月27日には、被害者・ご家族・支援者および市民の方々が多数結集し、ヒューマンチェーン(人間の鎖)によって水戸地裁を取り囲み、「知的障害者」差別・虐待を許さない声を上げ、審理継続を求めました。
 しかし、そのような支援運動の高まりやマスコミ報道など一切無視するかのように1997年3月28日、水戸地方裁判所(松尾昭一裁判長)は、私利私欲のために悪事をはたらいた社長・赤須正夫に対して、「障害者雇用に熱心に取り組んだ」などという、事実誤認も甚だしい情状理由をいくつもあげて、執行猶予付き判決を下したのです。
 
 赤須正夫本人はもとより、関係行政機関や司法の無責任という点においても、本当に許すことのできない人権侵害・「障害者」差別事件です。



水戸事件(みとじけん)は、1995年に茨城県水戸市で発覚した知的障害者に対する暴行・強姦事件。裁判の過程で、行政・司法当局の知的障害者に対する無理解が明るみに出ることとなったと被害者側の支援者が主張している。1998年には、この事件をモデルにしたドラマ「聖者の行進」がTBSで放送されている。

事件の概要
茨城県水戸市の段ボール加工会社「アカス紙器」は積極的に知的障害者を従業員として雇用し、従業員全員を会社の寮に住まわせていた。アカス紙器の社長は、障害者雇用に熱心な名士として地元では尊敬されていた。

しかし1995年10月、アカス紙器が障害者雇用により国から交付される特定求職者雇用開発助成金を受け取っていながら、実際には知的障害者の従業員に対してほとんど賃金を支払っていないことが発覚し、翌年社長は詐欺容疑で逮捕された。

詐欺容疑で社長の近辺を捜査する過程、彼が長年にわたり、従業員の知的障害者に対して虐待を行っていたことが判明した。その内容は、角材や野球のバットで殴る・両膝の裏にジュースの缶や角材を挟んで正座させ、膝の上に漬物石を乗せて長時間座らせておくといった拷問ともいうべきものであった。知的障害者の従業員たちは満足に食事を与えられておらず、時にはタバスコをふりかけた白飯や腐ったバナナなどを食べさせられることもあったという。さらに知的障害者の女性従業員に対する強姦も頻繁に行われ、被害者は10人近くにのぼると言われている。

水戸警察署は、詐欺事件だけでなく知的障害者に対する暴行・強姦事件に関しても捜査を開始したが、被害を受けた日時や状況を正確に証言出来る被害者が少なく、「公判を維持できない」という理由で警察も水戸地方検察庁も立件に消極的であった。結局、社長は詐欺罪および暴行2件・傷害1件で起訴され、それ以外の暴行・強姦事件はすべて不起訴となった。

裁判
1997年3月28日、水戸地方裁判所は被告人に対し「懲役3年執行猶予4年」の判決を下した。松尾昭一裁判長が実刑をつけない理由として、被告人が「障害者雇用に熱心に取り組んだ」ことをあげた。

この際、判決に激昂した被害者の家族や支援者は、裁判所から足早に立ち去ろうとする被告人の乗った自動車を取り囲みその一部を破損させたりして、器物損壊罪で支援者1名が現行犯逮捕された。また取り囲んだ際、被告人やその弁護士である種田誠(元参議院議員、社会党)のネクタイをつかんだりしたとして、代表的立場であった女性支援者が暴行容疑で後日逮捕された。さらに被告人を車の中から解放しなかったとして、当日の混乱の際に警察官や裁判所職員と折衝を行った支援団体の事務局長が監禁容疑で逮捕され、すでに勾留されていた現行犯逮捕の支援者と女性支援者も監禁罪で再逮捕された。3名ともに起訴後も長期勾留された中で裁判が行われ、現行犯逮捕された支援者は執行猶予付き判決であったが、支援者の女と事務局長の男は無罪を主張していたが、実刑判決が下され、2003年4月15日に確定している。支援者2名を被告人より重い刑罰で処罰したことについて、支援運動つぶしの「不当逮捕・不当判決」といった声が関係者から出ている。
不起訴のため刑事裁判では審理されなかったことに対して不満を持った女性の元従業員3名は、社長を民事裁判で訴えた。被告人は性的虐待の事実について全て否認したが、水戸地方裁判所は原告の訴えを全面的に認め、2004年3月31日、被告人に対し被害者3名に1500万円の賠償金を支払うよう命ずる判決を下した。社長は控訴したが、東京高等裁判所は同年7月21日控訴を棄却した。社長は上告を断念し、判決は確定している。


ラベル:水戸事件
posted by (;-`д´-) at 21:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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