1985年8月12日に発生したJAL123便の大事故(死亡者数520名、生存者数わずか4名)についても、非常に多くの方が情報発信しておられます。本記事に引用転載させていただいた記事におきましても、さまざまな意見や考え方があるようです。
●【知ってはいけない】JAL123便墜落の真相 | (vybzscope.com)
※こちらの記事↑で一つ目の動画には、事故当時のテレビニュースの一部分が入っています。複数の動画や他の方のブログも含まれ、その中にさらに別のブログ記事もあり、複層的となっている記事ですね。こちらの記事中の森永卓郎さんが話している動画は必聴だと思います。
また、慰霊の園(日航機墜落事故慰霊碑)は13階段のピラミッド型になっていると記事に書かれています。
(上記の記事より部分的に抜粋引用した箇所ここから)ボイスレコーダーに残された記録で、海上自衛隊出身の機長らが「オレンジエア」と続けて交信している。「オレンジエア」とは海上自衛隊の隠語で、誘導ミサイルや無人標的機のことであり、機体にミサイルが衝突した可能性がある。
狭い空間に三人もいて高浜(機長)さんだけ木っ端微塵になったのはなぜですか
コックピット部分には燃料タンクはないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようであったといいます。(転載ここまで)
(上記記事のうち「閲覧注意」からの転載ここから)
【機長の娘さんの思い】
2015年8月12日付「日航機墜落30年 機長の長女はいま…」。
520人が死亡した日航機墜落事故の機長の娘・高濱洋子さん(48)は、実は今、日本航空の客室乗務員として働いている。先月、私たちは洋子さんを取材した。事故から12日で30年。彼女を支えていたのは、ボイスレコーダーに残された父親の音声だった。
記事全文
520人が死亡した、日航ジャンボ機墜落事故の機長の娘は、実は今、日本航空の客室乗務員として働いている。事故から、12日で30年。彼女を支えていたのは、ボイスレコーダーに残されていた、父親の音声だった。
【空の安全願う…灯籠流し】
墜落現場がある群馬県上野村で11日夜、遺族たちは、それぞれの思いを灯籠に込めた。事故で娘を亡くした女性「30年娘を失った悲しみは変わりません、本当」。事故で娘2人を亡くした女性「立ち直れたなんてことは一切言えません。いつまでも引きずっていると思います」。あれから30年がたとうとしている。
【日航機墜落事故とは】
1985年8月12日、午後6時56分、上野村の御巣鷹の尾根にジャンボ機、日本航空123便が墜落した。死者520人。単独の航空機事故では世界最悪の事故だった。事故の原因は、客室の気圧を保つためのお椀型の壁「圧力隔壁」だった。ここに穴が空き、吹き出した空気が垂直尾翼などを破壊、制御不能になったのだ。123便のボイスレコーダー。そこには、コックピットで格闘する機長たちの声が残されていた。機長(墜落32分前)「まずい、何か爆発したぞ」。機長(墜落6分前)「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」。副操縦士「コントロールがいっぱいです」。声の主は、高濱雅己機長(当時49歳)。高濱機長には、当時高校3年生の長女・洋子さんがいた-。
【長女・洋子さん、客室乗務員に】
事故から30年を前にした先月、私たちは、洋子さんを取材した。選んだ仕事は日本航空の客室乗務員。父と同じ“空の仕事”だった。洋子さんには、初めてのフライトから持ち続けているものがある。高濱洋子さん(48)「JALの飛行機を守ってくれている、そういう思いから持っております」。所々がすり切れた写真。それは、父がコックピットで写る唯一の写真だった。
【苦悩の日々】
自分自身も遺族である一方、“墜落したジャンボ機の機長の娘”という立場。事故当時、洋子さんにとって苦悩の日々が続いた。高濱洋子さん「『519人を殺しておいて、のうのうと生きているな』とか、たくさん電話がかかってきましたので。その度に母は、見知らぬ嫌がらせの電話にもきちんと応対し、『申し訳ございません』『申し訳ございません』、ただそれだけ何回も繰り返しておりました」。“父を探したい”、だが、昼間の遺体安置所には、多くの遺族がいた。そのため、ひと気がなくなる夜を待ってから父を探し歩いたという。しかし、事故から15年後、変化が訪れた。あのボイスレコーダーの音声が公になったのだ。
【ボイスレコーダー、公開】
激しく揺れる機体と最後まで闘った父の記録。機長(墜落27分前)「気合入れろ。ストール(失速)するぞ」。機長(墜落6分前)「がんばれ」。副操縦士「はい」。機長「あたま(機首)下げろ、がんばれ、がんばれ」。副操縦士「コントロールがいっぱいです」。機長(墜落前30秒)「パワー、パワー、フラップ!」。
機関士「上げてます!」。機長「あげろ!」。
高濱洋子さん「父は本当に最後まであきらめず、最後の一瞬まであきらめず、頑張ったんですが、本当に無念であっただろう。最後まで父は頑張ったんだなと、誇りに思わなければいけない、そう思いました」。
【遺族に響いた父の声】
ボイスレコーダーに残された父の声。ほかの遺族たちの心にも響いたという。高濱洋子さん「『本当に最後まで頑張ってくれたんだね』『ありがとう』という言葉を、ご遺族から頂いた時には、本当に胸からこみ上げるものがあって…。涙が出る思いでした」「父はボイスレコーダーによって、残された私たち家族を、ボイスレコーダーの音声という形で、私たち家族を守ってくれたと感じました」。取材中、洋子さんが機長の娘だと知る1人の乗客が話しかけてきた。洋子さんの目から涙があふれた。「これからもJALに乗るから、頑張って」。そう声をかけられたという。涙が止まらなかった。事故から12日で30年。洋子さんにとって8月12日とは-。高濱洋子さん「父が残してくれたボイスレコーダーを聞き、新たに、また安全を守っていかなければという、再認識する、そういう一日かなと思います」。以上(転載ここまで)
日航機墜落事故ボイスレコーダー「オレンジ・エア」~続報 | (仮)CASIOPEA・キーボード奏法 (ameblo.jp)
JAL123便ボイスレコーダー「スコーク77」???「オレンジエア-」???の部分をスロー再生 - YouTube
ボイスレコーダー音声「オールエンジン」の怪|NetIB-News (data-max.co.jp)
【日航機撃墜事件???】日本航空123便ボイスレコーダー「スコーク77」オレンジエアの部分をスロー再生 | 新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0 - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
日航機墜落で生存者の殺害や嫌がらせ?自衛隊の射殺とは? | NADALOG (nadagiuseppe.com)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 私自身は知らなかったことですが、123便が墜落したした際、NHKニュースが「長野県警によると、待機していた自衛隊員が何者かに銃撃されて、射殺されました」というテロップを出したといいます。 しかし、後になって、「自衛隊員が射殺されたというのは誤報でした」というテロップが流れたのだそう。 (転載ここまで)
日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part1 急減圧はなかった」【航空機 事件簿1】 - minminzemi+81's blog (hatenablog.com)
こちらの記事↑に、「群馬県多野郡上野村の高天原山の北尾根(通称 御巣鷹山)に墜落し」とあります。
また、記事中の動画の東京コントロール交信記録(18:56:53)で画面上に横田基地から「貴機は横田基地に最優先で着陸できます。」と出ています!
日航123便 ジャンボ機事故、落合証言の示すもの「Part2 恐怖で捻れた時間感覚」【航空機 事件簿2】 - minminzemi+81's blog (hatenablog.com)※こちらの記事↑に入っている動画(【音声再編集】とあります。)は大変長く、「オレンジエア」と聞こえる音声や、墜落時までの音声が入っています。中曽根康弘元首相には、逝く前に、この動画を是非ご覧いただきたかった。真実を話してほしかったです。人間としてあるべき真っ当な判断・指示をしていたら、助かった人も多かったのではないですか?!!!
※証言者・落合由美さんの証言について。
自分がネットでこの方の証言というのを初めて閲覧したのは今から数年前(定かでないが、5年以上前だろうか?)だが、その証言には次のようなことが書かれていた。墜落後ヘリが上空に見えてこちらに近づいてきたので気付いてもらえるように手を振ったが気付いてもらえず、ヘリは戻って行ってしまった。ヘリが一度去った後だいぶ経ってからまたヘリが来て、上空にきたとき、ホバリングを始めてから「上空から白い粉のようなもの」が撒かれてきた。その白い粉のようなものが撒かれた後に、今まで聞こえていた息絶え絶えだった人々の息する音が、気が付いたらいつの間にか聞こえなくなっていた。
今ネットで拾える証言には、上記で太書きした箇所の内容が一切書かれていない。
グリコ・森永事件、日航機123便墜落事件の黒幕はアメリカCIA+イルミナティ。 (daiwaryu1121.com)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)元日本航空社員で日本航空労組委員長の佐宗邦皇さんは日航機123便はアメリカによる撃墜であると主張していましたが、講演後に主催者から貰ったお茶を一口飲んだ後に倒れて死亡しています。(転載ここまで)
【追加】消された佐宗邦皇氏の講演 | マイケルは愛のメッセンジャー (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 日本政府は以前から、老朽化したB747の政府専用機の後継機種の選定作業を行っていましたが、米戦争屋に牛耳られる彼らに、エアバスを政府専用機にする決定権はないに等しいわけです。案の定、それはB777に決まりました。ボーイング社は密かに、強制的遠隔操縦システム・オートランを組み込むでしょう。そうなれば、米戦争屋ネオコンにとって、B777の日本政府専用機は意のままになるわけです。(転載ここまで)
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について!」佐宗邦皇代表 | スカイハイツ三山木(同志社大学京田辺校地) (okina99.blogspot.com)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)動画(2分7秒から)の佐宗邦皇さんの発言。 <ビデオの佐宗邦皇さんの発言まとめ> 「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。 最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、中性子爆弾の空対空ミサイルだった可能性があるんですね。 一回ぽきっと折れて、後部はグライダー状態に落ちて行った。 空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな方向から確認されているんですね。 内部隔壁が原因というのは嘘なんですね。尾翼に無人標的機が突き刺さった状態で、 横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。 ところが、着陸寸前に着陸を拒否された。その指令がどこからきているのかが問題。私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。 それで横田基地への着陸を認めないから、飛行機はずっと御巣鷹山まで追い込まれた。 目的は、アメリカがプラザ合意を押し付けるため。日本をターゲットにして、言う事を聞かないと武力でやるぞと」 (転載ここまで)
※佐宗邦皇(さそうくにお)さんについて。
今から数年前(定かでないが、5年以上前だろうか?)、この方について書かれた記事をネットで見ていた。自分が閲覧したその記事では(記憶に間違いがなければ)、次のようなことが書かれていた。「知人が、佐宗邦皇さんの講演に参加していたとき、佐宗邦皇さんがお茶を飲んですぐ倒れて救急搬送されたあと、佐宗さんが飲んでいたペットボトルを誰にも気が付かれないように拾い、遺族に渡していた。遺族に渡すとき、これは毒が入れられているかもしれないから鑑定してもらった方がいいというようなことを言ったそうだが、その後、遺族がどうされたかはわからない。」当時見ていたその記事は、今いくら捜しても出てこない。この記事も都合が悪いので削除されてしまったということなのだろうか。
以下4つ(※ラジオも含める)はラプトさんたちが書かれた記事です。
【JALを提訴】 123便事故の遺族らがボイスレコーダー開示を求める | RAPT理論のさらなる進化形 (rapt-plusalpha.com)
【JAL123便墜落事故】NHKの第一報の原稿を書いたのは、創価信者の池上彰だった! | RAPT理論のさらなる進化形 (rapt-plusalpha.com)
ビル・ゲイツの別荘は、JAL123便事故を起こした犯人たち(九鬼家、青山家、李家)の悪魔崇拝施設だった!! | RAPT理論のさらなる進化形 (rapt-plusalpha.com)
【ラジオの要約】キーワード:イルミナティの一派である出雲族、群馬県、創価学会、李家。
520という数字:神田沙也加の紅白初出場(2011.12.31)は母親の松田聖子と共にだが、2人の持ち歌がたくさんあるにもかかわらず歌ったのはなぜか坂本九(※JAL123便機の事故で死亡)の「上を向いて歩こう」。2011.12.31から520週間後がちょうど2021.12.18(神田沙也加の死亡日)。2021.12.18の年・月・日は3の倍数で、3で割ると月日は4.6となり、これを2倍すると8.12となりJA123の事故月日と一致。「520」は中国では縁起の良い数字。
横田基地関連:横田空域は群馬県から東京都まで1都9県にまたがる。横田空域では横田基地を中心として上空7千m位までは民間旅客機は入れない(米軍と航空自衛隊しか入れない。)。よって、その空域で攻撃されている様子は他からは見えないようになっている。JA123の事故はその横田空域の中で起きた。JA123はうまく群馬の山中まで誘導されて墜落させられた。横田空域ができたのは戦後暫くしてから。アメリカが日本の領空を支配していたが、それが解除されて横田空域だけが残されていて今に至る。JA123はその横田空域の中で出発して間もなくミサイルで攻撃されたのではないか。故障したがそれは後ろの方で、操縦士も操縦はかなりできていて、横田基地に戻ろうとしていた。横田基地に緊急着陸の指令があり、そのため高度を下げ着陸に備えようとしていたが、なぜか向きを急に変えて山に向かった。群馬県は丸ごとすっぽり横田空域に包まれていて、最大の7千m位まで囲まれていて、民間ヘリが安易に行けないような場所に落ちた。自衛隊しか入り込めないような場所に落ちたので、事故後の工作も、より一層簡単にできるような状況だった。横田空域を残すように暗躍したのが李家の岸信介(きしのぶすけ)だったのではないか。どこまでも李家・創価学会と深く関わっている。これは李家による事件。アメリカCIAではなく、日本国内のイルミナティ(創価)が起こした事件。
以下5つは日本の黒い霧さんが書かれた記事です。
創価学会はイルミナティのエージェント機関として設立された。創価学会の創立メンバーはイルミナティばかり。 (daiwaryu1121.com)
日本のイルミナティの中核組織は創価学会ではない。創価学会の上に君臨しているのがこの組織。 (daiwaryu1121.com)
日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?なぜ墜落場所の高天原山の名前が御巣鷹の尾根に改変されたのか?の真相を考察。 (daiwaryu1121.com)
日航機123便が助かる方法はあったかを考察。 (daiwaryu1121.com)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)青山透子は本の中で海上自衛隊が相模湾から88式地対艦ミサイルを撃ったと書いていますが、88式地対艦ミサイルは艦船を沈めるためのミサイルであり、航空機には届きません。そんな当たり前の基礎的なことも青山透子はわかっていないのです。 (転載ここまで)
※日本の黒い霧さんの記事で、「プロビデンスの目」のことが出てくる記事を見つけました。(以下4つ)↓
中曽根康弘元総理の葬儀がイルミナティ。 (daiwaryu1121.com)
阪神大震災はCIA、イルミナティによる地震兵器、ニュートリノ砲によるものだった。(静岡理工科大学講師で地震学者の山本寛さん) (daiwaryu1121.com)
名古屋妊婦切り裂き事件の犯人はイルミナティのエージェント。 (daiwaryu1121.com)
神道は日本の伝統でもなんでもない。明治維新でイルミナティによって作られた偽りの宗教。 (daiwaryu1121.com)
JAL123便墜落事件・事故に関連して2 | mitsujirouのブ ログ (ameblo.jp)
※こちらの記事↑には、佐宗邦皇さんの他に不審死で亡くなった方のことも書かれています。
「御巣鷹山JAL123便墜落事件の真相について」佐宗邦皇 | Ghost Riponの屋形(やかた) (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 「星条旗」の記事を日本のマスコミは重要な事実を隠して伝えた。「星条旗」にも触れられていないが、
墜落の原因をアメリカは知っていて、日本政府に対する恫喝になる内容だという可能性もあるだろう。「星条旗」は、六本木にある「星条旗新聞社」のことですね。 赤坂プレスセンターなんて呼ばれているが・・・墜落現場の状況から考えると、123便は、山に激突した墜落でないのは明らか。垂直に立っている木に刺さった丸焦げの死体からも、空中でポッキリ折れて墜落したとわかる。
仮に失速で墜落の場合、機体は折れないので中の人は木には刺さらない。(激突してから折れる)
では、「空中で機体が折れた原因は何か?」と言うナゾナゾですね↓123便事件の後、「何が起こったか?」「誰が得をしたか?」と言うナゾナゾですね↓得した勢力が、犯人であるというのは世の常。 (転載ここまで)
要拡散! 日航123便墜落事件;青山透子氏の追及で判って来た重大事実 …とその関連事実の拡散協力 | うつぎれい 疑問符雑記帳 (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 其処で普通に破裂飛散したジェット燃料 ( ケロシン = 灯油 ) への引火によって普通に燃え始めたのなら、酸素 ( 空気 ) は分圧と対流によって尾根の全斜面下側から供給され続けるから、其処で勢いよく燃えてる可燃物はそのまま燃え尽きて灰にはなり易いかも知れないが、酸素不足で途中で火が消え、なのにそのまま更に加熱され続けて遺体の芯部までが炭化する …などという事は先ず起こる筈が無い。炭化するのはその周りに酸素が無い ( 密閉された炭焼き小屋と同じく十分な酸素が無い ) という事だから、周りに十分な酸素が無ければ、周囲のジェット燃料 ( 灯油 ) の普通の火は消えるしかない理屈だ。
そして 「 周囲の火 」 が無ければ、遺体はそれ以上加熱されようがないから、そもそも炭化する筈が無い。
つまり、墜落で飛散したジェット燃料 ( 航空機用灯油 ) は、遺体の周りでソレが燃え続けるべく酸素が 「 既にその辺りで無くなってる 」 なら、 ( 炎はとっくに消えてる筈で ) 遺体を炭化させられるワケが無いのである。
これは逆に言うなら、ジェット燃料以外の、もっと発火し易く消えにくい可燃物がその場所に存在し、周囲から厖大な酸素を一気に奪い取って酸欠状態を作り出すような、激しい燃焼が其処に有った事こそを証拠立てているのである。
ナパーム弾の炎にその性質 ( 急速に酸素を奪い辺りを酸欠状態にする ) がある事は良く知られている。(転載ここまで)
日航機墜落は自衛隊のせい――元CAが書く「御巣鷹山」トンデモ本 | デイリー新潮 (dailyshincho.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)〈一般人が手に入るはずもない武器燃料で焼かれた可能性をどう説明すればよいのだろうか〉と、まるで自衛隊が何らかの意図を持って遺体を「2度焼き」した可能性まで示唆しているのである。元日航チーフパーサーで、事故当時は同社の労組役員を務めていた航空評論家の秀島一生氏が呆れる。「私自身、日航123便の事故の調査報告書は正確ではないのではないかとの疑念を抱いていますが、それにしてもこの本は話が飛躍し過ぎています。自衛隊のミサイルが機体に当たった根拠が全く示されていませんし、遺体の焼け方が激しかった例としては72年の日航ニューデリー墜落事故が挙げられ、123便に限った話ではありません。事故原因の真相解明を求める声が、この本のような陰謀論と一緒くたにされてしまいかねず、非常に困ります」なお、版元を通じて青山氏に取材を申し込んだが返答はなかった。(転載ここまで)
日航123便墜落 - eamiさんの日記 - ヤマレコ (yamareco.com)
(こちらの記事↑のコメントより転載ここから) 私の姉は当時現役のスチュワーデス(当時の表現)でした。
日航社内では自衛隊や米軍が練習で民間機をロックオンするのは当たり前で今回は間違えて発射してしまった結果だと言っていました。(転載ここまで)
※「ロックオン」とは、ネットで調べると、「射撃統制装置やミサイルに内蔵する目標追尾機構が目標をセットし、射距離・方位角・高低角を自動的に追跡する状態にすること。」とありました。
日航123墜落とプラザ合意 20191120 | 放射能を天恵の海に流す六ヶ所再処理工場閉鎖を!(katsukoのブログ) (ameblo.jp)
※こちらの記事↑は、別の方が書かれた記事からの転載がされています。相模湾ミサイル試射原因仮説、雑多な仮説、佐宗邦皇説、佐宗邦皇説の欠点、青山透子説、検察の不可解な言動、当時の政権、プラザ合意という内容で構成されています。
(上記記事↑のうち、「検察の不可解な言動」の箇所から転載ここから) 群馬県の検事正が遺族に語ったという「本当の原因を追究すれば戦争になる」という後ろ向きな発言をしている。検察が間違ってもいうことではない。(転載ここまで)
(上記記事↑のうち、「プラザ合意」の箇所から転載ここから) 森永卓郎は、翌年、中曽根政権がプラザ合意によって、日本側が致命的に不利になり、その後の、数十年にわたる日本経済低迷の原因となった奇っ怪な経済協定 について、なぜ、日本側が極端に不利な合意を飲まされたかについて、おそらく、この事故の隠蔽をネタにアメリカに脅されたのだろうと示唆している。これは 十分にありうる話で、墜落時、米軍は完全にレーダー追尾していて、戦闘機も飛ばして墜落現場を確認して、救助ヘリまで送り込んでいながら、日本政府の要請 によって撤退している。おそらく、アメリカ側は、この事件の真相を知っており、これを取引材料に使って中曽根政権を脅し、後々、日本経済を崩壊させるほど の不公平協定を結ばせたと考えるのには、十分すぎるほどの根拠がある。 特に、当時の経済大国、日本と西ドイツの民間資本が協調介入しなければ名目だけの合意に終わってしまうはず。それは、1985年1月のG5合意直後にほと んどその目標が達成されなかったことに端的に現れている。では、9月の合意では何故民間資金がこれだけ大きく変動したのだろうか?民間資本を突き動か す動機、言い換えれば「恐怖」が必用だった。以後、急激な円高が進み、翌年1986年には日本の市場開放を求める前川レポートが発表される。そして過剰な バブル経済が生まれ、弾けた後、坂道を転がり落ちるかのように日本の経済は失われた20年へと続く。(転載ここまで)
日航機墜落事故の真相について森永卓郎が語った陰謀説とは | ガラパゴス速報 (galapgs.com)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 自衛隊の誤射だが、事実を言ったら自衛隊の存続が危ぶまれる……という局面で当時の中曽根首相が米政府に「ボーイングに泥をかぶっていただきたい」と申し出て、さまざまな条件を引き換えにアメリカ政府がそれを引き受けたのではなかろうかと思っています。その「さまざまな条件」とは、具体的には「アメリカの言うことをなんでも聞く」ことだったのではないかと考えています。森永氏がラジオで言及した「後の日米関係に決定的な影響を与えた」とは、そういう意味なのでしょう。(転載ここまで)
日航機123便の真実は、ほぼ事実である - るいネット (rui.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから) 有力な分析が出てきたのは、事故が起きた1985年8月12日からほぼ1年が過ぎた1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットの『自殺』がきっかけとなった。というのは、この二人の隊員の自殺に続いて、同年9月12日14日には、さらに二人の航空自衛隊員が自殺したからだ。 これがトリガーとなって、航空自衛隊員が次々と謎の自殺を遂げるようになった。自衛隊員の自殺は、事故の翌年の1986年の1年間で90人以上という異常さ。この内訳ははっきりしないが、航空自衛隊員が大半を占めていることは誰にでも想像がつく。日航123便の墜落事故は、この記事が的確にまとめている。つまり、この異常な自衛隊員の大量自殺は、航空自衛隊の戦闘機によるミサイルの誤射が原因だとする説を主流にした。(転載ここまで)
青山透子さんという方の日航関連の本が売れているそうですが、彼女は何者なのです... - Yahoo!知恵袋
(上記のベストアンサーより抜粋転載ここから)東京大学大学院は、東京大学と比べるとそれほど難度は高くありません。また、客室乗務員がどれだけ航空力学のことを詳しいのでしょうか? この2つだけで、彼女の書くものは信憑性があると思い込む人は多いでしょうが、内容的には根拠もなく決めつけとこじつけで論旨が展開されており、とても信じられるものではありません。よって、私は肩書きなど関係なく、これらの本に嫌悪感を持っています。彼女の書く本に対してブレインや協力者はいるでしょうね。シンポジウムなどにも出席はしていますし、実在の人物とは思いますが、そこまで興味が持てません。(転載ここまで)
日航123便墜落事故の乗客が撮った写真ですが、青山透子さんが... - Yahoo!知恵袋
(上記のベストアンサーより抜粋転載ここから) 「拡大したらオレンジ色」の話は、検討するに値しません。青山氏の作業結果が事実だったとしてもです。この元写真はフィルムで撮影されたアナログ画像です。これをデジタル変換(スキャナで読み込むなど)をした際に使用されたハードウェアの特性や、ソフトウェアの特性なども絡んでくるから、再現実験するならそこまでさかのぼらないと意味がありません。(転載ここまで)
青山透子のペンネームは「青い山に真実が透けて見える」という意味... - Yahoo!知恵袋
(上記のベストアンサーより抜粋転載ここから) 青山透子氏のペンネームについて、青山氏の公式ブログによると、上野村の青い山々から青山、物事や行政には、透明性が必要だから透子という思いで、上野村村長の黒澤丈夫氏が、つけられたとのことです。(転載ここまで)
青山透子さんと仲の良い、あるいは面識、繋がりがある著名人有名人はいますか?... - Yahoo!知恵袋
(上記のベストアンサーより抜粋転載ここから)早稲田大学で、この前行われた入場無料での~某シンポジウムには日本弁護士連盟副会長の三宅弘氏、経済評論家での森永卓郎氏の2名が~青山透子さんの講演の後に、それぞれ講演をしているのでね。(転載ここまで)
日航ジャンボ機墜落事故の遺族 データ開示を求めて日航を提訴しました - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
卑怯な書き込みは一切許さない 青山透子 今日は特別書きます - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
日航123便、隠蔽者の皆様、ご苦労様! 青山透子公式サイト閲覧110万3千人突破記念! - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
日本航空大赤字の裏側で何が起きているか (読者感想・11月12日追加) - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
上野村にあるレストランヒロの壁にあった絵を実際に見た、絵を撮影した人いませんか - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
1985年9月22日、今こそプラザ合意を問う 青山透子 - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp) ※こちらの記事↑で森永卓郎さんのことが書かれています。
人間としての責任 青山透子 - 青山透子公式サイト日航123便墜落の真相 (hateblo.jp)
※青山透子さんについて。
青山透子さんが実在しない人物という説もあるようです。
まず、実在しない場合におけるペンネームについて考察してみます。青山にしたのはなぜなのか。ラプトさんの動画に、JAL123の事故を起こした犯人たちとして九鬼家、青山家、李家とありました。青山透子さんの「青山」が青山家の「青山」と同じです。「透子」は透明人間の女性、つまり、実体としての存在が確認できない架空の女性の意味のように思えます。ヤフー知恵袋のベストアンサーで書かれていることは、後からの意味付けのように思えます。(あくまでも実在しない場合での想像です。)
日本の黒い霧さんの記事(日航機123便はなぜ墜落場所特定までに16時間もかかったのか?なぜ墜落場所の高天原山の名前が御巣鷹の尾根に改変されたのか?の真相を考察。 (daiwaryu1121.com) で、
「高天原山を御巣鷹の尾根に改変した上野村村長の黒沢丈夫さんは元帝国海軍の少佐です。
帝国海軍は戦前からすでにCIA、アメリカに取り込まれていた組織です。
高天原山を御巣鷹の尾根に変えろという圧力がCIA側から黒沢丈夫さんにあったと思われます。」 と書かれてあります。
同じく「上野村村長の黒沢丈夫さん」につき、ヤフー知恵袋のベストアンサーで、青山透子というペンネームは「上野村村長の黒澤丈夫氏が、つけられた」ということが書かれています。
それぞれの記事で書かれている「上野村村長の黒沢丈夫さん(※日本の黒い霧さんの記事で、元帝国海軍の少佐とあります。)」を中心に考えると、青山透子というペンネームからは非常にアヤシげなニオイがしてくるのを禁じ得ない。なぜペンネームをそんな意味ありげな人につけてもらうのか?自分が使うペンネームは自分で考えるものではないだろうか?(ペンネームの由来も、ヤフー知恵袋のベストアンサーにあるように、そういうシンプルなものであれば、わざわざ人に頼む必要があるのかな?)その点だけで考えても、「青山透子」はやはり実在しない人物であると結論づけてしまいたくなる。また、蛇足となるが、もし仮に実在しないのであれば、経歴を東大大学院卒としたこともミソだと思えてくる。これは一般的な話だが、「東大」とつくだけで、世間の人はその人が繰り出す論理に抗えないような気になることが多くはないだろうか。そのため、青山透子が著すものをそのまま受け入れようとする素地が難なく出来上がることにも一役買うことになるのではないだろうか。それも踏まえた上での架空の人物設定を行っているとも考えられる。
しかし、ネット上には青山透子さんのブログが存在しており、実在しているからこそ書けるのではないかと思える記事があります。
実際は存在しないのに存在しているフリをし続けるというのは相当な精神力とともに色々な所でお金もかかっているものと思われます。そのお金は誰が出しているのだろうか?もしも存在しないのにフリをしている者がブログ記事を書いているとしたら、書くことが苦にならない人つまり筆力のあるライターにお金を払って書かせていることになると思います。お金があれば色んなことができるとも思う。よくわからないのが、もし仮に本当に青山透子さんが実在しないのであれば、なぜ世間には実在しているかのようにする必要があるのかということです。
さっぱりわかりませんが、日本の黒い霧さんの記事に「この青山透子の存在というのは荒唐無稽なデマ、ウソを書きまくることで、CIAが爆破して墜落させたという本当の真実から目をそらせる、陰謀論として葬り去るというCIA、イルミナティの高度な手法だと思いましたね。CIA、イルミナティが月刊ムーにやらせるやり方と同じ手法ですよ。青山透子の本を出版している河出書房新社や月刊ムーを発行している小学館などの大手出版社やテレビ局などのマスメディア自体がそもそもCIA、イルミナティの下部組織ですからね。」とあり、この箇所を読みますと大きくうなずけたりもします。たしか月刊ムーは、かつて、オウムの麻原彰晃の「空中浮遊」や「土中断食」等の修行の様子等を掲載していた雑誌ですよね。(そういう点を鑑みると怪しさ満点という気がする。)
次に、実在する場合について考察してみます。
実在することを否定する根拠がないのであれば、実在しないと結論付けるのは実在する本人に対して大変失礼なことになります。実在するのであれば、存在を疑っている人に対して実在していることを本人が示してくれれば一番分かりやすいのですが、プライバシー問題やセキュリティー上の懸念があるとすればそれも難しいとお考えになるのも当然のことであるとも思います。自分には青山透子さんを断じ切れるほどの力はないし、何も断じることができないというのが結論です。
なんだかよくわからない青山透子さんのことはどうでもいいです。
とにかく、自分が当初読むことのできた落合由美さんの証言にあった、上空から撒かれた白い粉の正体と、佐宗邦皇さんが講演で倒れたときに飲まれていたペットボトルのお茶(お茶には何が仕込まれていたのか、誰が仕込んだのか。)、この2つだけでも明らかにならないものだろうか。
※自分が当初見ていた落合由美さんの証言ではありませんが、やっと見つけました。
⇒日本は既に核兵器を保有しており、JAL123便は核弾頭を輸送していたため撃ち落とされた① - るいネット (rui.jp)
―こちらの記事↑より転載ここから― 『JAL123便の真実(御巣鷹山墜落事故)』(zeraniumのブログ)リンクより転載します。
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その後の事故調査の状況から推察すると、~前略~
JAL123便の真実
核兵器に使うプルトニウムが、長野県にある極秘の核施設で取り出されているという話を聞いて、私にはピンとくるものがありました。それは1985年8月に起きた、JAL123便の墜落事故との関連です。この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。
一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。
JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。
1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。
しかし、JAL機の機長は思いのほか優秀な人でした。
日本政府は、JAL機側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで、ベテランのパイロットの搭乗を要求しました。そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである「高濱雅巳操縦士」をその任に就かせました。彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で、すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。すぐさま、高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えました。この高度ならレーダーに捉えられないからです。ただしそのために、以後、123便は管制レーダーからは消えてしまい、周辺の航空管制官はJAL機を助けたくとも、その機影を追うことさえできなくなりました。ですから異常発生後の正確なルートは、今もってわかりません。
その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて、長野方面に向かったようです。機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み、待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。そのやり方は徹底しています。JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍のスホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。・・・。自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。
事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。このヘリコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にフッ化ホウ素を撒いたのではないかと、複数の専門家たちが分析しています。
その後、事故を目撃した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され、闇に葬られたのでしょう。
その事実を突き止めるべく、調査している人の話を聞きましたが、彼は今も狙われています。昨年も電磁波による攻撃を受け、車が大破したと話していました。街中を車で走っていると、急に「ドーン」という衝撃が走り、事故を起こしたわけでもないのに車が突然破壊されてしまったのだそうです。そうかと思うと、守ってくれる人もいて、「つけられているな」と気づくと、必ずと言っていいほどトラックが、自分の車とつけている車の間に割り込み、逃がしてくれるそうです。
何が真実で、誰が見方で、敵が何者か、その実態は正確にはつかめませんが、大きな陰謀が存在することは確かのようです。ちなみに、JAL123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)による合意がなされました。世に言う「プラザ合意」です。アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが、日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金がジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです。
その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました。―転載ここまで―
※JAL123便事故についての疑問点などのまとめ(自分用)
・中曽根康弘元首相が「秘密は墓場まで持って行く」と言ったというその「秘密」の全容
・狭い空間に操縦士の方が三人いたそうだが、なぜ高浜(機長)さんだけが木っ端微塵になっていたのか
・死亡者520名に調整するために当初生存者7人発見だったのを4人発見として、生存者を殺害したのか
・この事故の後、自衛隊の人が大勢自殺しているとのことだが、それは本当に自殺なのか
・地元の人たちが拾い集めたという、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸はその後どうなっているのか
・森永卓郎さんも思い切った発言をされていると自分は思うのだが、なぜ森永卓郎さんは無事で(※無事で何よりです。)、なぜ佐宗邦皇さんは不審死となったのか?死亡の原因は?(お茶には何が?)
・当初の落合さんの証言にはあった「ヘリが一度来て引き返し、その後もう一度来てからホバリングし、上空から白い粉のようなものが撒かれてきた」の箇所が一切見当たらないのはなぜなのか。「白い粉」は何?
・青山透子さんは、活動のきっかけは同僚がLAL123の事故で亡くなったことらしいです。身内ではなく同僚の死亡がきっかけで、ここまで精力的に活動されているのに、なぜウィキペディアには本名が載らずペンネームで通し続けているのだろう?講演をしたり、記者とも顔合わせしている位なのだから公人と言ってもおかしくないのに、なぜ一般人はこの人の素顔を見ることができないのだろうか?
※森永卓郎さんと佐宗邦皇さんの見解の違いについて:
人様の書かれた記事を読みますと、お2人の見解には違いがあります。
森永卓郎さんの見解:「墜落時、米軍は完全にレーダー追尾していて、戦闘機も飛ばして墜落現場を確認して、救助ヘリまで送り込んでいながら、日本政府の要請 によって撤退している。おそらく、アメリカ側は、この事件の真相を知っており、これを取引材料に使って中曽根政権を脅し~」
佐宗邦皇さんの見解:「最後は、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、中性子爆弾の空対空ミサイルだった可能性があるんですね。」
簡単に書くと、森永卓郎さんの見解では悪いのはアメリカ側ではなく日本側で、佐宗邦皇さんの見解では悪いのはアメリカ側ということになるかな? すると、森永卓郎さんの見解は青山透子さんの見解と少し似ていることになるのかな?
あ! 日本の黒い霧さんの記事で、「この青山透子の存在というのは荒唐無稽なデマ、ウソを書きまくることで、CIAが爆破して墜落させたという本当の真実から目をそらせる、陰謀論として葬り去るというCIA、イルミナティの高度な手法だと思いましたね。」とありました。
あっ! それは佐宗邦皇さんの見解と同じようなことですよね? そうか!佐宗邦皇さんはアメリカの悪口を言ったから消された?! またしてもCIAが…? ということはお茶に毒仕込みをしたのは…?。
ということは森永卓郎さんという人は…?。 青山透子という人はやはり…???
※死亡者数「520」の意味について考察の記事 以下3つ↓
JAL123便墜落事故の真相 を探る – 強健ラボ (maron49.com)
(転載ここから)下の男の子は、事故当初公開された写真、生きているかのようです。この自衛隊員は、後に自殺しています。(自殺でしょうか?)そして、当初は、「生存者7人発見」と大きく新聞にも載りました。
暫くすると、生存者4人に修正され、520人の犠牲者となりました。520人になるよう、わざと調整したのです。先ほどの男の子の行く末は、メディアでも一切無視、無残な指だけが遺族へ戻ってきたのです。生き残った人を殺害し、死者を520人にしたのです。520人には、大きな大きな意味があったのです(転載ここまで)
※自分もこの子は写真では生きていると思う!もし死んでいたなら、額に自分の腕を当てることはできないはずです。
歴史⑬『123便と520石仏のナゾ』第79言|ぼーりー|note
長野県の霊山に住まう神様~国常立尊 | XIN EARTH ENERGY♡ (ameblo.jp)
※こちらの記事↑には、長野県にある「揚水発電方式ダム」のことも書かれています。
※「長野県」といえば、隣県に岐阜県があり、カミオカンデがすぐに連想されてきますが。…
【長野地震検証】ニュートリノ研究所カミオカンデ(岐阜県)・リニア・九州に出没した謎の飛行物体⑤ | BLUESTAR☆のブログ (ameblo.jp)
※高濱雅巳操縦士について
Mの世界ー機長はなぜ右に旋回したのか~「日本航空123便墜落事故」 | 宇宙世紀を生き抜く知恵 (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)
高濱 雅己(たかはま まさみ)
昭和11年1月2日生まれ。享年49歳
日本航空運航部門指導教官 総飛行時間12,423時間41分)
昭和29年海上自衛隊入隊。対潜哨戒機P2-Jの熟練パイロット。最終的には教官を努める。
昭和41年12月1日、日本航空入社。
彼が、「機体に不具合が発生したら海へ出ろ」という自衛隊のパイロットが叩き込まれる原則を忘れていたとは思えません。ましてや海上自衛隊の対潜哨戒機P2Jの最優秀のパイロットだった経歴からして海上へ出ることに躊躇があったとは思えません。MAD(magnetic anomaly detector)という潜水艦の探知方法をご存知でしょうか?海面下に潜む潜水艦を磁気で探知する方法なのですが、対潜哨戒機はこの方法で探索する場合、海面スレスレを飛び回って潜水艦を追い詰めます。「狂気のMAD」と言われる程の危険なマニューバーです。そんな熟達した海軍パイロットの彼だからこそ何故、海に出なかったのか不思議でなりません。(転載ここまで)
※こういう記事も見つけました。↓
【重要追加説明】 JAL123便墜落事故の出回っている話はウソばかり | wantonのブログ (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)ソ連空軍機との交戦の話も出て来ていましたね。そんなバカな話は無いと思います。北海道で、スクランブル発進するのは結構ある話ですが、日本の中心部付近まで、一体どこから飛んで来たというのか。空母からでないと、帰りの燃料なんて無いでしょう。(転載ここまで)
※こちらの記事に入っている2枚の写真の画像をご覧ください。異様さを感じませんか。 ↓
【123便の謎】自殺自衛官が残した2枚の写真には…!! | 優しい世界・60前でもまだ中2病(果てしなき戦いの道) (ameblo.jp)
(上記記事↑より抜粋転載ここから)身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(転載ここまで)
※亡くなられた方が機内で書かれた直筆のメモ、”中曽根康弘元首相のつぶやき”なるものあり。↓
日本航空123便墜落事故とオスプレイと脱原発 | 私にとって人間的なもので無縁なものはない (ameblo.jp)
この日本という国は、全体がすっぽりと黒い霧に覆われているようだ。
天皇陛下が毎日お祈りを捧げていらっしゃるらしいが、それにもかかわらず、
この黒い霧は晴れないようだ。
この日本という国は、どれだけ闇が深い国なのだろう。
(どれだけ悪魔に支配されている国なのだろう。)