「私じゃなくてもいいんじゃないですか」
仕事面で欲がないことを表す格好のエピソードを紹介したい。タモリのテレ朝での本格的な初レギュラー番組は1981年に始まったバラエティー『夕刊タモリ!こちらデス』。好評だったものの、編成上の都合により1年間で終了を余儀なくされた。
代わりに皇氏が用意したのが1982年にスタートした深夜番組『タモリ倶楽部』だった。
「タモリさんには『しばらく深夜で遊んでいてくれ』と頼みました。本当に彼が好きに遊ぶ番組になったので、とても喜んでくれた」
その5年後、皇氏が『Mステ』の2代目司会者への就任を打診すると、タモリから意外な言葉が返ってきた。「「『タモリ倶楽部』があるし、私じゃなくてもいいんじゃないですか」
制作費が安く、視聴率を取りにくい深夜番組を優先し、花形であるゴールデンタイムの番組への出演を渋るタレントはまずいない。本当に欲が見られない。
かつてタモリは「やる気のあるものは去れ」と口にしていたが、これも欲のなさを表している。望まれたらやるが、そうでなかったら、やらない。良い意味で流されて生きることを信条としているのではないだろうか。
芸風にもそれは表れている。1976年のメジャーデビューからしばらくは「4カ国語麻雀」「イグアナのモノマネ」など今のタモリからは考えられない芸を見せていたが、話題にならなくなると、ピタリとやめてしまい、封印した。
1980年代にはさだまさし(68)と小田和正(73)が嫌いであることをギャグにしたものの、ファンから反発の声が上がり始めた途端、やめた。ファンの声に抗おうとはしなかった。やはり流されることを選んだ気がする。