■「ある時、笹川良一、児玉誉士夫、岸信介と文鮮明が本栖湖で会った」
一枚の古い地図。その地図を見ると岸信介邸の隣に書かれてある文字は「全国学生連合原理研究会」。原理研究会とは統一教会のことである。のちに岸元総理は自らと旧統一教会との出会いを旧統一教会の本部で“奇しき因縁“としてこう語っている・・・。「正体はわからないが、隣に住んでいる若者たちが日曜日に賛美歌を歌っていた」そして後に、「笹川良一君が統一教会に共鳴してこの運動の強化を念願して私に紹介した」。この偶然であるかのような出会いについて旧統一教会などによる霊感商法の被害者対策に長年携わってきた山口広弁護士は・・・
全国霊感商法対策弁護士連絡会 山口広弁護士
「どうして隣同士だったのはわからないんですが、場合によっちゃぁ統一教会が(岸氏に近づくために)ここにアプローチしてきたのかもしれない」
もう一つ岸元総理と旧統一教会を結びつけるものがある。1958年に撮られた一枚の写真。渋谷区南平台の邸宅。庭で時の首相、岸信介氏が寛ぎ、傍らで孫である4歳くらいの安倍晋三氏が兄弟で遊ぶ・・・。その6年後に同じ構図で撮影された建物は、岸信介邸ではなく旧統一教会の本部になっていた。首相私邸が教会本部になったいきさつは定かではないが、密接な関係を物語る写真だ。
北海道大学大学院 櫻井義秀 教授
「(隣に原理研究会があったのは)偶然ではないと思います。右翼の大物である笹川良一さんと(60年安保を強行した)岸信介さんとの関係ですよね。要するに学生運動、労働運動に対抗するための右派運動のフロントを日本で作り上げなければならない、そういった構想の下に反共の防波堤を学生たちに作らせたいという発想から岸さんか笹川さんの方から統一教会にアプローチしたんだと思う」
全国霊感商法対策弁護士連絡会 山口広弁護士
「ある時、笹川良一さんと児玉誉士夫(戦後最大のフィクサー)さんと岸信介さんと文鮮明(ムンソンミョン)が本栖湖で会った。そこで語り合って勝共連合を作ろうってことになって・・・」
キーワードは“反共”だった。時代は冷戦時代。ベトナム戦争、安保闘争、あまねく局面で共産主義とそれを撲滅しようとする勢力が対峙していた。かくして1968年“反共の砦”と言われた「国際勝共連合」が生まれた。80年代には勝共連合に名を連ねる国会議員が120人を数えた。
ジャーナリスト 後藤謙次氏
「ある自民党の二世議員に聞いてきたんですが、その議員の祖父も国会議員だったんですが堂々とポスターに勝共連合って入れていたというんです。当時の自民党議員にとっては朝鮮戦争の後でもあるし、勝共連合はシンボルマークのようなもの。その点で当時の議員たちは全く抵抗なく統一教会に感化されていったんですね」
反共産主義というイデオロギーで日本の保守層に入り込んだ旧統一教会。米FBIは文鮮明に関する報告書の中で「日本の右翼実業家や団体が相当な額の資金を提供している可能性がある」とした。しかし冷戦が終わり共産主義との戦いが影をひそめると、やがて旧統一教会の日本での資金集めはエスカレートし、社会問題となるのである。