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語録

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月26日(火)01時20分17秒
  投稿日: 2006年9月27日
(夕凪の街 桜の国のこと)
~~というのも、最初から海外を見据えて作る、という姿勢は、わたしの描いていた時代(2年前)には思いもよらなかったものでした。と、こういう事とか、発禁になるかと心配したとか、売れると思わなかったから単価が高くて申し訳ないとか、わたしが何度も書くのも、実はそんな時代を忘れないためだったりするのです。原爆に限らず、誰かが何かに挑戦しようとする時、それは最初はこんなところから始まるかも知れないよ、と少しでも勇気付けられればと思ってねえ。
****
投稿日: 2006年9月20日
 あ、あと「古い女」アンケートの結果が良かった事もすごく驚きましたね!!!
 実はこの漫画、いちばんの自信作だった「長い道」の読者をある程度失う覚悟で臨んだのだ。その甲斐がありました! 受け止めてくださった皆さん、本当に有難う。
 小林よしのりさんの漫画技法はかなり正統派なので、「この人からイロモノ作家と思われたくない」という欲もあったけれど、それを逆手にとって「この人に比べりゃわたしなど何やってもイロモノだな」と割り切る事も出来た。
 そして。実は人気より何より、「天籟」の「本人の意識的な思想性を超越する無意識の創作能力」という小林さんの言葉に、大きな何かを悟った気がしました。この言葉はたぶん、わたしの一生の宝です。
****
投稿日: 2006年9月 6日
 あと、「さんさん録」の話をみんながしてくれたので嬉しかったです。ここの皆さんや編集さんはご感想をいっぱい下さっているけれど、なにせ「夕凪」の季節でしたからね…。
 で、この機会に言いそびれていた事を言おうっと。仙川さんは「悪女」ではないけど、セッカチだね。でもあの年頃の、あの手のデキル女は、あんなものではないかなあ。ちなみにもう随分前の「長い道」の打ち合わせの時、川上弘美の「センセイの鞄」みたいなのを描いてよ、と染谷さんに言われたのが、気付くとこの参平と仙川さんの恋愛になっていたわけで、仙川さんも「センセイの鞄」のツキコさんと同じ37歳という設定だったのだけど、自分が同じ歳になったら言いにくくなってしまった。もうちょっと若い方がええねえ…。
****
投稿日: 2006年8月 7日
 あといい機会なんで。
 わたしは作家として有名になったり尊敬されたりするのは、実はあんまり本意ではありません。だってわたしは「凡人」と言うところがいちばんの「売り」だから。
 作品と向き合う時間は読者さんより明らかに長いので、その世界を想像して周りにこまごま描き込む猶予は確かにたやすくあるけれど、それはどの作家でも同じ事なので、わたしに限って「深読みしないといけない作家」みたいに言われるのも、さっぱりわからない(だいいちそういうこまごましたところはコンテの時点ではまだなかったりする。編集さんはそれで通用するという判断で通してくれているのです)。
 漫研にいた頃、自分の作品を「子供」と言っている先輩が居られて、以来わたしも自分の漫画を「子供」みたいなもんと思っていたりします。商業誌で描くようになってから、編集さんは男女に関わらず「子供の父親」で、「雑誌に載る」のは「学校にやる」ようなもので、「単行本にする」のは「就職させる」ようなもんだと思うようになりました。読者の皆さんは、子供がそのどこかで出会う「友達や恋人」ですね。
 ヒマなときに友達と話すように漫画を読み、内容なんかすっかり忘れて、寝て起きて、毎日を送ってくれればいい。ただせめて、貴方が理不尽な思いをする日には、そりゃ向こうがおかしいよ、と示してあげられるような世界(つまりhikaruさんの仰る「ユートピア的日常」ということかな)を描いてゆければいいなあ、と思うのです。
 要するに、気楽に読んで下さい!! いうことじゃ。
 わたしの子供が学校や職場でどんな付き合いをするかなんてわたしにも分からない。貴方の読むように在れば、それが本当だし素敵だと思うのです。
****
投稿日: 2006年4月24日
 しかし、やはり漫画を描くにあたっては「慣れ」は怖いですね。
 さんさんの最終回は、早い段階からずっと第33話を想定していましたが、頭の中でその流れに「慣れ」てしまったせいで、結局この終わり方になった。まあ、この作品は有難いことに連載中に単行本が出して貰えたし反響も(わたしの漫画にしては)あったので、読者さんと一緒に練る事ができた気がして、かえって良かったですね。
 

インコ

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月25日(月)19時30分20秒
  ウィーン・フィルがサグラダ・ファミリアで演奏した番組を録画したら映像だけで新たな地平を見るような綺麗さで感動しました。
NHK(番組はステンドグラスとライティングがよく分かる)
https://www.nhk.jp/p/ongakukan/ts/69WR9WJKM4/episode/te/42MJ3WPN57/
演奏メインの映像
https://m.youtube.com/watch?v=FQpCNQkv4OU
建物メインの映像
https://m.youtube.com/watch?v=78cWSG2m3fw&t=580s

感染を警戒して、街中の大きい書店を周るのはやめて、ぴっぴら帳は通販で購入しました。でもビッグサイトでは週末にイベントをしていたみたい。
今の流行株は重症化の確率が低いとはいえ、後遺症の症例を見てびびってる身としては、感染する可能性は減らしておきたいところです。
コミケ、実施できるんでしょうか。
同人誌はコロナ禍の2年間で販売店の数は減っても、同人作家は印刷コスト無しで電子版をネット販売出来るようになり、時代が変わりつつあるようですね。

ぴっぴら帳、扉はどの絵も素敵で、扉絵以外も含め、どれがいいとか選べないですね。大変なのでしませんが、絵の一枚一枚にどう好きか感想を書きたいくらいです。
笑顔力、笑顔量、笑顔質といったパラメータがもしもAIとかで数値化出来たとしたら、トップクラスの単行本ではと思います。
よつばとや羽海野チカ作品と、冷静に絵柄まで思い出して比べても、数百まである歴代漫画ランキング眺めても、どれにも負けてなさそう。こうのさんって笑顔の漫画家だった?
こうのさんの精神性で描かれる笑顔だからこそかなあと。ゴッホの絵と同様、他の人が表面的にただ真似ても贋作になるだけですし。
時間がたっぷりあった頃ならどれだけ眺めていられただろうって思います。
サグラダ・ファミリアの番組もそうですが、「何これ?なんだか凄く良い作品を見てる」、というときは、たいてい、裏には作者のとんでもない熱量や熟考が隠されているんですよね。
こうのさんは「漫画は読み捨てられていいもの」とよく語っている印象がありますが、それは「読み捨てられる一瞬に、様々な境遇にいるであろう読者の心を本気で軽くすることにかける勝負」のことなのかもと思いました。(いちいち熱いブルーピリオド的な分析)
作品によっては制作期間自体は短くても、若い頃から考え続けたことや、工夫し続けた全量が活きている。

アメブロ、動画もアップできるようです。「Tチャーン」が聞きたいような。音声だけでも。
載せる載せないは別にして動画も撮っておくと良いと思います。
模様替え、部屋の横の外壁に大きなゲージを併設とか夢が膨らむかも。
探してみたら大型の鳥かごは5万以下ですか・・・。でも掃除が大変かも。あと今の時代、屋外は暴風に耐える強度を考えたら高くつきそう。

語録の投稿は整理してみたらあと2回ぐらい。今回無駄に長文になったので。
 

気になる

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月24日(日)19時08分53秒
  ブログで最初にいいねしまくる水口マネージャーってシンプルに怖いですね。ファンアートの展示でも他の人の作品を押しのけて自分の作品ばかり目立たせようとしていたようです。
自己顕示欲のかたまり?
 

「さんさん録」と東洋経済

 投稿者:たけし  投稿日:2022年 7月24日(日)13時35分54秒
  妻に先立たれた男が見つけた1冊のノートの中身
こうの史代「さんさん録」:さんさん録
https://toyokeizai.net/articles/-/601670
東洋経済オンラインより

東洋経済新報社はビジネス書と経済書を専門とする出版社と思っていますが、こうの先生の「さんさん録」は何か… ビジネスや経済に通ずるものがあったのかな。
妻の記した生活の知恵といえば、そうなるんでしょうね
 

語録

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月22日(金)02時02分22秒
編集済
  職場がテレワーク中止になりそうだったけど、感染拡大でまたテレワーク継続決定。
今日は終業後にどうにも眠たくて、一旦寝てから目が覚めました。。
そういえばカラヤンと親友だったソニーの昔の社長さんは22時に一度寝て、2時頃起きて趣味の勉強をし、それからまた寝る睡眠法だったとか。自分もショートスリーパーでよほど体が疲れてないと3時間以上寝る前に目が覚めます。
ちなみにその社長、通勤時にはドイツ語の社用ジェット機の操縦の本を斜め読みしていたそう(実際に操縦もしていた)。
あと、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団で指揮して、評論家に「素人に一流オケの指揮をさせるんじゃない」と言われるも演奏後「素人じゃなかった」と言われたり、退職金で軽井沢にコンサートホールを建てたりしていたようです。

こうのさんは以前はドラクエとかのゲームをしていたということで、ゲームの動画。
Sky 星を紡ぐ子どもたち。今日、サイバー攻撃されてニュースになっていて知ったのと、アメリカ発と思えないくらい平和でイイ感じだったので。
https://m.youtube.com/watch?v=vEkBpF5wsuA
なんか、こういう作品が売れてると知ると嬉しくて泣けてきます。

真の謙虚さは真の栄誉に似ているかも。
真の謙虚さを目にし続けていたら、偽物の謙虚さに敏感になってしまってどうにもいけませんね。
下手に謙虚すぎると、ナメてかかる輩もいますしね。
語録
****
投稿日: 2007年1月27日
~~
 よし、ではさっそく今回の補足を。
 すず達の住んでいる江波(えば)までは現在は電車が通っていますが、昭和19年(何月か不明。1月中に開通していたなら直さねば)までは舟入本町までしか電車は通っていませんでした。
 ちなみに所要時間は、電停まで徒歩20分、電車が15分、汽車が1時間(モルテンはまだなかったかも知れない横川から広島までは5分弱)、バスが20分ぐらいだろうか。
 戦争初期のもんぺは臨時に着けるものだったので、着物や洋服の上から穿くようにだぼだぼに作っていたようです。この時代にはすでにじかに穿いていたので、こういう着方はもう普段はしていなかったと思います。お父さんが袴のすそを縛っている(よく見てくれてますね!)のは、この方が長旅で動きやすいかなと。
 汽車は今より本数や車両が少ないうえ、呉の人口は倍以上なので、かなり混んでいたのではないかと思います。呉線は、右手に海を見ながら、トンネルをいくつもくぐります。わたしが子供の頃には、トンネルのたびに「夜じゃ」「朝じゃ」と寝たふりをしたり顔を洗ったり朝ごはんを食べるふりをしたり、忙しく遊んだものでした。
 バスは、今よりも小さくて、ガソリン不足のため木炭バスというのがあったけど、馬力が少なくて坂道は上がれないことも多かったようです。呉には電気バスというのも昭和初期にはあったようです。
 結婚式は、当時は自宅でするのが普通でした。仏式は、多分今と同じで、主流ではないけど、不自然でもないという程度だろうか。もんぺで質素に結婚式を挙げたという手記もあるにはありますが、「Tomorrow 明日」みたいに普通っぽいのもあるようなので、折衷で描いてみました。周作の父が首に提げているのは国民服儀礼章という物なんですが、どう使うのかあまり分からず描いたので、詳しい方、違っていたら教えて下さい。
 呉にはダムが二つもあったけれど、すべて軍関係の施設に取られて、市民はほとんど水道は使えません。井戸を使っていました。
 しかし、なんか皆さんの書き込みを見ていると、60年以上経っているとはいえ、戦争観はちっとも均質ではなく、それぞれの地域や家族に根ざした感覚があるのだな、と感じます。無意識のうちに生きた手触りがある。この辺の事は追い追い語り合ってゆけるといいです。
~~
 わたしは、こいつに出来るわけないだろう、とたかを括られているところを見たかったんだ。「ほんとにあんたに描けるの?」と誰かに言われて、「いや、出来ないよ!! でもヤルけどね」と言ってみたかったんだ。
 今わたしに面と向かってそう言ってくれる人は、1人もいません。いない事が、実はわたしはちょっとショックだったのでした。でもここには、ハッキリ書かずともそんな雰囲気の伝わってくる書き込みが多くて、なんか有難かった。本来の自分の在りようを覚えていてくれる人が居ると知って、かえって肝が据わった感じです。
~~
 それから。ここ読んでくれているだけの方も多いのですね!!! アクションも半年振りだし、新連載からご覧になる方もいらっしゃるかも知れませんね。
 なに、こういう商売が成り立つって事は、野菜も作れず布も織れないわたしに、誰かが代わりにそれを作って運んで与えてくれているように、描けない誰かの代わりにわたしが描いているだけの話でして。描くから、あるいはここに書き込むから偉いとか阿呆とかそういうもんじゃないんでお気になさらず。
****
投稿日: 2006年3月14日
 中島みゆきのオールナイトは、給食のコーナーの歌がヘンで好きでしたね。あと「家族の肖像」で「のたまう」という言葉を学んだ気がします。そして何より、途中と最後に1通ずつ読まれるまじめなお便りと歌を楽しみにしていました。わたしは夜に弱いので、通して聴いた事はあんまりありませんでしたが。
 そう、深夜放送といえば、ぱふで石田敦子さんが伊集院光の「深夜の馬鹿力」が好きだと言っておられましたが、わたしゃあの番組ではがき読まれた事あるんだよ。へへ。
~~
 皆さん、さんさん録を読んで下さって、本当に有難うございます!!!
~~
(表紙の話)
 やあ、「青系で海を描きたい」「見返しは付けないで下され」と言ったのはわたしなのですが(でもこういう作家の意見は通らない事が案外多いです)、紙やタイトルロゴやその他ほとんどすべては名和田さんにお任せしたのです。この方は実は同人誌からの読者さんでもありまして、同人誌でよく見られる2種類の原稿を作って重ね刷りする手法も、名和田さんのご提案でした。この手法は、刷られて初めて完成画なので、本人にも新鮮な感動があるんですよね。
~~
 しかしこのまんが、読者さんから非常に大事に大事に読んで貰っているのが、嬉しくもあり怖くもあり、何より不思議でしょうがなかったりします。もともとそう丁寧な作風でもない筈なんで、たぶんどっかで裏切るよ。
****
投稿日: 2007年3月16日
~~
 要するに古いものを目の前でひっぱりだされてると想像するだけで恥ずかしいってことだな!
(↑すみません)
~~
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投稿日: 2006年3月10日
~~
 あ、でねえ、「夕凪 桜」は実はそれほど思い入れはないん。テーマに沿ってまとめただけなんで、わたしゃいわば「筒」に過ぎないしねえ。他の作品とはまったく異質の苦労は大きかったけどねえ。でも何より支えてくれる方が多くて、だいぶ安心出来るようになってきました。
 ちなみに、思い入れが強いのはやっぱり「街角花だより」でしょうかね。好き過ぎて未だに正視できない
~~
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投稿日: 2006年1月10日
「冬の記憶」のご感想を、皆さんどうも有難うございます!! 「まんがタウン」はいちばん長くお世話になったいわば「古巣」なんで、「ただいまあ」てな感じよ。
 昭和初期ということで、宮沢賢治の「山男の四月」みたいなのが描いてみたいと思ったんですよね。ほいでばけもんは比婆山から来たヒバゴンね。まあ昭和初期にも居ったじゃろう。そして、本川橋のたもとから続く道がこんな商店街でした。すずらん灯は広島の繁華街の証しでした。勧商場というのはスーパーマーケットの事で、2軒はあったようです。あと周作が父と再会する橋は相生橋。現在はT型ですが、当時はH型で、産業奨励館(現原爆ドーム)の下あたりからだとこんなふうに2重に見えたことでしょう。
 すずは8歳、周作は10歳くらい。なぜほくろをつけたかというと、まあ目印があると助かることがあるだろうからね…追々……、というわけで続くよ。この漫画。どっかで。とつとつとね。まあ見よって下され。
 

京都精華大学からのお知らせ

 投稿者:たけし  投稿日:2022年 7月21日(木)21時39分15秒
  「マンガ家 こうの史代氏が描く、本学キャンパスを舞台にしたオリジナル作品をご寄付返礼品として贈呈します」
https://www.kyoto-seika.ac.jp/news/2022/0721_5.html
https://www.kyoto-seika.ac.jp/about/donate/gjh1lq00000029n8-att/kt5ohn000000jiq9.pdf
京都精華大学HPより


それと… コロナの感染爆発が止まりませんので、必要な医療が受けられない事を覚悟したほうがいいです。
皆様とこうの先生、命の選択という状況にならない事を願っています。

あと、この掲示板も10日ほどで終了ですが、まだ何か出来ることを投稿していきます!
 

盲点でした

 投稿者:Bosatsu  投稿日:2022年 7月21日(木)06時01分49秒
  Tantan様
おはようございます。

なるほど、自分でアーカイブすればよいのですね。全く思い至りませんでした(←他力本願)。とはいえ、手動で550ページ分のコピペを正確に行う自信がなかったので、Firefoxのアドインでバッチ処理しました。これでじっくり読めそうです。
また、こうの先生の語録ありがとうございます。もう見れない時期の投稿、とても興味深いです。ああ、その頃から読めていれば...と後悔することしきりです...

https://www.nakedeye-yd.com/in-this-corner-of-the-world-memorandum/

 

語録

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月20日(水)21時38分54秒
  Bosatsuさん、ここのTeacup掲示板はエクスポートする機能は無いみたいです。
私はちょうど先程、この掲示板の全ページコピペ保存が出来ました。ちゃっちゃとすれば2時間以内で出来ると思います。

で、残りどこまで出来るか分かりませんが、こうのさんの語録です。過去にも、この掲示板から独立してHP持つことはお考えになっていたみたい。で、裏切り自由です!

※下から古い順

投稿者:こうの史代  投稿日: 2005年9月 7日
いやあ、長い道は、男の人が読むことを想定してませんでしたからねえ。荘介に感情移入できないときついかな、と心配でしたが、意外に面白がって貰えてよかったなあ、というところなんですよ。
****
投稿者:こうの史代  投稿日: 2005年7月16日
    そう、ほいでね、打越がよばれた「珍しい野菜」は、「スベリヒユ」なん。現在でもかなりありふれた雑草ですが、戦中戦後の都市部の人は、おひたしや味噌汁の具にしたようです。打越は農村の出身で、野菜には比較的恵まれているので、見たことはあっても料理されたものは珍しかったかと思いました。
~~
 ついでに、「夕凪の街」の続編、という扱われ方をあんまり初めからされたくなかったので、この場面は、わざと打越とわからないように描き、編集の染谷さんにも説明しませんでした。そこまで想像してくれる人がいればいいな、くらいに思っていたんですよね。また、彼だけが旭を家に呼ばず、外で会ったのは、思い出の地だからというだけでなく、今は別の人と結婚し家庭を持っている、という事も少しだけ暗示したかったのでした。自分のお父さんやお祖父さんも、こんな過去を抱えているかも知れないな、と思って貰えればと思います。
~~~
そうだな、HP作ろうかな!!!
(略)
 まあ、それはともかく、まつしたさんにもこうして本当にお世話になりっぱなしだし、しかも、こないだも書いたけど、いつ期待を裏切るか判りませんしのう。それは、まつしたさんやここに来て下さる皆さんと、わたしとがそれぞれの人生を重ねてゆくうえで、ごく自然に起こりうる事で、そのぐらいの覚悟がないとまんがって続けてゆけないものでもあるんですよね。
 詳しい人に聞いて、ちょっとずつ計画を立てていきたいです。ちょうどデジカメというものを新調したので、まずはこれから使いこなすようにします。
****
投稿者:こうの史代  投稿日: 2005年7月 7日
~~
えっとね、「桜の国」の見開きの描き直しは、橋に対して人物がちょっと大きすぎたからなのです。ついでに、京花と旭は橋を歩いているとこでしたが、立ち止まっている絵に直しました。わたしは失敗が多いので、切り貼りはけっこう多い方かと思います。
****
投稿者:こうの史代  投稿日: 2005年7月 2日
 てなわけで早速すごく気楽に、新刊「長い道」のことなど。
 このまんがはわりと普通のラブコメです。今までは売れなくても売れても「とりまんが」だから「原爆まんが」だから、で言い訳がききましたが、今回これでやっと本当のわたしの「身の程」が知れるなあと思います。言い換えれば、「長い道」が売れないなら、わたしは商業出版界に未練はないね!!! 本屋で見つけたときは立ち読みくらいはしてみて下さいね。
****
手塚賞授賞式のこと  投稿者:こうの史代  投稿日: 2005年6月 8日
    西原(理恵子)さんは、浴衣に割烹着でしたよ! 意外に小柄で、やっぱり美人だったよ!!! そしてやっぱりすごく面白い人でした。メディア芸術祭の授賞式でも隣の席で、覚えていてもらえて、ちょっとお話し出来て感激でした。
 新聞まだ読んでいないのですが、夜中に休憩しながら読んだ手塚治虫のまんがは、「ザ・クレーター」の、オクチンの体に女の子の魂が住み着く話です。
 ちなみにこの時描いていたのは「桜の国二」です。「夕凪の街」は怖くてとても夜中には描けなかったんだけど、桜の国は描き下ろしだったこともあって非常に孤独で、出るんなら出れば? 連れてくんなら連れてけば? ぐらいの心境で、夜中でも全く平気になっていたところでした。
 「ザ・クレーター」は昔ほんとによく読んだのですが、こんな形で広島の原爆を扱っていた事はすっかり忘れていたので、不思議な縁を感じたものでしたよ。
 いろんなすごい人にたくさん会って、お話し出来て、昨日の事はまるでユメのようで、夫もわたしもあんまり眠れず、明け方に公園を散歩しました。野鳥のだんだん起きてくるのを、缶コーヒーを飲みながら眺めました。思えば結婚式も挙げてないわたし達はふたりで大勢の前に出るのは初めてでした。この日の事は、きっと一生忘れない、と思います。
 授賞式には、この掲示板の代表として、まつしたさんとhikaruさんに来て頂きました。お疲れ様でした。そして、皆さんどうも有難う。これからも末永くよろしく。
**ここまで**

テレビ番組のBGMで知った2曲
Thomas Bergersen - Promise
https://m.youtube.com/watch?v=-S-29Ie_ISo

Two Steps From Hell - Stay
https://m.youtube.com/watch?v=UiBa6UyxplA

Christopher Tin - Sogno di Volare ("The Dream of Flight") (Civilization VI Main Theme)
https://m.youtube.com/watch?v=WQYN2P3E06s
 

はじめまして

 投稿者:Bosatsu  投稿日:2022年 7月20日(水)20時08分13秒
  初めて投稿致します。Bosatsuと申します。
こちらの掲示板は数年前に存在を知り、楽しく拝見させて頂いておりました。
この度掲示板が終了になるという事で、とても残念です。貴重な投稿の数々、アーカイブ化などできたら良いのにな、とも思いましたが、管理人様のご負担などもあり、難しいのでしょうね。

きっとこの掲示板の見れなくなっている昔で既にご議論がなされている内容なのかな...とは想像しますが、こうの史代先生の「この世界の片隅に」連載終了からはや13年、5年続いた映画の上映も終わってしまいましたので、この機会にと思い、各話毎に気付きました点を書き留めた記事を以下で投稿しております。

「『この世界の片隅に』備忘録」
https://www.nakedeye-yd.com/in-this-corner-of-the-world-memorandum/

投稿は各回別としていますが、内容的には
・「こまつな」の仕掛け
・海軍記念日の回の仕掛け
・流行歌「隣組」が採用されている理由
・ノートの切れ端は実は身許票ではなかった
・代用品ではなくて、代用品の代用品
・テルさんを死なせたのは誰か
・教科書が鍵だった
・リンさんが言う「秘密」は、周作さんとの事ではない
・周作さんは「ある場所」に行っていた。2度も
・イトさんがすずさんに初夜の指南をした理由
・「鬼いちゃんが死んで 良かったと思ってしまっている」の本当の意味
・機銃掃射の(情けない)真実
・8月15日にカボチャの花が咲いている理由
・郵便配達人の正体
・仕掛けだらけの「人待ちの街」
・「しあはせの手紙」の意味
・すずさんの死期
・『鬼イチャン』作/浦野すず の位置付け

などなど

勿論
・「冬の記憶」「大潮の頃」の仕掛け
・ばけもんの正体


あまりにも多すぎて、まだまだ書ききれていないのですが、とりあえず全話分を投稿済みです。
お時間のある際にでもご笑覧頂ければ幸いです。

突然の投稿で失礼いたしました。
時節柄、ご自愛ください。

https://www.nakedeye-yd.com/in-this-corner-of-the-world-memorandum/

 

ブログの感想

 投稿者:Tantan  投稿日:2022年 7月18日(月)20時08分1秒
編集済
  こうのさんのブログ、誰もストレスを受けない印象操作、面白いです。流石です。一瞬、ペンもミニチュアかと思いました。

「美女と野獣」のお話、まあどこかで聞いたような話ね、と思うような・・・
「この世界の片隅に」で主人公がすずなのはベル=すずで、当初、美女と野獣に倣って野獣を登場させられないか検討した名残りが鬼いちゃんなのかも、一世一代の連載チャレンジを前に、大好きな作品にあやかろうとしたのかも、まで妄想しました。
wikiにボーモン夫人版は「1/9まで短縮」とあって、そこまで!と驚きました。ヴィルヌーヴさんは商業作品としてよりも自分の空想の楽しみとして、お話を膨らませるのが好きな人だったのかもと思いました。
美女と野獣の動画を見てみました。そのワンシーン、皆実さんが街を歩くシーンにどこか似てるかも。
https://m.youtube.com/watch?v=tTUZswZHsWQ
「皆実さんは可哀想な役なので、うんと美人にしてあげたかった」と話していたと思うので、もしかしてこうのさんにとって美人=ベルだったのかも。

竜とそばかすの姫のワンシーン。
https://m.youtube.com/watch?v=z_NAoBkZlIw
例のTV局の放送予定がごっそり入れ替わった事件のせいで、放送が2ヶ月も延期されて悲しい。まあ児童虐待のシーンもちょっとあるし、事件と同じ日の放送じゃなくていい面もあるかな。
鬼滅の刃の次回アニメ予定、壺とか兄弟思いのキャラの2連装銃とか出てくるので、タイミングがヤバいと言われているそう。

中野駅がホームグラウンドだったんですね。大規模再開発を前に、今一度見ておこうという感じでしょうか。
私は1年ほど中野に通ったことがありました。中野セントラルパーク。まあ下請ですけど。
昼休みに平和の森公園のポップラを見に行ったり、桜の季節に哲学堂公園まで行きはバスで、帰りは中野通りを徒歩で時間内に周るとかしていました。
ポップラは伐採騒ぎがあったけど生き延びたとかネットで見たような気がします。中野区の公務員の公園担当が変わってたんじゃないかと。
中野は表から見ると小さいのに中が巨大な本屋が良かったです。
あと、高円寺のマンガ喫茶にサインがあったはず。
新井薬師前駅は地下化工事が進んでいるんですよね。

中野は駅の北側がメインなので北側に住んでるときはガード下をくぐることはあまりない。中野駅の幅が広くて低いガードは割と独特で似た場所はあまり存在しない。なので南側に住んでいたときを思い出したんでしょうね。
Tさん、こうのさんのネーミングセンスだとどんな名前になったのか気になります。
私がぱっと思い浮かんだのは緑色で大きいのでガード・・・・・・

そういえば大阪には国立民族学博物館というのがありますね。昔一回だけ行ったことあります。
 

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