それでも、
そんな思いができる今を、
とても有り難く思う。
真夏のこの時期になると、
毎年思い出すことがあります。
夜中に大きく膨らむ内臓をさすり、
激痛にたえながら救急病院に、
自力で駆け込んだのは34歳の時。
8月に入ったばかりの暑い日でした。
最初は何が原因か判らず、
開腹手術をするための準備中の、
念のための検査の時に、
原因が膵臓だということが判明しました。
それならば開腹手術ではなく、
絶飲食で点滴による治療が適切だとなり、
急遽治療方針が変わり。
早くて最低6週間。
長くて半年の入院。
と医師から聞かされていただけでしたが…
実は周りの家族や事務所は、
「この3日が山で乗り越えた場合には
長い入院が必要で治療を行いますので
お仕事の調整の方もお願いします」
と言われていたそうです。
その頃はまだ息子楓季が、
10カ月になる前。
上のお兄ちゃんは小学生でした。
私はなんとなく察していて、
当時いくつか入っていた、
掛け捨ての生命保険が、
まだまだ高額で残っていたので、
万が一のことがあれば、
それで子どもたちの学費などに、
充ててやって欲しいと…
酸素吸入をしていたため、
筆談でお願いしたことも、
遠のく記憶の中しっかりと覚えています。
3日の山を何とか乗り越えられた時。
私は「生かされた」と、
あの時に思いました。
(その後の舌がんの時には
「生きた」と思ったのですが)
一週間後には、
たくさんの管を付けている身体で、
少しは起き上がることもできた時、
窓に差し込む夏の光を見て。
夏の匂いを嗅いでみたいと思いました。
そして辛い絶飲食の治療を終えて、
退院できた時には9月の半ば。
長男の誕生日が15日なので、
それまでには家に戻り、
誕生日を祝ってやりたいと思い、
なんとかその日を目標に治療に専念して…
無事に退院することが出来ました。
その時に外に出た時には、
もう夏の香りも消えてなくなり、
いきなり秋になっていた。
あの不思議な感覚は、
今でもしっかりと覚えています。
夏の陽射しが恋しかった入院生活。
夏休みの自由研究も、
一緒にやってやれなかったあの夏。
子どもたちに申し訳ないと思った…
絵の具やクレパスや糊の匂いで、
家の中がいっぱいになっていた筈なのに、
戻った時には全て終わって、
消えていたあの時の寂しさ。
楓季を抱っこしたら、
あの時よりも少し重たくなっていました。
安心したのか満面の笑みを浮かべて、
私の顔を触って。
まるで確かめるかのように、
何度も身体を触ったり叩いたりして、
私の反応を確認していました。
「入院して家族が呼ばれた時
抱っこしていた楓ちゃんの顔を
智栄美さんのそばに近づけたんですよ」
「楓ちゃん今と同じことをしたけど
あの時の智栄美さんは
まるで反応がなかったからでしょうね」
とその場にいたベビーシッターさんが、
言っていました。