一世風靡SEPIA -テレビ出演リスト-
最終更新 2004.10.26
15年ぶりに彼らがテレビに帰ってくる!!
「HEY!HEY!HEY!」(フジ系)
2004年11月8日(月)午後7時~
444回記念の2時間スペシャル
メンバー7人が当時を振り返る。
概要補足は、当時、発売されていた雑誌記事などで行いました。
テレビ番組の為、入手は、困難ですが、彼らの足跡として記述しました。
放送年月日 番組名 概要 放送局 1983 ベスト・テン? 風見慎吾のバックダンサーとして踊る「一世風靡」。
この様子は、「歌の大辞典」で2000年5月に流されたことから発覚した。タキシードにシルクハット、ステッキにサングラスで踊るメンバーは、実は、この年「劇男・一世風靡」として風見慎吾君とともに七大都市をデビュー公演して回っていた。ツアー参加メンバーは、大戸天童(ケン)、奥山太嘉郎(オクちゃん)、平賀雅臣(直角)、松村冬風(マツ)、工藤真一(シンイチ)、小木茂光(シゲ)、武野功雄(イサオ)、柳葉敏郎(ジョニー)、哀川翔(ショウちゃん~以上、風見慎吾ツアーパンフより)の9名で有る。ちなみに小木さんのお名前がツアーパンフでは、小林茂光と誤植されていた。(それは、芸名じゃないぞ~)尚、アンケートでは、趣味を「生け花」とし「自分は変わった人間だ」と答え抱負については、「要するに金儲けしたい」ときっぱりと答えている潔い小木さんである。ちなみにジョニーは、このころキャンディキャンディの様な女の子が好みだったらしい。1984 5.13 「一世風靡セピア・初ライブ」 西武百貨店(渋谷)C館納品所にて行われた始めての「一世風靡セピア」有料公演。
「地下室に閉じこめられた若者」に社会の「声」が反響し、降参したモノに「今」という名の「クスリ」が打たれる・・・。弱音を吐くメンバーにシゲが、「お前ら男の大切なモノを見失ってるんじゃねぇのか。俺は、一人でも話つけに行くぞっ!!」と叫ぶシーンが印象的。シリアス場面の後、一転ハル先生が、「今のフィルムどうだったかな~」と講義を始める。「ロマンだっ!」と叫ぶタケノ先生に妻から電話がかかってくる。再びコンピューターの「声(社会の声)」が響く。大人を非難するジョニーが登場。響く銃声。撃ち殺される。「若者文化」を大人が太刀打ちできないモノに・・というメッセージをタケノ先生が言う。「ガキにはガキなりのなぁ」と興奮して叫ぶマツ。「さめた男に何ができるというのだね。君は最後までだまっているべきだった」とマツを撃つコンピューターの声。社会に逆らえば撃たれ、従えば、無気力になる。さて、君たちは、どうするか。
「青春」「人生」「社会のいろいろな問題」それに苦悩し反発する若者たちの心境をシリアスに演じる7人の姿は、5/12に開局したNHK衛星放送の最初のスペシャル番組として実況中継として全国を席巻した。尚、このライブの様子は、その後1985年3月28日の「祭」写真集発売にと同時に全国50カ所で行われた「一世風靡セピア展」においても上映された。その後の雑誌記事によると、会場の真ん中の柱が邪魔でちょっとやりにくかったらしい。衛星放送NHK 7.30 夜のヒットスタジオ 初出場。スペシャル・ゲストで登場。元気よく飛び出すメンバー。はるさんいきなり階段でこける。司会者のインタビューにほとんど口々に喋るメンバー。終始が付かずに「またあとで・・」といって曲に追いやられている様にも見える。セットは、「花見」「祭」。ドライアイスに赤いライトが炎の様に乱舞する。終わった後にもう一度インタビューをされてハル「鼻血がでそうだった・・」マツ「こんなモンでしょ」翔「やっちゃまずいんじゃないかなとおもった・・」と答えている。
曲は、「前略、道の上より」。この日特別ゲストは、来日したジャッキー・チェンだった。
尚、テレビ出場の様子は、メンバーもビデオチェックしているらしく小木氏は、「ビデオでみたらひどかった」とSTの記事で答えている。フジ系 8.7 二回目の出場。はるさんが冒頭で高田みずえの歌を歌っている。横でパントマイムするのは、ニシヤン。初出場の反響について翔氏は、「段ボールで10箱ぐらい抗議の手紙が来た。8箱は、燃やした。『道』にこだわっているって言ってきたから、なんでテレビに出るんだっていう苦情だった。ランキングとかじゃなくていい形で出して貰えるのならテレビにも出たい。常に新しいモノをやるのが俺たちだから」と答えている。スタジオ・セットは、一回目よりさらに豪華になっていて四季をテーマに桜、青葉、紅葉、雪景色といった自然の風景。最後の紙吹雪は、ほとんどホワイトアウト・・・。ここまでするかフジテレビ・・・という徹底したモノだった。曲は、勿論「前略、道の上より」。 おしゃれ
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2707セピアリーダー・小木茂光氏「一世風靡」について久米さんと語る。
挿入で「現在が好きです」プロモーションビデオが流れる。
久米「やさしい漢字は、書けないけれど『一世風靡』という漢字は書ける子供が増えていますが・・・音楽番組では、ご出演いただけないけれど今日は、セピアのリーダー小木さんがゲストです」
どうやらベスト・テン出場辞退中の「おしゃれ」とあってちょっと毒舌の久米さん。
「一世風靡」について次々と質問がされる。
小木「部屋にこもっていてもしょうがないので外に出よう。若いからこそ時間が有る。今のうちに自分に求められることをしようと思いまして・・・仕事の後で集まって終電まで練習しています。」
久米「お酒は飲まないとか」
小木「お酒は、嫌い。体に合わないので。酒飲んでるんだったら映画見たり美術館や自然の中をあるきます。個人の話は、メンバーでは、しないので普段は、なにをそれぞれがしているかは、リーダーなんですけど知らないんです」
久米「それぞれ仕事をしているそうですね」
小木「ボロアパートの管理人とか・・・」
久米「本人聞いたら怒りますよ(笑)りっぱなんだって・・・」
小木「(ぼそっと・・)立派じゃないんだなぁ・・・」(やたらつぶやきがかわいい~)
「一世風靡」の名前については、ただの風俗で終わりたくないと答えた。
久米「赤い靴下が一世風靡しているのは間違いない。」
小木「何で影響されているのか・・・考え方は、それぞれありますから・・・」
本当に流行っていた赤い靴下だった。まさに当時を代表する「おしゃれ」だったようだ。フジ 夏 11PM ゲスト・「一世風靡」制作本部長・加藤 護氏。この年「一世風靡」50人の平均年齢は、26.5才。路上からの文化。益荒男ブリの集団として結成3年目を迎える。「道」にこだわり続けマスコミによって風俗化されることを拒み続ける。
インタビューの中で哀川・小木両氏は、「今の若者は、管理社会の中にあって説教嫌い。上から押さえつけられると反発する。だから体で表現する踊りや芝居をやってみようということになりました」と語っている。
この後で演じられた「道」での芝居は、「別れの言葉はトイレの後にしてね~グンシチシリーズ」というものだった。(以下抜粋)
小木氏・・大物俳優、哀川氏・・映画監督、ニシ氏・・助監督
(電話をかけるシーン)
電話「お掛けになった電話番号は現在使われておりません・・・」
ナレーター・・さよなら。グンシチ・・・
(電話役の男に向かって崩れ落ちる体を支え抱きつく小木氏。悲しみを表現している。やがて地面に仰向けになり死んでいく。)
監督「はーい。カット。ニシ、すぐに今のフィルム編集して。ニシ、お茶。ニシ、椅子。俺じゃない。せんせいだよ。先生。」
小木「まずいとこなかったぁ~」(芝居入っていないときのふにゃ~とした感じがかわいい)
監督「すぐに先生に椅子お持ちして。先生。ついでに『別れの言葉はトイレの後にしてね~グンシチは、誰とシビレルお正月バージョン』もとっちゃいますから・・・」
出し物は、なんと「笑う犬の生活」の前進と言うべきコメディであった。インタビューにもどって
「まだまだこれからやら長い。やるべきことはいっぱいある」と両氏。
その後、「そうめんさん」「イン・ザ・ウオーク」などのパフォーマンスが流れた。
年輩の11PM出演者の中には、「落ちこぼれはおちこぼれなんでしょ」という失礼極まる発言も有ったが、「男っぽい集団」として彼らを肯定する発言が番組を締めくくった。
11PMでは、その後1987年10月29日に「一世風靡 IN NEW YORK特別番組」も放映されている。(ビデオ「THE PERFORMANCE」参照)
日本テレビ 夜ヒット 「道からの組曲」 フジ 1985 1.1 行く年来る年 「セピアカラー」横浜港。リアルタイムで見た遙か昔の記憶によると座って構える彼らのモノクロのシルエットに後ろからライトが当たっていた様な・・。 1.15 劇男一世風靡・道・男達 劇団一世風靡を紹介したドキュメンタリー番組。日曜日の午後三時、渋谷の路上で繰り広げられたパフォーマンスとそのメイキングの様子を知ることのできる貴重な特集。「何が何でもやる」彼らの姿勢は、厳しい稽古場でも貫かれている。それぞれに仕事を持っていて尚かつ表現活動(パフォーマンス)を行う彼らは、一体何を探していたのだろうか・・・。きっと五十人が五十人なりの答えを探っていたに違いない。 NHK 8月 朝倉に舞う 「朝倉遺跡」での初日のイベントのVTRを宿泊先のSEPIAとともに見ながらインタビューしたもの。福井市民の声と「祭り」に対するメンバーの考えが述べられている。「寝てる奴は、一生寝てろ。俺たちは、やる」と意気込むハルさん。「なんか影でごちゃごちゃ言っている奴がいるらしいけど遊びの中からもこれだけのことがやれるんだというところを見せたい。自分たちでまず行動しろ」とシゲさん。 福井放送 7月 夜のヒットスタジオ 「風の唄」 フジ 12月 「街よ、崩れる様に笑いなさい」小木さんが、最後に日本刀で斬りつけるバージョン。「銃刀法違反でひとりつれてかれました~♪」という司会者のコメントが入る。 1986 7.30 「青の情景(シーン)」哀川 翔氏ソロ活動中の単独出演。青いキャップのショウさんは、イタズラ小僧の様だった。 8.11 徹子の部屋 小木氏・哀川氏による劇男・一世風靡メンバーの紹介。当時劇男が所有していたアンケートに大手企業が目を付けた話やロンドン・コベントガーデンの様子、科学万博のパフォーマンスの様子など映像を交えて紹介している。 朝日 1987 1月 夜のヒットスタジオ 「花鳥風月」 フジ 2.18 「花鳥風月」マツさんの靴下と靴が紹介され激しい動きによる消耗の激しさを語る。又、芸能人のお茶碗が紹介される。マツさんは、萩焼の茶器みたいなお茶碗。小木さんは、黄色のどんぶりサイズのお茶碗。遠目で解るほど色といい形といい目立っていた。 2月 Mステ 「花鳥風月」 朝日 4.15 夜ヒット 「善い・酔い・嘉い」 フジ Mステ 「善い・酔い・嘉い」 朝日 オールナイトフジ 「花鳥風月」「善い・酔い・嘉い」 フジ 夏 ミュージック・スクエァ 「輪の中より、草々」「花鳥風月」「善い・酔い・嘉い」「我が愛しき犯罪者たち」
岸辺シロー司会。小木氏、哀川氏がインタビューに答える。ニューヨークの土地を10年間に渡って貸して貰えるという証書を受け取る。ただし面積は、ごくわずか。又、小木氏が、ロンドンの話をする。テレビ愛知 10.29 11PM 「一世風靡 IN ニューヨーク特別番組」
涙と汗のアポロシアター公演の様子やニューヨークにおけるストリートパフォーマンスの様子が細かく取材・放送されている。こちらと「ザ・パフォーマンス」のビデオをあわせてみるとさらに全容が解る様になっている。日本テレビ 8.7 フェスタ静岡 SUMMER.EVENT「夏祭・宴・'87」の一つとして駿府球場・静岡フェスタで行われた公演。(入場無料)ビデオでカットされる事の多い「晴れに唄えば」を新レゲロ(ハル・ニシ・マツ)が唄っている。 静岡 11.25 夜ヒット 「夢色一つ飛び」 フジ 1988 8.7 たけしのスポーツ大将 「たけし軍団」VS「劇男・一世風靡」のどろんこ野球試合第一弾。雨中間の決闘編。おニューのユニフォームもぐちゃぐちゃになるほどその戦いは、苛烈を極めた。うわばみ柳葉氏大活躍の巻。 12.23 Mステ 「こっちから願い下げだぜ」 朝日 1989 2月 夜のヒットスタジオ 解散までの一ヶ月間、マンスリーゲストとして「夜のヒットスタジオ」に出演。スタジオ・ライブ(2.15)では、武野さんをゲストに迎えるが、なぜかメンバーは、いやがっている。演出なのか本気なのか・・・。そして、メンバーの初恋の人特集では、ジョニーが、幼稚園の先生とご対面。テレまくりの姿がかわいい。
スタジオのセットで踊るメンバーは、コンサートや路上とは、また別の迫力がある。
2.1 「道の中より、草々」「前略、道の上より」
2.8 「夢色一っ飛び」「やがて来る日」
2.15 スタジオ・ライブ「汚れちまった悲しみに・・・」「賽を振れ!」
2.22「花鳥風月」「SHIBUYA」フジ 3.31 Mステ スペシャル「SIBUYA」 朝日 6.6 たけしのスポーツ大将 「たけし軍団」VS「劇男・一世風靡」の野球対決第2弾。ダンディ茂光も三塁打で活躍。 7.28 Mステ 最後のテレビ出演「前略、道の上より」「花鳥風月」「THANKS」メンバーより一言ずつ最後のメッセージが発せられる。最後に小木氏が、感謝の言葉を述べた。 8.18 卒団・若い奴らに追い出され 「金曜スペシャル」での特集。「ファイナルコンサート」の様子と平行して各自が、「一世風靡SEPIA」を振り返って思い出を語る。
小木氏・・・ズートスーツについて語る。(小木氏のお店?)
ジョニー・・・いつもトラブルを起こすのは、俺でしたと懺悔して語る。
カケイ・・・表現について語る。
マツ・・・機械と人間について自分の中の人間性を確かめたかったと語る。
ショウ・・・自己との葛藤の中でやっていたと「道」での思いでを語る。
ハル・・・「マインド・キッド~子供心」を大切にしてがむしゃらにやってきたと語る。
パロッツの赤いトレーラーの前で踊る新団長の森田晶氏。作曲家、後藤次利氏は、インタビューで「一人一人の個性が集団に反映されていく」とセピアの音楽性について語った。TBS
12.6
プレステージ 「PARROT」の紹介とその後の「道」について。メイントークでは、大戸天童氏が、「23RD」について語り、パフォーマー達の対談では、小木茂光氏が、旧メンバーを代表して「新生一世風靡」やECAといった新・グループとともに「道」について語っている。小木氏は、ミュージシャンとしてソロ活動を再開した時期でもあり「道に一世風靡のシゲが帰ってきた」と世間を騒がしていた。 2004 11.8 HEY!HEY!HEY!
レジェンドに一世風靡SEPIAが再集結。まさに名前の通り伝説のパフォーマンスグループとなったメンバーは、現在それぞれの道を歩む。当時を振り返りながら今だから言える話等を披露する。この日の茂さんは、短髪でご登場。当時を彷彿させる姿が、よりいっそう感慨深い。足下の赤い靴下にもご注目あれ。 フジ
おまけ資料
ザ・ベストテン・ランキング表
図書館にベストテンの出場記念写真集が有ったのでついでに調べてみました。
「一世風靡SEPIA」は、「道」での活動に専念したいという理由で出演を拒否し続けた。
このことは、70年来のフォーク歌手が同じようにランキング番組には、消極的だったことを彷彿させた。
ただしたった一度だけ、今週のスポットライトとして1985年に「風の唄」で出演した。このとき演出の花火が暴発して気が付けば火の中で踊っていたというSEPIAだった。
№ 年月日 順位 曲 № 年月日 順位 曲 343 1984.9.6 10 前略、道の上より 347 10.4 5 前略、道の上より 344 9.13 6 前略、道の上より 348 10.11 7 前略、道の上より 345 9.20 5 前略、道の上より 379 1985.4.18 9 賽を振れ 346 9.27 5 前略、道の上より 375 4.25 9 賽を振れ 376 5.2 9 賽を振れ
クールイズビューティ セカンド
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