[1769]三浦瑠麗という危険な若手女性学者に警戒するべきです。
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最近、三浦瑠麗(みうらるり)という女性の国際政治学者(藤原帰一の弟子)がマスコミによく登場しますが、この女はヒラリー・クリントンの元秘書であるジョシュア・ウォーカーとというジャパン・ハンドラーズの一人と人脈があるようだ。
その人脈について急いでブログにまとめました。
安倍晋三の議会演説や、TPPのISDS条項の草案文書のリーク、そして高村正彦副総裁の訪米、地方自治を骨抜きにしかねない翁長沖縄知事の行政処分に対する国の不服審査請求など大変な動きが相次いで起きているが、今回書いておきたいことはそれではない。
三浦瑠麗(みうら・るり)という女性研究者についてである。
この女性学者は藤原帰一の弟子であるが、本当に危ない。
日本のリベラル勢力を完全に抹殺するためにアメリカから「ニューリベラル」として育てられた人材だ。
マイケル・グリーンが上級副所長を務める戦略国際問題研究所(CSIS)パシフィックフォーラムにも安保政策に関するレポートを寄稿している。
この三浦女史の名前を初めて聞いたのは、インターネットを通じてである。
去年の10月14日に、私はこの女性学者の書いた
「徴兵制擁護論」
のブログ記事を読んでいたことが過去の日記を探ると出てきた。
三浦の議論は「豊かな民主国家を好戦的にしないために老若男女を問わない徴兵制を提案する」というもので、趣旨としては
「志願兵制を採用している民主国家では、好戦的な文民が軍の意向を無視して安易に戦争を始めることがある。徴兵制では市民が等しく戦地で死ぬリスクを負っているため、政治家に簡単に戦争させないはずだ」
というものである。
しかし、この論理が噴飯物であることは、ベトナム戦争http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E5%BE%B4%E5%85%B5%E5%88%B6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 という徴兵制のもとに泥沼に陥った過去の事例をひとつ上げれば足りる。
三浦女史が言うような、「自分が戦争に行く可能性がないと戦争のコストを考えにくくなるのでは」なんてことはないのだ。
三浦はその他にも「シビリアンの方がミリタリーよりも暴走することもある」というロジックで最近の「文官統制の見直し」の議論を予め意識したような議論をしている。
これも本筋から議論をそらすものである。
今の安倍政権を見ると、確かに高見沢将林・前内閣官房副長官補のような「タカ派文官」がいるし、ネトウヨの暴走を見ている限りでは、それが過去の日比谷公園の焼き討ちのような過激なナショナリズムに転化することは当然想定される。
しかし、問題はそこではない。
アメリカの圧力によって、日本国憲法が日本のシビリアンであれ、ミリタリーであれ、暴走することへの歯止めになっている仕組みを、安倍政権が骨抜きにしていることが問題である。
このように、三浦瑠麗という女性学者が問題なのは、「ほんとうに重要な論点」から議論をそらすために「もっともらしい論点」をでっち上げて、それにそって議論を誘導する、しかも女性美人学者が、ということである。
三浦は今年の1月に『日本に絶望している人のための日本政治入門』(文春新書)という本を出している。
これは三浦のブログである「山猫日記」に書いたものを加筆修正した内容が中心になっている。
三浦は自らニューリベラルを自称しているが、同時に安倍晋三政権の進める政策に概ね支持をしているようだ。
ただ、歴史修正主義的なスタンスは取っていない。
三浦はもともと東京大学で農業政策について研究していたが、イラク戦争を機に国際関係論に転向している。
留学経験はないが東京大学の大学院で研究してきたほか、現在は青山学院大学で講師をしている。
この気鋭の「美人学者」(私はそうは思わないが)が、華々しくマスメディアに登場したのは、1月31日の「朝まで生テレビ」だった。
この日のテーマはイスラム国問題だったが、ここにおいて、全体からは僅かな発言時間ながら、「リベラル派の代表」として登場した香山リカに対して、「良識派リベラル」を装って登場し、安全保障の基礎的な議論を踏まえていない香山リカ(この人も議論が下手だ)を鼻でせせら笑うという上から目線のSキャラを演じて、世の中のネトウヨ男子のハートをがっしりと掴んだようだ。
櫻井よしこの亜流ではないかという意見もネット上では聞かれた。
三浦は最近は産経新聞から東京新聞の「こちら特報部」にまで登場し、また民主党の勉強会にも呼ばれるなど、まさに引っ張りだこの状態。
しかし、こういう風にメディアに出ずっぱりなのは必ず裏がある、というふうに見た方がいい。
私は知り合いとも協力しながら、この数日間、三浦女史についてリサーチしてきた。
そこでわかったことは、「三浦女史は、どうやらヒラリー・クリントン前国務長官の鍵となるアドバイザー」たちと深い人脈を築いているということだ。
その一人がジョシュア・ウォーカーである。
ウォーカーは池上彰が取材した「富士山会議」(日本経済新聞主催)のテレビ東京の番組でも登場した。
現在はジャーマン・マーシャルファンドという米国の東部エスタブリッシュメント寄りのシンクタンクの研究員であるが、三浦女史は「このヒラリーの秘蔵っ子」と2012年に共同で経済構造改革についての論文を書いている。
これに加えて、最近では三浦はマイケル・グリーンが上級副所長を務めるCSISに日本の安保法制の議論を整理し、アメリカ側に報告するレポートも寄稿していることはすでに書いたとおりだ。
ここでわかってくるのは、アメリカのジャパン・ハンドラーズと日本の官僚機構は次期米大統領はジェブ・ブッシュではなく、ヒラリーという初の女性大統領になることを強く期待しているということだ。
そこで三浦瑠麗のような人材をマスコミに露出させ、アメリカと日本の官僚機構が推進したい政策をアピールさせるかかりとして使う。
安全保障政策に抵抗感がある、日本のリベラル層も「美人女性学者」が鮮やかに説明することで、受け入れやすくなると、言う読みがある。
三浦女史は安保法制の自公の基本合意ができた時にも朝日新聞に登場している。
ここで次のようにコメントしている。
(貼り付け開始)
■<考論>試される国会の機能 国際政治学者・三浦瑠麗(みうらるり)さん
日本の安全保障の議論はこれまで、憲法と法律に偏りすぎていた。
憲法解釈を変えて法律に書けば、すぐに政策として実現するかのような考え方が根強い。
憲法や法律の中に、国や民主主義を守る歯止めが宿っているわけではない。
民主主義とは本来、時の政権、国会、国民が自分たちの意思を示す行為だ。
民主主義的なプロセスを踏んで参戦を判断し、国民はその代償を支払うこともある。
たとえば、米国はイラク戦争で4千人以上、韓国もベトナム戦争で約5千人の死者を出した。
たとえば、米国はイラク戦争で4千人以上、韓国もベトナム戦争で約5千人の死者を出した。
自衛隊の派遣について、平和国家としての理念を議論せず、法律や国連決議といった「歯止め」にとらわれるのは、結果的に民主主義を弱くしてしまう。
問題なのは、自民一強の国会がきちんと機能していないことだ。
例えば、政権が自衛隊派遣を決めた時、野党が対案を示したうえで、政権を追及することができるか。
そうした能力が問われている。
(貼り付け終わり)
この議論、一見するともっともそうに見えるのだが、非常にたちが悪い。
まず、今の国会では自公が圧倒的多数であり、民主党にも維新の党にも安保政策では自民党と変わらない勢力がいる。
そのようなときに、国会が機能していないことに対する解決策を述べることなしに、「政権が自衛隊派遣を決めた時、野党が対案を示したうえで、政権を追及することができるか。そうした能力が問われている」と他人ごとのように評論するだけだ。
国会が機能しないからこそ、「法律や国連決議」という制度で国会の暴走を止めるという発想にならないのが非常におかしい。
長期的には「平和国家としての理念を議論」することも必要だが、まずは憲法解釈の変更だけで短兵急に安保法制をなし崩しに変えてしまうということが、日本の立憲主義に与える打撃について論じるべきだ。
このように時間軸を混同させるというのが三浦女史のレトリックである。
違う時間軸の問題を、まるで同じ時間軸のように議論するという手法であると、私の知り合いも言っていた。
廣瀬さんによると、この手口は、①前後関係と因果関係を意図的に混同させ、その因果関係も、短期と長期を意図的に混同する、というもの。
この「二重の混同」が、焦点をうまくぼかす、ということである。
これも合理的選択論における「選好の混同」を促す手口である。
そもそも今の段階で安保法制を改正すべきだという議論は世論調査においても少数派だ。
安保法制を急ぎたいのは外務省や防衛省やアメリカのジャパン・ハンドラーズであり、それはガイドライン改訂という官僚機構にとっての利害の問題だ。
この問題をまるで「日本国民の問題」であるかのように、合理性選好を混同させる役目を三浦女史は負わされている、という風にしか私には見えないのである。
そういう「国民洗脳」がマスコミ主導で始まった、ということだ。
私がこの三浦女史の「朝日」のコメントを読んだ段階ではまだ彼女の人脈を深堀りしていなかったので、「なんだこの支離滅裂な議論は」というふうに思った程度だった。
ただ、私の日米関係研究家としての本能的な直感が「この女学者について徹底的に調べる必要がある」という風に感じさせた。
だから、調べてみたら、やっぱりだ。
人脈的にはこの三浦女史は藤原帰一の弟子で、「東大国際関係論人脈」に連なり、そして、どうやら10年前から今日に備えて育成されてきたようだ、というふうに見えてきた。
彼女は、元々は農業政策の研究者(http://www.land.en.a.u-tokyo.ac.jp/research/activity2 )である。
「読売新聞」によると、「イラク戦争に衝撃を受けて農学部から政治学に転身」しているが、この頃に結婚もしており、元外交官で現在は投資ファンド「ベインキャピタル」に務める夫と同じ国際関係論の専攻に鞍替えしている。
岩波系リベラルの藤原帰一教授のもとで学んでいる。
三浦の学んでいた東京大学の国際公共政策コースというのは要するに日本において「ハーヴァード大学ケネディスクール」を真似した学部であろう。(http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/qanda/voices/v20050808.htm )
三浦は次のように書いている。
「現在は、修士論文に相当する研究論文を執筆中であり、藤原帰一先生の下でご指導を受けている毎日である。昨年度は茂田宏先生のご指導の下シビリアンコントロールに関するリサーチペーパーを書き、それが結局研究論文の論考を深めるきっかけとなった。」
このシビリアンコントロールについての論文が彼女の処女作であり、この研究業績がジャパン・ハンドラーズの目にも止まったのであろう。
そして、目下、「ワーキングマザーの女性学者」というコンサバ奥様受けするような「リベラル学者」として売り出し中である。
三浦について私が非常に恐ろしいと感じることは、「論文は論旨があっちこっちに行ったり来たりしているくせに、しっかりと従来の戦後リベラルの主要な論点については決めつけに近い形で、批判する」ということである。
たとえば、彼女は下の論文で今のリベラル派の安保法正反対議論を「立憲主義を方便死とした現状維持」であると論じている。
(引用開始)
ここで出てくるのが、「どうどうと憲法を改正すべき」という主張です。
私がこの、もっともそうなこの主張になかなか与する気になれないのは、このような主張をされる方の本音が、立憲主義を方便とした現状維持であるのが見え見えだからです。
加えて、このような主張には、立憲主義を方便とした日本の民主主義に対する軽視が潜んでいるように思えます。
民主主義の仕組みの中で少数者の利益が害されないように最大限工夫してから立憲主義は持ち出されるべきものであって、国家観や安全保障観をめぐるイデオロギー的な争いの錦の御旗として使われるべきものでもないような気がします。
(引用終わり)
確かにそのような考えで、戦術的に論じているリベラル派の論客がいることは私も否定しない。
しかし、それが問題であるだろうか。
実際問題として、アメリカの属国である日本にとってはその程度の「ボーキング」をしながら、日本がアメリカの安全保障サークルの思惑によってコントロールされないようにするくらいしか短期で見れば道は他にない、ということなのである。
そのような戦術が、「民主主義に対する軽視」であるという三浦の議論は「三浦がそう思う」のは勝手だが、根拠が無い議論だ。
三浦は理念としては反論のしようのないことを言っているが、現実的には妥当しない。
アメリカのジャパン・ハンドラーズによって、日本政治が蹂躙されている中、できる抵抗はこの程度のものだが、どうもグローバリストリベラルにはその程度のこともお気に召さないようだ。
このような三浦話法(まさに東大話法である!)が展開されているのがこの論文である。
三浦は10年かけてこの東大話法を仕込まれたのだろう。
集団的自衛権論争の本質/三浦 瑠麗
東京大学法学政治学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/ssu/articles/lully20140704.html
東京大学法学政治学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
http://pari.u-tokyo.ac.jp/unit/ssu/articles/lully20140704.html
三浦はテレビでは明確な言い切り型の話術もできるし、リベラル派をここぞとばかり批判するときは、上のようにかなり自分の考えをはっきり書いているが、それ以外の部分では何を言っているのかわからない相手をけむにまく議論をする。
それは、東大学者という肩書によって権威づけし、論旨が不明確な文章の中に自己弁護を織り交ぜ、しかし、「論争相手」である日本のリベラル層に対しては大した根拠なく否定するという、彼女のレトリックなのである。
これは「東大話法・女性学者版」というべきものだろう。
リベラル派の岩波文化人、藤原帰一の地肌もここで見えてしまった。
だから、わけがわからない論旨の論文を理解しようとしてはいけない。
理解しようとするなら、「三浦瑠麗とジャパン・ハンドラーズの関係性」を踏まえた上で読むべきである。
そうすると、「謎文書」のようにしか見えなかった論文が綺麗に読めてしまう。
ニューリベラルというが三浦女史はスーザン・ライスやサマンサ・パワーのような、リベラル人道介入主義者にちかい危険な匂いを感じる。
共和党のネオコン派と同じく、これらのアメリカの政治派閥はアメリカの世界介入戦争を様々な理由をつけて理念的に肯定する勢力だ。
三浦瑠麗は、東大農学部にいた時は旧姓の濱村瑠璃と名乗っていた。
1980年生まれの湘南高校出身で、東大在学中にベインキャピタル(ミット・ロムニー元共和党大統領候補が所属していたファンド)に現在務める、福岡出身の三浦清史(親族がどうもアメリカ人生物学者である)と結婚している。
湘南高校エリートといえば、石原慎太郎、岡本行夫、浜田宏一を戦後は輩出した進学校であり、戦前は海軍兵学校の予備校的な存在だった。
湘南高校出身者のネットワークとして、「湘友会」があり各地方や海外、クラブ別、企業別の支部も存在するという。
三浦女史の兄弟は金融庁勤務を経て今はシカゴに留学中の妹がおり、弟は東大で国際関係論を学んでいるようだ。
要するに、現在の日本の「東大パワーエリート」とはこういうものだ、という見本のようなファミリーである。
私が三浦女史がアメリカと日本のそのカウンターパートの受け皿としてかなり計画的に、かつ組織的に育てられた人材であることを直感したのは、彼女と夫が東洋経済が主催した「高橋亀吉賞」という経済学論文賞を同じ年に夫婦で同時受賞していることだ。
しかもともに「佳作」。
他に受賞者がいないというのも驚きである。
このような夫婦同時受賞というのは普通有り得ないことである。
この論文の審査体制に疑問が生じるが、やはりというべきか、2014年を持ってこの論文賞は廃止されている。
このように経済、安保、農政と様々な人脈があって、東大国際政治学者・三浦瑠麗は準備されていた、ということだ。
そしてイスラム国事件を論じる「ニューリベラルの論客」としてデビュー。
おそらく、三浦女史は「ニューリベラル」としての自分のポジションを日本において確立するために、マスコミにじゃんじゃん登場し、「あっちでもあるようなこっちでもある」という鵺(ぬえ)のような「コウモリ言論」を繰り広げていくことだろう。
朝ナマの感想をネットでウォッチした限りでは、半分くらいがこの東大話法の恐ろしさに気づいていないようだった。
ヒラリー・クリントン大統領が誕生すれば、今も安倍政権で進められている「女性の活躍」が更に推奨されるだろう。
金融関係においてはゴールドマン・サックスのキャシー松井のような事例もある。
外交安保政策においては、この不敵なモナリザ・スマイルをたたえる「ルリー・ミウラ」が日本における強力なスポークスパーソンになることは間違いないだろう。
そして、日米の官僚機構が推し進めるさらなる日米同盟のグローバル化を、美貌と詭弁を駆使して、お茶の間にお届けするに違いないのである。
そして 「日本政治に絶望した一般庶民」 は さらに絶望のどん底に叩き込まれる ことになるのである。
「日本のリベラル男子諸君、ネトウヨ男子諸君、東大話法に騙されるな、それが美人の女教授であっても」