〈信仰体験〉 波涛会の誇りに燃えて
2022年4月14日
「今回の航海も頼むぞ!」――五感を研ぎ澄まし、メインエンジンの最終点検に臨む
南太平洋の漁場での第三十八漁福丸(本人撮影)
【静岡市】3月末、宮城県の気仙沼港で出港を控える1隻の漁船。ドックでの修理・点検を終えた船のエンジンを、東康夫さん(65)=副広宣長(副ブロック長)=が丹念に確認していた。「手で触って感じて、耳をそばだて、異変をつかむんです」。遠洋マグロはえ縄船の機関長。エンジンをはじめ、ボイラー、電気系統など機器の管理を引き受ける。ひとたび出港すれば、1年は洋上の人に。東さんは船員の命を預かり、幾多の危機を乗り越えてきた。
出港日の朝。雲一つない青空に大漁旗が映える
水揚げされる冷凍マグロ(本人撮影)
緊張の一瞬――メインエンジンを起動させるバルブを手に
試練にこそ真価を示す
ハワイと南米の間の太平洋沖に、通称「西経漁場」と呼ばれる一大漁場がある。ここを目指し、船を走らせること25日。狙うは大型で良質のメバチマグロだ。
針に餌を付けた縄を50メートルごとに降ろす。投げ縄が完了するのに5時間。距離にして100キロ以上に及ぶ。5時間ほど待つと、今度は12時間以上かけて縄を上げる。釣れたマグロは素早く下処理を施し、巨大冷凍庫へ。はえ縄漁は、この作業を移動しながら日々、繰り返していくのだ。
マグロを保管する冷凍庫に冷媒ガスを送る膨張弁。温度計に表示された数値だけでなく表面についた“霜”の状態から、内部の状態を判断することもある
機関室内にある監視室で。壁に設置された計器を見て異常がないか確認をする。機関長はメインエンジンだけでなく、冷凍マグロを保管する冷凍庫の温度管理など多岐にわたる
東さんが航海中の船上で作ったマグロ用“ミサイル”と呼ばれる漁具。市販品の10分の1のコストで作り上げた
東さんが船に乗るようになって半世紀。気仙沼で生まれ育ち、兄や親戚の多くは船乗りだった。迷うことなく地元の水産高校に進み、カツオ船に。20歳からはマグロ船に乗船するようになった。
昔から機械いじりが好きで、必要なら部品を手作りでこしらえるほど。創意工夫するのが楽しく、機関士は天職だった。
28歳で機関長に。だが水難事故に見舞われ、出はなをくじかれる。ハワイ沖で点検のため、自ら船底に潜った時のこと。足にロープが絡まり、海面に浮上できなくなる事態に。一命は取り留めたが、以来、自信を喪失した。
仏法に出合ったのは、そんな頃だった。1986年(昭和61年)当時、静岡県の清水の街は遠洋漁船が水揚げで入港すれば、大にぎわいだった。船員が連日、酒場に繰り出し、活気にあふれていた。
そんな喧噪とは対称的に、ため息まじりに一人、食事する東さん。「あまりに暗そうだったから」と声を掛けたのが、店を手伝っていた黒柳ヒロ子さん(83)=支部副女性部長=だった。
東さんの悩みを聞いて、黒柳さんは仏法を教えた。「必ず幸せになる、結果の出る信心よ」。確信ある響きに、東さんは創価学会への入会を決意した。
とはいえ、次の出港まで時間の猶予がない。大急ぎで支部長が「これを聞いて、覚えるんだよ」と勤行・唱題する声を吹き込んだテープを持たせ、送り出してくれた。
波涛を越えて漁場へ(本人撮影)
機関室で働く船員が毎日付ける「機関日誌」。記入したデータから機関の異常を見つける手掛かりになることも
マグロをマイナス60度で保存する魚倉を点検する。マグロの冷凍状態で価格も大きく変動する
出港すれば、次に会えるのは1年後。当時の船舶電話は高額で手が出ない。誰も学会員のいない海上で、どうやって信心を鍛えていくのか。“信心の母”だった黒柳さんが知恵を絞ってくれた。
航海中、燃料補給のタイミングで一度だけ、船に荷物を送ることができた。食料が入った段ボールの隙間に、聖教新聞の切り抜きが詰め込まれていた。狭い船員室で東さんは題目を唱えては、ボロボロになるまで何度も読み返した。「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし」(新1623・全1192)。100万遍、200万遍と唱題の目標を立て、達成できた航海は決まって大漁だった。
陸に上がれば、波涛会(海外航路に従事する壮年・男子部のグループ)の友が待っていた。「同じような環境で戦っている仲間が世界中にいる。だから皆に、良い報告をしたくて」。航海ごとに信心の確信を深めた。
船室で題目を上げる東さん。“無事故”“大漁”“家族と船員の安穏”そして“広宣流布”を毎日祈り続ける
洋上にいるメンバーもオンラインで参加した波涛会の座談会(2月19日)
食堂の電灯を修理する東さん。機関室だけでなく“船全体”の修理をしていく
熟練の機関長は、船舶会社から引く手あまた。そんな東さんに試練が訪れたのは、2017年(平成29年)のこと。遭遇したことのない恐ろしい事故だった。
8月末、西経漁場に到着。操業を始めて数日たつと、甲板長とインドネシア船員2人が体調を崩したことで、事態は急転する。
食中毒か感染症か。原因を探っていると、今度は同じ症状が東さんを襲う。大量のたん、目の痛み、唇の腫れ。血圧が高くなり、階段を上るのさえつらくなった。
経験したことのない症状、判然としない意識の中で、東さんは原因の究明を続けた。機関長としての責任だけが体を突き動かした。
間もなく、船員室のエアコンに大量のカビが発生していたことが分かった。船には魚をマイナス60~65度に冷却する冷凍庫があり、その上部に船員室がある。本来、その間にある10センチほどの隙間の空気は、ファンによって循環しているはずが、構造的な欠陥があり、空気が滞留していたのだ。前任者が掃除を怠るなど複合的な要因も重なり、カビが船員室に送られていた。
日本人、インドネシア人のクルーと出航前の一こま。右から2人目が東さん
1年の航海を終え、ドックに入る第三十八漁福丸(本人撮影)
南太平洋の水平線で捉えた日食(本人撮影)
赤道近くは気温40度。エアコン無くして過ごせない。カビを除いたものの、根本的解決には遠かった。このまま病人が出れば、航海の続行は困難になる。近くの港で修理するか、日本に引き返すか。多額の損害が発生することも想定された。
東さんは弱った体で題目を唱えながら、妙案を絞り出した。航海の責任者である船頭に相談すると、「任せた」と。すぐに作業に取り掛かり、3日かけて外部に空気を逃がす装置をこしらえることに成功。その後、他の船員も体調を回復。漁を継続することができた。「波涛会の一員として、絶対に乗組員を守るとの一念だけでした」
この2年間はコロナ禍による影響を受けた。海外の港が一時封鎖され、外国人船員が来日できない事態も。漁業を取り巻く環境は常に変化にさらされる。「だからこそ、どこにいても同志とつながり、不屈の祈りを欠かせません」
今月3日、東さんは再び大海原へ船出。そこが使命の舞台である。
東さんを乗せた第三十八漁福丸の大漁旗が風にはためく。航海の安全と大漁を願う“出船送り”は気仙沼の伝統行事
「東さんが機関長だから、安心して航海に出られます」。船員からの全幅の信頼が寄せられる