公共電波と真っ赤なウソ | 日々是コラムなり ~trifling beetleのブログ~

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横浜銀蠅リーダーの嵐ヨシユキさんが死去

 共同通信社   2022/07/11 16:01

 

バンド「横浜銀蝿」のリーダーの嵐ヨシユキさんが4日、肺炎のため川崎市の病院で死去した。67歳。横浜市出身。

 

ご冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットラジオ"radio Camnet"というものがある。

一応、公共の電波と言える。

この公共電波を使って虚偽の情報を流し、特定の個人を貶める行為を行ったクソ輩がいる。

倫理のかけらも、意識もない、クソ豚野郎である。

 

このクソ豚は俺のことに関して、ありえない嘘を堂々と垂れ流し、俺と俺の両親に対して、どうしようもないほど無様な侮辱を行ったのである。

いけしゃあしゃあと、もっともらしく、あたかも真実の如く、語っていた。そうやって、俺と俺の両親をひどく侮辱し、おそらくどや顔をしていたのだろう。

滓だ。滓野郎、救いのないクズである。

 

まずこいつは俺が自分の前から「消えた」と話していた。

移住に関して色々と世話したのに、手のひらを返し、後ろ足で砂をかけるみたく「消えた」と話したのである。

 

俺は「消えた」のではない。

「脳溢血で倒れた以後、後遺症に苦しむ母と、腸ねん転を頻発させ、入退院を繰り返す父の介護のために、一念発起し、親元に移住した」のであり、決して「消えた」わけでも「逃げた」わけでもない。

 

引っ越しに関してはこいつに電話でちゃんと伝えたし、プレハブの事務所のようなところで、その他のお世話になった方々にも、申し訳ないですと、ちゃんとお伝えしている。

 

決して夜逃げしたみたく「消えた」わけでも、「逃げた」わけでもない。

 

手のひらを返しもしていない、砂をかけたわけでもない、「ちゃんと事情を説明して、移住」している。

「消えて」はいない。

「筋を通し、移住した」のである。

 

それがなぜ「消えた」になり「消えた」と公共電波で侮辱されねばならないのか?

真っ赤な嘘をもって。

 

筋を通し移住した後、こいつは脳梗塞を起こしているそうだが、その後遺症で、そのあたりの記憶が飛んでいるのかもしれないなと思うわけである。

確実に飛んでいると思う。

逆に飛んでおらず、非常にクリアで、知っていてこういうことをやっているのであらば、それは話が違ってくる。

もう裁かれるべきレベルなのではないのか。

 

移住後も普通に連絡を取っていただろうに?

夜中に泣きべそかいて電話してきたのは、誰だ?

猫王という人にネットでくそみそ書かれて、CBS SONYにチクられたら怖い、って。

あれは、なんなんだ?

 

病気のせいにするのかしないのか、そんなことどうでも良いが。

 

これが税金を使い「仕事をさせてもらっていた」元市会議員の慣れの果てかと思うと、情けなくて反吐が止まらない限りだ。

そりゃ、正しい審判はくだるぜ、当然だ。

落選は当然。至極当然の報いだ。

人としての姿勢が、そもそもクソな輩に、税金をむさぼる権利は、ないからだ。

 

アーチストとしてどうとか、表現者としてどうとか、そういうのはどうでもよい、自分の好きにやればいい。

ただ、無意味に他人を侮辱し傷つけることは、人として許せないし、それが許されると思っているならば、人として終わっている。

アーチスト以前に、人格破綻した、ただの犯罪者でしかない。

アーチストではなく、人格破綻した、ただのキチガイなのではなかろうか。

 

結局 radio Camnet全体にも、頑張って放送しているその他のDJの方々にも、とんでもない迷惑をかけ、そして侮辱を行っている。

で、本人はここ何か月か「おやすみ回」。

こいつこそ夜逃げして雲隠れしているのではないのか(笑)。

事情はよー知らんけど。

知りたくもないけどね。

 

なんだ、このどうしようもない「滓感」は???

 

 

 

 

常総学院が夏の大会で初戦敗退するのは1984年に初出場して以来、初めてだという。

ではその常総を撃破した科学技術学園日立とは、いったい何者なのか?

 

そもそも科技日立は、日立製作所がその職業訓練校的な意味で、現場職員の中枢となる人材を育成することを目的に設立された高校で、卒業後はほとんどが日立グループ各社へ入社という道筋になるという。

実習授業も多く、野球部の全体練習は1、2時間できればいい……足りない分は、自主練習で補っているそうだ。

しかし、社会人野球の強豪・日立製作所野球部OBの方が野球部の指導にあたってきた。基礎技能をしっかり叩き込まれ、レベルの高い実戦力の持ち主たちであることは、容易に想像できる。

「隠れ強豪」という表現は失礼かもしれないが、科技日立ももともとそうした素養があり、実際に今年のチームには地力があった。

 

 

 

 

20日、高校野球西東京大会3回戦、昭和第一学園4―5昭和

 東京都昭島市のS&D昭島スタジアムで、昭和第一学園と昭和が相まみえた。令和初の両校による「昭和対決」。「昭」づくしの試合は、大接戦となった。

 「昭和高校対昭和第一学園高校の試合、まもなく試合開始です」。球場アナウンスがこう告げた後、試合が始まった。

 両校が公式戦で戦うのは2017年(平成29年)以来、5年ぶり。昭和第一学園は東京都立川市、昭和は昭島市と隣市にある。年に数回の練習試合だけでなく、S&D昭島スタジアムのグラウンド整備にも一緒にかり出される。昭和の主将、鈴木謙介(3年)は「ともにトンボがけをした仲です」と話す。

 試合は一回表、昭和第一学園が先頭打者を手堅くかえして1点を先取。しかし昭和も負けていない。二回裏に四死球と連打で2点をあげて逆転する。

 昭和はさらに六回裏に2点を追加。勝負あったかと思いきや、直後に昭和第一学園の打線が爆発し、同点に追いつかれる。だが、七回裏に昭和が犠飛でとった1点が決勝点となり、ゲームセット。2時間25分の熱戦だった。

 昭和の大原博文監督は「正直、戦いたくないチームだった。負けた昭和第一学園のためにも全力で精いっぱい戦いたい」。捕手である鈴木は、打席にたつ昭和第一学園の知り合いに「頑張ろうぜ」と声をかけたという。「グラウンドで再会できてうれしかった。お互いにいい試合ができてよかった」と話した。=S&D昭島(狩野浩平)