安倍晋三氏が奈良県で演説中に殺害された事件に対して、あたかも想定できなかった事例であるかのように、テレビ朝日の記事で警察関係者が語っていた。
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警察関係者:「多くの訓練は思想を持った人物などが『アベー!』と叫んで撃つといったケースを想定している。山上は今まで日本にいなかったタイプだった」
しかし政治家を殺害しようとする時、周囲を警察が警護していて、わざわざ声をかける可能性がどれだけあるだろうか。
もちろん宣言をする可能性を想定すること自体が過ちとは思わない。しかし一見して友好的にふるまいながら近づく可能性なども考慮するべきではなかったか。
また、北海道で演説中の安倍氏へヤジをおこなう表現の自由を裁判所が認めたことが背景であるかのように、TBS系列のHBC記事で元国会議員の意見が紹介された。
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元国会議員などからは「北海道警のヤジ排除訴訟で、警察側が負けたため思うように警備ができなくなった」と指摘する声もあります。
ヤジ強制排除事件は今年3月に地裁判決がくだったばかり。裁判では警察側もヤジやプラカードの危険性を主張できなかったし、強制排除が表現の自由への侵害と判決で認められた。
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HBCが警察に確認すると、警備態勢そのものの変化はないと回答された。7月2日に北海道で演説した安倍氏が防弾カバン等で厳重に警備されていたことも詳細に説明されている
北海道警の警備部公安2課はHBCの取材に対し、「要人警護については変わらずに最大限の注意を払ってきた」としてヤジ排除問題の判決のあとも警備態勢は変更していないと回答。
そもそも判決では急接近を排除したことの適法性は認められた。警護の重要性まで否定した判決ではないのだ。
敵意を向けること、害意を向けること。批判すること、攻撃すること。それらは時に重なり、常に同じではない。しかし敵対者を排除する根拠として、しばしば安易に混同されてしまう。
HBC記事の元国会議員以外でも、2020年に自民党道議の藤沢澄雄氏が「もっとも大切なことは」*1として、テロの可能性を主張する映像をツイッターにあげていた。
これに対して、ヤジの強制排除を批判して裁判をはじめたヤジポイの会が、引用リツイートで端的に批判していた。そもそも警備が目的であれば不合理な排除だったということを。
「ヤジと民主主義」にも出演した自民党道議の藤沢氏がヤジ排除についてコメント。テロ対策はけっこうですけど、道路の向こう側からヤジ飛ばすだけの市民に20人以上の警官を動員してたら、むしろ警備が手薄になると思いますけどね。。その意味でも、道警の対応には問題あるとおもいますよ。
対立して視点が異なる相手だからこそ、もう少し批判に耳をかたむけても良かったのではないか、と思わざるをえない。
もちろん過去は変えられないが、せめて未来は変えられると思いたい。それも難しいのだろうか。
*1:開始45秒以降。