アルベドになったモモンガさんの一人旅   作:三上テンセイ

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7.用事

 

 

 

 

 

 ニニャはそわそわしていた。

 

 彼は自分が暮らす小さな貸し部屋の中を、何周も何周も練り歩いていた。表情にはあまり余裕がない。彼はそうしながら、何度も指差し確認をして待ち人を待っている。

 

 お茶の準備ヨシ。

 お茶菓子の準備もヨシ。

 部屋の清潔感も、彼なりに目一杯掃除したのでヨシ……としたい。

 

 正午を報せる鐘の音がなって暫し、ニニャは固い表情のままずっとモジモジしていた。手鏡を何度もチェックして身嗜みを整えたはずなのに、今日の自分が変じゃないか気になって仕方がない。

 

 憧れの……今となってはエ・ランテルを代表する程の英雄モモンが、自分の家にやってくる。これは決して初めてのことではない。今日でもう三回目のことだ。

 

 

(モモンさんは気さくにしてくれてるけど、やっぱり慣れないな……。だってあんなに凄くて綺麗な人……ううん、しっかりしろセリーシア。モモンさんはきっと、そういう対応を僕には求めてない。あの人は僕達のことを仲間といってくれたんだ。なら、あんまりへりくだったり緊張するのは却って失れ──)

 

 

「お邪魔しますニニャさん」

 

「ひゃあ!?」

 

 

 ニニャは堪らず奇声を上げてしまった。

 彼が振り返ると、そこにはいつの間にか部屋に侵入していたモモンガがにやりと笑ってニニャのことを見ている。

 

 

「び、びっくりした……!」

 

「いつもニニャさんをびっくりさせるつもりですから」

 

「もう……その転移の仕方、もう少しなんとかなりませんかモモンさん……」

 

 

 未だ心臓がバクバクと激しく鳴っている。

 ニニャは重たい溜息をひとつ吐いた。

 

 約束日の正午過ぎのこの時間。

 モモンガはマジックアイテムを使って──という体で──ニニャの家に転移してくる。堂々とニニャの自宅なり『黄金の輝き亭』なりに足を運べばいいのでは、と思うだろうが、彼らは一応表面上は異性同士なのだ。こうして度々二人きりで会っていると周りに知られると、男女の逢瀬と見られる可能性は大いにあり得る。故に、転移なのだ。

 

 そしてモモンガは決まって、ニニャの背後にこっそり現れて声を掛けてくる。

 

 これはニニャとモモンガの約束の日のいつものことなのだが、その度にこんな調子なのだ。モモンガは本日も悪戯成功せり、と言いたげに笑顔を浮かべている。そんな英雄のお茶目さがニニャは好きだった。鎧を纏って剣を握っているときはあんなにも頼もしいのに、こうして私服で会うとまるで少女の様な幼さも感じることができる。

 

 

(今日も綺麗だな、モモンさん)

 

 

 清楚極まる落ち着いた私服がよく似合っている。

 こうしているとやはり、ニニャはモモンガから戦士の面影を一切感じることはできない。深窓の令嬢然とした麗しい見目のおかげで、いつもこんなあばら屋に招き入れるのが恥ずかしくなってくるほどだ。

 

 

「今日もよろしくお願いしますね、ニニャ先生」

 

 

 そんな美女は、少女の様な笑みを浮かべて頭を小さく下げた。これも、彼らのいつものやりとりの一つだった。

 

 

 

 

 

 

 小さな机に、紙とペン……それから何冊かの本が散らばっている。モモンガは数枚の紙とにらめっこしながら、流れる様な筆致で羽ペンを紙上に滑らせていた。

 

 書き記されていくのは、この世界の周辺諸国で使われている文字に他ならない。単語から簡単な例文まで、モモンガは一縷の淀みも詰まりもなくペンを走らせていく。

 

 

(いつも思うけど、本当にすごいな……)

 

 

 ニニャはそれを隣で眺めながら、慣れない驚きに瞠目していた。

 

 モモンガから『文字の読み書きを教えて欲しい』と一週間前に言われた彼は、もちろん教師役を承諾した。

 

 モモンガが何故ニニャを指南役に選んだのかというと、ニニャは他の『漆黒の剣』と比べて教養もありそうだし、あの面子の中ではうってつけだろうと思ったからだ。それにこれは彼の感覚なのだが、ニニャに対してあまり『男』を感じなかったというのもある。ルクルットとこうして会っていたら正直鬱陶しいことこの上ないだろうし、ペテルとダインも善い男達ではあるとはいえ、色々な勘違いの末に間違いが起こらないとは言い切れない。

 

 しかしなぜかニニャだけは、想像でもそういうことは有り得なかった。

 これは何の根拠にも基づかないただのモモンガの直感なのだが、ニニャはそういった間違いを起こさないだろうという謎の信頼があったのだ。

 

 ──ニニャの本当の性別が女性だということは見抜けていないのだが、こういうことは恐らくモモンガではなく、肉体(アルベド)の第六感が働いたのだろう。

 

 それから始まった彼ら二人の関係は、モモンガの狙い通り穏やかなものだった。密な時間が作れる為、もしかしたら今モモンガが最も心を通わせている相手はネムがトップで次点がニニャなのかもしれない。

 

 

「この構文の場合、この単語はこう変化する……のでいいんですよね? ニニャ先生」

 

「はい、流石ですね。さっき教えたばかりなのに……というか、先生はそろそろやめてくださいよ……僕の教えられることなんて本当にもう少ないんですから」

 

「ふふ」

 

 

 横髪を細い指で耳に引っ掛けるモモンガを見ながら、ニニャは浅く息を吐いた。

 

 文字を一から教えなければならないというのは、本当にハードルが高い。学習する側はもちろんだが、指南する側も相当に難しい。当初はニニャもどう教えようかと頭を悩ませていたものだ。

 

 ……しかしモモンガはそのハードルを悠々と超えていく。ニニャに教わり始めて三日目にして、常用文字は殆どマスターしてしまった。学習スピードが、恐ろしく速い。

 

 モモンガが賢いわけではない。これももちろん肉体(アルベド)の影響だ。ナザリック最高の知能と設定された頭脳は、スポンジの様に教わったことを吸収してしまう。反復学習を全く必要とせず、一度理解してしまったものは完全に自分の知識として整然と頭の中に格納されていくのだ。

 

 モモンガはこれほど勉強が楽しいと思ったことはない。

 今なら一週間の缶詰生活だけで、国内最難関大学の受験くらいなら合格できてしまいそうだ。彼は大学でかつての仲間である死獣天朱雀の講義を受ける姿を想像して、僅かに表情を綻ばせた。そんな世界線もあったかもしれないと思うだけで、なんだかワクワクしてしまう。

 

 

(あの時全っ然意味がわからなかった朱雀さんの講義内容の話も、この体なら楽しく聞けそうだよなー)

 

 

 そんなことを考えながらも、学習スピードは一切緩むことはない。

 モモンガはペンを走らせ、時折ニニャに指導を仰ぎながら、濃い時間を過ごした。

 

 肉体の異常ともいえる集中力のおかげか、アンデッド特有の時間感覚の所為か、休憩を挟まないうちにあっという間に二時間が経過していた。

 

 

 

 

 

 

「今日もありがとうございましたニニャさん。いつも本当に助かってます。この世界……いえ、この地域の文字をこれだけ読み書きできるようになったのはニニャさんのおかげです」

 

「そんな……僕はほんの一助をしているだけですよ。いつも後ろから見ているばかりで、モモンさんが持ってきてくれるお菓子を食べてるだけですし……」

 

「そんなことはありませんよ。ニニャさんがいなかったら間違った覚え方をしてしまってるかもしれませんしね。本当に有難いです」

 

 

 モモンガはそう言って、深々と頭を下げた。

 何か対価を用意したいと常々思っているのだが、ニニャはそれを受けとろうとしない。なのでせめてもの、こうして感謝の意だけは伝えたい。

 

 

「モモンさん頭を上げてください。僕、貴女のお役に立てるだけで本当に嬉しいんです。それに英雄の頭をそんなに安く下げちゃいけませんよ」

 

「ニニャさん……」

 

 

 ニニャの目は、真摯そのものだ。

 その真っすぐな視線を受け止め、モモンガは改めてお礼を重ねた。

 

 今度は頭を下げない。

 ニニャがどういたしましてと笑顔を浮かべて、その日の勉強会は解散となった。

 

 

 

 

 

 

 

 ──モモンガは一旦『黄金の輝き亭』に転移して、いつもの漆黒の鎧を魔法で編み込んだ。今日はあと二件、用事がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃ──モモンさん!」

 

「お久しぶりですンフィーレアさん」

 

 

 ンフィーレアはモモンガの姿を認めると、まるで親鳥を見つけた雛の様に駆け寄ってきた。前掛けのエプロンから僅かに薬草のツンとした臭いが漂っていて、その臭いがモモンガは懐かしい。

 

 モモンガは兜の中で柔らかく笑んで、言葉を掛けた。

 

 

「そろそろ頃合いかと思って、例の物を取りに来ました。完成してますか?」

 

「あ、はい! 一応……なんとか形にはなりました。ちょっと待っててくださいね。すぐ取ってきます!」

 

 

 例のもの。

 ンフィーレアにはそれが何か分かっている。彼は踵を返すと、ぱたぱたと店の奥へと引っ込んでいった。戻ってくるのは、十秒もしないうちだった。

 

 

「お待たせしましたモモンさん。こちらです」

 

 

 ンフィーレアはそう言って小さな箱を持ってきた。彼が恭しく蓋を開けると、中には緩衝材が目一杯詰め込まれており、その中に小さな薬瓶が二本差し込まれている。

 

 

「取って見ても?」

 

「もちろんです」

 

「……素晴らしい」

 

 

 一本を手に取ったモモンガは、心からの言葉を零した。

 

 薬瓶の中で揺れる薄い緑色の液体が僅かに発光している。蛍火の様に淡く明滅を繰り返すそれは、ザイトルクワエの一部に苔むしていた『どんな病も治せる』と言われる薬草から抽出したポーションだ。

 

 

「……僕とお婆ちゃんはこれを『マスターポーション』と呼んでいます」

 

「『マスターポーション』……なるほど確かに」

 

 

『上位道具鑑定』で効能を確かめると『あらゆるバッドステータスを即座に、それも完璧に治すことができる』と、モモンガの頭の中にテキストが流れてくる。HPやMPを回復できないというポーションではあるが、ここは人の血が通う本物の世界……下位治癒薬よりも明らかに貴重なものだろう。それにこの様なバッドステータスに完全な特効があるポーションはユグドラシルにすら存在しなかった。

 

 

(世界にたったの二本だけと思うと、相当な価値だろうなこれは……。例えば面倒な手順を踏まないと解呪できない呪いや不治の病に冒されている人だって、これを飲むだけでピンピンになるわけだろ?)

 

 

 万能薬とはまさにこのことだろう。

 これをポーションの形にしてくれたンフィーレアにはモモンガは感謝しかなかった。いくら自分の肉体が強かろうと、こういった錬金関係の仕事は彼にはこなせない。

 

 良いパイプ……そして友人を持ったと、モモンガは改めて思う。

 

 

「流石はンフィーレアさん。よい仕事をしてくれます」

 

「えへへ……でも、モモンさんが貸してくれた色々な錬金道具のおかげですけどね」

 

「いえ、道具は所詮道具に過ぎません。私は貴方の腕を高く買ってますよンフィーレアさん。どうか自信を持ってください」

 

「あ……ありがとうございます!」

 

 

 比類ない英雄にそう言われ、ンフィーレアは表情が華やいだ。そんな若者の素直な反応に、モモンガもなんだか温かい気持ちになってしまう。

 

 

「それではンフィーレアさん、自分はもう行きますね。すみませんこれを取りに来ただけになってしまいまして」

 

「いえいえ! 全然大丈夫ですよ。むしろこんなことでしかお役に立てなくて申し訳ないです。これからエンリ達と会うんですよね?」

 

「ええ。できればンフィーレアさんにもご一緒していただきたかったのですが……」

 

「す、すみませんせっかくお誘い頂いたのに……薬師組合の都合でどうしても立ち寄らなきゃいけない用事ができてしまって」

 

 

 ンフィーレアは申し訳なさそうに頬をかいている。

 そんな彼をまた日を改めて誘おうと、モモンガは固く思った。

 

 

「次の機会があったらンフィーレアさんも是非」

 

「も、もちろんです! ご一緒させてください!」

 

「それでは私はこれで。ポーション作り、頑張ってくださいね」

 

「ええ。モモンさんもお気をつけて」

 

 

 互いに言葉を交わし、モモンガは薬品店を後にした。

 真紅の外套を従える背中はまさに英雄然としており、見送ったンフィーレアの表情はやにわに固く引き締まる。

 

 あれほどの英雄と懇意にさせてもらっているばかりか、錬金道具や『神の血』まで下賜してもらっていることに、彼は並々ならない感謝を抱いていた。錬金術師としてこれほど恵まれた立場もそうそうない。

 

 ンフィーレアはその立場に驕ることなく、再び作業場へと戻っていく。『神の血』を再現し、錬金術師としての到達点を目指すのはもちろん……英雄モモンの期待に応えるべく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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