本稿は高木彬光『邪馬台国の秘密』を取り上げ,これを認識論の観点から読み解き,認識論的に学べることを考察するための論考でした。『邪馬台国の秘密』は高木彬光のベッドディテクティブ3部作の2作目でした。ベッドディテクティブというのは,推理小説の一形態で,探偵が何らかの事情でベッドから動けない状態で,ベッドの上だけで推理を重ねて謎を解いていくというものでした。高木のベッドディテクティブ三部作の中で,この『邪馬台国の秘密』は最も完成度が高く,学術論文的な推理小説と呼べるものでした。邪馬台国の場所についての唯一の情報といっていい『魏志・倭人伝』をもとに,入院中の神津恭介が,友人の松下研三の助けを借りながら,邪馬台国の場所を推理していくのが『邪馬台国の秘密』の中身でした。それではここで,これまで本稿で説いてきた内容を内容をふり返っておきましょう。
はじめに,『邪馬台国の秘密』のあらすじを紹介しました。病気で入院していた神津恭介は,友人の推理作家である松下研三に,退屈しのぎに何か謎はないのかと尋ねます。乗り気がしない研三でしたが,しぶしぶ邪馬台国はどこにあったのかという謎を提示します。2人はこれまでの研究を踏まえて,『魏志・倭人伝』の重要部分には,いっさい改訂を加えないこと,古い地名を持ち出して,勝手気ままに,原文の地名や国名をあてはめないことという二つのタブーを設定して,邪馬台国の場所の推理を開始します。はじめは,『魏志・倭人伝』の定説となっている解釈に沿って,朝鮮半島から舟で対馬・壱岐を経て,東松浦半島に上陸し,そこから唐津街道を東に進んで博多あたりまで辿るというコースを追体験していきます。途中,研三が近くの名所や歴史の解説を挟んでいきました。ところが,この定説を辿るルートでは,不弥国あたりで行き詰ってしまいます。万事休すかと思われましたが,研三が恭介に勧めた『まぼろしの邪馬台国』という本に挟まれていた手紙の送り主である「夏樹静子」という名前,および挟まれていたページにあった当時の海岸線に連想を得て,夏の静かな玄界灘を壱岐から東に舟で渡り,神湊に上陸したという新しい説を着想します。定説で陸行したとされる唐津街道は,海面が今よりも数メートル以上高かった当時はほとんどが水中だったことと,下賜品などの大荷物を運ぶには山道を歩くよりも舟で行けるところまで行った方がはるかに楽であることがその根拠として挙げられていました。こうして,神湊がある宗像一帯を末盧国と比定すると,伊都国は豊前市を含む一帯,奴国は中津市近く,次の不弥国は宇佐の手前の豊前長洲あたりということになります。そして最後に,最大の謎である「南,邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行十日,陸行一月」という部分の謎解きにかかりました。恭介は『魏志・倭人伝』の距離の記載にある「余里」を誤差であると解釈することによって,定説では1300里と考えられていた不弥国から邪馬台国までの距離をゼロだと考え,そこから論理強制によって「水行十日,陸行一月」は,スタート地点の帯方郡からのトータルの時間だと導き出したのでした。こうして邪馬台国は宇佐にあったという結論が論理的に導き出されたのでした。
次に,邪馬台国の場所を特定することができた,恭介の推理の力について検討しようとしました。そして,この推理の力とは,結論からいえば,観念的二重化の実力であり,自分の他人化の能力であると説いて,このことを理解していただくために,認識論の基本である「観念的二重化」や「自分の他人化」について復習しました。観念的二重化とは,現実の世界以外に観念的な世界を創り出して世界を二重化すると直接に,現実の自分以外にその観念的な世界の中でそれに相対している観念的な自分を創り出す自分自身の二重化を意味していました。そしてこれは,相手の立場に立っているつもりでも実は自分の立場にしか立てていない「自分の自分化」レベルから,真に相手の立場に立てている「自分の他人化」のレベルへと発展する過程性を有しているのでした。では,相手の立場に立つ自分の他人化はどのようにすればできるのかというと,まずは相手の世界を徹底的に描くことだと説きました。相手が生きて生活している世界をきちんと描くことができれば,すなわち,適切に世界を二重化することができれば,自ずと自分も相手へと二重化できるということです。もう少し認識の構造に分け入って説明すると,そもそも認識は問いかけ的反映であり,問いかけ像次第で反映が異なってくるものですから,自分の他人化のためには,相手と同じような問いかけ像をもつ必要があると説きました。そしてそのためには,観念的に相手の経験を辿り返さなければならないのでした。また,個人の認識は小社会の像に規定されているので,その小社会の像=社会的認識をも踏まえないと自分の他人化はできないということも説きました。特に時代ごとに輪切りにした社会的認識である「時代精神」を踏まえないと,適切に相手に二重化できないことも強調しました。
以上のような認識論の基礎を踏まえて,最後に,恭介に観念的二重化の実力,自分の他人化の能力があったからこそ,邪馬台国の場所を特定できたというのはどういうことなのか,具体的に考察しました。恭介の推理のポイントは二つありました。まず,定説であった東松浦半島上陸説を自然地理学的論証で否定して,神湊上陸説を提唱したことです。自然地理学的論証というのは,当時の海岸線を踏まえて論証したということでした。すなわち,当時の世界を具体的に描き切ったということであり,だからこそ,当時は水中にあったはずの唐津街道を陸行したことなどありえないと考えることができたのでした。他にも,重い荷物を運搬しながら陸行を重ねた末に,壱岐の島が見えたらどう思うか,当時の魏の使いになりきって,想像する場面もありました。また,壱岐から東に舟で渡って神湊に上陸したのだという結論を出すときも,魏使たちは何月ごろ海を渡ってきたのか,海が穏やかなのは何月ごろなのか,その頃の風向きはどうなのか,海流はどちらの方角に流れているのか,などを具体的に検討して,当時の世界を描き切ったために,壱岐から一番近い東松浦半島に上陸したのではなく,好条件を活かして真東に舟で進んで神湊に上陸したのだ,という結論に到達したのでした。恭介の推理のもう一つのポイントである「誤差論を導入して,謎の千三百里をゼロにしたこと」についても,当時の時代性を考慮して,当時の社会的認識にまで戻って検討した結果でした。すなわち,水行の距離などごく大雑把にしか予測できなかった当時の感覚でいうと,誤差といっても10%や20%は当然にあるだろうと考えて,それなら,帯方郡から邪馬台国までの距離と,帯方郡から諸々の国を通って不弥国まで辿る距離が一致するので,邪馬台国は不弥国の隣接国であり,「水行十日,陸行一月」はスタート地点の帯方郡からかかる時間である,と推理していったのでした。
このように,恭介には観念的二重化の実力,自分の他人化の能力があったからこそ,『魏志・倭人伝』を正確に読み取ることができ,その結果,邪馬台国の場所を特定することができたのです。再度まとめると,恭介は当時の世界を徹底的に描く努力を重ねていましたし,現代の問いかけ(感覚)に引きずられて解釈するのではなく,当時の人間の時代性に規定された問いかけ(感覚)にまで戻って,しっかりと『魏志・倭人伝』を読み取っていったのですし,おなじく,当時の社会的認識(時代精神)をしっかりと踏まえて考えることができたのでした。このようなことができたということこそ,観念的二重化の実力があったということの証左であるといえるでしょう。
補足ながら,もう一点,恭介の特徴を指摘したいと思います。それは,研三の解説や定説に対して「そうかなあ」とつぶやく場面が非常に多かったということに関わります。これは端的にいうと,容易に納得しないソクラテス的頭脳をもっていたがゆえ,ということができるのではないでしょうか。定説について,自分の,それも現代人的な問いかけでもって理解したと思い込み,実は自分勝手な解釈でしかなかった,というのではなく,できるだけ先入見を排して,示された説自体に筋が通っているのかをしっかりと判断したために,定説の筋が通らないところが浮き彫りになってきて,「そうかなあ」とたびたびつぶやくことになったのでしょう。
これは,誰もが無意識的に信じて疑わなかった「前提」を疑っていったこととも関わります。壱岐から一番近く,「末盧国」という国名と発音も近い東松浦半島に上陸したことを疑う者は,これまでいませんでした。しかし,これを前提としていたために,すべてがおかしな解釈になってしまっていたのです。恭介はこの定説の前提としていたところに疑いの目を向けたからこそ,これまでにない斬新な,しかし筋の通った神湊上陸説を提唱することができたのです。
誤差論の導入から,謎の1300里を実質ゼロだと推理した過程にも同じようなことがいえます。すなわち,これまで不弥国から邪馬台国までの距離は,単純計算で算出された1300里ほどだということに疑いの目を向ける者はいませんでした。暗黙の裡に,正しい前提だとされていたのです。恭介はここも疑ってかかり,当時の社会的認識を踏まえることによって,邪馬台国は不弥国に隣接しているという結論を導き出したのでした。このように考えると,「定説を覆すときには,前提を疑ってかかれ,そのためには容易には納得しないソクラテス的頭脳が求められるのだ」と一般化してもいいかもしれません。
さて最後に,『邪馬台国の秘密』を認識論的に読み解き,そこから得た学びをより一般化しておきたいと思います。本稿では,自分の他人化のためには,相手の世界を徹底的に描き,相手の属する小社会の像=社会的認識を踏まえたうえで,相手と同じ問いかけ像を描く必要がある,ということを,恭介がどのように『魏志・倭人伝』を読み取っていったかということを検討材料として説いてきました。ここで得られた結論は,何も『魏志・倭人伝』のような,大昔に書かれた文章を読み取る場合だけではなく,同時代人が話した言葉を読み取る場合にも,当てはまるといっていいでしょう。
たとえば筆者が専門的に行っている心理療法(カウンセリング)でも,クライエントさんの話す言葉をしっかりと理解して,クライエントさんに二重化することが求められます。もちろん,心理療法の専門家としては,自分の自分化レベルの二重化ではだめであり,自分の他人化レベルの二重化を行うことが要請されているわけです。その際,『邪馬台国の秘密』から認識論的に読み取った内容は,そのまま適用できると考えられるのです。すなわち,クライエントさんに二重化するためには,まずはクライエントさんの世界を徹底的に描くことが必要です。恭介が行ったように,クライエントさんが生きて生活している世界を,できるだけ具体的に,リアルに描けてこそ,その世界との相互浸透によって創られていくクライエントさんの認識も理解できるようになるというものです。また,クライエントさんが属する小社会の像=社会的認識も踏まえておく必要があります。中学生に対してカウンセリングを行う場合と,社会人に対してカウンセリングを行う場合は,それぞれが属している社会的認識が全く違いますので,それに規定されて,クライエントさんの認識も異なってきます。同じ社会人といっても,一流企業で働いている人と,中小企業で働いている人,それに公務員として警察の仕事をしている人とでは,それぞれの社会的認識が違っているので,まずはそれを知ることが,そのクライエントさんに二重化するための第一歩となります。相手の問いかけ像をこちら側も描く必要があるという点でも,『魏志・倭人伝』を読み取る場合と,クライエントさんの話す言葉をしっかりと理解する場合は同じです。これまでのクライエントさんの経験を観念的に追体験して,その経験によって創られた問いかけ像をしっかりとこちらも描かないといけないわけです。これも,中学生と社会人とでは,これまでの経験の量や質が違いますので,当然に違った蓄積像=問いかけ像となり,結果として違った反映になります。このあたりまでしっかりと踏まえることができてこそ,自分の他人化への道を歩めるといっていいでしょう。
以上のように,自分の他人化のための方法は,書かれた言葉であろうと話された言葉であろうと,大昔の言葉であろうと今現在の言葉であろうと,論理的には同じなのです。自分の他人化のための方法を具体的に示してくれるという点で,『邪馬台国の秘密』は認識論の教材として非常に優れているといえるでしょう。ネタはばらしてしまいましたが,未読の方は是非ともお読みいただきたいと思います。
(了)