ある日、夕食後に歯磨きをしていると、彼が入ってきて話しかけてきました。
「今日はちょっと言いたいことがあるんだけど。」
「あんまりいい話っぽくないな。」
と思いながら聞いていると、彼は比較的穏やかな口調で話し始めました。
「今日カンファで僕の事を笑ったでしょ。あんな事されると凄くムカッとするから、もう二度としないでほしいんだ。」
「え?」
一瞬、何を言っているのか、私にはわかりませんでした。
「覚えていないけど、カンファの時に私、笑ったのかな?」
「自分が被害にあったと思うことは鮮明に覚えているけど、自分が傷つけた事はすぐ忘れるんだな。」
そう言って、彼は私がいつ彼の事を笑ったのか、説明してくれました。
その日、ミーティングで彼の発表中にある人から意見を言われていたのですが、その内容を彼がうまく理解できず、彼とその人との間で会話が噛み合わない事がありました。
何度かその人が説明して最後に彼が理解して終わる、という状況だったのですが、その時に「私が笑った」というのです。
私はとても驚きました。
最初に話しかけれた時は、「私がどこかで笑ってそれを覚えていないのかな。」と思って聞いていましたが、その状況は私も鮮明に覚えています。
二人がその会話を繰り広げている間、「それはこーゆー意味で話しているんだよ。」と彼に何度も助け舟を出そうと思ったのですが、英語でどんなふーに言えばわかりやすく伝わるか、と考えあぐねていたのです。
「いっその事さらっと日本語で説明してしまおうか。」と思ったほどでした。
でもその前に彼が理解して問答が終了したので、ほっと一息ついたのを覚えています。
その時の安堵の笑顔を、彼は「笑われた」と感じたようでした。
私はその時の状況を説明しましたが、彼は信じませんでした。
「そこはごめんなさいでしょ。また僕の方が悪いように責任転嫁しようとして。
今、自分の都合の良いように話を作ったんじゃないの。
いつもこっちが覚えていないと思って話に嘘を混ぜ込んだりするでしょ。」
私も彼も声が荒くなり、子ども達が心配して間に入ってきました。
私は更に説明を続けました。
「自分の行動で気を悪くしたのなら悪かったけど、『もうあんな事は二度としないでほしいんだ』って言われても、そのためにはもうカンファで発表を聞かないようにするしかないよ。
あれだけあなたのためにどうしたら良いかと考えていた行為でも、あなたにとっては『英語を理解できない自分を馬鹿にされている』と感じてしまうわけでしょう。」
彼が「自分が馬鹿にされている」と感じるのは今回が初めてではなく、渡米直後から2年くらいずっとその状態が続いていました。
時々子ども達から「発音が違うよ。本当はこうだよ。」と指摘されると、物凄く怒って叱りつけていました。
最近はだいぶ落ち着いてきて、そのような指摘にもちゃんと答えるようになっていましたが、それでも心穏やかではなさそうに見えます。
いくつか思い返してみても、ここ数年の被害者感情は、英語に関する事がほとんどのように感じます。
なので私は、彼と英語関係の話になるときはいつも気を使い、慎重に言葉を選んで話をするよう心がけてきました。
けれども、ここまでコンプレックス意識が強くなっているとは正直思っていませんでした。
私からみると、彼は元々とてもプライドが高いのに自分ではそれに気づかず(もしくは見ないふりをして)、人に助けを求めたり教えてもらったりしないので、苦手領域(今回は英語)に対するコンプレックスがどんどん大きくなっているように見えます。
そのため、他人の何気ない言動や親切な行為を「自分が馬鹿にされた」と受け取ってしまう傾向が強いように感じます。
ある程度説明すると、彼の口調は少し落ち着きましたが、
「僕の勘違いだったら謝るけど、本当に今とってつけた話じゃないの?」
とずっと半信半疑のようでした。
そして最後には、
「もう君の事を信用できなくなっているからこんな風に感じてしまうのかな。」
と呟きました。
このような言葉は、最近は聞かなくなっていましたが、2,3年前には毎日のように言われ続けていました。
悔しさから出たのかもしれないし、本心から言っているのかもしれないし、実際のところはわかりませんが、以前の私なら泣いていたと思います。
その言葉から察するに、
おそらく彼は今でも日常の様々な場面で私に馬鹿にされたと感じ、その怒りをぐっと堪えて生活してきたんじゃないかと思います。
そしてその怒りは少しずつ蓄積し、「これは言わなきゃ」と思って今回私に話してきたのかもしれません。
今回は弁明する機会をもらえましたが、おそらくこれは氷山の一角で、弁明できずに誤解されている事例が数多くあるように感じました。
こんなモヤモヤの残る状況でいつまで関係を続けられるのかと若干心配になりますが、人間関係というものは一朝一夕で変えられるものではないので、自分は自分の影響の輪に集中するしかありません。
とりあえず私は今まで以上に言動に気をつけ、日々思いやりの心を持って生活していこうと思います。