上川一哉「お客様にとって何かのきっかけになれば」
上川一哉 撮影/森田晃博
もしもシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を執筆した背景に、彼自身の恋があったとしたら? エリザベス朝時代の英国演劇界を舞台に、創意あふれる「もしも」の物語を描いた映画『恋におちたシェイクスピア』。20年前にアカデミー賞7部門に輝いたこの映画が、英国で舞台化された。その脚本を用いて、新演出で上演するのは劇団四季。若き日のシェイクスピア=ウィルを演じる上川一哉さんは、「シェイクスピアのファンはもちろんですが、若いお客様にも素直に楽しんでいただける舞台になると思います」とニッコリ。
「とにかくストーリーの運び方が、すごく面白いんです。映画を見たときは、先が読めなくてワクワクすると同時に“これをどのように舞台化するのだろう?”と興味をそそられました。『ロミオとジュリエット』だけではなく、シェイクスピア作品の有名なセリフが随所に出てくるんですが、詩的な表現がうまくストーリーにはまっていて。稽古をしながらも“うわぁ、おしゃれだなぁ!”と日々、改めて感じています」
この作品に登場するウィルは、天才劇作家ウィリアム・シェイクスピアの一般的なイメージとは大きく違う、血気盛んな若者だ。
「シェイクスピアは天才劇作家というイメージがあり、理解しがたい部分がたくさんあるんじゃないかと思っていたのですが、この作品のウィルは等身大の若者として描かれています。スランプに陥っているときにヴァイオラという女性と出会い、その恋を原動力として名作を生み出す彼は、すごく若々しくてエネルギッシュ。何をやっても書けないスランプの状態から始まるので、最初は“陰”の印象が強かったのですが、彼自身は“陽”の人間。しかも、ちょっと“テキトーさ”もあったりするとわかって、“あ、意外に自分と近いところもあるんだな”と思えました(笑)」
上川さんにとってウィルは「うらやましい、自分もこうありたい」と思わせてくれる存在でもあるという。
「彼は“パチン”とはまったときの直感力というものを大切にしているんですが、僕はけっこう優柔不断で(笑)。なかなか直感を信じることができないんです。でも、実際は自分の直感を信じたことがベストな結果を呼ぶことも多いので、ウィルみたいに“よし、これだ!”と決断して行動できたらな、と思いますね」
==被災地で実感した
演劇のパワー==
劇団四季に入って以来、ミュージカル作品に出演してきた上川さんにとって、本作は初めてのストレートプレー。やはり違いを感じることも多いのだとか。
「歌やダンスがないぶん、言葉だけで役の感情を表現しなければいけない。セリフをどう言えばより明確にこの作品のメッセージ、人物像が伝わるのか。またこの作品は、時代に合った佇まい、言葉遣いも意識しなければならないので、日々、自分の中での闘いがありますね。恋をささやく詩的なセリフも、ウィルらしさが色濃く出るところですので、照れずに自分のものとして言えるようにしなくては(笑)」
演劇を作る人々のバックステージものでもある本作は、作品そのものが演劇へのラブレターのような側面を持っている。その部分でも、共感しきりだそう。
「シェイクスピアが台本を作るというところから始まっていて、役者を集めて稽古をし、本番を迎えるというストーリーが、いま『恋におちたシェイクスピア』の上演に向けて稽古をしている自分たちの状況とピッタリ一致するんです。リンクしすぎていてときどき怖くなるくらい(笑)。芝居づくりに夢中になっている人間模様などに、リアルさが出ていると思います」
作品中には、演劇が人々に与えうるパワーを感じさせるところもある。これは、上川さん自身も実感したことのあるものだ。
「東日本大震災後、被災地で行った『ユタと不思議な仲間たち』東北特別招待公演に出演させていただいたんですが、そのとき“舞台俳優には何ができるんだろう?”と、とても考えさせられました。でも見てくださった方々が“明日もこれで笑えるよ!”とか“見ている間は、つらいことを忘れられたよ”と言ってくださったときに“ああ、これが演劇の力なんだ”と思ったんです。僕たち俳優にできることはこれしかない。だから劇団四季の舞台が、お客様にとって何かのきっかけになればこんなにうれしいことはありません。その方がわれわれと一緒に心を動かして、泣いて笑って怒って、身近なものとして感じてもらえたらという思いで舞台を務めています」
今回の舞台でも、その思いは同じ。
「この作品を見た方が“シェイクスピアに対する考えが変わった”とか“ああ、『ロミオとジュリエット』を読み返してみよう”と思ってくださったらうれしいですね。また観劇後、もとになった映画を見ると、また違った見方ができると思います。舞台はナマモノですし、その場を共有できるということは大きな力になると思うんです。だから少しでも何か新鮮なものを感じて楽しんでいただけるよう、もっともっと役を深めていきたいと思っています」
<出演情報>
『恋におちたシェイクスピア』
1998年に製作された同名映画が、ロンドンで舞台版として上演されたのが2014年。このとき『ビリー・エリオット』のリー・ホールが手がけて好評を博した舞台版台本を用いて、劇団四季が演出家の青木豪を招き、オリジナル演出で贈るストレートプレー。6月22日~8月26日 東京・自由劇場で上演。以後、9月7日~9月30日 京都劇場、10月12日〜11月25日 東京・自由劇場、12月より福岡・キャナルシティ劇場で上演予定。
<プロフィール>
かみかわ・かずや 10月7日生まれ、島根県出身。2005年、研究所に入所。『人間になりたがった猫』で初舞台を踏み、2008年には同作品で主役に抜擢された。以後、『春のめざめ』のメルヒオール、『リトルマーメイド』のエリックなどを演じる。2011年東日本大震災後に被災地で上演された東北特別招待公演『ユタと不思議な仲間たち』では全45公演で主役のユタを演じている。
<取材・文/若林ゆり>
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「抱かれたい男2022」を発表!
2022年版・抱かれたい男ランキング
「もしも、あの人とそんな仲になれるのなら」そんな“妄想”を声に出していただく今企画。もはや殿堂入りともいえる人から意外!?な人がランクイン。「高嶺の花」か「嫌い嫌いも好きのうち」なのか……。あなたの推しは誰ですか?
前回2位から1位の座に
2年ぶりとなる、週刊女性恒例の「抱かれたい男」ランキング!
今回は、20代から50代の女性2000人を対象に、「抱かれたい」と思う男性芸能人、「癒されたい」と思う男性芸能人、「抱かれたくない」と思う男性芸能人の3部門を調査。
はたして、どんな男性芸能人が女性たちのハートを射抜いているのか!?
女性読者の赤裸々な意見&本音とともに、ドラマウォッチャーでコラムニストの吉田潮さんの分析を交え深掘りします!
◆ ◆ ◆
セクシーだと思う、色気がある、カラダが好き……そんな魅力を感じる男性芸能人は誰ですか?と尋ねた「抱かれたい男」ランキング。その栄えある第1位に輝いたのは、
「色気があって背も高くてカッコいい」(49歳・北海道)、「エロボイスがたまらない」(35歳・広島県)、「とにかくセクシーなところ」(36歳・宮崎県)
といった声を集めた斎藤工(40)。2年前のランキングでは2位だっただけに、1位の座を奪い取った格好だ。
「やはり、'14年放送の『昼顔』効果が健在なのでしょう」とは、コラムニストの吉田潮さん。
「セクシーといえば斎藤工というイメージが定着しているんだろうなと。
アンケート調査をしていた時期、主演を務めたドラマ『ヒヤマケンタロウの妊娠』の配信がNetflixで始まっていた。
男性が妊娠してしまうというストーリーなので、セクシーさとは縁のないドラマですが、それでも1位になってしまうのは、『昼顔』の効果が大きいことを物語っている」(吉田さん)
また、話題の映画『シン・ウルトラマン』でも主演。露出度と話題性の相乗効果もあるのだろう。
そして、次点は、“おディーン様”ことディーン・フジオカ(41)だ。
「大人の色気があってカッコいい」(25歳・広島県)、「とにかく美しい」(42歳・愛知県)、「ミステリアスな感じが好き」(31歳・岐阜県)、「顔!」(24歳・滋賀県)
といった意見が寄せられたように、色気、イケメン、知的などなど非の打ちどころがない“パーフェクト超人”っぷりが人気を集めた。
「“おディーン様”は、欲情させるような役を演じてきているわけでもなければ、昨今は子どもがいるお父さんの設定という役も少なくない。
しかも、身体の露出も少ない。にもかかわらず2位にランクインするあたり、イケメンは正義ということでしょうね」(吉田さん)
ディーン・フジオカに負けず劣らずの“顔面国宝級”・佐藤健(33)が3位という結果に鑑みても、「カッコいいから抱かれたい」と考える女性は少なくないもよう。その理由も、「イケメンだから」(28歳・静岡県)、「カッコいいから」(41歳・兵庫県)、「顔が好き」(50歳・大阪府)というようにストレート。
「映画『るろうに剣心』ではアクションを、'20年放送の『恋はつづくよどこまでも』では超ドSなエリート医師をというように、役の幅も広く、何でもこなせるというあたりが、幅広い支持層につながっているのでは」(吉田さん)
佐藤健は、前回の「抱かれたい」王者。結果的に、首位から陥落こそしたが、世代を超えて「カッコいい」と評価されるあたりはさすが。
そういう意味では、4位・竹野内豊(51)、5位・木村拓哉(49)、6位・福山雅治(53)といった“抱かれたい常連たち”の盤石さも見逃せない。「もはや殿堂入りにしたほうがいい」と、吉田さんは指摘する。
「あなたが選ぶクリスマスソングは?と聞かれて、山下達郎を挙げるのと同じですよね。『抱かれたい男ランキング』における木村拓哉や福山雅治は、定番のような存在」(吉田さん)
一方、年代別で見ると、20代の票を最も集めたのが、田中圭(37)という意外(!?)な結果も。
これには吉田さんも、「若い世代は、'19年の『あなたの番です』をよく見ていたというから、その影響なのかも。でも、彼も最近は父親の役を演じていたりするからセクシーが先行している感じはしない」と首をひねる。
「今回の抱かれたい男ランキングは票差もあまりないし、“特にいない”という回答も目立っていた。
“抱かれたい”ということに対する女性の感覚が、曲がり角を迎えているのかもしれない。受け取り方が、人それぞれという印象を受けます」(吉田さん)
全世代で1位を奪取
続く、「癒されたい」と思う男性芸能人ランキングは、「一緒にいるだけで落ち着く人は?」、「元気になると思える人は?」といった点を加味して回答を募ったところ、なんと全世代が中村倫也(35)を激推し!
2位とはダブルスコアに近い圧倒的強さを見せつけた。
「ゆるっと、ふわっとしていて癒される」(50歳・富山県)、「顔がかわいい」(22歳・長野県)、「優しい声と優しい雰囲気に癒されたい」(40歳・神奈川県)、「うさぎみたいで一緒にいたら楽しそう」(33歳・千葉県)
こうした意見が並ぶ中、吉田さんも、
「中村倫也の1位は納得。いろいろな中村倫也像があると思うのですが、大和ハウスのCMの影響が強いのではないか」
と分析する。同CMは、中村倫也が気弱な夫を演じ、上野樹里が妻を演じるというもの。
「子犬のような顔とリンクするチャーミングな言動もあって、癒されるだけではなく、逆に女性が“守ってあげたくなるような存在感”こそ、中村倫也の魅力でしょう。一緒にいるということを想定したとき、彼のかわいらしさは唯一無二」(吉田さん)
また、2位の千葉雄大(33)に対しても、
「かわいい!存在自体が癒し系!」(32歳・岡山県)、「かわいいからそばにいてほしい」(28歳・滋賀県)、「かわいいのプロ。見ているだけで癒される」(29歳・東京都)
などの「かわいい」支持票が多く、癒し的な要素に“かわいらしさ”が不可欠であることを示唆している。
「WOWOWで伊藤沙莉とともに映画について語っていたのですが、セレクトする映画がことごとく女子ウケの良いものばかりで、この人はホントに女性と話が合うだろうなと思ったほど(笑)。また、田中圭とMCを務める『MUSIC BLOOD』(日テレ系)でも、とても聞き心地の良い話し方をしていて、長い時間を一緒に過ごせるような雰囲気を感じさせる」(吉田さん)
続いて3位にランクインしたのは、
「優しそうな笑顔に癒されたい」(39歳・千葉県)、「ソフトな雰囲気と優しい口調がいい」(51歳・東京都)、「落ち着いていて知的な感じがするので安心感がありそう」(32歳・青森県)
といった支持を集めた坂口健太郎(30)。読書好きとして知られる知性派で、ドラマの現場でも共演女優がその魅力に惹かれると評判だ。
「癒されたい」ランキングに関して吉田さんは、「当分は変わらないのでは?と思わせるような3強」と話す。
「このランキング全体にいえることですが、選ばれた顔ぶれを見るとフェミニンな感じというか中性的でかわいらしい人が選ばれている。それでいて、話しやすそうで友達的な要素がある。特にトップ3は、少女マンガ原作のドラマなどと相性が良さそう。彼らが演じたらまったく違和感なく、少女マンガの世界を体現しそう」
その一方で、『金魚妻』(Netflix)で体当たりの演技に挑みつつ、金魚店の優しい店長を演じた三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE・岩田剛典(33)なども躍進。「大人の落ち着きがある。包容力がありそう」(43歳・和歌山県)といった意見が寄せられた高橋一生(41)も、さすがの強さを見せた。
「このジャンルにおいて、高橋一生はブランド化していますよね。自分の美学を貫きながらも、女性に対して敬意を払うという彼が演じてきた役柄のイメージもあって、20代で彼を推す声は少ないですが、30代以上になると高橋一生票が積み重なっていく。癒されるとひと言でいっても、女性の願望が人それぞれだということを、このランキングは教えてくれます。
性的な要因が強い“抱かれたい男”ランキングより、こちらのランキングのほうが“今っぽさ”が投影されている気がしますね」(吉田さん)
抱かれたくない男はルールを変えるべき?
ある意味では、みなさんお待ちかね──ともいえる“抱かれたくない”ランキング。「この人とは付き合えない」「生理的に受け付けない」と思う人を挙げてみてもらったところ、抜群の安定感を誇るラインナップに。
「うるさいし、脂っこそうなので……」(41歳・京都府)、「嫌いではないけれど、抱かれたくはない」(33歳・新潟県)、「そういう星の下にいると思う」(52歳・福岡県)
チャンピオンに輝いたのは、出川哲朗(58)。抱かれたくないレジェンドが、散々な言われようでぶっちぎりの1位を獲得した。そして、2位、3位にも容赦のない言葉が降り注ぐ。2位のアンガールズ・田中卓志(46)には、
「キモカワイイって言われているけど、キモのほうが圧倒的に勝っている」(37歳・埼玉県)、「頑張っているとは思うんだけど、やっぱり生理的に厳しい」(31歳・大阪府)、「最近、お金持っているキャラでキモキャラを隠そうとしているみたいでイヤ」(49歳・鹿児島県)
そして、3位の安田大サーカス・クロちゃん(45)には、
「とにかくムリ!」(28歳・愛知県)、「あのかん高い声が無理だし、気持ち悪い」(35歳・栃木県)
と、容赦のない言葉のつぶてが飛ぶ。しかし、この遠慮のなさこそ“抱かれたくない”ランキングならではだと、吉田さんは話す。
「縛りはないはずなのに、見事なほど芸人さんしかランクインしていない。つまり、
“芸人さんだったら言っても大丈夫だろう”、“芸人さんなら、おいしいと思うのでは”といった心理が働いている……いわば、“優しさでできたランキング”なんですよね。ですから、ここに“本当に抱かれたくない”という本音はないのでは(笑)」
確かに、ほか2つのランキングより票数も多く、ある意味では“のびのび”と意見を書いていることがうかがえる。
「今後、このランキングのアンケートを取るなら、芸人さんは選考外にするなどのルールがないと、毎度のように芸人さんのみが名を連ねるランキングになると思う」(吉田さん)
先ほど吉田さんは、「抱かれたい男」ランキングは曲がり角を迎えているのではと指摘したが、抱かれたくないも同様だと付け加える。
「“抱かれたい男” “抱かれたくない男”というくくりが、いつ炎上するかわからない時代ですよね(苦笑)。そうなると、本音も拾いづらくなる。“癒されたい男”にしっくりきたのは、そのランキングと意見に納得感があったからでしょう」
時代とともに変遷してきた『抱かれたい男』ランキング。いろいろな意味で、新しい時代を迎えているのかもしれない!?
〈取材・文/我妻アヅ子〉
よしだ・うしお ●コラムニスト。医療、健康、下ネタ、テレビ、社会全般など幅広く執筆し、『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターも務める。著書に『親の介護をしないとダメですか?』などがある
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加藤紗里、不倫疑惑裁判で相手から主張された“脅し手口”の数々
加藤紗里
7月14日の昼下がり、東京地方裁判所に現れた1人の女性。おなじみの金髪にサングラス、黒マスクを着用し、その身には緑色の長いチェック柄のシャツをまとっている。出廷者の中でいちばん最後に登場したのは、タレントの加藤紗里。この日行われたのは、彼女に“損害賠償”を求める裁判だった。
「加藤さんを訴えたのは、子ども向けのYouTubeチャンネル『プリンセス姫スイートTV』に出演していた元人気ユーチューバーの大河内基樹さんです。'20年2月に掲載された『AERA.dot』のインタビュー記事で、加藤さんは元夫に大河内さんとの不倫を疑われていたことを明かし、その後、暴露系ユーチューバー・コレコレさんの生配信に参加した際には“(自分の)子どもの父親は大河内さん”とほのめかす発言をしました。
大河内さんは、これらの行為によって名誉を傷つけられ、不倫疑惑によりイメージが低下したことでユーチューバーとしての活動もやめざるをえなくなり収入が減ったとして、約3000万円の損害賠償を求めて訴訟を起こしました」(スポーツ紙記者)
「私の子どもではないことは確かです」
今年1月には、過去に大河内氏が加藤に“暴力団を使って怖い思いをさせることもできるんだよ”などと脅されて“洗脳状態”にあったことを、彼の知人が告白している。
「2人が出会ったのは'18年の秋とのことですが、トラブルとなっているのは'20年の6月から8月までの間の出来事です。“一緒に住んでいたのに、身体の関係はなかったのか”“2人で引越しの物件の内見に行った過去があるのに、本当に恋人関係ではなかったのか”これらが、今回の争点となっています」(同・スポーツ紙記者)
まさに泥沼の様相を呈しているが、14日、大河内と加藤はともに宣誓を行い、予定通り14時に裁判は開始。前半は、大河内氏への事実確認からだった。
「弁護士との打ち合わせを入念に重ねたのでしょう。質問に対し、暗記した内容を一生懸命に答えているような印象でしたね。その姿を見た加藤さんは、ときどき呆れたような表情を見せていました。
大河内さんの言い分は、加藤さんがコレコレさんの配信内で電話出演した際に自身との不倫を仄めかす発言をしたこと、及びそれを報じた数々のネット上の記事の内容は、すべて嘘だというもの。“加藤紗里と交際した過去はなく、あくまで仕事上のお付き合い”と主張しました。
さらに、彼女から“子どもはあなたの子”“子ども作って、逃げるの?”と言われたと明かしましたが、“DNA鑑定をして、私の子どもではないことは確かです”“そのころ一緒に過ごしていた時期は、加藤に脅されて家に呼ばれていました”と、法廷では一貫して関係を否定し続けました」(傍聴した男性、以下同)
「何言ってるんだろうって思って」
不倫や交際の事実をいっさい認めない姿勢を見せた大河内氏。裁判で彼が主張したのは、これだけではなく……。
「“暴力団からお前を守ってあげられるのは私だけだよ?”“あんたと不倫したって『AERA』砲に晒してもいいんだよ?”と、加藤さんから脅しを受けていたことも語りました。そのほか、加藤さんとトラブルになっていた時期に、彼女の事務所の元社長であり元交際相手でもあった男性から“俺がお前を守ってやるから1000万よこせ”と言われたなんて話も。“このような出来事で、私は配信者を辞めることになりました”と、自らの受けた損害を淡々と説明しました」
大河内氏の主張がすべて事実なら、損害賠償だけでは済まされない可能性もあるだろう。後半は、いよいよ加藤への事実確認が行われた。
「始まる前に、裁判官から“質問だけに答えるようお願いします”と忠告を受けていた加藤さんは、覇気がないというか、終始だるそうに受け答えをしていました。それでも、大河内さんの主張内容については“私は脅していません”と真っ向から否定。
“家の鍵は渡していましたし、自由に家に出入りできる環境。私の友達が遊びに来るときも「あのくつろいでいる人はだれ?」と言われるくらい、(大河内氏は)家ではくつろいでいました”“仕事部屋として部屋もありましたし、事実とは違います。何言ってるんだろうって思って聞いてました”と、脅しを受けていたとする大河内氏の発言は虚偽のものであると主張しました。両者の言い分は食い違ったままで、裁判では互いに質問をして、相手のボロが出るのを待っている様子でしたね」
裁判は2時間にわたって行われたが、最後まで両者の見解が交わることはなかった。これまでにも、恋人や育児などさまざまな話題で奔放ぶりを見せ、たびたび炎上を起こしてきた加藤。法廷では、事実が粛々と精査されるが……。判決は8月25日、東京地裁で言い渡される。
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パリSG・メッシにファン襲撃、あわや安倍元首相の二の舞
日本ツアー参加にビデオメッセージを寄せるパリSG・メッシ選手(2022年5月)
7月18日、東京・秩父宮ラグビー場で公開練習を行った、来日中のサッカー・フランスリーグの強豪『パリ・サンジェルマン(以下、パリSG)』。Jリーグチームとの親善試合を控えての練習だったが、あわやのハプニングが起きていたようだ。
「パリSGといえば、リオネル・メッシやネイマール、キリアン・エムバペやセルヒオ・ラモスらが顔を揃える、選手の年俸総額500億円とも言われるスター集団です。今回の日本ツアーはいわば“営業”で、練習ながらも入場料は大人4500円、小中高生は2000円と有料。それでも彼らを一目みたい、サッカーファンやサポーターが押し寄せたのです」(スポーツ紙・サッカー担当記者)
ただの練習にも関わらず、いや、スター軍団の練習風景はファンにとっては“ただの”ではなかった。会場に来場した観客は1万3370人と、およそ70分間で数千万円の大金が動く大イベントとなったのだ。
目の前で躍動するメッシやネイマールたちに、場内のボルテージは終始上がりっぱなし。そして全体練習を終えた選手たちが、ロッカーに引き上げようとするとーー、
「あろうことか、東スタンド(バックスタンド)側にいた一部のサポーターたちが、観客席を乗り越えてピッチ内に乱入。観客席を見張っていた警備員の横をすり抜けて、選手たちに向かって突撃する事態が起きてしまったのです。
すんでのところで、選手団の周囲にいた警備員やスタッフに取り押さえられ、乱入者の接触こそ防がれたわけですが、あわや“惨事”が起きてもおかしくはない状況でした」(前出・サッカー担当記者)
この騒動で数人が“御用”となったわけだが、中には追っ手を掻い潜って観客席に逃れた者もいたようだ。この出来事に、和やかなだった場内の雰囲気は一変し、選手らの退場が足速に促されたようだ。
選手のビブスを持ち帰ってくる姿
ネット上には、現地に居合わせたファンが撮ったと思われる、バックスタンド側からの一部始終を収めた動画もツイッターに投稿され、瞬く間に拡散されて“バズっている”。
映っていたのは、棒立ちの警備員を嘲笑うかのように、場内に降りて走り出す若者と、中には子どもと思しき数名。するとピッチから何やら拾い上げて走って戻ってきたファンと、彼を追うも全く追いつけない警備員の姿も。誇らしげに持ち帰ったのは、選手が練習で使用したオレンジ色のビブスのようにも見える。
また、目的を達成できなかったのだろう。選手と記念撮影をしようと思ったのか、スマホを片手にトボトボと歩いて戻ってくる子どもに、席に戻るように促す警備員。さらに動画内には、保護者だろうか、「あの子頑張ってるよ」「来た来た来た!」と子どもを煽るような、周囲の大人たちの笑い声も収められていた。
「乱入者の大方の目的は、スター選手の“写真を撮りたい、サインが欲しい、使用グッズが欲しい”といったおねだり行為でしょうが、それでも選手と無理矢理に接触すれば怪我を負わせる可能性もあり、それこそファンやサポーターを装った暴漢が紛れこむ可能性も考えらるわけで。
もちろん、責められるべきは非常識な行動をとった乱入者ですが、1万人以上を相手に酷は話かもしれませんが、あまりにも簡単にピッチへの侵入を許した警備体制にも課題が残ると言わざるを得ない。入場時の手荷物検査も特段厳しかった、というわけでもなさそうでしたからね」(前出・サッカー担当記者)
動画投稿者は後に《犯罪者が紛れこんでもしもの事があったらJリーグが責任取るんかな。後から事件になってからじゃ遅いよ。》と、あらためて“事件化”した可能性にも触れて危惧。たまたま負傷者が出なかっただけ、と言える節があるのも確かだ。
事件起きれば“訪日控え”が起きる
サッカーとは状況が異なれども、7月8日に奈良県で参院選応援演説中だった安倍晋三元首相が銃撃される事件が起き、岸田文雄首相も「警備体制に問題あった」と言及したばかり。警備をすり抜けて、簡単に“犯人”の侵入を許した面では同様とも言えよう。
全国紙政治部記者は、事件が続けば「訪日控えが起きる」可能性も示す。
「元首相という“要人”を易々と襲撃させたことに、海外のニュースでも”手薄すぎる”などと警備体制の甘さを指摘する声も見受けられました。今後、万が一にも海外VIPを危険に晒すような事態が起きれば、日本の安全神話が崩れるとともに、スポーツ選手も含めて来日を控える場合も出てくるかもしれません。
警察だけでなく、民間の警備会社にもあらためて要人擁護への認識や、警備体制のあり方が再認識されていると聞きます。事件を事前に含める意味でも、今1度、サッカー協会さんも“要人”を招いていることを自覚した方がいいでしょう」
パリSGの日本ツアーを主催する公益財団法人日本サッカー協会(JFA)に、警備体制についての見解を聞くと、
《JFAでは運営をしておらず、今回お尋ねいただいた件についても報道を通して把握しているまでですので、コメントは差し控えます。》との答えが。
海外チームを招く日本代表戦や、全国各地のJリーグの試合でも通じる案件ではあると思うが。
※7月19日17時現在、『Paris Saint-Germain JAPAN TOUR 2022』運営会社に見解を取材中。回答があり次第、追記いたします。
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【懲役3年実刑判決】喫煙注意され高校生に暴行したホストの素顔
宮本一馬容疑者(本人のSNSより)
JR宇都宮線の車内で喫煙を注意してきた男子高校生に暴行を加えた元ホストクラブ従業員の宮本一馬被告。19日、宇都宮地裁栃木支部は被告に対して懲役2年の実刑判決を言い渡した。
事件当時、『週刊女性PRIME』はこの大人げないアラサーのホストの素顔を追いかけていた。
(以下は、2022年1月31日に配信した記事の再掲載です)
◆ ◆ ◆
1月23日の日曜日、正午ごろのこと。JR宇都宮駅始発の宇都宮線直通・湘南新宿ライナー逗子行きが次の雀宮駅を発車したころ、友人3人と乗り合わせていた高校2年の男子生徒(17)が、優先席に寝転んで加熱式たばこを吸う男に思い切って声をかけた。
「お兄さん、たばこを吸っていますね。やめてもらえますか」
男は無視していたが、男子生徒から繰り返し注意されると、身を乗り出すように顔を近づけ威かく。男子生徒がたまらず押し返したところ、
「てめえ、手を出しやがったな。土下座しろ」
と逆ギレして暴行が始まった。
土下座した高校生の頭を踏みつけ…
男子生徒がやむなく土下座して「すみませんでした」と謝ると、その頭を踏み付け、
「ふざけんなよ」
とさらに逆上。
男子生徒の友人や、男の連れの知人男性、駆けつけた女性車掌が制止しても突っぱね、殴る蹴るの大暴れ。男子生徒と引き離されても再び近寄って手を出すなど怒りはおさまらず、途中下車した自治医大駅のホームでも殴っている。
「警察ざたになるのをおそれたのか、男は車掌の隙をみてホーム上の階段を駆け上がり、そのまま逆側の階段を降りて乗ってきた電車にふたたび飛び乗ると東京方面に逃走した。被害に遭った男子生徒は救急搬送されている。同日午後11時20分すぎ、JR宇都宮駅に戻ってきたところを捜査員が職務質問すると、大筋で事実を認めて抵抗することなく任意同行に応じた」(捜査関係者)
栃木県警下野署は日付の変わった24日未明、男子生徒に複数回暴行を加えケガを負わせたとして宇都宮市内に住む飲食店従業員・宮本一馬容疑者(28)を傷害の疑いで緊急逮捕した。
同署によると、暴行の事実を認める一方、
「相手がはじめにケンカを売ってきて、自分の首に手を押し付けてきたのでやり返しただけ。正当防衛だ」
などと供述している。
男子生徒は右頬骨付近を骨折するなどの重傷。さんざんな休日となった。
社会部記者の話。
「一部メディアの取材に生徒の父親は“自分は悪くないのに結局、土下座させられて、靴で頭を踏まれた行為は精神的に辛かったろう”などと心の傷が残ることを心配していた。事件後、被害生徒は悔しさと悲しさをにじませていたという。容疑者はこの寒さの中、半袖のTシャツ姿で暴行におよんでおり、上腕部のタトゥーをチラ見せしてビビらせようとした可能性がある」
身柄確保のときは黒色のダウンジャケットを着ていたというから、車内での喫煙前後にあえて脱いだのだろう。
真っ当な注意をうながした高校生を“返り討ち”にした宮本容疑者は、宇都宮市内のホストクラブに勤務する現役ホスト。市内の飲食業界関係者によると、昨年12月に東京・新宿歌舞伎町から来たばかりにも関わらず、逮捕前から知られた存在だった。
上から目線の嫌なヤツ
「評判は最悪だね。ホストクラブの聖地と呼ばれる歌舞伎町から来たことを鼻にかけていた。ホスト歴が長いせいか自分の意見は全部正しいと思っていて、意にそぐわない行動を取ると、すぐに暴力を振るう。上から目線の嫌なヤツだって」(市内の飲食業界関係者)
面識のある20代ホストは
「悪いけど関わりたくない」
と言葉少なだった。
奈良県橿原市の出身。成人したころ栃木県内で暮らしていたことがある。ホストデビューは“西のホストクラブ聖地”の大阪ミナミ(心斎橋)とみられ、ここでも悪評ふんぷん。トラブルを起こし、約4年前に追い出されるようにして歌舞伎町へ。
しかし、なぜかアウトローを気取ってSNSにこんな投稿をしている。
《1万円だけ握りしめてきました。お客様も完全ゼロからなのでご来店お待ちしてます。貧乏生活スタートです》
1泊か2泊カプセルホテルに泊まったくらいで、どん底といわんばかりの雰囲気も。
前出の飲食業界関係者は、
「結局、歌舞伎町でも通用しなくなったということでしょ」と吐き捨てた。
両腕の上腕にタトゥーを入れ、右腕には花びら少なめの桜吹雪。若いころはサポーターで隠すこともあったというが、ここ数年はSNSでも見せるようになっていた。
宮本容疑者を古くから知る男性はその人物像をこう明かす。
「カズマは同級生とはつるまず、いつも後輩とばかり遊んでいた。どうしても自分が上に立ちたいんだろう。後輩の挨拶の仕方が半端だと“おまえら挨拶がなってねえぞ”と叱り飛ばし、一目置かれている同級生には自発的に頭を下げる。相手を見て態度を変えるんだよ。常にオラついて(いきり立って)いるくせにケンカは弱く、同級生や下級生にボコられたこともあった」
素行の悪い仲間に群がるギャルには全くモテなかったという。
こんなエピソードも……。
無意味にシャドーボクシング
「路上でサラリーマンと肩がぶつかると、少し歩いてから“チッ、やっちまえばよかったかな”と手のひらを拳で叩く。よく無意味にシャドーボクシングしたり、年下相手に“肩パン(肩にパンチ)させてくれ”と言い、嫌がる様子を楽しんでいたそう。そうやって偉ぶるくせに後輩とは割り勘なんだって」(同・知人男性)
事件当日、宮本容疑者は都内に向かうところだったといい、乗車したときから大声で連れと話すなどマナーが悪かったという。
同じ車両に乗り合わせた乗客は何もしなかったわけではなく、犯行の一部始終を録画したり、車掌に連絡するなどできる限りの“援護射撃”をしている。
民放テレビ局のニュース番組に提供された車中の動画には、土下座した男子生徒を脅す様子が捉えられていた。
「クソガキ、おまえ、オレにしゃべりかけられる分際とちゃうんや」
「ぶっ殺すぞコラ、ケンカ売ってるんじゃねえぞ」
男子生徒の勇気ある行動に感心し、どうにか助けようとした乗客は確かにいた。
SNSで、感謝の気持ちを忘れてはいけないと“男道”を説く宮本容疑者。筋の通らない逆ギレ暴行は、男道に外れると思わなかったのか。
◆ ◆ ◆
逮捕後、宇都宮地検栃木支部の取り調べに対し、担当の男性検察官に恫喝めいた暴言も吐いていた宮本一馬被告。検察側は「執拗かつ容赦ない暴力で、悪質だ」と非難し、懲役3年を求刑していたが、地裁は懲役2年の実刑判決となった。
高校生にイキったアラサーホストが払った代償は大きい。
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三笠宮家・瑤子さま、お父さま譲りのユーモアエピソード
瑤子さま
秋篠宮家の長女・眞子さんの結婚で独身の女性皇族は5人になった。今と未来の皇室をお支えになる一員でありながら彼女たちも一般人と結婚されれば皇族の身分を離れることに……。揺れるお立場にあるプリンセスたちの華麗なるプロフィール【未婚女性皇族ワイド・三笠宮家・瑤子さま編】。
彬子さまの妹である瑶子さまは、小学5年生から始められた剣道が五段の腕前。一方、20代から低い音や高い音の一部が聞き取れない『感音性難聴』を患っておられる。
昨年12月には、“声と音のバリアフリー”を目指すNPO法人『日本ユニバーサル・サウンドデザイン協会』の名誉総裁に就任された。
『日本赤十字社』の職員として常勤も
同協会で理事長を務める中石真一路さんは、こう語る。
「'18年より私的なご視察として、全国の医療機関や介護施設など、高齢者や難聴者による対話に課題がある現場へご一緒しております。そこで当事者の声に真摯に耳を傾けられ、質問や対策について積極的に意見してくださいます」
名誉総裁として初の公務は、今年3月の講演会。ご自身の難聴について、近くで護衛にあたるSPと会話がかみ合わず「まぁ、いいや」と意思の疎通を諦めることがあるなどと率直に語られた。
「瑶子さまには、周囲へのご配慮とお優しさ、さらにユーモアを強く感じます。
重度の障がいがありながら教員を目指していた1人の女性に寄り添い、彼女が教員となるまでサポートされたことがありました。障がいがあるゆえにチャレンジできない環境を改善していきたいとのお考えです」(中石理事長)
成年会見では「父が力を入れている障がい者福祉のお手伝いが主にできれば」と述べ、'06年から'12年にかけて『日本赤十字社』で常勤の職員として勤務されていた。
お父さま譲りの「ユーモアセンス」
「寛仁さまから引き継ぐ形で『友愛十字会』や『国際ユニヴァーサルデザイン協議会』の行事に臨席するほか、'13年には『東京モーターショー』の総裁にもご就任。ご自身の運転技術を向上させる意欲について“後ろの警備の車を引き離したい”と語られていました」(皇室担当記者)
そんな等身大のトークが魅力で「私は皇族の中であまりメジャーなタイプではない」と“自虐”されたことも。
「愛子さまや佳子さまが同じようなご発言をされたらハレーションを起こしかねませんが、天皇家から少し離れた宮家では自由な言動が許容される傾向にあります。ご自身がなさりたいように取り組むことが、ひいては皇室の多様性を生むことになるでしょう」(象徴天皇制を専門とする、名古屋大学大学院の河西准教授)
ざっくばらんな姿勢が愛された寛仁さまが想起される。
「お父さま譲りのユーモアのセンスは、皇室と国民との距離を縮める大切な役割を果たしています」(前出・記者)
親しみやすいキャラクターが広まれば、皇室全体のPRにもつながりそうだ。
河西秀哉 名古屋大学大学院人文学研究科准教授。象徴天皇制を専門とし、『近代天皇制から象徴天皇制へ─「象徴」への道程』(吉田書店)など著書多数
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有森也実が“更年期フルコース”を乗り切った裏に浅野ゆう子
有森也実
閉経前後、多くの人に起きるのが更年期症状。症状は数百種類もあり、度合いも現れ方も人それぞれ。そんな中、“更年期フルコース”に打ち克ってきたのは有森也実。浅野ゆう子にすすめられ、48歳でフラメンコを始めたそうでーー。
更年期フルコースに打ち克つ
「もう女優をやめようかと思った」
テレビ番組でそんな衝撃の発言をするほどに、有森也実を追い詰めた更年期。閉経は50歳前後。48歳から54歳ごろまで続いた更年期は、“フルコース”と表現するほど症状が多かったという。
初めに有森を襲ったのは、のぼせや倦怠感、顔面の痙攣。40代後半のころだった。
「体温調節がうまくいかず、満員電車に乗ると、蒸れる感じが気持ち悪くなって我慢できなくてのぼせる。右顔面が痙攣する。リンパが腫れる。何が原因だかわからず、落ち込みました」
と番組内で語った有森。5歳ごろから始めたバレエにも行きたくないと感じるほど、その症状は深刻だった。
「大きな仕事が一段落し、介護していた母親と父親が相次いで亡くなったときだったので、充実感と喪失感と不安がぶつかり合って不調に」
と明かしていた。
「更年期障害は家庭や仕事のストレスをきっかけに発症することも多いので、有森さんの場合もまさにそんなタイミングだったのでしょう。当事者の性格によるところも大きいので、きっとまじめな方なのだと思います」(婦人科クリニック医師)
そんな更年期のさなかに、上映時間4時間超のR15指定映画『いぬむこいり』に主演し、女優魂を見せている。
「ハードな絡みがある過激な文芸作品です。更年期に苦しんでいたとは思えぬ体当たりの演技が素晴らしかった。監督との熱愛もスクープされましたが、映画好きの間では伝説的な1本になっています」(スポーツ紙芸能記者)
スクリーンで活躍する反面、ホットフラッシュ、動悸、めまい、頭痛、リンパの腫れ、顔面神経痛、気持ちの落ち込みなどの更年期フルコースに苦しんだ。また、女としての喪失感も彼女を襲った。
「きれいでないと価値がない。そういう仕事のしかたはもう嫌だとはっきり思えて、じゃあもう辞めてもいいかなと。女優でなくても違う生き方もあるんじゃないかなというふうに思えた時期だった」
と、振り返る。更年期は自然なことと受け止め、ホルモン療法などの投薬は選択しなかった有森だが“先輩”らのアドバイスは積極的に聞き、この時期を乗り切るため、浅野ゆう子にすすめられたフラメンコを48歳で始めたという。
「フラメンコは情熱的な踊りなので、ストレス発散になります。高齢でも始める人は多い」(フラメンコ経験者)
気分を上げるオードトワレやフラメンコ、そして「人に甘えること」で更年期を乗り切ったと語る有森。
「私が発信することで、これは更年期なのかもしれないっていう気づきが少しでも早くなって、自分との向き合い方、方向性が定まる手助けになればいいかなと思います」
かつてトレンディー女優として一世を風靡し、恋愛に対する肉食系の発言で注目を集めた有森だが、更年期を経て、女優として、人間として新たなステージに立ったようだ。
取材・文/ガンガーラ田津美
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【歌手引退】吉田拓郎が「日本音楽史のレジェンド」なワケ
’74年、ディランのライブを見るためにロサンゼルスのホテルに泊まる拓郎(蔭山さん提供)
吉田拓郎が年内で歌手活動を終了する。
「単独全国ツアー、大規模屋外コンサート、アーティストによる会社設立など、今ではごく当たり前のことを、日本国内で初めて行ってきたのが拓郎さん。また、中島みゆきさんや桑田佳祐さんをはじめ、米津玄師さんやあいみょんさんなど、さまざまなアーティストに影響を与えた日本音楽界のまさに“レジェンド”です。引退は残念という言葉しかありません」(音楽誌編集者)
今年で76歳となった拓郎だが、突然の引退宣言はなぜなのか─。
ボブディランとザ・バンドの公演をみてショック
拓郎は'70年に『イメージの詩』でデビュー。'72年には『結婚しようよ』がヒットして人気を博す。
「当時のフォークは、反戦などイデオロギー的な要素を含んだ曲が多かった。拓郎は“それがフォークだと言うなら、そのレッテルを外したい。俺は個人的な感情を、誰もが普通に思うことを歌いたいんだ”とよく言っていました」
そう話すのは、拓郎のバックバンドを務めたフォークグループ『猫』の常富喜雄氏。
個人的な思いを歌った拓郎はマイナーだったフォークという音楽ジャンルにスポットを当てて一変させた。
時代の寵児となった拓郎だったが、大学時代の後輩である蔭山敬吾氏は、当時の意外なエピソードを明かす。
「'74年にアメリカで開催されたボブ・ディランとザ・バンドの公演を拓郎さんと見に行きました。どんなライブをするのか純粋に興味があったんでしょうが、拓郎さんはその演奏力やパフォーマンスを目の当たりにして“俺には同じことをするのは無理かもしれない……”とそうとうショックを受けていました」
圧倒的な存在に打ちのめされたが、立ち上がる。
「アレンジが気に入らない」提供楽曲がヒット
'74年12月には楽曲提供をした森進一の『襟裳岬』がレコード大賞を受賞。プロデューサーとしての手腕も発揮していく。前出の常富氏は、
「僕たち『猫』も拓郎プロデュースですが、『雪』という曲があります。これは拓郎が自分のアルバムに入れた曲なのですが、“アレンジが気にいらないから君たちでもう一度歌ってくれ”と言われてリリースしたら、ヒットしたのです。本当にセンスのある人だと思いました」
'77年にはセルフカバーアルバムを発売する。
「拓郎は自身が提供した楽曲を、自分で歌ってアルバムを作るというのです。最初は何を言っているのかと思いましたが、このカバーアルバム『ぷらいべえと』がオリコン1位を獲得し、大ヒットを記録します。これも拓郎のプロデューサーとしての資質を見事に発揮した出来事でした」(常富氏、以下同)
拓郎は、'99年に自らが設立に携わったレコード会社を離れた。
「長く在籍して吉田拓郎というアーティストのイメージが固まってしまった。だからこそ“新鮮な人に自分を料理してもらいたい”という思いがあったのです」
新しいものを追い求めてきた拓郎だったが、引退を決めた理由はなんだったのか。
「彼の最大の魅力は言葉と声ですが、それが思うように出なくなったからではないでしょうか。4年前ぐらいから、拓郎の声質が明らかに変わっています。彼は今も、自分の声だとは思っていないんじゃないかな」
6月27日にはラストアルバムが発売されたが、
「今回のアルバムも、とても面白いし完成されている。ただ、そこに吉田拓郎というものがどれだけ出ているのかというと……。拓郎は“もっとできるはずだった”と感じていると思います。プロデューサーの資質が非常に高い男ですから、思うように歌えていない自分をこれ以上はプロデュースできなくなったということだと思います」
若きカリスマ時代から抱えていた意外な一面
多くの人を魅了するカリスマ性は以前から持っていたようだ。フリーアナウンサーの白井京子は広島の高校に通っていた'68年、当時の拓郎をこのように振り返る。
「まだ全国デビューする前の大学4年生でしたが、そのころ人気だった雑誌『平凡パンチ』で〝和製ボブ・ディラン”と紹介されて市内でも有名人。広島にある『本通り』という繁華街を歩くだけで〝拓郎だ! 拓郎だ!”と、人だかりができるほどの人気でした」
白井は拓郎を中心に集まった〝広島フォーク村”に所属していた。
「〝村”といっても内容は音楽サークル。会費は特にとらず、当初は決まった集合場所すらなく、あとになってたまり場ができましたが、ビル内の12畳ほどのスペースでした。みんな学校の帰りに集合して、仲間同士でわいわい話し合ったり、ギターを弾いたりしていましたね。拓郎さんはいつも話題の中心にいましたよ」
フォーク村とは別に、拓郎は河合楽器のギター教室で学生バイトもしていた。
「教室の廊下に女生徒の行列ができていました。私も通っていましたが、コードをどのように押さえるかを優しく丁寧に教えてくれました。怒られたりはしませんでしたね。ただ、可愛い子だけ月謝をとらずに教えたりもしていたとか(笑)」(白井)
女性には優しかった一方、さんざん怒られたというのは、前出の常富氏。
「広島から上京して間もないころは、無愛想で全然打ち解けてくれませんでした。彼は〝東京の人間にナメられたくない”という気持ちが強かったのでしょう。よく〝ヘタクソッ”とか〝そんなんじゃ俺のバックはできない”と怒鳴っていましたよ。かなり鍛えられましたね」
こだわりが強く、自分に正直。その気質は結婚生活でも同じだった。
「最初に結婚したフォークグループ『六文銭』の四角佳子さんとは価値観の不一致で〝(一緒に)暮らしていくのは耐えられない”とラジオで離婚宣言。2度目の結婚をした浅田美代子さんとも、離婚会見の席で〝曲を作るには家庭を持つとダメだと思った”と言い訳しています」(スポーツ紙記者)
他を寄せつけない雰囲気を醸し出していた拓郎だが、広島フォーク村の後輩の1人は意外な一面があったことを打ち明ける。
「拓郎さんが上京する直前に〝おまえのギターを貸してくれ”と言い出したんです。僕の家の近くまで取りに来てくれたので手渡すと、肩に担いで〝ほいじゃ、行ってくるけ”と言って、そのまま東京に旅立っていって……。あの人、普段は全然ギターにこだわりはないから不思議でした。今となれば、東京に行く前に、地元の後輩のギターを背負うことで、自分を奮い立たせたかったのかもしれません」
それから時がたって'08年。その後輩は拓郎の変化に驚いたという。
「広島フォーク村の同窓会として拓郎さんを交えて食事をしたんです。そのとき 〝ファンの言葉でもけっこう傷つくんだよな”と、ぼそっと言ったんです。それを聞いていた人が 〝それだけキャリアがあるのに、今さら傷つくなんてことがあるのか”と尋ねたら〝俺は傷つくんだよ……”と寂しそうに話していて。20代のころは一升瓶のお酒を半分ぐらい飲み干してからステージに立っていましたが、あれは繊細さの裏返しだったんだと思いました」
時の流れが、かたくなだった拓郎の心を、温順にしたのかもしれない。
同世代の歌手仲間に嫉妬して、嫉妬されて…
'75年、拓郎は音楽業界に一石を投じる。井上陽水、泉谷しげる、小室等らとレコード会社『フォーライフレコード』を立ち上げたのだ。
「当時の歌手や演奏家というのは、地位が本当に低かったのです。芸能プロダクションやレコード会社が力を持ち、逆らえば干されたり、活動ができなくなってしまうこともありました。拓郎は常々〝ミュージシャンに強い発言力がないとおかしいじゃないか”と話していました」
同社で音楽プロデューサーを務めていた前出の常富氏は、そう設立の経緯を説明する。
ビッグネームが並ぶなか、会社内で喧嘩などはなかったのだろうか。
「温厚でちゃんと言葉を選ぶ小室さんが社長に就任しました。陽水と拓郎はリスペクトし合っているのですが、どうにも仲よくなれない (笑)。お互いに見下されているのではと思ったり、その逆だったり。いろいろ考えてしまうようなのです。喧嘩するわけでもないし、仲が悪くもないんですが、2人だけで酒は飲めない関係ですね」(常富氏)
泉谷しげるとは馬乗りになっての殴り合い
拓郎の大学時代の後輩である前出の蔭山氏は、
「拓郎さんは〝陽水は本当に頭がいい。俺は3手先まで読めるが、あいつは7手先まで読む。陽水みたいなやつは会ったことがない”と打ち明けてくれたことがありました」
腹の探り合いでもしていたのだろうか……。
一方で泉谷と拓郎はたびたび激しくぶつかった。
「ムッシュかまやつの誕生日会では床を転げまわって、泉谷が拓郎に馬乗りになって殴り合いをしていました(笑)。よく喧嘩していましたね……」(常富氏)
しかし、泉谷のこんなエピソードも。
「2人の関係が悪いときに、泉谷さんがライブで〝大っ嫌いなヤツの曲をやります”と言って、拓郎さんのデビュー曲『イメージの詩』を歌ったんです。泉谷さんは拓郎さんを本当は大好きなんだなって思いました」(泉谷のファン)
拓郎が嫉妬していた人物は、ほかにも。
「小田和正さんです。当時はフォークバンド『オフコース』に所属していた小田さんですが、当初は拓郎のほうが売れていたんです。小田さんが〝拓郎みたいな曲が書ければ俺も成功するんだけど”って言っていたのを聞いたことがありますよ。
『オフコース』が売れてくると、拓郎は〝俺はあんな曲できないよ。♪さよなら、さよなら なんて、あー気持ち悪い”って嫉妬して(笑)。冗談めかして言って、悪意はないんですけどね。今もお互いを尊敬し合っています」(常富氏)
拓郎のラストアルバム『ah-面白かった』にも小田は参加している。長きにわたる交友は、続いていく─。
CMソングが巷で話題も発売しなかったワケ
「拓郎さんって本当にたくさんの曲を作っているので、アルバムを持っていない人でも、誰もが1度は彼の曲を耳にしたことがあるはずです。わかりやすいところで言えば、CMの楽曲ですね」
そう語るのは往年の吉田拓郎ファンの男性。
確かに拓郎の曲は多くのCMに使われた。サントリー缶コーヒーのCMに採用された『今日までそして明日から』、TOTOやリクルートの求人情報誌のCMで使われた『人間なんて』などがおなじみかもしれない。
「CMのためだけに作った曲もあるんです。それらは商品を買ったら、そのオマケで販促用レコードとしてもらえたりした。一般には販売されておらず、アルバムにも入っていないんですよ」(同・男性)
例えばどういう曲があるのだろうか。
「サントリーのCM曲だった『ウイスキークラッシュ』はカセットテープの音源しかありません。これ、裏面が布施明さんなのです。拓郎さんがテレビ嫌いになったのは、布施明さんともめたから……というのは有名な話です。なかなか手に入らないお宝にはこんなクスッと笑えるエピソードもあるんです」(同・男性)
と饒舌に語りつつ、あの有名アーティストが影響を受けたという、未収録のCMソングもあると続ける。
「富士フイルムのCMに使われていた『HAVE A NICE DAY』もそうですね。サザンの桑田佳祐さんはCMでこの曲を聴いて、自分も作曲をしようと思いたったと語っています」
前出の音楽誌編集者は、ファンの間で長らく〝名曲”だと囁かれ続けたCMソングがあると明かす。
「'72年に発売された軽自動車『スバル・レックス』のCMで流れる『僕らの旅』は、その後もファンに根強い人気があった曲でした。これは'02年に発売されたアルバムにアレンジされて収録されましたが、およそ30年以上も〝放置”されたままだったのです」
CM曲の収録にも参加していた、前出の常富氏に話を聞くと、
「懐かしいですね。富士フイルムのCMに僕らはコーラスで参加したんです。拓郎が高音、中音、低音とパートを決めて指揮もやってね」
懐かしい思い出に、笑顔がこぼれる。でも、アルバムに収録しなかった理由は?
「曲を作るときのモードが違うのでしょう。オリジナリティーを持つアーティストとしての吉田拓郎と、CM曲を提供する吉田拓郎は一緒にしたくないという気持ちがあったようです。僕としては〝アルバムに入れたら売れるのにもったいない”なんて思っていましたけどね。拓郎はハッキリと線を引いていました」
〝こだわり”の積み重ねが、拓郎をレジェンドにした。
吉田拓郎が駆け抜けた半生 〜現在までの年表〜
'46年
▼鹿児島で誕生
'55年 9歳
▼両親が別居し、広島に転居
'62年 16歳
▼高校の級友とバンドを結成
'65年 19歳
▼広島商科大学(現在は広島修道大学)入学
'66年 20歳
▼フォークコンテストに出場し全国3位に
'68年 22歳
▼アマチュアフォークサークル“広島フォーク村”結成
'70年 24歳
▼上京して4月にレコード会社『エレックレコード』に契約社員として就職。6月に同社で『イメージの詩/マーク2』でデビュー。11月にファーストアルバム『青春の詩』発売
'71年 25歳
▼『よしだたくろうとミニバンド』で『第3回中津川フォーク・ジャンボリー』に出演し『人間なんて』を2時間絶叫して話題に
'72年 26歳
▼1月にCBSソニーから『結婚しようよ』をリリース。6月に『六文銭』メンバーの四角佳子と結婚。7月にアルバム『元気です。』発売。小室等らと『新六文銭』を結成するも4か月で自然消滅
'73年 27歳
▼国内初となる単独全国ツアーを開催。4月に金沢公演の夜に女子大生に暴行した疑いで逮捕。後に虚偽であることが判明して不起訴に。6月にアルバム『伽草子』発売
'74年 28歳
▼森進一に提供した『襟裳岬』が第16回日本レコード大賞を受賞
'75年 29歳
▼かまやつひろしに提供した『我が良き友よ』がヒット。6月に井上陽水、泉谷しげる、小室等と『フォーライフ・レコード』設立。8月に『かぐや姫』と静岡県掛川市にあるリゾート施設『つま恋』で屋外オールナイトコンサートを開催し、7万人を動員。9月に四角と離婚
'76年 30歳
▼6月に小室に代わり、フォーライフ2代目社長に就任。7月に浅田美代子と結婚
'77年 31歳
▼プロデュースした原田真二がデビュー
'82年 36歳
▼映画『刑事物語』の主題歌『唇をかみしめて』発売。フォーライフの社長を辞任
'84年 38歳
▼8月に浅田と離婚
'85年 39歳
▼『つま恋』で2度目となるオールナイトコンサートを開催
'86年 40歳
▼森下愛子と3度目の結婚
'89年 43歳
▼シングル『落陽/祭りのあと』発売
'94年 48歳
▼NHK紅白歌合戦に初出場するも、その後「二度と出ない」と公言
'96年 50歳
▼10月にKinKi Kidsと司会進行を務める『LOVE LOVEあいしてる』がスタート
'99年 53歳
▼フォーライフレコードとの専属契約を解消
'00年 54歳
▼『インペリアル・レコード』に移籍
'03年 57歳
▼肺がんを患い、摘出手術。10月に復帰コンサートを開催
'06年 60歳
▼『吉田拓郎&かぐや姫 Concert in つま恋 2006』開催。サプライズゲストとして中島みゆきが登場
'07年 61歳
▼ブログで更年期障害や、うつ病を告白
'09年 64歳
▼『エイベックス』に移籍。6月に生涯最後の全国ツアーをスタートするも、7月の大阪公演の開始直前に慢性気管支炎の悪化により公演を中止
'14年 69歳
▼のどにがんを発症('19年に告白)
'22年 76歳
▼6月24日、年内で音楽活動から引退する意向を明らかに
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木村拓哉、KinKi Kidsの特番に出演でSMAPファンが「再集結」に期待する理由
堂本剛と木村拓哉と堂本光一
7月21日放送の『LOVE LOVE あいしてる 最終回・吉田拓郎卒業SP』(フジテレビ系)に、木村拓哉がゲスト出演することがわかった。
1996年10月〜2001年3月まで放送された『LOVE LOVE あいしてる』は、KinKi Kids(以下、キンキ)・堂本剛&堂本光一と、吉田拓郎がMCを務める音楽バラエティー。レギュラー放送終了後、特番という形で復活したこともあるが、吉田が2022年内に活動終了する運びとなり、今月21日放送の同番組でテレビ出演も最後になると発表。番組自体も、この放送をもってシリーズを終える方針のようだ。
KinKi KidsはSMAPのバックだった
そんな『LOVE LOVE あいしてる』最終回で、吉田が“最後に会いたい人”として木村を指名したそう。
「キンキにとっても、木村はジャニーズ事務所の大事な先輩。両者の深い関係性は、ファンの間でも有名です。キンキはかつて木村が在籍していたSMAPのバックダンサーを務めていましたが、今回の特番では、木村が“25周年を迎えるKinKi Kidsとファンの皆さんに喜んでもらいたい”という思いから、彼らのバックダンサーとしてステージに立つという企画も発表されています」(スポーツ紙記者)
木村は、過去にキンキのバックで踊っていた生田斗真、風間俊介とともに“ジャニーズシニア”を結成してパフォーマンスするといい、ネット上のジャニーズファンからも注目を集めている。
なお、SMAPは2016年12月末で解散しており、翌年9月には元メンバーの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾がジャニーズからも退所。その後、3人はSMAPの元マネジャー・飯島三智氏が代表を務めるCULENに移籍し、「新しい地図」名義で活動している。そして、2020年3月末には元SMAPリーダー・中居正広もジャニーズを退所し、独立。SMAP解散時のメンバーでジャニーズに残留しているのは、木村のみとなった。
一方でキンキは、これまで事あるごとに“SMAPとの絆”を感じられるような発言をしており、双方のファンを喜ばせてきた。
たとえば、2018年7月放送の『KinKi Kidsのブンブブーン』(フジ系)に、当時ジャニーズに所属していた山下智久(2020年10月に退所)がゲスト出演した際、山下がかつてキンキのバックダンサーだったという話から、光一は「“バックについていた時の踊りのほうが忘れない”っていうの、あるよね。だから、SMAPの皆さんのバックに僕らがついていたことは、結構覚えています」とコメント。
KinKi Kidsが「新しい地図」と!?
また、2021年9月には『ブンブブーン』放送300回を記念し、木村がゲスト出演。この時は剛が木村を「お兄さん」呼びするなど、先輩・後輩の良好な関係性を覗かせていた。ちなみに、同年10月の文化放送ラジオ『レコメン!』内の『KinKi Kids どんなもんヤ!』でも、木村が登場した『ブンブブーン』の話になり、光一は「SMAPの皆さんのバックには長いことつかせてもらっていた」「勝手にかもしれんけど、“直属”というふうに感じている部分がある」と語っていた。
「このように、キンキはSMAP解散後もたびたび話題に出すなどしており、ジャニーズに所属し続けている木村とは共演もありました。今回また『LOVE LOVE あいしてる』フィナーレという特別な機会に先輩が駆けつけてくれるということで、キンキファンも喜んでいますが、SMAPファンのほうもソワソワしている様子。
剛&光一がずっとSMAPとの縁を大事にしてくれていることがわかるので、そういう意味で嬉しいのはもちろん、最近はある“期待”も膨らんでいるようです」(テレビ局関係者)
キンキは今月1日、『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に初出演したことでも話題に。アニバーサリーイヤーとなるキンキの軌跡を、中居とともに振り返るという内容だったが、ネット上の一部SMAPファンからは「この調子で、キンキと『新しい地図』も共演できたらいいのにな」「キンキは『新しい地図』の3人とも共演したいだろうね」といった声が寄せられていた。
「ジャニーズ離脱後の『新しい地図』の3人は、一時期テレビ露出が減少。最近は徐々に活躍の場を取り戻しているものの、現役ジャニーズとの共演はなかなか厳しそうです。しかし、SMAPファンからは今でも“再集結”を望む声があり、その足掛かりとして、まずはキンキが稲垣、草なぎ、香取と共演できれば……というふうに考える者もいます。
そんな中、キンキが『金スマ』で中居と共演した直後、『LOVE LOVE あいしてる』最終回で木村と共演するという情報が解禁されただけに、“ぜひ『新しい地図』とも共演を!”“キンキにしかできないことだと思う”という期待が寄せられているわけです」(同・前)
キンキがSMAP再集結の架け橋になるのだろうか。
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本田圭佑「飲み会でスマホ没収」のガーシー砲対策が秀逸
ガーシーこと東谷義和氏(公式YouTubeより)、本田圭佑
《たとえ権力者が、何らかの方法で俺の口を黙らせたり俺の存在を消し去ったところで、ガーシー劇場は終わらない》
参議院選挙でNHK党から比例区で立候補し、初当選したガーシーこと東谷義和氏。初の著書『死なばもろとも』(幻冬舎)が8月2日に発売されるにあたり、冒頭のように意気込みを綴った。
「参院選の翌日から予約を受け付けましたが、開始早々からネット書店への注文が殺到。“3万部売れたらベストセラー”と言われる出版不況下で、初版5万部とは異例です」(出版業界関係者)
支持を集めたきっかけは、今年2月に開設されたYouTubeチャンネル『東谷義和のガーシーch【芸能界の裏側】』。
「数々の芸能人や経営者などのスキャンダルを晒す“暴露系ユーチューバー”として一躍時の人となり、参院選に出馬。選挙期間は“実名を明かす”という公約を掲げながら、政見放送などで47パターンの暴露ネタを披露しました」(ウェブライター)
本田圭佑の“ガーシー”対策が秀逸
7月13日、《利用規約に違反していた》との理由でYouTubeチャンネルが停止されたものの、今後は国会議員として、ますます影響力が高まることが予想される。
各界の著名人が戦々恐々とするなか、ひと足早く対策を講じていたのが、サッカー元日本代表の本田圭佑だ。
「7月上旬、六本木で本田さんを中心とした飲み会が行われました。女の子も20人ほどが集まって、終電を過ぎても盛り上がったのですが、実は飲み会の前に参加者たちのスマホが没収されて……」(参加した女性のひとり)
いったい、どういうことか。
「飲み会の“現場”を撮った写真や動画が流出することを避けるためです。つまり“ガーシー砲”対策ですよ。不特定多数が集まって飲み会が盛り上がれば、誰かがスマホで撮影して、それをガーシーにタレこまないとも限らない。
ガーシーによって暴露されたら“コロナ禍でドンチャン飲み会をしていた本田元選手”だなんて大騒ぎにされかねません。ただ、こういった飲み会ですから、連絡先の交換は会が終了してスマホが返却された後にしていましたけど」(同・前)
ガーシーから暴露を“予告”されていた
実は本田は、今年3月に“ガーシー砲”に遭っている。
「かつて本田さんは、ガーシーが経営していたバーに通っていて。そこで、自身の誕生日会を開くにあたり、参加者分のお金をすべて1人で支払ったんです。これは“漢気”を見せたというエピソードですが、ふたりはプライベートでも付き合いがあったといい、ほかの暴露ネタがあることも“予告”されていました」(前出・ウェブライター)
備えあれば憂いなし。これ以上の火種を抱えることがないよう、本田は“ガーシー対策”を進めているようだ。