挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました
ブックマーク登録する場合はログインしてください。

 「C-1型」戦闘記録 ~航空母艇、高速輸送艇の戦闘~

作者:山中 孤独

 

 1940年、日本海軍は本格的に対米戦略を打ち出す必要性に迫られた。

 日独伊三国同盟の締結により対米戦が、より現実的になってきたからだ。

 海軍の一部は最後まで反対したものの奮闘虚しく、世論は徐々に対米戦待ったなしに傾いていった。


 そこで海軍の一部では、対米戦に際して新たな兵器を開発しようという動きができた。

 それは、アメリカとの戦争では如何に艦艇を失わないかが重要という考えから、飛行場が付近に無いような南洋諸島でも偵察機により非武装特務艦艇を護衛する戦闘航空母艇が必要だとして計画された。


 計画名では「試製特殊母艇」、後の「C-1型航空母艇」である。

 計画時に要求された性能は、極めて燃費が良く、零式水上観測機ないし、零式水上偵察機2機を搭載し、航空機の運用可能な最低限の装備と25mm単装機銃を3挺装備した快速大型艇、と言うものだった。


 「試製特殊母艇」が完成したのは、1941年の6月であった。

 試製艇の性能は、零式水上観測機2機をカタパルト発艦可能かつ、25mm連装機銃1挺、同単装機銃2挺を装備、速力31.5ノットを出すことが可能と言うものだったが、200トンで1000海里という燃費の悪いものだった。

 また、この30ノットを超える性能を出すために搭載機関が複雑化したので、この搭載機関を簡略化して燃費を向上させることを条件に10隻を建造することとなった。


 建造は民間の船舶造船所に発注され、三か月で10隻全て建造された。

 この量産型である「C-1型航空母艇」は、重油100トンで航続距離1500海里という中々の燃費で、速力が27ノットと試製艇に比べて速力が落ちたものの、量産に向いた機関を搭載することが出来、量産体制が完全に整った。

 量産型の試験航行の結果も良好で年明けから追加発注も日本各地の造船所で計画されていた。


 その矢先、太平洋戦争が勃発する。

 日本海軍は、そこから破竹の勢いで南洋諸島の地域を占領していった。

 それに伴う形で、結果的に計画通り日本各地の造船所に発注された。


 これには南洋諸島の特務艦を護衛をしていた「C-1型航空母艇・五号」の初戦果も原因である。

 年明けた1941年2月、「五号」が南洋諸島で特務艦を含む艦隊の護衛をしていたところに陸上から発進した哨戒機より「敵潜、現ル」との報があり、零式水上観測機を単機で艦隊の針路を偵察させたところ、浮上航行中の敵潜水艦を偶然発見した。

 そこで零式水上観測機はこれを機銃掃射したところ、潜航不能状態に陥った敵潜水艦は遭えなく自沈したという顛末てんまつである。

 奇跡とも言える戦果だったが、曲がりなりにも「C-1型航空母艇」の戦果であったことから、非武装特務艦艇の乗員にとって、「C-1型航空母艇」が護衛を務めてくれることだけでも安心感を得られるということで精神安定剤的側面も持つようになったため、量産を進められるようになった。

 

 しかし「C-1型航空母艇」の運用方法も、「ミッドウェー海戦」を機に状況が変わる。

 「ミッドウェー海戦」に敗北してから、「ガダルカナル島の戦い」が収束するまでの間、量産された「C-1型航空母艇」のうち実に18隻が、ガダルカナル地域にて独行し、零式水上観測機による強行偵察を行うという、使い潰しを想定された任務を課せられ、7隻が撃沈され、9隻が損傷した。


 強行偵察の結果は、それなりに良好だったことがこの無謀とも言える任務が継続された原因でもあるが、これは特務艦艇の護衛時に、潜水艦を見落としては大惨事になる事から、海中にいる潜水艦を見つけられるようにと零式水上観測機の搭乗員をわざわざ訓練してきたからである。

 ちなみに、残念ながら大戦中に一度も目視で海中にいる潜水艦を発見することは叶わなかった。

  

 また、それと並行して「C-1型航空母艇」の快速に目をつけた海軍上層部は、「C-1型航空母艇」から航空機運用能力を取り去り、そこに補給物資を搭載し、強行輸送するという作戦を立案した。

 この強行輸送作戦に改装されて一度でも参加したのは18隻であり、その16隻は4回に及ぶ強行輸送作戦の全てに参加し、その過程で3隻が撃沈され、1隻が作戦終了後に撃沈されている。

 

 「ガダルカナル島の戦い」を終結した後は、皮肉にもますますこの強行輸送作戦用に改装した「C-1型飛行母艇」は強行輸送の要として重宝された。

 更に、航空機を搭載していた場所に大発を搭載できるようにスロープを艦尾に設置した「C-1型飛行母艇」は「C-1型高速輸送艇」と改称され、量産させることとなった。

 また、並行して「C-1型飛行母艇」が改良され、後期型が生産されるようになった。

 「C-1型高速輸送艇」の量産体制が整った1943年6月時点で就役していた「C-1型歩行母艇」は合計で74隻、うち21隻が強行輸送作戦用に改装されていた。また、この74隻のうち、すでに轟沈したのは19隻、うち4隻が強行輸送作戦用であった。

 

 「C-1型高速輸送艇」が就役しだしたのは1943年の8月であり、それは中部太平洋方面でも戦火が広がっていた頃であり、「C-1型高速輸送艇」は「C-1型飛行母艇」などの護衛を伴い、中部太平洋方面で転戦し、現地で戦っている陸海軍将兵らを撤退に活躍した。

 

 なかでも顕著だったのが、日本側では「奇跡のタラワ」、アメリカ側では「屈辱のタラワ」と称されるタラワ守備隊収容作戦とそれに伴う「タラワの戦い」である。

 1943年11月、無傷で終えたキスカ島撤退作戦に引き続き、次の連合軍の目標がタラワであるという推論の下、タラワにいる守備隊5000名の撤退が決まった。


 そこで、結果として「C-1型高速輸送艇」14隻と「C-1型飛行母艇」8隻を含む快速輸送艦隊が急行した。

 しかしこの艦隊には、航続距離という問題がある。

 「C-1型高速輸送艇」は輸送能力の向上のため、航続距離が延びる様に再設計されていたが、それでも最大で4000海里である。「C-1飛行母艇」は後期型へと改良されたことで前期型の1500海里から2500海里までは伸びているが、駆逐艦などに比べても短い。まして、通常の輸送船に比べれば圧倒的に短い。

 そのため、この艦隊には補給として油槽船6隻が新たに追加されることとなる。

  

 11月17日深夜、タラワにいた守備隊のうち戦闘部隊2500名が大発などに分乗し、闇に紛れて島を後にした。

 残りの設営隊2500名は、ぎりぎりまで偽装工作を行いつつ、翌日深夜の撤退に備えており、快速輸送艦隊は、昼のうちは少し離れたところの島陰に停泊した。

 その間、「C-1型飛行母艇」の搭載機は半数が周辺海域の警戒に当たった。

 ちなみに補給のための油槽船は、更に後方の島の湾内に停泊しており、収容作戦終了後に合流して補給した後に、本土に帰還することとなっている。

 

 翌18日深夜になり、設営隊も闇に紛れて、撤退していた。

 しかしその最中「C-1型飛行母艇・十八号」から出撃し、警戒に当たっていた零式電信観測機から、「敵艦隊現ル」の報告を受ける。


 この三式電信観測機は、「C-1型飛行母艇」の哨戒能力向上のために零式水上観測機のうち、いくつかをわざわざ改造し電探を搭載したもので、その性能は条件が良ければ、50km先の戦艦を補足できるというものであった。

 今回もその電探のおかげで、敵の索敵範囲外から、発見することが出来た。

 ちなみに、この三式電信観測機は多くの技術力の結晶であり、量産はほとんどされず、終戦時の総生産数は26機である。

 

 零式電信観測機の報告により敵艦隊の接近が発覚したため、快速輸送艦隊は予定を繰り上げて、引き揚げるはずだった重砲を諦めて、闇に撤退した。

 

 翌日、タラワには砲弾の雨が降り注いだ。

 これは、米艦隊の艦砲射撃であり、砲弾の雨は3日間続いた。

 

 そして11月21日、米海兵隊の上陸が始まる。

 もちろん、艦砲射撃が全くの無駄であったと気付いたのはこの日であり、あまりにも日本軍の抵抗が無かったことで、米兵たちは恐怖心をあおられ、上陸後に同士討ちが多発した。

 彼らの中には、先日のキスカ上陸作戦の内容を聞かされていた者もいたが、同時に、日本軍は二度も同じ手を使ってくるはずがないという噂も流布していたため、上陸する際にはむしろ、余計に待ち伏せを恐れてパニックに陥った。

 

 一方、快速輸送艦隊は、敵艦隊に見つかることなく撤退することができ、「C-1型飛行母艇」をはじめとする護衛艦の影響もあり、本土帰還中に潜水艦被害に遭うことも奇跡的に無かった。

 

 そのため、この一連の結果を、日本側は損害無しに撤退できたことから「奇跡のタラワ」と呼び、米軍側は無駄に艦砲射撃をして弾薬を使ったことに加え、キスカ島での反省が生かされなかったことから「屈辱のタラワ」と呼ぶようになった。

 

 これ以降、タラワ撤退作戦に使われた艇やその付近で展開していた「C-1型飛行母艇」や「C-1型高速輸送艇」の一部は、絶対国防圏と位置付けられたマリアナ諸島などの中部太平洋方面への増援部隊輸送作戦である「松輸送」に参加したが、それ以外の多くの「C-1型飛行母艇」や「C-1型高速輸送艇」はしばらく大規模な作戦に参加することは無く、物資の欠乏から、係留されることが多かった。 

 

 1944年11月にフィリピンを喪失して以降は、敵の機動部隊や多数の潜水艦に直接攻撃を受けることが多くなり、「C-1型飛行母艇」も「C-1型高速輸送艇」も稼働数は激減した。

 

 「C-1型飛行母艇」と「C-1型高速輸送艇」が最後に表舞台に現れたのは、往路では速射砲71門、食料、弾薬を、復路では民間人を運ぶ佐世保から那覇への輸送船団、サナ208船団の時である。

 サナ208船団に参加したのは、海防艦3隻、輸送船8隻、油槽船2隻、「C-1型高速輸送艇」7隻、「C-1型飛行母艇・後期型」6隻で、旗艦は海防艦が務めた。

 

 これだけの大船団であれば、排煙が多くなるため、潜水艦に発見されるのは無理もない。

 実際、往路では、二度潜水艦に発見されたものの、「C-1型飛行母艇」から発艦した対潜用零式水上観測機による爆雷攻撃とマーキングにより撃退されたため、被害を出さずに那覇港へと到達した。

 

 しかし、復路においてサナ船団は、悲劇に襲われる。

 往路でサナ船団に迫った潜水艦が「C-1型飛行母艇」や「海防艦」の目を掻い潜り、輪形陣の中央にいた「C-1型高速輸送艇」に肉薄した。

 左翼にいた「C-1型高速輸送艇」1隻は敵潜水艦に気づき回頭したものの、肉薄した敵潜水艦から発射された4本の魚雷は2本が回頭した「C-1型高速輸送艇」に命中、沈没し、更にその前方にいた油槽船に魚雷一本が命中し、大爆発。一瞬で轟沈した。

 この2隻の生存者28名、うち油槽船は爆沈したため生存者は1人だった。

 

 更に、敵潜水艦は奥にいた輸送船に2本を命中させた後、急速潜航したため、「C-1型飛行母艇」から出撃した零式水上観測機がマーキングしたものの、轟沈させるには至らなかった。

 魚雷が命中した輸送船は轟沈し、生存者は76名だった。

 生存者はすぐさま「C-1型飛行母艇」に収容された。

 

 以降、潜水艦に襲われることが無かったサナ船団は鹿児島へと寄港した後、佐世保へと帰還した。

 輸送船2隻と油槽船1隻を失っただけで、他が全て帰還できたのは運が良かったからであり、これ以降の沖縄への輸送船団はことごとく沈められた。

 

 以後は燃料不足と航空機不足から「C-1型飛行母艇」は、各港で係留されるのみとなり、「C-1型高速輸送艇」もほとんどが、係留された状態で終戦を迎えた。

 

 終戦後は、「C-1型飛行母艇」の多くは輸送用に改造され「C-1型高速輸送艇」と同様に、中国戦線で戦っていた陸軍を主とした復員船として稼働。

 一説には、中国戦線で戦闘し復員したものの三分の一は、C-1型によって運ばれたと言われる。

 

 この後、「C-1型飛行母艇」、「C-1型高速輸送艇」の多くは復員の任務を終え、調査用に米軍が鹵獲したものを除き、ほとんどがアメリカと日本で解体され、その生涯に幕を閉じた。

 

 

C-1型航空母艇・前期型

満載時排水量:760t

全長:65.00m

全幅:10.50m

速力:27.1ノット

航続距離:14ノットで1500海里

武装:96式25mm連装機銃1挺、同単装機銃2挺、爆雷12発

搭載機:零式水上観測機 2機

総生産数 78隻(内、強行輸送作戦用に改装されたものが23隻)


C-1型航空母艇・強行輸送作戦用改装型

満載時排水量:740t

全長:65.00m

全幅:10.50m

速力:26.4ノット

航続距離:14ノットで3000海里

武装:96式25mm連装機銃1挺、同単装機銃2挺

総生産数 23隻


C-1型航空母艇・後期型

満載時排水量:780t

全長:65.00m

全幅:10.50m

速力:26.4ノット

航続距離:14ノットで2500海里

武装:96式25mm三連装機銃1挺、同単装機銃2挺、爆雷12発

搭載機:零式水上観測機 2機

総生産数 41隻+未成艇 3隻


C-1型高速輸送艇

満載時排水量:740t

全長:65.00m

全幅:10.50m

速力:25.1ノット

航続距離:14ノットで4000海里

武装:96式25mm三連装機銃1挺、同単装機銃2挺

総生産数 59隻+未成艇 7隻


三式電信観測機

全長:9.50m

全幅:11.00m

全高:4.00m

全装備重量:2,700kg

最大離陸重量:2,754kg

最高速度:380km/h

発動機:三菱 空冷星型14気筒・瑞星13型

航続距離:650海里

実用上昇限度:10,000m

武装: 九七式7.7mm機銃(機首2門)、特殊艦載型1号電探

総生産数:26機



  • ブックマークに追加
ブックマーク登録する場合はログインしてください。
いいねで応援
受付停止中
ポイントを入れて作者を応援しましょう!
評価をするにはログインしてください。

感想を書く場合はログインしてください。
イチオシレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。