【86人】在日韓国人&朝鮮人の芸能人/女優/俳優/芸人/有名人まとめ! |
1. |
新井浩文(俳優)/本名:朴 慶培(パク・キョンベ)/在日韓国人3世
俳優・新井浩文さんは、在日韓国人3世で、本名は、朴 慶培(パク・キョンベ)さんです。
・本名:朴 慶培(パク・キョンベ)
・生年月日:1979年1月18日
・出身地:日本青森県
デビュー作は、映画『GO』で、主演に窪塚洋介さんや柴咲コウさん。監督に行定勲、脚本に宮藤官九郎さんが務めた金城一紀さん原作小説でテーマもやはり在日韓国人。
缶コーヒーのジョージア「エメラルドマウンテンブレンド」(2017年 )での演技評価も話題になった俳優さんですが、2019年2月1日に、2018年7月1日に行った「自宅で派遣マッサージ店の女性従業員への性的暴行」が発覚し、強制性交の容疑で逮捕起訴されてしまいました。
“クズ男を演じさせたら右に出る者はいない”と評され演技評価も高い俳優でしたが、…本当にクズだったんですね。
2. |
金子賢(俳優/格闘家)/本名:金 賢(キム・ヒョン)/在日韓国人
俳優の金子賢さんは、在日韓国人で、本名は金賢(キム・ヒョン)さんです。
1990年代には様々なドラマやファッション誌でも見ない日は無かったほど売れっ子俳優兼タレントだった金子賢さん。ダウンタウンの浜田雅功さんにも気に入られ「浜田ファミリー 次男」とも呼ばれバラエティー番組でも活躍しました。
1996年には北野武監督の映画『キッズ・リターン』で主役デビューも果たします。
2004年には「格闘技挑戦は2年間限定」との所属事務所との約束で、なぜか総合格闘家に転身し、その後はテレビから消えて「干されたのか!?」と噂もありました。
その後は、なぜかボディビルダーに転身。
…変わった人ですねえ。。
3. |
ソニン(歌手/タレント)/本名:成膳任(ソン・ソニム)/在日韓国人3世
元EE JUMPメンバーのソニンさんは在日韓国人3世で本名は成膳任(ソン・ソニム)さんです。
彼女はデビュー時から“ソニン”という韓国っぽい芸名だったので、在日韓国人である事を知っている人のほうが多いでしょう。
2000年に、モーニング娘。の後藤真希さんの弟・後藤祐樹(ユウキ)さんと一緒に音楽ユニット『EE JUMP』としてデビュー。
3枚目のシングル「おっととっと夏だぜ!」がオリコンチャートで最高5位を獲得しブレイクするも、2001年、4枚目のシングル「イキナリズム」発売直前に後藤祐樹(ユウキ)の失踪事件、ユウキ復帰後の2002年にファーストアルバムのリリースが予告されていた4月、ユウキが不祥事のため脱退。
EE JUMPは事実上解散となり、ジャケットやポスターなどの撮影も完了していたアルバムが発売中止となるなどパートナーに振り回された苦労人。
EE JUMP解散後はソロになり、2002年8月「カレーライスの女」で、裸エプロン姿のジャケット写真とPVが話題になりましたが、その後は徐々にテレビから姿を消してしまいました。
4. |
中村ゆり(元YURIMARI/女優)/本名:成 友理(ソン・ウリ)/韓国籍(父親が在日韓国人3世)
元YURIMARI(ユリマリ)の中村ゆりさんは韓国籍で父親が在日韓国人3世で母親は韓国人です。
本名は成 友理(ソン・ウリ)さん。
中村ゆりさんは、1990年代に人気を博した、テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』で1996年開催のオーディションに合格し、友人の伊澤真理さんと音楽デュオYURIMARIを結成し芸能界デビュー。
YURIMARI結成後は、6枚のシングルと1枚のアルバムを発表し、1999年に解散し、その後は3年間の活動休止期間を経て、2003年より女優として芸能活動を再開。
2007年には、映画『パッチギ!』の続編『パッチギ! LOVE&PEACE』のキョンジャ役で2007年度全国映連賞女優賞と、第3回おおさかシネマフェスティバル新人賞を受賞しています。
賞を受賞して女優としてブレイクするかと思いきや、ドラマでの単発話での出演やPVなどでの起用が多く、主演や助演などの華のある女優には程遠い様子。
勇者ヨシヒコと悪霊の鍵の第8話では人妻のフローナ役も演じました。(個人的には大好き)
5. |
和田アキ子(歌手/タレント)/本名:金海福子/在日韓国人(帰化済)
芸能界のご意見番・和田アキ子さんは在日韓国人で、本名は金海福子さんです。
現在は日本へ帰化しており日本人になっています。
現在では、芸能界のドンやご意見番的なイメージが強い和田アキ子さんですが、
1968年、「星空の孤独」でレコードデビューし1970年には「笑ってゆるして」で紅白出場、1972年にはカラオケでも定番の「あの鐘を鳴らすのはあなた」で第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど歌手として輝かしい実績を持っています。
デビュー当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」で芸名候補がマーガレット和田だったのだとか(笑)結局“イメージに合わない”という事で本名からとった和田アキ子でデビューしたそうです。
ちなみに、自身が在日韓国人と知ったのは、中学生の頃なんだとか。
週刊文春のインタビューで、「自分は日本人ではないと知ったのは中学生の頃。区役所に行って分かった」と語っています。
6. |
岩城 滉一(俳優)/本名:李光一/在日韓国人
俳優の岩城滉一さんは在日韓国人で本名は李光一さんです。
俳優デビュー前は、同じく俳優の舘ひろしさんと一緒に「クールス」という原宿~表参道を拠点にした硬派バイクチームで副団長をしていたのだとか。
矢沢永吉さんのロックバンド「キャロル」の親衛隊として有名になり、その後は「クールス」時代にハーレーダビッドソンに乗った姿が『平凡パンチ』と『週刊プレイボーイ』に掲載され、写真を見た東映に「70万円やるから映画に出ないか」と誘われて1975年の東映映画『新幹線大爆破』で、俳優として芸能界にデビューしたというとんでもエピソード。
ヤクザとも付き合いがあったようで、1977年には、覚せい剤取締法違反や銃刀法違反で逮捕され、その後の週刊誌のインタビューで「シャブを打って何が悪い」と豪語するなど、結構なワルだったようです。
最近は牙が抜けたのか良いおじさん俳優だったのですが、あるCMの発表会見の席でサッカー日本代表のことを「猿かオランウータン」「まねしかできない」と言ったことで世間からブーイングを浴びました。
7. |
矢沢永吉(ミュージシャン)/本名:趙永吉/在日韓国人
ロックンローラーの矢沢栄吉さんは在日韓国人で本名は趙永吉さんです。
“永ちゃん”の愛称で親しまれ、缶コーヒーのBOSSのCMでも人気の矢沢栄吉さんは、出身は広島で、母親は3歳の時に蒸発し被爆した父親は小学校2年生の時に死別し、幼少期は親戚中をたらい回しにされ極貧の少年時代を過ごした苦労人です。
子供時代、近所の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキを投げつけられるなどのイジメを体験し「BIGになる」との思いが芽生えたのだとか。
ロックンローラーを目指したきっかけは、ラジオから流れたビートルズで、1972年にロックバンド「キャロル」を結成。1975年にキャロルを解散し、その後はソロで活動し、1980年代にロックスターの座を確率しました。
幼少時代の苦しい経験とハングリー精神が矢沢永吉の成功の糧になったのですね。
8. |
西城秀樹(歌手)/本名:李龍雄(木本龍雄)/在日韓国人
昭和を代表するスターの1人、西城秀樹さんは在日韓国人で本名は木本龍雄(韓国名:李龍雄)さんです。
父親が事業家で実家は広島のパチンコ店で、家は裕福だったのだとか。
1972年に日本ビクターのRCAレーベルからシングル「恋する季節」で歌手デビューしました。デビュー時のキャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。
「情熱の嵐」「傷だらけのローラ」「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」「ギャランドゥ」など数々のヒット作に恵まれ、「新御三家」として郷ひろみさんや野口五郎さんと共に70年代~80年代のトップアイドルとして活躍しました。
“ヒデキ”の愛称で親しまれましたが、2001年秋に脳梗塞を発症し、その後はリハビリに専念し、後遺症は残ったものの、ライブを行うまで回復したものの、2018年5月16日、急性心不全でこの世を去りました。
9. |
松田優作(俳優)/在日韓国人
俳優の松田優作さんは、在日韓国人です。
山口県下関市で、日本人の父と在日韓国人1世の母の間に非嫡出子として生まれた松田優作さんは、「米国へ行って弁護士になれ」という母親の言いつけで米国籍を得る為に渡米し、カリフォルニア州のシーサイド高校に入学するものの、叔母夫妻の離婚訴訟や言葉のギャップに悩み母に無断でシーサイド高校を中退し帰国。
1973年に、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』でジーパン刑事役に抜擢。殉死したシーン「なんじゃこりゃ」は今でもモノマネに使われるほどの話題を残しました。
その後は『俺たちの勲章』など話題作に出演し、スターダムにのし上がっていくかと思いきや1976年に暴力事件で逮捕起訴。
暴力事件での有罪判決後、1976年5月に、東映『暴力教室』で見事復活。
その後は『蘇える金狼』、『俺達に墓はない』『探偵物語』など数々の名作に出演しましたが
1989年11月6日、膀胱癌の腰部転移で40歳の若さで死去しました。
松田優作さんが弟の様に可愛がっていた俳優の仲村トオルさんは遺体の前で「優作さん! 起きてください! 早すぎるよ!!」とドラマのように泣き叫んだそうです。
10. |
伊原剛志(俳優)/本名:尹惟久(ユン・ユグ)/在日韓国人3世(帰化済み)
俳優の伊原剛志さんは在日韓国人3世で、本名は尹惟久(ユン・ユグ)さんです。
すでに日本に帰化しており、現在は日本人です。
元々は教師を目指していたそうですが“公立小中高の学校教師は日本国籍をもつ者のみがなれる”という国籍条項があったため、在日韓国人である伊原剛志さんは、教師の夢を断念。
1982年、ジャパンアクションクラブに入団し、1983年、舞台『真夜中のパーティー』で俳優デビューしました。
俳優デビュー後は『コータローまかりとおる!!』やNHK連続テレビ小説『ふたりっ子』、映画『愛と誠』『半落ち』『BRAVE HEART 海猿』『硫黄島からの手紙』など数々の映画やドラマに出演。
シリアスな作品に多く出演していますが『超高速!参勤交代』などコメディ作品にも幅広く出演している命俳優さんです。特に独特の雰囲気で、自衛隊や軍隊モノでは欠かせない俳優さんです。
堅物顔で俳優一筋と思いきや、2016年には、落語家の桂雀々さんに弟子入りし、雀々や剛々の高座名で落語家デビューしたり、アメリカ(ロサンゼルス)にお好み焼き店を出店するなど起業家としても活動したりと活動の幅が広かったりもします。
11. |
松坂慶子(女優)/本名:高内慶子(たかうち けいこ)/在日韓国人(帰化済み)
女優の松坂慶子さんは、在日韓国人で1993年に帰化し日本国籍を取得し現在は日本人です。
出生は1952年で、1938年に日本へ仕事を求めて渡ってきた韓国人の父と日本人の母との間に生まれました。
母親には戸籍が無く、実在しない韓国人の戸籍を借りたため、本当は日本人なのに韓国人ということになり、娘の松坂慶子さん自身も韓国籍になったようです。
1969年に、大映からスカウトされ、映画『ある女子高校医の記録 続・妊娠』で女高生の一人としてスクリーンデビュー。1971年には、映画『夜の診察室』で、降板した渥美マリの代役で映画初主演を果たします。
その後は、1972年に松竹へ移籍し1973年NHKの大河ドラマ『国盗り物語』で濃姫を演じてブレイクし、その後は映画やドラマ、テレビCMなど様々な作品に出演する大女優となりました。
1990年には、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)氏と結婚し“格差婚”と話題になりました。
当時は高内春彦氏は売れないギタリストで松坂慶子さんの父親に「マンションを保有している」と嘘を付いたのだとか…
12. |
安田成美(女優)/本名:鄭成美/在日朝鮮人
女優の安田成美さんは、在日朝鮮人です。
1981年、中学在学中に芸能事務所にスカウトされ、花王ビオレのCMでデビュー。
1983年にはアニメ映画『風の谷のナウシカ』のイメージガールのオーディションで約7500人の中からグランプリを獲得。
その後は、数々のドラマや映画に出演し、80年代後半から90年代に掛けて人気を博した女優さんです。
1994年には主演を務めていたNHKの連続テレビ小説『春よ、来い』を途中降板し、原作・脚本の橋田壽賀子さんが「飼い犬に手を噛まれた」と発言して波紋を呼びました。
この降板劇に、テレビ朝日のワイドショーで、あるコメンテーターが「そりゃ当たり前だと思うよ、安田さんて在日朝鮮人でしょ?植民地の朝鮮で荒稼ぎする日本人の娘の役なんてやりたい訳ないよ」と語ったことで在日朝鮮人であることが明るみになりました。
同年、1994年、映画『そろばんずく』で共演したとんねるずの木梨憲武さんと結婚し、テレビから遠ざかりました。
13. |
南果歩(女優)/在日韓国人
女優の南果歩は在日韓国人です。
2007年1月11日に放映されたNHKのテレビ番組『スタジオパークからこんにちは』で両親が韓国人であることを告白しています。
芸能界デビューは、1984年、短大在学中に映画『伽倻子のために』のヒロイン役オーディションに応募し、2000人の中から選ばれました。
女優デビュー後は、舞台『ロミオとジュリエット』のジュリエット役や映画『夢見通りの人々』で助演女優賞を獲得するなど映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍しました。
結婚生活は波乱万丈で、1995年に、ミュージシャンで作家の辻仁成さんと結婚し、男の子をもうけましたが、2000年3月に離婚。2005年俳優の渡辺謙さん再婚しますが、渡辺謙さんの不倫が原因で2018年5月に離婚しています。
15. |
井川遥(女優/モデル)/本名:趙秀恵/在日韓国人3世(帰化済み)
ぷっくり唇がセクシーな女優でモデルの井川遥さんは在日韓国人3世で、本名は趙秀恵さんです。
2007年に日本に帰化し、現在は日本人。
1999年に『東洋紡水着サマーキャンペーンガール』に選ばれ芸能界デビュー。2000年には 『アサヒビールイメージガール』に選出され、癒し系のグラビアアイドルとして人気となりました。
祖父が韓国人の在日韓国人3世で、デビュー前には韓国名の趙秀恵としてモデル活動をしていたそうです。
2006年に14歳年上のファッションブランド『ato』のデザイナー、プロデューサーの松本与さんと結婚し、2006年9月7日に日本に帰化しています。
16. |
小池栄子(タレント)/本名:/在日韓国人
元グラビアアイドルでタレントの小池栄子さんは在日韓国人です。
祖父が在日韓国人で、実家ではパチンコ店を営んでいたそうです。
保育士が夢だったそうですが、イエローキャブ野田義治社長にスカウトされ、芸能界デビュー。実は女優志望だったそうですが、騙されて水具グラビアアイドルになったとか(笑
デビュー時のデビュー当時のキャッチフレーズは“宇宙一のメロンパイ”。
Fカップバストで様々な雑誌グラビアに登場し、当時の中高生男子の右手の御供になりました。
イエローキャブ分裂後は、グラビア活動は事実上引退し、その後は女優としても活躍。
2007年8月29日にプロレスラーの坂田亘さんと5年に渡る交際の末、結婚しました。
17. |
布袋寅泰(ミュージシャン)/在日韓国人
ロックンロールミュージシャンでギタリストの布袋寅泰さんは、在日韓国人です。
1981年、BOØWYのギタリストとしてデビュー、ライブではボーカルの氷室京介さんに「クレイジーギター、布袋寅泰!」と紹介され当時の若者を中心に熱狂的な人気となりました。
1987年、BOØWYの解散後は、ソロ活動や、吉川晃司さんとのユニット・COMPLEX、他のミュージシャンへの楽曲提供など、幅広い音楽活動をしています。
1986年1月に、歌手の山下久美子さんと結婚、1997年11月に離婚。その後、1999年6月に女優の今井美樹さんと再婚し、一人娘をもうけました。
2004年には、フライデーに、当時、保坂尚輝さんの妻だった高岡早紀さんとの不倫を報じられる事も。
布袋寅泰さん自身が執筆した本『秘密』では、「父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だった」と自らの出生の秘密と在日韓国人である事を告白しています。
18. |
錦野旦(歌手/タレント)/本名:金明植/在日韓国人2世(帰化済み)
“スター錦野”こと歌手でタレントの錦野旦さんは、在日韓国人2世で、本名は金明植さんです。
1970年代始めから半ばに掛けて、精悍な顔立ちと抜群の歌唱力で10代から30代の女性に人気のアイドル歌手となりました。
高校時代は体操のオリンピック選手を目指していたそうで、運動神経は抜群!『芸能人大運動会』では身体能力の高さを披露していました。
1970年代後半は東映映画やドラマで俳優活動を行い、1990年代以降は“スター錦野”の愛称で、バラエティ番組で活躍しました。
特に、とんねるずとの絡みは最高でしたね!
実は、バラエティでの再ブレイクのきっかけは、アニメ『ちびまる子ちゃん』の「まるちゃんブロマイドをなくす」回で注目を浴びた事なのだとか。
そんな錦野旦さんは、1961年に、家族と共に朝鮮籍から日本に帰化。
アイドル歌手として人気絶頂だった1972年に、ご自身が帰化した韓国系日本人であることを週刊誌で公表しています。
19. |
都はるみ(演歌歌手)/本名:李春美(北村春美)/在日韓国人
演歌歌手の都はるみさんは、在日韓国人で、本名は李春美(日本での本名:北村春美)さんです。
1964年「困るのことヨ」で、芸能界デビューし、同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーとなり、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得しました。
1976年には「北の宿から」で第18回日本レコード大賞や、FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の賞を受賞。
その後も、「はるみ節」と呼ばれる独特の力強い歌い方で、数多くのヒット曲を世に送り、2005年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞し、2010年には紫綬褒章を受章しています。。
昭和後期を代表する国民的演歌歌手だった都はるみさんも、実は在日韓国人。
父親が、在日韓国人で、母親が日本人です。
1969年の雑誌『週刊平凡』で、都はるみさんの母親がインタビューに答える形で公表しました。
在日告白の反響は凄まじく、取材が殺到。
以後、母親は取材に応じる事を辞めたそうです。
都はるみさん自身も、在日韓国親と言う出自の人間がレコ大をとっていいのかというバッシングを受け、賞を辞退しようかと悩んだそうです。
20. |
藤本美貴(アイドル)/本名・尹三貴(ユン・ミキ)/在日韓国人
ミキティーの愛称で親しまれるアイドル歌手の藤本美貴さんも在日韓国人で、本名は尹三貴(ユン・ミキ)さんです。
2000年4月、モーニング娘。第3回追加オーディションの最終選考で落選も、将来性を評価されレッスン生に。
2001年4月に高校を中退し、同年10月、テレビ東京『新・美少女日記』で芸能界デビュー。
2002年11月、松浦亜弥さんや、後藤真希さんと『ごまっとう』を結成。シングル『SHALL WE LOVE?』をリリース。同年12月には、NHK紅白歌合戦にも出場しています。
その後は、2003年1月、6期生としてモーニング娘。へ加入し、2007年1月、吉澤ひとみさんの卒業に伴い、モーニング娘。のリーダーに就任するも、5月25日発売のフライデーで、品川庄司の庄司智春さんとの熱愛が報じられてしまいました。
2009年3月24日に、庄司智春さんとの婚約を発表し、3月31日、ハロプロを卒業。
2010年、父親が亡くなった際、北海道新聞の「お悔み」が掲載。
その時に『尹 金易勇』という父親の実名が報じられました。
藤本美貴さん本人もその時に自身の出生を知ったとブログで綴っています。
21. |
金本知憲(野球選手)/本名:金知憲(キム ジホン)/在日韓国人3世(帰化済)
野球選手の金本知憲選手は、在日韓国人3世で本名は金知憲(キム ジホン)さんです。
2001年に日本人女性と結婚した際に、日本に帰化しており現在は日本人になっています。
広島カープや阪神タイガースで活躍し、“アニキ”、“鉄人”の愛称で野球ファンから愛された金本知憲選手ですが、順風満帆な野球人生ではなかったようです。
1991年秋のドラフト会議で広島東洋カープへ入団しプロ野球入りするも、当初はとても非力な選手でで、守備も下手で「モグラ殺し」のあだ名を付けられるほどでしたが、筋力トレーニングで肉体作りを行いレギュラー定着。
2003年に星野仙一監督からのラブコールで阪神タイガース入り、18年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど、主軸として活躍しました。怪我で苦しむ事もありましたが2010年には連続試合フルイニング出場世界記録、2018年1月には、競技者表彰にて野球殿堂入りという快挙を成し遂げました。
引退後は、野球解説者や阪神タイガースの監督などでプロ野球界へ貢献しています。
ちなみに、1986年の広陵高校時代には、在日韓国人学生野球団の一員として渡韓した事も。
22. |
張本勲(コメンテーター)/本名:張勲(チャン・フン)/在日韓国人
元プロ野球選手でコメンテーターの張本勲さんは在日韓国人で本名は張勲(チャン・フン)さんです。
両親は韓国慶尚南道昌寧郡大合面出身で、1939年に母親が身重のまま、2人の姉と朝鮮から海を越えて日本へ渡り、広島で張本勲さんを生んだそうです。
「喝!」「あっぱれ!」のキャッチフレーズで有名なコメンテーターの張本勲さんは、実は元プロ野球選手。現役時代、日本で初めて3,000本安打を記録したり、NPB唯一の500本塁打300盗塁達成者や、史上最多の16度のシーズン打率3割、史上最長の9年連続打率3割の記録保持者など、数々の記録を打ち立てたすごい選手でした。
ただの偉そうなコメンテーターじゃなかったんですね(笑)
1959年に東映フライヤーズへ入団し、プロ野球入り。
その後は、1976年に巨人へ移籍し、王貞治選手と“OH砲”として活躍、1980年にロッテへ移籍し、翌年の1981年に現役引退しました。
現在は、野球解説者、野球評論家として活躍しています。
23. |
力道山(プロレスラー)/本名:金信洛(キム・シルラク)/在日朝鮮人
“空手チョップ”で有名な、プロレスラーの力道山さんも在日朝鮮人で、本名は金信洛(キム・シルラク)さんです。
(日本名の本名は百田 光浩(ももた みつひろ)さん)
日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里(現在の北朝鮮統治範囲)にて、朝鮮人の両親のもとに生まれましたが、本人は自身の出目を明かしていません。
大相撲の力士出身のプロレスラーで、1948年5月場所で、前田山の棄権により不戦勝の形で殊勲賞を受賞。力士としての位は関脇でした。
1952年2月、アメリカに渡り、プロレスの猛特訓を受け、翌年帰国して新田新作さん、興行師・永田貞雄さんと共に、日本プロレス協会を設立。
テレビ黎明期に活躍し、柔道家出身の木村政彦さんとの八百長崩れの試合や、1955年のキングコング戦、1958年のルー・テーズ戦など数々の名勝負を披露。
1963年に東京体育館で行われたWWA世界ヘビー級選手権でのザ・デストロイヤー戦は平均視聴率64.0%を記録。
1963年に、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団の村田勝志と喧嘩となり腹部をナイフで刺された傷が原因となり同年39歳の若さで死去しました。
24. |
長州力(プロレスラー)/本名:郭光男(かく・こうゆう)/在日韓国人2世
“革命戦士”の“リッキー・チョーシュー”ニックネームで親しまれたプロレスラーの長州力さんは、在日韓国人2世で本名は、郭光男(かく・こうゆう)さんです。
父親は1939年に韓国の忠清北道から来日し廃品回収業を営んでいました。
在日韓国人2世という出自のため、小学校時代は友人や教師からも差別を受けたそうです。
2016年に日本へ帰化し、現在日本での本名は吉田 光雄(よしだ みつお)さん。
専修大学レスリング部で活躍し、卒業後にプロレスラーに転身。1974年、エル・グレコ戦でデビューしました。
1984年にはジャパンプロレスを旗揚げし全日本プロレスへ参戦し、新日本プロレスへ謀反を起こしましたが1986に新日本プロレスへ復帰、2002年にはWJプロレスの旗揚げなど、数々の団体立ち上げも行いました。
2018年12月28日に東京・後楽園ホールで引退試合が開催され引退へ。
25. |
前田日明(プロレスラー/実業家)/本名:高日明(コ・イルミョン)/在日韓国人3世(帰化済み)
プロレスラーで実業家の前田日明さんは、大阪府大阪市の出身の在日韓国人3世で、本名は高日明(コ・イルミョン)さんです。
現在は日本に帰化しています。
少年時代に“ウルトラマンがゼットンに倒されたシーン”にショックを受け、ウルトラマンの仇を討つため少林寺拳法を習い始めた事がきっかけでプロレスラーへ。
1977年、佐山聡さんにスカウトされ、新日本プロレスへ入団するも長州力を禁じ手の顔面キックで右前頭洞底骨折の重傷を負わせ解雇。
1988年には第2次UWFの旗揚げ、解散後の1991にはリングスを設立。
1988年にはヒクソン・グレイシーとの対戦宣言(実現されず)
その後は、ビッグマウスやHERO'S、不良によるアマチュアの格闘技大会「THE OUTSIDER」の立ち上げなど実業家としても活動しています。
26. |
秋山成勲(格闘家)/本名:秋 成勲(チュ・ソンフン)/在日韓国人4世
格闘家の秋山成勲さんは在日韓国人4世で、本名は秋 成勲(チュ・ソンフン)さんです。
“反骨の柔道王” “セクシー山(Sexyama)“反骨の柔道鬼”など数々のニックネームのある秋山成勲さんですが、2006年の大晦日行われた『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』にて桜庭和志選手との対戦時、体にオイル(ワセリン)塗りたくって反則勝ちし“ぬるぬる秋山”のニックネームが定着。不正グローブ使用疑惑もあったとか。
2001年に帰化するも、後年本人が「柔道のために日本国籍を取ったが私は永遠に韓国人」と語っています。
在日韓国人が全員クズとは思いませんが、コイツはマジでクズ。
バラエティにも出演し『とんねるずのみなさんのおかげでした』では、毎回、商品を破損させ弁償する羽目に陥るため、“弁償王”の異名で呼ばれるように。普段は強気の態度なのに、石橋貴明さんや木梨憲武へ下っ端のような振る舞いで、強いものに巻かれる姿に幻滅した人も。
2009年、モデルのSHIHOさんと結婚し、娘も子役タレントのサランとして活動。(SHIHOさんはその後、韓国で矢野志保名義で活動)
27. |
つかこうへい(劇作家/小説家)/本名:金 峰雄(キム・ボンウン)/在日韓国人2世
劇作家、演出家、小説家として有名だったつかこうへいさんは在日韓国人2世で、本名は金 峰雄(キム・ボンウン)さんです。
父親が韓国人で、1948年、在日韓国人2世として福岡県に誕生。
自身の出生と関係するのか、高校時代は新聞部の部長を務め「反逆児」と題したコラムを執筆していたそうです。
1980年に熊谷真実と結婚し、1982年に離婚。
1983年に、元つか劇団の女優・生駒直子と再婚しましたが、つかこうへいさんがが帰化していない為、夫婦別姓の形をとりました。娘さんは、元宝塚歌劇団雪組トップ娘役・愛原実花さんです。
生前は、劇作家として活躍し
1974年、第18回岸田國士戯曲賞を、当時最年少の25歳で受賞し、その後はゴールデン・アロー賞や、直木賞、日本アカデミー賞など数々の賞を需要。
2007年には、紫綬褒章、2010年に旭日小綬章を授与されています。
2010年1月に肺ガンを公表し、抗がん剤治療を続けましたが、7月10日午前10時55分に62歳の若さで亡くなりました。
『娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています』と綴った文言が公表されています。
28. |
伊集院静(作家/作詞家)/本名:趙 忠來(チョ・チュンネ)/在日韓国人2世(帰化済み)
作家の伊集院静さんは、在日韓国人2世で、本名は趙 忠來(チョ・チュンネ)さんです。
日本に帰化し、日本の戸籍上の本名は西山忠来さんです。
作家転身前は電通のCMディレクターで、ファッションショーなどを手掛けたそうです。
小説家としてのデビューは1981年。『小説現代』に『皐月』を発表。
1991年、『乳房』で第12回吉川英治文学新人賞、1992年『受け月』で第107回直木賞、2014年『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』で第18回司馬遼太郎賞を受賞するなど数々の賞を受賞し、2016年、紫綬褒章を授与されています。
電通時代に最初の結婚。2人の子供をもうけましたが1980年に離婚。
1984年8月に、女優の夏目雅子さんと7年の不倫交際の末に再婚しましたが夏目雅子さんは1985年9月に白血病で死去。その後は、しばらく表舞台から姿を消し、喧嘩やギャンブル、酒におぼれる生活を送ったそうです。
夏目雅子さんは、再婚前に伊集院静との子を、複数回妊娠し堕胎しているのだとか…
ちなみに、女優で作家の西山繭子は実娘で、ファッションコーディネーターの西山栄子さんは実姉です。
29. |
崔 洋一(映画監督/脚本家/俳優)/本名:崔 洋一(チェ・ヤンイル)/在日韓国人2世
映画監督や脚本家、俳優の崔洋一(さい よういち)さんは在日韓国人2世で本名は崔 洋一(チェ・ヤンイル)さんです。
父親は水原市出身の在日朝鮮人1世で、勉学のため10代で来日、母親は熊本県出身の日本人です。
長野県佐久市で崔洋一さんが生まれました。
映画監督としては、1987年 『黒いドレスの女』、1993年 『月はどっちに出ている』、2009年 『カムイ外伝』など数々の名作を世に放ちました。
自身のルーツである朝鮮や韓国への想いは強いようで、1994年、朝鮮籍から韓国籍に変更後、シネカノンの映画プロデューサー・李鳳宇さんと共に韓国を初訪問し、1996年には文化庁新進芸術家在外研修員として単身韓国の延世大学に留学し、韓国の映画人たちとの交流をはかりました。
在日コリアとしての思想もあるようで、2010年8月14日放送のNHKの討論番組『日本の、これから』では、日本と韓国の歴史認識の違いについてパネリスト達と火花を散らす場面も。
30. |
豊川悦司(俳優)/在日韓国人3世
“トヨエツ”の愛称で親しまれる俳優の豊川悦司さんは在日韓国人3世です。
映画『課長島耕作』や『八つ墓村』ドラマ『愛していると言ってくれ』など数々の人気映画やドラマに出演し“トヨエツ”の愛称で90年代に一斉を風靡しました。
シリアス顔立ちでコミカルな演技もできる事からトヨタ車など数々のテレビCMにも出演し、日本を代表する人気俳優の1人になりました。
豊川悦司さんは、過去にインタビューで「自分は在日韓国人である」と答えたそうです。
豊川悦司さんが、自身のルーツを知ったのは、20歳の時だそうで、
「日本の学校で日本人の子供達と共に育った。
20歳を過ぎて、初めて日本を離れるとき韓国のパスポートを渡された。
その時、初めて自分が在日韓国人であると知った。」
と語っています。
31. |
鄭大世(サッカー選手)/在日韓国人3世
プロサッカー選手の鄭大世さんは在日韓国人3世で、本名は同じ鄭 大世(チョン・テセ)さんです。
1984年3月2日、韓国籍の父親と朝鮮籍の母親から、在日コリアン3世として生まれました。
サッカーを始めたのは、愛知朝鮮第二初級学校4年生の時で、国籍は、大韓民国(韓国)ですが、北朝鮮を支持し、元朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)代表としてプレイしました。
Jリーグでは、フォワードとして川崎フロンターレや、清水エスパルスに所属。
フィジカルの強さから“人間ブルドーザー”とファンに呼ばれ親しまれました。
2013年12月、韓国人女性と結婚したことを発表。
鄭大世さんの国籍は、父親と同じ韓国籍ですが、朝鮮学校で教育を受けたため心の祖国は北朝鮮で「ずっと祖国(北朝鮮)の代表になりたかった」と語っていたそうです。
ちなみに、兄は元サッカー選手の鄭二世さんで、韓国籍を選択しています。
32. |
金村大裕(プロ野球選手)/本名:金 大裕(キム・デユ)/在日韓国人3世
プロ野球選手の金村大裕さんは、在日韓国人3世で、本名は金 大裕(キム・デユ)さんです。
1983年6月13日 、大阪府大阪市平野区で、在日コリア3世として生まれました。
高校時代は上宮高校で大阪府大会ベスト8。
大学時代は、大阪商業大学で通算成績は7勝20敗。
大学卒業後は、ホンダ鈴鹿が内定していましたが、2005年の大学生・社会人ドラフト3巡目で阪神に指名されプロ野球入り。
2007年6月22日には結婚を発表しています。
2010年は育成選手としてプレーしていましたが、戦力外通告を受け、10月に自由契約選手公示となり、同年11月、在日韓国人の金星根監督が率いていた韓国プロ野球・SKワイバーンズの高知キャンプに合流し、12月に入団。
2011年10月、一軍での登板機会を与えられないまま自由契約へ。
2018年シーズン終了時点で、韓国プロ野球における最後の在日韓国人選手です。
33. |
上田剛史(プロ野球選手)/本名:周剛史(チュ・ガンサ)/在日韓国人4世
プロ野球選手の上田剛史さんは在日韓国人4世で本名は周剛史(チュ・ガンサ)さんです。
出身は岡山県で1988年10月2日に誕生。
在日コリア4世である事は、本人のTwitterやメディアなどでも公言しています。
野球を始めたのは小学校1年からで、少年野球の岡輝レンジャーズの投手としてプレイしました。
関西高校では、1年生の秋からレギュラーとなり、2年生と3年生の春夏の4季連続で甲子園へ出場しました。
プロ野球入りは2006年、高校生ドラフトで東京ヤクルトスワローズから3位指名され入団。
2軍~1軍を行き来するものの、2017年~2018年には代走や守備固めに積極的に起用され、100試合近くに出場しました。
持ちネタは「知人男性」。
34. |
金村義明(野球解説者)/本名:金義明(キム・ウィミョン)/在日韓国人3世(帰化済み)
元プロ野球選手で、野球解説者の金村義明さんは、在日韓国人3世で本名は金義明(キム・ウィミョン)さんです。
高校時代は、報徳学園で高校3年生の時には、“エースで4番”として、甲子園へ春夏連続出場。
1981年にドラフト1位で近鉄バッファローズへ入団。
投手として指名されましたが、内野手に転向。
その理由を、「高校3年生春の全国大会で投げ合った槇原が最速147km/hのストレートを投げている姿を見て、『俺はプロに入っても投手では通用しない』と悟った。夏の全国大会で優勝できたのは、カットボールと変化球で打者の打ち気をかわすことに徹したからに過ぎない」と語っています。
中日、西武ライオンズでもプレイし1999年に現役引退しました。
現役引退後は帰化して日本国籍となり、野球解説者やタレントとして活動。
2000年には、金村義明さん自身が在日韓国人3世であることを自著『在日魂』で公表しています。
35. |
井筒和幸(映画監督)/在日朝鮮人
映画『パッチギ!』が有名な、映画監督の井筒和幸さんは在日韓国人です。
出身は奈良県で、1952年12月13日に生まれました。
自身は在日コリアである事を公表していませんが、朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報で「各分野で活躍する在日同胞たち」として紹介され在日コリアである事が発覚しました。
2005年には映画『パッチギ!』で在日朝鮮人と日本人の高校生の抗争と恋愛を描きブルーリボン賞作品賞など多くの映画賞を受賞しました。
映画監督としての代表作は『二代目はクリスチャン』『犬死にせしもの』『のど自慢』『パッチギ!』などがあります。
また映画評論家としての顔も持ち、テレビにも出演、辛口な映画批評で知られています。
在日韓国・朝鮮人についても独自の思想を持ち、「日本に取り残されて生まれた」人々で在日韓国・朝鮮人一世は「労働力や徴兵のために強制的に日本に連れて来られてきた人たち」とし、「ちゃんと日本国民の権利を取得させて、必要な人には補償もして、日本国民と平等に」すべきで「それが本当の謝罪」と主張しています。
36. |
野村将希(歌手/俳優)/本名:朴昌基/在日韓国人(帰化済)
歌手で俳優の野村将希さんは、在日韓国人で本名は朴昌基さんです。
出身は福岡県で、生年月日は1952年11月13日。
1969年に歌手を目指して上京し、靴屋でバイト中にサンミュージック相沢社長の目にとまりスカウトされ芸能界入り。
1970年、RCAレコードと契約し、『ひるのプレゼント』の新人コーナーに出演しデビュー曲『一度だけなら』のB面収録曲である『涙をかついで行こうよ』歌い注目を集めました。
デビュー当時のキャッチフレーズは“演歌(歌謡)界の若獅子”。
役者としても活躍し1987年には『水戸黄門』の柘植の飛猿役に抜擢。
運動神経が抜群で『スポーツマンNo.1決定戦』では“コロッセオの鉄人”の異名も。
運動神経と俳優の遺伝子は息子さんにも受け継がれているようで長男はプロサッカー選手の野村政孝選手。次男は俳優の野村祐希さんです。
1974年6月6日に帰化したと官報にデータがあり、在日コリアである事が発覚しました。
37. |
高山都(モデル/女優)/在日韓国人
モデルで女優の高山都(読み:たかやま みやこ)さんは在日韓国人です。
出身は大阪府で、生年月日は1982年12月27日。
在日韓国人2世の父親と日本人の母親の間に生まれました。
高校時代から地元大阪の有名サロンのカットモデルとして活動し、高校卒業後19歳で上京。
原宿でのスカウトをきっかけに、雑誌のカットモデルや読者モデルとして活躍しました。
その後は、オフィスエムアンドビーに所属し、ファッションモデルとして本格的に活動し、女優業としても活動し、ドラマや舞台、CMにも出演。
2006年12月に一時芸能活動を休業しましたが、2007年に、所属事務所をプラチナムプロダクションに移籍し芸能活動を再開。同年10月、ドラマ『ガリレオ』に出演し注目を集めました。
特技は料理とマラソンで、2014年には、名古屋ウィメンズマラソンに出場し、3時間42分でフルマラソンを完走しています。
38. |
幸田シャーミン(ジャーナリスト)/在日韓国人
女性ジャーナリストの幸田シャーミンさん(本名:幸田シャーミン光代)さんは、在日韓国人です。
母親が在日韓国人で日本へ帰化しています。
大学卒業後はニュースキャスターとしてNHK『海外ウィークリー』やフジテレビ『FNNスーパータイム』などに出演しました。
独特の鼻にかかった喋りが特徴で、「こんばんは、幸田シャーミンです」と明石家さんまさんや清水ミチコさん、声優の生天目仁美さんにまでモノマネされたことも…
1988年、『FNNスーパータイム』を降板後は、33歳でハーバード大学ケネディスクールに入学し、1992年に卒業。その後は、ジャーナリストとして、環境問題に関する取材や講演を行いました。
2006年、国際連合広報センター東京所長に就任。
2008年に任期満了で辞職するも、その後国連の人事管理室に在職中「本部の広報局の上司からパワーハラスメントを受けた」と、申し立てをするも2007年には、幸田シャーミンさん自身も、複数の部下からパワハラで告発されています。
39. |
水沢エレナ(モデル)/在日韓国人
ファッションモデルの水沢エレナさんは在日韓国人で、父親は日本人、母親が韓国人です。
2003年、小学館の雑誌『ちゃお』にて、『ニーナを探せ!!モデルオーディション』 でニーナ賞を受賞し、デビュー。
その後は、ティーン向け雑誌『CANDy』のモデルを経て、『Seventeen』の専属モデルとして活躍しました。
2007年には女優としての活動も始め、BS-i『恋する日曜日 卒業〜春の嘘』でドラマデビューし、2008年には『東京少女 水沢エレナ』で連続ドラマ初主演。
2008年には、TBS系の連続ドラマ『恋空』でヒロインの美嘉役に抜擢されました。
2011年に『Seventeen』モデルを卒業し、『non-no』の専属モデルになり、2013年には
non-no専属モデルを卒業し、所属事務所アミューズを退社し、オスカープロモーションへ所属事務所を変更しています。
2014年には、小学館の雑誌『Oggi』専属モデルとなりました。
母親が韓国人の影響か、特技は韓国語で、インタビューで韓国語を披露したことも。
40. |
アン・サリー(歌手)/本名:安佐里/在日韓国人三世
シンガーソングライターのアン・サリー(英字表記・Ann Sally)さんは在日韓国人3世で、本名は安佐里さんです。
出身は愛知県名古屋市で生年月日は1972年8月17日。
デビュー当時は、ジャニス・イアン、ジョニ・ミッチェルなどの洋楽カヴァーを中心に活動していましたが、その後は『蘇州夜曲』など古典的な歌謡曲や細野晴臣、吉田美奈子などの邦楽カヴァーも手掛けるようになりました。
2007年にアルバム「こころうた」からは自作の楽曲にも挑戦しています。
2009年度の紅白歌合戦では、紅白応援歌『歌の力』にて導入部を担当しました。
歌手活動の傍ら、現役の内科医でもあり、2児の母親でもあります。
細いスラっとした目元が韓国系の美人。
41. |
伊藤ゆみ(元ICONIQ/歌手/女優)/在日韓国人三世
元ICONIQ・歌手で女優の伊藤ゆみさんは在日韓国人三世です。
出身は、鳥取県鳥取市で1984年8月25日、在日韓国人二世の父親と、韓国人の母親の元に誕生。
中学2年の時に母親と韓国旅行に行った際、ソウル明洞でスカウトされ2000年に渡韓。
2001年末に韓国のアイドルグループ『Sugar』のメンバー・Ahyoomi(アユミ、아유미)として芸能界デビュー。
2006年のSugar解散後、2007年にAhyoomeeとしてのソロ活動を経て日本へ帰国。
2008年~2009年には、エイベックス・エンタテインメントに移籍し『伊藤ゆみ』の芸名で日本で女優活動を開始。 ドラマ『貧乏男子 ボンビーメン』に出演し、2009年には、初主演映画『約束の地』が公開されました。
2009年11月には『ICONIQ(アイコニック)』名義で歌手として再デビュー。
「わたしが変わる」のキャッチコピーで髪型をベイビーショートに切ったビジュアルは衝撃を与えました。
2016年、芸名を再び伊藤ゆみに戻し女優業を中心に活動。
日本で再デビューした際、韓国でのSugar時代の経歴を隠したと批判もありました。
42. |
伊原凛(元お天気キャスター)/本名:宣喜娜(ソン・ヒナ)/在日韓国人
元お天気キャスターで元タレント、ダウンタウンの松本人志さんの妻・伊原凛(読み:いはら りん)さんは在日韓国人で本名は宣喜娜(ソン・ヒナ)さんです。
1982年10月24日、在日韓国人2世の父親と韓国人の母親との間に生まれました。
厳格で裕福な家庭だったそうです。
2006年4月から、日本テレビ『ズームイン!!SUPER』にお天気キャスターとして出演し、2008年9月30日。同番組をを卒業し、芸能界を引退しました。
芸能界入りにあたって両親に猛反対され「何があっても25歳で芸能活動を辞める」という約束で芸能界に入った為、25歳で芸能界を引退したそうです。
2009年5月にダウンタウンの松本人志さんと結婚(デキちゃった結婚)し、同年10月6日、長女を出産しています。
日本で芸能活動する前は宣喜娜(ソンヒナ)の名義でモデル活動をしていたそうです。
43. |
ジョニー大倉(ミュージシャン)/本名:朴雲煥(パク・ウナン)/在日韓国人2世
ミュージシャンで俳優のジョニー大倉さんは、在日韓国人2世で本名は朴雲煥(パク・ウナン)さんです。
出身は神奈川県で生年月日は1952年9月3日。
1971年に矢沢永吉さんらとロックバンド『キャロル』を結成し、ギターと作詞を担当しました。
1975年には、キャロルによる共著『暴力青春』にて在日韓国人2世であることを告白し、同年本名の『朴雲煥』名義で、在日韓国人をテーマにした映画『異邦人の河』に主演。
1987年に富山市のホテルで7階のベランダの手すりで懸垂中に転落し、全治6か月の重傷を負った際には泥酔や薬物乱用が疑われましたが、本人は否定。
怪我が回復し、復帰時には“不死身のロックンロールジャーナリスト”と自称しました。
2013年6月に肺癌と診断され余命2週間を宣告されましたが抗癌剤治療による闘病を経て2014年3月に退院。
しかし、同年8月に再発し、治療を続けるも、2014年11月19日、肺炎により62歳の若さで死去しました。
44. |
美元(モデル)/在日韓国人
俳優・高嶋政伸さんの元妻でモデルの美元(読み:みをん)さんは在日韓国人です。
出身地は東京で、1979年に日本人の父親と韓国人の母親との間に生まれました。
母親は、9歳の時に死去し、父と兄と共に3人で生活していたそうです。
2000年『準ミスユニバースジャパン』に選出され、その後、ファッションモデルとしてアジアを中心に日本国外のファッションショーで活動しました。
2007年には、日本映画『M』で主役を演じ女優デビューもしています。
2008年に俳優の高嶋政伸さんと結婚。
2010年には別居状態となり2012年11月に離婚。
高嶋政伸さんとの離婚劇は世間を沸かせました。
美元さんのDVが酷く、殴られ左目が失明するかもしれないほどだったとか。
また、大変な浪費家で婚姻時、数千万あった高嶋政伸さんの貯金は1年ちょっとでほとんど底をついたそうです。
韓国人には“火病”と呼ばれる精神疾患がありますがまさに美元さんは“火病でストーカー”と元夫の高嶋政伸さんは感じたそうですね。
2013年、年下の投資家男性と再婚し、現在はシンガポールで子供さんもいるようです。
45. |
アンミカ(モデル)/本名:安美佳/在日韓国人
ファッションモデルやラジオパーソナリティーを務めるアンミカ(AHN MIKA)さんは、在日韓国人で本名は安美佳さんです。
韓国済州島生まれの大阪育ちで、1975年、家族総出で日本へ密入国してきたそうです。
貧しい家で育ったそうです。
1993年にパリコレ初参加以後は、ファッションモデルだけでなく、テレビ出演やラジオパーソナリティとしても活躍、ジュエリーやファッションデザイナー、化粧品プロデュースなども行い、エッセイの執筆や講演などの活動もしています。
世界標準マナーのEPM プロトコールアドバイザーや、漢方養生指導士に加え、化粧品検定1級や、NARD アロマアドバイザーなど美容関連の様々な資格を所持している事でも知られています。
2013年にアメリカ人の実業家と結婚し、その後はテレビ番組に夫婦で度々出演。
2009年には、韓国名誉広報大使、2013年より初代大阪観光大使に就任しました。
46. |
松井稼頭央(元プロ野球選手)/在日韓国人3世
元プロ野球選手の松井稼頭央(読み:まついかずお)さんは在日韓国人3世です。
出身は大阪で、生年月日は1975年10月23日。
祖父が韓国系で本人は在日韓国人3世に当たるそです。
“リトル松井“や”リトルゴジラ”のニックネームで野球ファンから愛された松井稼頭央さんは、幼稚園時代から野球漬けの毎日だったそうです。
高校はPL学園で1年生投手として唯一春の大会でベンチ入りも果たしました。
1994年~2003年まで西武ライオンズに所属し、端正な顔立ちと抜群の身体能力でファンを沸かせました。
2003年にFA権を行使し、2004年、日本人初の内野手メジャーリーガーとしてMLBのニューヨーク・メッツに移籍。
2006年には、コロラド・ロッキーズへ移籍、2007年にはヒューストン・アストロズへ移籍し、2010年にロッキーズへ復帰。
2010年11月には、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団し日本球界へ戻りました。
2017年には古巣であった西武へ復帰し、2018年に現役引退。
引退後は、西武ライオンズのコーチに就任。野球に関わる活動を続けています。
“ミスターレオ”として西部ファンのみならず野球ファンから愛されました。
47. |
大鶴義丹(俳優/小説家/映画監督)/在日朝鮮人
俳優で小説家の大鶴義丹(読み:おおつる ぎたん)さんは、在日朝鮮人で、本名は同じ大鶴義丹さん。
出身地:東京都杉並区
生年月日:1968年4月24日。
父親は劇作家で芥川賞作家の唐十郎さんで、母親は在日朝鮮人俳優の草分け的存在の舞台女優・李麗仙さんです。
高校時代からNHKのテレビドラマなどに出演していましたが大学在学時代に映画『首都高速トライアル』により俳優として本格デビュー
お茶の間では、タレントの“マルシアさんの夫”のイメージが強いですが、
大学在籍中の1990年には小説『スプラッシュ』で第14回すばる文学賞を受賞し小説家デビュー。1995年には映画『となりのボブ・マーリィ』にて映画監督デビューするなど数多くの才能を持った人物です。
また、バラエティ番組でも人気となり、フジテレビ『こたえてちょーだい!』や『アウト×デラックス』など数々のバラエティー番組にも出演しています。
1994年、ドラマ『オレたちのオーレ!』での共演がきっかけで女優でタレントのマルシアさんと結婚。一女をもうけたが、2004年に離婚しました。
48. |
安蘭けい(元宝塚/女優)/在日韓国人
元宝塚歌劇団星組トップスター・安蘭けい(読み:あらん けい)さんは在日韓国人です。
祖父が韓国出身の在日韓国人3世で本籍地は韓国慶尚南道です。
本名:安田瞳子
生年月日:1970年10月9日
出身:日本滋賀県
1991年、宝塚音楽学校を首席で卒業し、第77期生として宝塚歌劇団に入団。
月組『ベルサイユのばら』で初舞台を踏みました。
同期生には春野寿美礼さん、朝海ひかるさん、花總まりさん、成瀬こうきさんがいます。
1992年に雪組に配属され、1995年、新人公演『JFK』でジョン・F・ケネディ役初主演。
2000年、星組に組替えし、『ベルサイユのばら』オスカル役、アンドレ役などスターダムにのし上がっていきました
2006年、湖月わたるさんの退団を受け、入団16年目にして星組トップスターに就任。
日本国籍でないことを公表したタカラジェンヌがトップスターに就任した例は、鳳蘭(中国籍、後に日本に帰化)さんに次ぐ史上2人目となりました。
2009年4月26日、『My Dear New Orleans〜愛する我が街〜/ア ビヤント』の東京公演千秋楽を最後に宝塚を退団しています。
芸名は『アリラン伝説』の主人公アラン、本名から安、花の蘭、慶尚南道の慶に由来するそうです。
49. |
MIYAVI(ミュージシャン)/本名:石原崇雅/在日韓国人2世
“サムライギタリスト”の異名を持つロックミュージシャンのMIYAVい(読み:みやび)さんは在日韓国人2世で本名は石原崇雅さんです。
・本名:石原崇雅
・生年月日:1981年9月14日
・出身地:日本大阪府
大阪府大阪市で韓国籍から帰化した父親と日本人の母親のもとに生まれました。
元の夢はプロサッカー選手で
小学校2年生の時にサッカーを始め、Jリーグ・セレッソ大阪のユースチームに所属し、大阪府の選抜選手にも選ばれましたが、15歳の時に足を負傷し、サッカーを断念。
人生の目標を失いグレたMIYAVIさんは、「バンドをやってみようか」と考え、ギターを始め、音楽にのめり込み高校を中退。
17歳の時に、恩人である先輩の死にショックを受け、上京。ライブハウスでヴィジュアル系ロックバンド・Dué le quartzのメンバーと出会い加入。
2002年には、アルバム『雅楽-gagaku』より、「雅-miyavi-」名義でソロ活動を開始。
日本、北米、南米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなど約30か国300公演以上のライブと7度のワールドツアーも行っています。
2014年公開のアンジェリーナ・ジョリー監督映画『不屈の男 アンブロークン』では、俳優としてもデビューしました。
50. |
森本稀哲(元プロ野球選手)/在日韓国人
日本ハムで活躍した元プロ野球選手の森本稀哲(読み:もりもとひちょり)さんは、在日韓国人です。
『ひちょり』という名前の由来は「稀哲」の韓国語での発音「ヒチョル」から取って父親が命名したそうです。
・本名:森本稀哲
・生年月日:1981年1月31日
・出身地:日本東京都
小学生の時、体毛が抜け落ちてしまう病気、汎発性円形脱毛症にかかり、髪の毛が抜けてしまった事で、いじめられ、サッカーから野球に転向したそうです。
帝京高校時代は、3年生の時に主将となり、遊撃手として第80回全国高等学校野球選手権大会に出場しています。
1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。
日本ハムに1999年~2010年の間プレイし、その後はFA権を行使し、横浜ベイスターズへ移籍。
2013年に西武ライオンズへ移籍し2015年11月27日、現役を引退。
引退後は野球解説者として活動しています。
ファンサービスが有名で、他の選手も交えて様々なパフォーマンスを披露し、お笑い芸人の『劇団ひとり』さんになぞらえ「劇団ひちょり」と呼ばれファンから親しまれました。
初等教育は韓国学校で、森本ひちょりさん自身も「在日としての民族意識は強かったです」と話している。プロ入り後の2007年11月に日本へ帰化し現在は日本国籍です。
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