憲法改正は必要です。
世界中の国で憲法が時代の要請に合わせて改正される中、日本だけが約70年もの間、一度も憲法を変えませんでした。日本国憲法が制定された当時とは、国内事情も国際事情も大きく変化しています。改正すべきは当然です。
では、そもそも憲法とは何なのでしょうか?
憲法改正について議論するためには、まずはこの点をはっきりとさせなければなりません。憲法にはいくつか意味があるのですが、ここでは立憲主義と国家像の表示について説明します。
まずは立憲主義についてです。これには二つの観点があり、一つ目は、国内で作られるあらゆる法律や条令は、憲法に違反してはならないというものです。このことを「憲法は国の最高法規である」といいます。
そしてもう一つは、国家には警察や軍隊などの強い力を与えているのだから、その力を使って悪いことをしないようにするというものです。これを制限規範といいます。テレビなどでよく聞く「憲法とは国家権力を縛るものだ」というのがこれに当たります。
重要なのは、この見方は一面に過ぎないということです。確かに憲法は国家権力を制限している面があります。しかし権力を与えている面もあります(授権規範)。さらに言えば、国民の権利を制限することもあります(公共の福祉に反する場合など)。
「憲法は国家を縛るものだ」という観点だけを強調するのは、「国家=悪」という価値観を持っているからです。「上に立つもの=支配者=悪」「下に立つもの=被支配者=善」という、共産主義思想の影響を受けているのです。
続いて国家像についてです。憲法は英語でconstitutionといいます。これを逆に日本語に訳すと「構成、体質、憲法」などとなります。
これはどういうことかというと、そもそも憲法(constitution)とは、その国の昔からのかたちを表したものだということです。これを日本語では国体とか国柄といいます。国体という言葉は、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が教科書で使うことを禁じたため、それ以来死語になりました。しかし言葉自体に悪い意味はありません。例えば日本には古くから「和を以て貴しとなす」という考えがあります。こうした日本の無形のかたちをあらわしたものが国体や国柄です。
西欧では、時折その国の文化や伝統に反する王や独裁者などが表れ、人々を弾圧したり、勝手に制度を変えたりすることがありました。そこで人々は、古くからある国のかたち(国体)をconstitutionとして定め、王や独裁者がそれに反しないようにしました。つまり憲法とは元来、その国の歴史や伝統を制度化したものなのです。
伊藤博文が日本で憲法を制定するためにドイツに留学した際、あるドイツの学者から「憲法はその国の歴史・伝統・文化に立脚したものでなければならないから、いやしくも一国の憲法を制定しようというからには、まず、その国の歴史を勉強せよ」と言われました。これは憲法の本来の意義を考えればもっともなアドバイスです。
多くの国が憲法にその国の歴史や文化などを明記しています。
ところが日本国憲法には「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」などと、政府への批判が書かれてあるばかりです。これでは日本が誤った方向に行くのは当然です。日本の憲法には、日本が誇るべき歴史や伝統などが盛り込まれるべきです。