歴史と伝統を踏まえ国民が自ら作る意義
憲法改正論議を進めるうえで、まず知っておくべきは「占領憲法無効論」である。1907年に締結されたハーグ条約(陸戦ニ関スル法規慣例ニ関スル条約)には占領者は絶対的支障がない限り占領地の現行法規を尊重する義務があるとし、占領憲法を否定している。
だから同じ敗戦国でもドイツ(当時、西ドイツ)は憲法を制定せず、暫定的に基本法(ボン基本法)を作っただけだ。フランス共和国憲法は「いかなる改正手続きも、領土の保全に侵害が加えられている時には開始されない。また続行されない」と規定している。つまり憲法はあくまでも自国民の自由意思によって制定されるべきもので、それが民主主義の原則、国際法の常識である。
その上で、現行憲法の何が問題かを見てみよう。憲法前文が「スバリ言えば、連合国諸国に対する『詫び状』」(吉田和男・京都大学名誉教授)であるように、本来書くべき国家理念が欠落しており、時代錯誤の「植民地宣言」に終始している。
第1章では「天皇」を掲げながら「元首」とは明記せず、しかも伝統的儀式まで違憲扱いする。第2章の9条では国際法(国連憲章条約)が認めた集団的自衛権行使を違憲とする(政府解釈)。さらに国家にあるべき「戦力」を否定し、このために防衛力を十分に整備できず、自衛隊が国際貢献に赴く際にも足かせになっている。
第3章では義務がないがしろにされ「何でも権利」「何でも自由」の土壌を生み、「家父長制」を否定せんがために「個人の尊重」ばかりを強調して伝統的な家族観まで壊し、さらに過度な政教分離によって伝統文化まで否定し、宗教・道徳的基盤を国民から剥ぎ取ろうとしている。
さらに第4章では2院制の意義が不明確、第5章では緊急事態条項がないばかりか、首相のリーダーシップすら奪われ、第6章では「法の番人」の役割が曖昧にされ、第7章では時代遅れの単年度予算の作成を規定し、第8章では「地方自治の本旨」の中身を言わず、第9章では改正のハードルを高めて硬性憲法とし「戦後憲法支配」の固定化を図ろうとしている。
このように矛盾だらけ、問題がありすぎなのだ。現行憲法下の戦後体制が桎梏化し、あらゆる面で時代に対応できずにいるのである。9条解釈で象徴される姑息な《解釈改憲》では「憲法守って国滅ぶ」の事態に陥るだろう。
したがって憲法改正のポイントは、第一に国家理念を据え直すことである。伝統精神を取り戻し、家族条項によって家族を守って倫理・道徳を再生させ、さらに宗教的情操教育を可能にする。第二は安全保障を再定立することである。9条改正で「国防」を明記し、国際法に基づいて国際貢献活動もスムーズに行えるようにすべきである。内閣制度や国会、司法も時代を見据えて適正に改めることは言うまでもない。
朝日新聞や左翼政治家は「憲法は国が国民の権利を侵害しないために制定するものだから、国民の義務など盛り込む必要ない。歴史と伝統なども不要」(枝野幸男・民進党憲法調査会長)などと述べているが、そうだろうか。
国家を不幸に陥れる階級国家観を排除せよ
憲法は国の基本法と位置づけられている。人が何人かで生活していく場合、何らかのルール、規範がなければ互いに生きてはいけないように何百万、何千万人、ましてや何億人が共に生きる国家においては一定の秩序を維持する法規範がなければ到底生存できない。
そうした法規範は人為的に作られるというよりも、人々が持つ本来的な倫理観を背景に形成されてきた。イギリスの思想家ジョン・ロックはこれを諸個人が「自然状態」で持つ生命、自由、所有への権利として「各人に固有(proper)なもの」と捉え、「プロパティ(property)」と呼んだ。
イギリスで発展してきた立憲主義の背景にはこうした考え方がある。「プロパティ」を神から賜ったもの、つまり神来性と捉えた。権利は侵しがたい社会規範で裏打ちされていたのである。しかも、各人に固有なものだけでなく、長くその国や民族の固有の伝統として「国の個性」「民族の精神」を培い、それを背景にそれぞれの国固有の社会規範を形成してきた。
憲法はそれを背景として作られた。英語の憲法は「コンスティテューション(constitution)」と言うが、これは体質という意味があるように、憲法は国の体質、いわゆる国体を体現するものなのである。英国の場合は成文憲法がなく、コモン・ロー(慣習法)を軸に歴史的に積み重ねられてきた法解釈をもって憲法とする。
ところが、「プロパティ」を神来性として捉えず、「人間至上の権利」として捉える潮流がある。フランス革命とその系譜にある唯物論的思想、共産主義である。これを一言でいえば、階級国家観である。社会を支配と被支配という階級社会で捉え、国家は「支配階級の道具」(レーニン)と見る。したがって国家は最初から悪なる存在とするのである。
そこで国民の権利が侵害されないために国家を縛る、そのための憲法とする。また歴史も階級歴史であり、支配階級が支配のための「上部構造」として道徳や伝統概念を作ってきたとして、歴史や伝統を真っ向から否定する。我々はこういう輩の憲法観を断じて排除しなければならない。
十七条憲法の精神平成に蘇らせよう
今一度、日本の歴史を振り返ってみよう。大和朝廷が国家体制を確立しようとしたとき、聖徳太子によって十七条憲法が制定された(604年)。これは近代憲法とは言えないが、国の基本原則を明らかにしたという意味では、実に憲法らしい憲法である。
日本書記には「皇太子(ひつきのみこ)、親(みずか)らめて憲法(いつくしきのり)十七条をつくりたまふ」と、太子自ら十七条憲法を作ったと明記している。
これほど渾身の思いを込めて憲法を作ったのは、当時の日本の内外情勢が逼迫(ひっぱく)していたからだ。内では氏族戦争が絶えず、外では大国・随の登場で周辺諸国は大きな衝撃を受け、朝鮮半島では高句麗と新羅、百済の3国が対立、日本も巻き込んで揺れ動いていた。
そこで日本の礎を据えるために聖徳太子は「和を尊び、争うことのないようにせよ」の第一条で始まり、「大事なことは一人で決めてはならない。必ず皆で相談するようにせよ」で終わる十七条憲法を作った。当時の日本人は清き明(あか)きこころ(清明心)を理想とし、わたくし(私心・利己心)を最も否定されるべき悪徳とした。偽りのないまごころ(赤心)を求め、よこしまで腹黒い邪悪なこころ(邪心)を排除しようと務めたのである。
明治維新によって近代国家をスタートさせ、大日本帝国憲法(明治憲法)を制定するときも(1889年)、明治の元勲たちは渾身の思いを込めて憲法を作った。当時、維新によって新政府を樹立し、文明開化を進めても欧米列強からは同等に扱われなかった。その象徴が不平等条約で、これを是正し対等の国家関係を樹立して列強に飲み込まれないためには、近代国家には必ず存在するという憲法を制定しなければならない。その悲壮な決意で憲法制定に臨んだ。
伊藤博文はプロイセンを見倣おうとベルリン大学の憲法学者グナイストに会うが、彼は「よく遠方からドイツを目標に来られて感謝の至りだが、憲法は法文ではない。精神である。国家の能力である。私はドイツ人、かつ欧州人だ。だから日本のことを知らない。それを知っても参考程度しか言えない」と突き放したという(瀧井一博著『文明史のなかの明治憲法』講談社選書)。
そこで伊藤はウィーン大学のスタイン教授らから「憲法」を学び、憲法草案の起草をも受けて日本らしい「大日本帝国憲法」を作り上げた。だから明治憲法は単なるプロイセン憲法の模倣ではない。米国の司法界の巨星ホームズは「この憲法につき予がもっとも喜ぶ所のものは、日本国憲法の根本は、日本古来の歴史、制度、習慣に基づき、而してこれを修飾するに、欧米の憲法学の論理を適用せられたるにあり」と述べている。
このように日本で国家の基礎となった過去の憲法は、いずれも当時の情勢を踏まえつつも歴史と伝統から逸脱することは決してなかった。そもそも国体としての憲法とは歴史と伝統を継承するものなのである。憲法改正すなわち平成新憲法も当然、かくあらねばならないのである。
(「世界思想」2017年5月号より転載)
【関連記事】