「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
この日本国憲法第9条第1項の条文は日本の武力行使を禁じている。もう少し詳しく言うと「国家または国家に準ずる組織との間で、我が国の物的・人的組織体が行う戦闘行為」(第180回 国会答弁の野田佳彦首相の発言)を禁じている。わかりやすく言えば「自衛隊は他国と軍隊と戦うことはできませんよ」ということだ(自衛権の発動は除く)。
この条文を守り、日本と世界の平和が保たれるのであれば何も問題はない。他国の不当な侵略や戦闘が一切なく、日本さえおとなしくしていれば平和という状況だ。
しかしその認識は現実とは余りにもかけ離れている。例えばアフリカのルワンダ内戦では、1994年に50~100万人(全国民の10~20%)が殺害された。国連は南スーダンでも、それ以上の大虐殺が起きる可能性があると指摘する。「国際社会にはそれを防ぐ義務がある」とも訴える。残念だがこうした状況はアフリカだけに留まらない。今も国連は、世界14カ国でPKO(国連平和維持活動)を継続中である。
日本は世界有数の経済大国であり、自衛隊という世界有数の実力組織を有している。国際社会の期待は大きい。憲法前文に、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」との一文もある。この状況を鑑みれば、日本がPKOに積極的に関わるべきは当然である。
しかし多くの国がPKOに軍隊を派遣する中で、日本では憲法9条が大きな足枷となってきた。もし派遣された自衛隊が「国家または国家に準ずる組織」に遭遇し、戦闘すれば憲法違反となるからだ。
ここに最大の矛盾がある。戦闘が起こり得る地域だからこそ平和維持活動が必要だ。しかし万が一戦闘が起きれば憲法違反になりかねない。だから自衛隊の活動は厳しく制限される。平和の維持を願いながら、本当にそれが必要な時に撤退することもあり得る。これでは何のために派遣されたのかわからない。日本国内で自衛隊の撤退を叫ぶ人の大半が、自称「平和を求める人々」であることは何とも皮肉な話である。
情勢の変化に全く対応できない憲法9条
これは憲法制定当時と、現在の国際情勢が根本的に異なることによる問題だ。当時は新たに創設された国連が国際平和を守り、日本が悪事を犯さなければ平和は維持されると考えられていた。その意味では当時は、憲法前文と9条は矛盾しなかった。日本は何もしなければ国際社会で「名誉ある地位」を占めることができたのである。
しかし現状は全く違う。国連の限界が明らかになり、世界は不安定化しつつある。日本が何もせず、「一国平和主義」を貫いて国際社会で「名誉ある地位」を占めることはない。むしろ孤立を深め国益を失うことになる。日本は戦後70年間、1度も憲法を変えられなかった。すなわち国際社会の変化に対応できなかったのだ。
憲法が時代遅れになる中、日本はその場しのぎの対応を続けてきたが、いよいよそれが限界にきているということである。
今後は他国の平和維持活動だけでなく、中朝の脅威の増大によって日本の防衛そのものにおいて深刻な問題が生じる可能性がある。その場合、問題が起きてから検討するのでは遅い。不毛な議論に終止符を打つべく、憲法9条の改正に真剣に向き合うべきである。
(「世界思想」2017年5月号より転載)
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