国際勝共連合

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国際勝共連合
略称 勝共
設立 1968年
設立者 文鮮明[1]
種類 政治団体
目的 共産主義思想の誤りを啓蒙し、代案を示し、その打倒を目指す
親米保守
親韓
反共主義
親台派中国国民党
公用語 日本語
会長 梶栗正義(代表)[2]
重要人物 笹川良一(名誉会長)
児玉誉士夫(支援者)
久保木修己(元会長)
梶栗玄太郎(元会長)
岸信介(日本内閣総理大臣)
蔣介石(中国国民党總裁)
朴正煕(韓国大統領)
関連組織 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
世界日報 (日本)
世界自由民主連盟(WLDL)
スパイ防止法制定促進国民会議
ウェブサイト 国際勝共連合公式サイト
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国際勝共連合(こくさいしょうきょうれんごう、: International Federation for Victory over Communism、「共産主義に勝利するための国際連盟」)は、反共主義政治団体。通称は「勝共連合」または「勝共」。

世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教祖、文鮮明1968年1月13日韓国で、同年4月に日本で創設した[1]。日本の初代会長は「統一協会」の会長でもあった久保木修己[3]。名誉会長は笹川良一、顧問団に小川半次大坪保雄辻寛一千葉三郎玉置和郎源田実らがいた[3]

勝共連合は、機関紙として『国際勝共新聞』[3]・『思想新聞』、月刊誌『世界思想』を発行。関連会社の「世界日報社」が日刊新聞、『世界日報』を発行。

発足の1968年4月から1969年9月までの延べ動員数は公称1万6000人[4]

なお本稿では、日本での母体となった宗教法人世界基督教統一神霊協会を「統一協会」、その母体である韓国の同名組織とその思想全体を指して「統一教会」と分けて書くことにする。

背景

国際勝共連合は韓国の「勝共運動」の影響を強く受けている[4]。「勝共運動」は、韓国においては、「反共法」まで制定して共産主義に対抗していた朴正煕政権の庇護を受けたと言われる[6][7]

活動

共産党共産主義の欺瞞と間違いを明らかにすると主張しており、創設直後から共産主義者同盟共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派など共産主義系の組織に対抗した活動をして来た。大学、労働組合、一般人を対象とした反共講演会を開催した[4]。学生を中心とした遊説隊による街宣活動も行った[4]。台湾・フィリピン・韓国などと交流し、PL教団青年部など宗教団体に働きかけを行った。

その主張から世界各国の反共保守派要人と交流を持つ。「新しい憲法を作る国民大会」に賛同的であるなど、日本の「憲法改正」や核武装化を主張する[8]国家秘密法スパイ防止法)制定推進に熱心であり、「スパイ防止法制定促進国民会議」を組織した[9][10]

2016年には「大学生遊説隊 UNITE(ユナイト)」と称した団体を立ち上げ、若者を前面に出す形での憲法改正や新安保法制の賛成を訴える街頭活動を行っている[11]

主な運動方針は以下の通り[12][13]

政界との協力関係

特に、保革伯仲時代と言われた、1970年代から1980年代にかけて選挙応援を通じて保守層に喰い込み、勝共連合の動きが目立ったとされる。勝共連合の母体である統一教会が商業新聞『世界日報』を創刊したのも、この時代と重なる。

1990年代から、日本の保守層と関係が薄くなっていたのではとの推測がなされている。有田芳生は「私は以前、安倍(晋三)さんから統一教会と北朝鮮の関係について聞かれたことがある。そのときは「統一教会が接近してきている。会おうと言われているが断っている」と言っていました。安倍さんは北朝鮮に対して強硬な立場で総裁選も近いということから考えると、少なくとも本人の意思では(前述の祝電を)送っていないとは思いますが」とコメントしている[14]

00年代後半ごろから、日本の保守層との距離が縮まり、再接近している。2010年(平成22年)7月の第22回参議院議員通常選挙では勝共連合が有田への対抗馬として山谷えり子を当選させるよう、統一協会員に働きかけを行なっていた[15]。このとき有田は、自身のブログに統一協会の内部文書を載せ、統一協会と安倍晋三および山谷えり子の強い関係性を指摘している。逆に「世界思想」2013年9月号は「安倍政権の救国ロードマップ」を特集し、街頭演説をする安倍晋三の姿を表紙に使った[16]

1975年(昭和50年)の東京都知事選挙では、朝鮮総聯の影響下にある朝鮮大学校を認可した当時の東京都知事美濃部亮吉の3選を阻むため、若いメンバーが大量に動員されたとされる[要出典]

また、1986年(昭和61年)7月の衆参同日選挙では、150人の衆参両院候補を応援、自民、民社両党を中心に134人を当選させた、としている。同連合が発表した名簿には、松永光(自民党スパイ防止法制定特別委員長)、森清箕輪登(当時の自民党衆議院議員)らが含まれていた。同連合の機関紙「思想新聞」によると、選挙後には、これらの各勝共推進議員一人ひとりに勝共理念の研修を受けてもらったという。その結果、134人全員が勝共理念を理解し、国会議員のそれぞれの地元でも勝共連合支部との関係が密接になった、と伝えている[17]

1986年の第38回1990年(平成2年)の第39回1993年(平成5年)の第40回と3回の衆議院議員総選挙に出馬しいずれも落選した阿部令子[18] は、霊感商法霊能者役であり合同結婚式に参加した教会員で渡辺美智雄元秘書だったとされている[19]。1990年総選挙での自民党追加公認に関しては「公認は渡辺(美智雄)氏らが強引に押し切った」[20] とされ、地元大阪府連の強い反発を受けた。なお、「霊感商法などで問題になっている統一教会との関係」が他党(共産党)のビラなどで指摘されているが、阿部本人は「支援は受けているが会員ではない[21] と回答している。

沿革

  • 1967年
  • 1968年
    • 1月13日 韓国で「国際勝共連合」を創設。全国勝共幹部50人が、韓国を訪問し、38度線を視察。
    • 7月7日 江利川安栄(後の統一教会7代目会長)が東京都小平市朝鮮大学校正門前で北朝鮮問題(朝鮮大学校認可取り消し)を訴えるために勝共講義を始める。
  • 1968年
    • 4月1日 日本で、「国際勝共連合」を創設。統一協会の初代会長、久保木修己を会長に、笹川良一を名誉会長に。
  • 1969年
    • 朝鮮大学校認可取り消し運動を展開[9]
    • 「勝共国民運動東京大会」を開催[4]
  • 1970年
    • 世界反共連盟(World Anti-Communist League、略称WACL)世界大会を開催[9]
    • 7月13日 東郷記念会館(渋谷区神宮前)で開催された「赤色帝国主義に抗議する集会―囚われたる欧州諸国民の週間・日本大会」に生長の家(現・生長の家本流運動)、「世界反共連盟」日本支部等の団体と共に参加[23]
  • 1971年
    • 2月13日読売新聞』に「でたらめ街頭募金追及。“本家”が厳重抗議、「北方領土」のでっち上げ団体、金の使い方も不明」との記事が出る。国際勝共連合が母体となった「北方領土復帰推進連盟」という団体で募金運動を行っていることに対し、51団体が加盟している全国組織の「北方領土問題連絡協議会」が募金で集まった金の使途を明らかにせよと迫ったが、国際勝共連合側は明確な回答をせず。
    • 「中国承認反対」完全断食国民大会を開催。
  • 1972年
    • 連合赤軍日本共産党」一大キャンペーンを展開[9]日本共産党への公開理論戦を要求[9]
    • 笹川良一が「反共運動から手を引く」と名誉会長を辞任。共産圏とのスポーツ交流を優先したいことが理由とも言われるが、真意は不明。
    • 12月8日 神戸で統一協会の幹部3人、石井光治(国際勝共連合渉外部長)、増田勝(教団の伝道師)、藤本三雄(教団の伝道師)が外為法違反容疑で起訴されたが、「額面2億5千万円の小切手を不法に持ち出したとされる相当の嫌疑が有することは否定できないが、有罪とするのに十分な証拠を欠く」として無罪になる。[24]
  • 1973年
    • 全国124カ所で久保木修己が「救国の予言」と題して講演[9]。『国際勝共新聞』を『思想新聞』に改題。アメリカで国際指導者セミナーを開催。
    • 第3回アジア勝共大会を開催。
  • 1974年
    • 日本各地で自主憲法制定国民大会を開催[9]
  • 1975年
    • 在日本朝鮮人総聯合会本部に公開質問状を提出し、理論戦を展開。松生丸事件(公海上で北朝鮮警備艇が日本の漁船「松生丸」の乗員2名を射殺) 糾弾県民大会を開催。第21回APACL(アジア反共連盟)総会を開催
  • 1976年
    • 11月10日昭和天皇陛下ご在位50年記念奉祝行事」に参加[9]
    • 11月 機関紙 『世界思想』で「生活水準を三分の一に減らし、税金を四倍、五倍にしてでも、軍事力を増強してゆかなければなりません。それに、日本を守るということだけでなくて、韓国をも守らなければなりません。」と軍事力増強を訴える[25]
  • 1977年
    • 北方領土返還対ソ国民大会。第二次世界大戦の終結寸前のソ連の日本侵攻を描いた映画、『樺太1945年夏 氷雪の門』を全国で自主上映。
    • 北方領土奪還1千万人署名運動[9]
  • 1978年
    • スパイ防止法」(=国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案)制定3000万人署名国民運動を展開。
    • 4月8日発行の『思想新聞』の「号外」で、京都府知事選の候補者、杉村敏正に対し、「やっぱり杉村氏は極秘党員か」、「杉村敏正氏の華麗なる前歴」、「学者の仮面かぶる活動家」、「表面紳士 一皮むけば人殺し」などと批判。選挙前日のこの日の夜、京都市内で、民主府政推進各界連絡会の街頭演説が終了直後、300名のほどの集団が押し寄せ、国際勝共連合の街宣車2台が 日本共産党宮本顕治と知事候補の杉村敏正を「人殺し」などと批判し、双方が乱闘寸前になる。警察官が国際勝共連合の6名を事情聴取。その後、告訴される[25]
    • 4月21日 『思想新聞』に「京都決戦勝利の記録」と題し、全戸ビラ配布体制にはいること、勝共連合会員が徹夜でビラを配布していることなどを掲載。
    • 京都府知事選において引退を表明した蜷川虎三の後継者であった杉村敏正(当時は京都大学教授)に対して勝共連合が支援した地元出身の自民党参議院議員林田悠紀夫候補が当選し、京都で7期28年間にわたり続いた革新府政に幕を下ろさせる。
    • 6月1日 国会で、日本共産党の正森成二が国際勝共連合の京都府知事選における選挙妨害等について質問。[25]
    • 日中平和友好条約反対キャンペーン。
    • スパイ防止法」制定促進国民会議の設立に韓国が参加。都道府県会議を全国で設置し、地方議会における同法案制定請願運動の先頭に立つ。
  • 1979年
    • 「スパイ防止法制定促進国民会議」を発足[9][26]
  • 1982年
    • 共産勢力と戦う組織として、地方の有力者の協力を得て、勝共支部を結成。
    • 中南米で勝共運動を行なうCAUSA(アメリカ社会統一連合)を通じて、共産主義国家ニカラグアの反政府ゲリラコントラ」を支援。
  • 1983年
    • 10月1日 『世界日報』事件。教会色を押さえ一般紙を志向した副島嘉和編集局長らの路線を乗っ取りと考えた梶栗玄太郎「国際勝共連合」理事長ら約百人が「世界日報社」に押しかけ、副島らを暴力的に追い出す。記者達が殴られ、多数の負傷者が出た。警官80人が出動。以後、『世界日報』は教会色を強める。
    • 12月:日〜23日 韓国の八大都市で、「勝共大会」を開催。勝共連合の創始者、文鮮明が講演。日韓米の一体化によって国際共産主義勢力の浸透を防ぐことを訴える。
  • 1984年
    • 日韓安保セミナーを開催[9]。両国の勝共支部が姉妹結縁を行う。勝共会員750万人を達成[9]
    • 6月10日 『世界日報』の路線の対立で、追放された副島嘉和らが『文藝春秋』に出した告発手記で、久保木修己が、天皇の身代わりで、文鮮明師に拝礼する秘密儀式があるとする暴露により、勝共連合を反共運動の同志と考えていた民族派右翼が激怒し、久保木に質問状を出す。3ヶ月後に久保木は、副島手記の内容を否定する回答をした。「平和と安全を守る七大都市大会」の大阪大会では、右翼や民族派が「勝共運動は、文鮮明の手先」「世界を股にかけるペテン師の金集め」などの批判ビラを会場周辺に張り、大会を妨害。
    • 第1回日韓安全保障セミナーを開催[9]
    • スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会を発足。
  • 1985年
    • ソウルで第1回 国際勝共学術講義を開催。
    • 全国教授勝共講師団を結成.
  • 1986年
    • 衆参ダブル選挙で、「130人の“勝共推進議員”が当選」と機関紙『思想新聞』(同年7月20日号)が報じる。
    • 韓国の八大都市で「世界勝共活動報告大会」を開催。
    • 11月13日 日本武道館においての天皇陛下ご在位60年奉祝行事「大奉祝まつり」に参加[9]
  • 1987年
    • スパイ防止法制定促進の為に北朝鮮のスパイ活動を描いた映画『暗号名 黒猫を追え!』を制作、全国各地で自主上映。
    • 自民党の議員達が、霊感商法をやっている統一教会関連企業や勝共連合から政治献金を受けていたとする新聞報道。[27]
    • 韓国で「南北統一運動国民連合」を発足し、共産主義打倒から、共産主義解放という主張を強調するようになる。
  • 1989年
  • 1990年
    • 東京勝共教授講師団が海部俊樹首相に大嘗祭の国家行事化の要望書を提出。
    • 天皇陛下ご即位式奉祝パレードに国際勝共連合から2000人が参加[9]
  • 1991年
    • 日朝交渉中止を訴える『思想新聞』号外100万部を全国で配布。
    • WACL、「世界自由民主連盟」(WLDL)と改称。
  • 1992年
    • 中国視察ツアーを開催。
    • 統一協会の機関紙『中和新聞』平成4年(1992年)9月12日号は、「共産党および社会党が国際勝共連合の推進する「スパイ防止法」制定運動の資金源が統一教会であると誤認し、教会攻撃のために引き起したのがいわゆる“霊感商法問題”」だと説明。
    • 「日韓安保セミナー」参加者が通算で24,566人[9]
  • 1993年
    • 皇太子殿下の御成婚をお祝いする国民の集い」に役員会員らが参加.
    • 『思想新聞』に「人間と性」研究協議会の山本直英への公開質問状を掲載。
  • 1994年
    • 国際勝共連合が日本社会党を名誉毀損で訴えていた「レフチェンコ事件裁判」で、日本社会党が国際勝共連合に解決金支払うことで和解[9]
  • 1995年
    • 8月 「世界平和連合」(FWP)(統一教会が改称した「世界平和統一家庭連合」とは別の団体)を創設。会長は統一協会の会長でもあった小山田秀生。創設大会にはアレクサンダー・ヘイグ元米国務長官らを初めとする世界51ヶ国、約250名の元・現国家元首・政府高官、科学者、宗教家、ジャーナリストらが参加 。
  • 1996年
    • 3月 日本においてFWP設立大会を開催。
    • FWP会長に久保木修己が就任。
    • 「青少年問題セミナー」、「自衛隊演習視察ツアー」を開催。
  • 1997年
    • 全国でFWP都道府県連合会を設立。
    • 自主憲法制定国民大会に参加。
  • 1998年
  • 1999年
    • 大塚克己が国際勝共連合会長に就任。
    • 3月13日 FWP会長に、統一協会の大塚克己が就任し、本格的に運動を開始。
  • 2000年
    • 大塚克己が全国22カ所で講演。
    • 日本共産党批判ビラを全国で配布。
  • 2001年
    • 統一協会会長の小山田が新会長に就任。
    • 「救国救世全国躍進大会」を開催.
    • 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
    • 6月 機関紙の『思想新聞』六月号外で、日本共産党を「小泉改革の最大の抵抗勢力」、「小泉首相に『構造改革』をさせず、日本経済を沈没させ、共産革命の機会をうかがっている」などと批判[28]
  • 2002年
    • 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
  • 2003年
    • 「救国救世全国役員総決起大会」を開催.
    • 「日韓交流・安全保障セミナー」を開催。
    • 各地で映画『暗号名 黒猫を追え!』上映会を開催。
  • 2006年
    • 8月 マスコミで、女性信者への性的暴行が問題となった宗教団体摂理」の教祖、鄭明析1970年代に韓国の統一教会に入信していた時代に、「国際勝共連合」の講師をしていたとの報道に対して、統一協会は「講師をした事実はありません」と完全否定し、各社に抗議を行う[29][30]

脚注

  1. ^ a b 国際勝共連合創始者 文鮮明総裁 逝去 2012年9月07日
  2. ^ 平成30年12月31日における総務大臣届出の政治団体
  3. ^ a b c 堀幸雄 『最新 右翼辞典』 三嶺書房 1991年2月 P 198-199
  4. ^ a b c d e 社会問題研究会編『右翼事典 民族派の全貌』1970年 119-120
  5. ^ New York Times, May 25 1976, "Moon's Sect Pushes Pro-Seoul Activities", "Moon's Sect Seeks to Build Support in the U.S. for South Korean Regime"
  6. ^ 1976年5月25日付の『ニューヨーク・タイムズ』は国際勝共連合は韓国の政府職員に反共教育をする組織 ("an anti-Communist indoctrination school for Korean Government employees")だったと報じた[5]
  7. ^ 1976年6月14日付の『タイム』は朴正煕大統領が文鮮明の反共活動(勝共連合)を支援したと報じた。
  8. ^ 第109回国会 参議院 文教委員会 第2号 昭和63年(1987年)8月25日(議事録
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 国際勝共連合のあゆみ
  10. ^
  11. ^ 国際勝共連合 大学生遊説隊 UNITE(ユナイト)
  12. ^ IFVOC (2011年1月1日). “国際勝共連合”. 2014年4月15日閲覧。
  13. ^ IFVOC (2011年1月12日). “国際勝共連合”. 2014年4月15日閲覧。
  14. ^ 週刊朝日2006年6月30日号『次期首相にふさわしいのか! あの統一教会系合同結婚式に祝電 安倍晋三とのただならぬ関係』
  15. ^ 通達文書
  16. ^ http://www.ifvoc.org/sekaisisou/sekai13_09.html
  17. ^ 朝日新聞1987年1月13日付
  18. ^ 1986年、1993年は無所属で最下位、1990年は自民党公認で次点だった。
  19. ^ 有田芳生『「神の国」の崩壊―統一教会報道全記録』(教育史料出版会、1997年)ISBN 978-4876523177
  20. ^ 『朝日新聞』 1990年2月11日付
  21. ^ 『朝日新聞』 1993年7月16日付
  22. ^ 第78回国会 参議院 外務委員会 第4号] 昭和51年(1976年)10月21日(議事録) 文鮮明の側近、朴普煕と親交のあったユナイテッド航空のロバート・ロランドのフレーザー委員会での証言
  23. ^ 『聖使命新聞』(「生長の家」機関紙)1970年8月号
  24. ^ 2001年6月29日 札幌地裁判決抜粋
  25. ^ a b c 第84回国会 衆議院 地方行政委員会 第24号 昭和53年(1978年)6月1日
  26. ^ [1]
  27. ^ (第109回国会 法務委員会 第11号 昭和62年(1987年)9月16日 )[2]
  28. ^ 2001年6月19日『しんぶん赤旗
  29. ^ 「摂理」教祖・鄭明析氏と統一教会を関連づけた報道への抗議(5) 2006年8月8日
  30. ^ 共同通信の「摂理」教祖・鄭明析氏と統一教会を関連づけた報道への抗議(8) 2008年1月11日

参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年6月)

賛同的文献

  • 木下義昭、早川一郎 『日本共産党「政権参加」近し!〜不破・志位ソフト路線を読み切る』世界日報社 1988年 ISBN 9784882010661、『「新日本共産党宣言」の正しい読み方』世界日報社 1999年 ISBN 9784882010685(木下は世界日報社長兼主筆、早川は政治部長)
  • 大塚克己(編著)『共産主義を崩壊させた人びと』世界日報社 1999年 ISBN 9784882010692 (大塚は統一協会日本教会長)
  • 久保木修己 『美しい国 日本の使命―久保木修己遺稿集』世界日報社 2004年 ISBN 9784882010814(久保木は勝共連合及び統一教会日本教会初代会長)

批判的文献

関連項目

  • 安倍晋三(「世界思想」の表紙モデルに度々起用されている。)

外部リンク

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