2022.02.18
米国の景気は良い。フェイク・ニュースではない。縦令1USD分余計にGDPを成長させるためにその6倍以上の予算を費やしているとしても,予算を捻出できる限り米国の景気は良い。予算を出してもそれだけの成長も出来ない国から見れば,はるかに景気は良い。こう書けば,昔ならば誰もが皮肉と捉えてくれていた。だが,今では変なキャスターが馬鹿でセンスのない話しかしないせいで,少なからぬ者が真顔で額面通り捉えて,人類の歴史は租税と民間との富の奪い合いから出来ていると言い出す始末。
米国は来週開けはプレジデント・デイで休場。バイデン氏を称えよう。中間選挙前にトランプ政権以上に黒人に冷淡だと暴動が起こりそうな雰囲気にあるが。だから,金曜日の市場が終えたタイミングから3連休が来る。偏りすぎているポジションは手仕舞われるか,カバー取引が入りやすい条件にある。材料について考えるのであれば,そもそもここが一番最初に抑えられねばならぬところなのに,何故か教材系動画配信主は全く扱わない。ちょきちょき貯金の金曜日。戸締まり用心火の用心。
ウクライナ問題をあれこれ語る人が多いが,私はロシアの立場を支持すると述べた以外に語るべき動機を一切持たない。ウクライナで何かがあって,米国はおろか欧州経済に深刻どころか軽微なダメージさえもあるとは思えない。せいぜいロシアやウクライナの債権(地方債,社債を含めて)をドイツ系金融機関がどの程度物色しているかどうか次第。
リスク自体は1割もカウント出来ないから,個人トレーダーとして私は無視している。ただし,他人の金でトレードしている偉い人々は既にポジションを減らしてきたはずだ。欧州が趣意返しをしてタカ派になったとか散々巷では言われているが,誰も点滴経済の欧州がタカ派の金融政策で耐えられるとは思っていない。欧州はインフレ以前に高い失業率をどうにかせねばならない。全く雇用者に対する待遇が改善されていない。インフレが高止まりする構造的問題が米国ほど深刻ではない。欧州の金融政策次第ではなく,それが騒がれた段階でポジション整理が進んだだけのことと想定している。そういう話ならばウクライナ問題は重大だ。
誰もそのリスクを信じていなくても,将来何があるか分からない。だが将来の評価は想定し得る。もし,明白なリスクが発生しそのとき逆ポジションを抱えていたら,ただでは済まない人々が世の中には存在することを考えておかねばならない。他人の金で運用している人は常にそれを考えている。彼らはいち早く準備し,いち早く泥船から逃げられる。だから他人はそういう人に命金の一部を託している。個人トレーダーは難破船にしがみついても命が救われるならそれで構わないし,ボートを自前で調達しても構わない。
FXは9割がパタンに嵌まって負ける。パタンが活きるパニック相場はまだ起きていない。ほとんどの条件で次の値幅のデータを取れば,テクニカル条件にかかわらず正規分布になっているとみて構わない程度の誤差(実際はべき分布で,そのべき分布になっている僅かなパーセンテージでトレンドが形成されている。)。
相場は金利からは動かない。債券市場は為替市場判断で参考になることもあるが,相関性に因果関係が必ずしもあるとは言えない。自身の思惑通りの強弱になっていない時の反省材料として,債券価格と通貨ローテーションを見ることはあるが,それは自身の想定と実際がどの程度乖離しているかの確認に過ぎない。
金利の上下でポジションを持ったり手放したりすることは全くない。ニュース通りに相場が動いている,反応しているという人がいるが,その反応は日計りのイベントに過ぎない。反応しきったところをチャネルやバンドで確認し,当日,3日,1週間,2週間の範囲(2週間程度長くなるのはCPIなどの後に出てくる反応,しかも毎月必ずというわけではない。)で反対売買が入りそうだから,材料が出て相場が動いた,グラフパタンが出て相場が動いた,ならばその動かした連中の手仕舞いに合わせて逆を張りいただく感じ。
ニュース後の値動きを観察したいのであれば,そこで反応したかどうかではなく,反応して動いた後の値動きがどう戻ったか,どの程度の期間で戻ったかに注目している。戻りの期間が遅いものには全然意味が違う反応であるケースと,現時点でメインテーマになっているケースとがある。後者の場合は当たりを引いたと言える。
私はポジポジ病患者だそうだ。トレードで勝つには思惑通りの方向で利幅を出した状態で手仕舞うことが必要で,行動のプロセスがルール通りかどうかなんてことは一切関係ない。運用範囲を定め,その範囲で絶対にストップロスに遭わなければ,必ず利益を想定通りに出せたところで手仕舞うことで勝てる。
とりわけ平均回帰性が強いFX市場に参加する場合,市場で何があっても絶対に退場しないようにリスクを取る時に準備出来れば,ほぼ必ず勝てるように出来ている。そこにルールなんてものは一切関係ないし,ルール通りに仕掛けて切って手仕舞い出来たかなんて事も一切関係ない。
何もやっても良いのだから感情のままに適当にトレードしようと,己の偏狭な価値観で雁字搦めにしてトレードしようとも,全く問題ない。毎度トレードの仕方が違えば反省が出来ないという人がいるが,それこそ反省する必要も無い。値動きはランダムウォークなのに,その値動きにどう合わせられなかったか,どうタイミングを取り逃して損切れなかったかとか,そんなことを論じても無意味。相手が分からないのに,相手を勝手に妄想しているモテない男みたいでキモい。
そこではなく,どの範囲で運用するのに,どれだけ以上ポジションを持ってしまった,故に最大ドローダウンに耐え切れなかった,だから退場せざるを得なくなってしまった。その小学生の算数の範囲で分かることだけきちんとポジションを持つ前にカウントしておけば良い。ポジポジ病でトレードに失敗したことは一度もない。今後もポジポジ病で行くつもりだ。ポジポジ病のワクチンを打ちたがっている似非テクニカリストは自身に打ったからその有様。あまりに打ち過ぎて最早効かなくなって,サイトカインストーム起こして資金がどんどん損切られていくだけで全く収益改善出来ない有様が面白くて仕方がない。
ポジポジ病でそのレバレッジ管理が出来なくなるという人がいるが,それはない。予め自身の判断でどれだけ建てるのが気持ち良いかを知っているので,私の場合は資金10分割のなかでさらにそれを10分割した単位でドンドンポジポジしている。そして利が乗ってくればさらにその範囲でまた次の資金10分割を導入していく。さすがに50,60もポジポジやる前に体力,精神が疲労し,嫌になるだろう。それでレバレッジ制限を超えることはない。気分のままにトレードする。
チャートを見てチャンスだと思えるならば,リスクを取れば良い。相場は現在とは異なる将来への思惑に張る行為。上がると思うなら買うし,下がると思えば売らねばならない。そこで行動出来ないのは何故かを考え,是正せねばならない。ポジションが大過ぎるから最後のチャンスまで付き合えないと言うのであれば,単位を小さくする。だが,チャンスと見えても実際には数回繰り返さねばチャンスにならなかったから数回分は仕掛けずに見送ると言うのは,因果関係が無いから良くない。最初のものは小さくても付き合っている,立ち会っている。2番目のものはチャンスなのに完全にオミットしている。本当にチャンスかどうかが分からないのに,勝手にそこでは本物のチャンスにならないと自身で決めつけている。
ファースト・インパクトで一気に相場が伸びてしまった。チャンスを取り逃した。急変した30秒の数10銭が2分以内に全戻ししそのまま下げてしまったら,あなたにはもう参加する機会は無い。参加出来ないことは一番の損失だ。トレーダー全員に運は等しく巡ってくる。参加していれば必ずその運に遭遇する。参加していればだ。参加出来なかったら運が巡ってきてもあなたのポジションに利は乗らない。運が巡るのを決めるのは神の仕事で,我々は神の差配を知ることは出来ない。
リスクを取るには自身の体力(財力やトレード環境,身に降りかかる懸案など)を考え,自身の身の程(駆使出来る手段,手段を統御出来る責任の範囲)を知り,それでカバー出来る範囲で取らねばならない。詐欺師は全部チャンスだと思ってやるのは良くない,厳選すべきだと言うが,全て因縁を付けようと思えば必ず付けられる。終わって結果が符合していないから失敗になるのだが,仕掛ける段階では誰も失敗かどうかは判断出来ない。マーケット・タイミングは絶対に掴めないのだから,そこで掴もうと努力するのは止めて,己の本能のままに振る舞っても死なないことを考え,その範囲を超えないように自制すれば良い。
己の思った通りに上手く行くことなんて・・・という動画主がいたら,基本眉唾。ランダムウォークな値動き相手に,何相手のことを勝手に決めつけているのか。そこはどちらに行っても良いように建玉を操作していくんでしょ。
確かに損大利小が私のトレード。2:1に手数料分のハンデがついてくるから相当に損大利小。利益は手数料分必ず小さくなるが,損失は利益幅の想定の2倍以上になっているだけでなく手数料分も加算される。それを一定の運用範囲で建玉を操作しどう利益にしていくか。
ここでは2通りのトレードを提示している。1つは値幅が小さく平均回帰性が強いため,一切損切りしなくても建玉を小さくすることでいずれ勝ててしまうトレード。安いところで買い拾い,高いところで売り叩く。ただし,途転売買には持ち込まない。中間値近傍で利の出たポジションは手仕舞っている。
もう1つは土井たか子方式で山が動くタイミングに張っていくことで合わせて損失を凌駕し勝ててしまうトレード。右派が足を引っ張ってもひたすらそれを丸呑みしながら左派の大勝で党勢拡大していこうとするタイプ。利確するまで損切りせずに両建てで引っ張る。両建てで引っ張らなければ,値動きがどちらに行くかわからないのに,合わせられない。どちらもポジポジ適当にやって,損大利小だが増えている。両者にはさらに網掛け併用し,運用想定する前の値動き想定であるメイン価格帯だけに部分点で利益を積み上げるやり方を入れている。
損大利小になるのは人間の性ではない。トレーダーがマーケット・タイミングを掴み続けられないからだ。トレーダーがもし順行の始まりと終わりを正確に掴み続けられる,天底を言い当てられるならば,常にインパルス波を捉えてその調整局面に振らされることなくトレード出来る。そのとき損小利大は達成出来ている。だが,そんなタイミングは基本掴めない。だから損大利小にならざるを得ない。タイミングが掴めないことを前提とし,トレンドと無関係にトレードしようとする時,取りに行く利益の2倍以上の遊びがなければ,勝てる運用を組み立てられない。その分損大利小になる。心理学上の問題以前の問題だ。
私はいつも本能に従った楽しいトレード,快楽を目指すトレードをしている。そうでなければ健康を害する。長くやっていける生業にならない。でも,リスクを取ることは本能に違い厳しいことではない。リスクとは冒険で目指すべき宝,極端な場合は人生の目標。それを目指すために準備し,冒険していくことで生の充実を覚えないか?人生を生きている実感をどこで毎日味わっているだろうか。
トレードでは本能に従うし,ある意味快楽である。だから,強欲を制する必要があるし,配慮と思慮を巡らせねばならない。宝探しはビジネスにならない。予め答えのある所から,効率よく低コストで運搬してくるものは宝だとは言わないし,やればやるほど価値が無くなる。その時点でどんなにショボかろうと他人が見つけられない宝を掘り出してくるのだから,はじめて宝だと言える。物量はポジションを張れる枚数次第,それは証拠金次第なのだから,積み上げれば馬鹿でもいずれ手に出来る。
宝探しには法則もなければ限界もない。どこまでで取り尽くしになるかも己で決めつけ,なし得る限り早く降りて帰らねばならない。私のトレードは常にリスクを取ったビジネスとしてのトレードではない。それは絶対に選択したくない。値動きは生成される前から条件さえも確定していない。最初から答えが無いことにビジネスモデルがあるかのように語るFXコーチがいるとしたら,彼は詐欺師である。
冒険は果てしなく続く。私は本能に従った楽しいトレード,快楽を目指すトレードで2007年以降ずっとトレードし続けている。長生き出来るトレードかどうかは知らないが,少なくともその程度はトレードし続けて生活し続けることは出来ている。快楽を求め感情的になって,苦痛も無く努力もしないで,考え方も変えないチャート思考停止して眺めてみて,心から何も受け入れず,損切りをしないが,15年以上は生き続けられている。
私は常に適当にエントリーしている。勉強もしないで努力もしないで,快楽を求めて感情的な,リスクは取るがそれを苦痛としないトレードをしている。だが,常にトレードをやっていると知寡欲な発想が出てきたり,強欲が悪さして,勉強しスキルを上げようとする誘惑に駆られる。ありもしない法則を見出して来ようとしたり,ビジネスのように淡々と感触を無視してトレードしようとする誘惑に駆られる。如何にリスクを取るかを論じてみたり,ビジネスライクにトレードするにはどうするかトレードの掟を作ってみたりし始める。それに着手し他人の意見に耳を傾けだしたら,必ずトレードが上手く行かなくなってくる。確実がないところに確実を求めてはならぬし,答えのないところに答えを求めるのは良くない。にもかかわらず,将来出される答えが収斂されるべきところが分かるかのように思ったり,それが憶測出来る推論法が確立出来ると思ったりする強欲が常に誘惑してくる。そんな強欲に駆られないようにすることが大切な掟だ。そのために常に私は自身に言い聞かせている。学校で教えられる人生は貧乏人の人生だけ。
既に勝てているから,時間は掛かるが徐々に規模を大きくしていけば良い。ショートカットしたければ,原資をもっと増やせば良い(くれぐれも障害者になったり,精神を病んだりしない方法で。)ので,律義にここにあるように10万円から始めなくても良いのだが。自身の考え方を変える合理性も無い。何時かでは無く今勝ち続けているならば問題ない。世界が変わるなんてことは我々ニートは考えない。ニートは世界に絶望し,世界を捨てた人々である。最早捨てた世界で新型コロナが溢れていようと,自衛するだけ。自衛するためにも,かつての世界の無様さを論い,ああはならないようにしようと戒める。
社会にどうにかしてもらおうと考える気違いはどこにもいない。そんな妄想を述べているのは,岸田は経済に暗いと文句を垂れている経済界の人々,社会人だけだ。岸田がバカなら無視してやれる方法を探すのがニートだ。バカに言うのが一のバカで,付き合うなんて論外。社会が適正に変わるならば,より正義ある社会が運営されていなければおかしい。他人に寄生し,レバレッジを高めるだけ(他人の借金で己の所得を生産力以上に増やし,借金にインセンティブを政策で与えるべきだと真剣に考えているだけ)で,己の課題を何1つ解決しない無責任な社会人と,我々ニートとは全然違う。自身が自由になりたいならば,己の自由を奪い,己を貶め,己のリズムを見出す人との付き合いを断絶しなければならない。徹頭徹尾相手に正しさは無い。無いことが分かっているならば,そんなバカとは付き合ってはならない。付き合う限り,あなたは自由になれない。
米国は来週開けはプレジデント・デイで休場。バイデン氏を称えよう。中間選挙前にトランプ政権以上に黒人に冷淡だと暴動が起こりそうな雰囲気にあるが。だから,金曜日の市場が終えたタイミングから3連休が来る。偏りすぎているポジションは手仕舞われるか,カバー取引が入りやすい条件にある。材料について考えるのであれば,そもそもここが一番最初に抑えられねばならぬところなのに,何故か教材系動画配信主は全く扱わない。ちょきちょき貯金の金曜日。戸締まり用心火の用心。
ウクライナ問題をあれこれ語る人が多いが,私はロシアの立場を支持すると述べた以外に語るべき動機を一切持たない。ウクライナで何かがあって,米国はおろか欧州経済に深刻どころか軽微なダメージさえもあるとは思えない。せいぜいロシアやウクライナの債権(地方債,社債を含めて)をドイツ系金融機関がどの程度物色しているかどうか次第。
リスク自体は1割もカウント出来ないから,個人トレーダーとして私は無視している。ただし,他人の金でトレードしている偉い人々は既にポジションを減らしてきたはずだ。欧州が趣意返しをしてタカ派になったとか散々巷では言われているが,誰も点滴経済の欧州がタカ派の金融政策で耐えられるとは思っていない。欧州はインフレ以前に高い失業率をどうにかせねばならない。全く雇用者に対する待遇が改善されていない。インフレが高止まりする構造的問題が米国ほど深刻ではない。欧州の金融政策次第ではなく,それが騒がれた段階でポジション整理が進んだだけのことと想定している。そういう話ならばウクライナ問題は重大だ。
誰もそのリスクを信じていなくても,将来何があるか分からない。だが将来の評価は想定し得る。もし,明白なリスクが発生しそのとき逆ポジションを抱えていたら,ただでは済まない人々が世の中には存在することを考えておかねばならない。他人の金で運用している人は常にそれを考えている。彼らはいち早く準備し,いち早く泥船から逃げられる。だから他人はそういう人に命金の一部を託している。個人トレーダーは難破船にしがみついても命が救われるならそれで構わないし,ボートを自前で調達しても構わない。
FXは9割がパタンに嵌まって負ける。パタンが活きるパニック相場はまだ起きていない。ほとんどの条件で次の値幅のデータを取れば,テクニカル条件にかかわらず正規分布になっているとみて構わない程度の誤差(実際はべき分布で,そのべき分布になっている僅かなパーセンテージでトレンドが形成されている。)。
相場は金利からは動かない。債券市場は為替市場判断で参考になることもあるが,相関性に因果関係が必ずしもあるとは言えない。自身の思惑通りの強弱になっていない時の反省材料として,債券価格と通貨ローテーションを見ることはあるが,それは自身の想定と実際がどの程度乖離しているかの確認に過ぎない。
金利の上下でポジションを持ったり手放したりすることは全くない。ニュース通りに相場が動いている,反応しているという人がいるが,その反応は日計りのイベントに過ぎない。反応しきったところをチャネルやバンドで確認し,当日,3日,1週間,2週間の範囲(2週間程度長くなるのはCPIなどの後に出てくる反応,しかも毎月必ずというわけではない。)で反対売買が入りそうだから,材料が出て相場が動いた,グラフパタンが出て相場が動いた,ならばその動かした連中の手仕舞いに合わせて逆を張りいただく感じ。
ニュース後の値動きを観察したいのであれば,そこで反応したかどうかではなく,反応して動いた後の値動きがどう戻ったか,どの程度の期間で戻ったかに注目している。戻りの期間が遅いものには全然意味が違う反応であるケースと,現時点でメインテーマになっているケースとがある。後者の場合は当たりを引いたと言える。
私はポジポジ病患者だそうだ。トレードで勝つには思惑通りの方向で利幅を出した状態で手仕舞うことが必要で,行動のプロセスがルール通りかどうかなんてことは一切関係ない。運用範囲を定め,その範囲で絶対にストップロスに遭わなければ,必ず利益を想定通りに出せたところで手仕舞うことで勝てる。
とりわけ平均回帰性が強いFX市場に参加する場合,市場で何があっても絶対に退場しないようにリスクを取る時に準備出来れば,ほぼ必ず勝てるように出来ている。そこにルールなんてものは一切関係ないし,ルール通りに仕掛けて切って手仕舞い出来たかなんて事も一切関係ない。
何もやっても良いのだから感情のままに適当にトレードしようと,己の偏狭な価値観で雁字搦めにしてトレードしようとも,全く問題ない。毎度トレードの仕方が違えば反省が出来ないという人がいるが,それこそ反省する必要も無い。値動きはランダムウォークなのに,その値動きにどう合わせられなかったか,どうタイミングを取り逃して損切れなかったかとか,そんなことを論じても無意味。相手が分からないのに,相手を勝手に妄想しているモテない男みたいでキモい。
そこではなく,どの範囲で運用するのに,どれだけ以上ポジションを持ってしまった,故に最大ドローダウンに耐え切れなかった,だから退場せざるを得なくなってしまった。その小学生の算数の範囲で分かることだけきちんとポジションを持つ前にカウントしておけば良い。ポジポジ病でトレードに失敗したことは一度もない。今後もポジポジ病で行くつもりだ。ポジポジ病のワクチンを打ちたがっている似非テクニカリストは自身に打ったからその有様。あまりに打ち過ぎて最早効かなくなって,サイトカインストーム起こして資金がどんどん損切られていくだけで全く収益改善出来ない有様が面白くて仕方がない。
ポジポジ病でそのレバレッジ管理が出来なくなるという人がいるが,それはない。予め自身の判断でどれだけ建てるのが気持ち良いかを知っているので,私の場合は資金10分割のなかでさらにそれを10分割した単位でドンドンポジポジしている。そして利が乗ってくればさらにその範囲でまた次の資金10分割を導入していく。さすがに50,60もポジポジやる前に体力,精神が疲労し,嫌になるだろう。それでレバレッジ制限を超えることはない。気分のままにトレードする。
チャートを見てチャンスだと思えるならば,リスクを取れば良い。相場は現在とは異なる将来への思惑に張る行為。上がると思うなら買うし,下がると思えば売らねばならない。そこで行動出来ないのは何故かを考え,是正せねばならない。ポジションが大過ぎるから最後のチャンスまで付き合えないと言うのであれば,単位を小さくする。だが,チャンスと見えても実際には数回繰り返さねばチャンスにならなかったから数回分は仕掛けずに見送ると言うのは,因果関係が無いから良くない。最初のものは小さくても付き合っている,立ち会っている。2番目のものはチャンスなのに完全にオミットしている。本当にチャンスかどうかが分からないのに,勝手にそこでは本物のチャンスにならないと自身で決めつけている。
ファースト・インパクトで一気に相場が伸びてしまった。チャンスを取り逃した。急変した30秒の数10銭が2分以内に全戻ししそのまま下げてしまったら,あなたにはもう参加する機会は無い。参加出来ないことは一番の損失だ。トレーダー全員に運は等しく巡ってくる。参加していれば必ずその運に遭遇する。参加していればだ。参加出来なかったら運が巡ってきてもあなたのポジションに利は乗らない。運が巡るのを決めるのは神の仕事で,我々は神の差配を知ることは出来ない。
リスクを取るには自身の体力(財力やトレード環境,身に降りかかる懸案など)を考え,自身の身の程(駆使出来る手段,手段を統御出来る責任の範囲)を知り,それでカバー出来る範囲で取らねばならない。詐欺師は全部チャンスだと思ってやるのは良くない,厳選すべきだと言うが,全て因縁を付けようと思えば必ず付けられる。終わって結果が符合していないから失敗になるのだが,仕掛ける段階では誰も失敗かどうかは判断出来ない。マーケット・タイミングは絶対に掴めないのだから,そこで掴もうと努力するのは止めて,己の本能のままに振る舞っても死なないことを考え,その範囲を超えないように自制すれば良い。
己の思った通りに上手く行くことなんて・・・という動画主がいたら,基本眉唾。ランダムウォークな値動き相手に,何相手のことを勝手に決めつけているのか。そこはどちらに行っても良いように建玉を操作していくんでしょ。
確かに損大利小が私のトレード。2:1に手数料分のハンデがついてくるから相当に損大利小。利益は手数料分必ず小さくなるが,損失は利益幅の想定の2倍以上になっているだけでなく手数料分も加算される。それを一定の運用範囲で建玉を操作しどう利益にしていくか。
ここでは2通りのトレードを提示している。1つは値幅が小さく平均回帰性が強いため,一切損切りしなくても建玉を小さくすることでいずれ勝ててしまうトレード。安いところで買い拾い,高いところで売り叩く。ただし,途転売買には持ち込まない。中間値近傍で利の出たポジションは手仕舞っている。
もう1つは土井たか子方式で山が動くタイミングに張っていくことで合わせて損失を凌駕し勝ててしまうトレード。右派が足を引っ張ってもひたすらそれを丸呑みしながら左派の大勝で党勢拡大していこうとするタイプ。利確するまで損切りせずに両建てで引っ張る。両建てで引っ張らなければ,値動きがどちらに行くかわからないのに,合わせられない。どちらもポジポジ適当にやって,損大利小だが増えている。両者にはさらに網掛け併用し,運用想定する前の値動き想定であるメイン価格帯だけに部分点で利益を積み上げるやり方を入れている。
損大利小になるのは人間の性ではない。トレーダーがマーケット・タイミングを掴み続けられないからだ。トレーダーがもし順行の始まりと終わりを正確に掴み続けられる,天底を言い当てられるならば,常にインパルス波を捉えてその調整局面に振らされることなくトレード出来る。そのとき損小利大は達成出来ている。だが,そんなタイミングは基本掴めない。だから損大利小にならざるを得ない。タイミングが掴めないことを前提とし,トレンドと無関係にトレードしようとする時,取りに行く利益の2倍以上の遊びがなければ,勝てる運用を組み立てられない。その分損大利小になる。心理学上の問題以前の問題だ。
私はいつも本能に従った楽しいトレード,快楽を目指すトレードをしている。そうでなければ健康を害する。長くやっていける生業にならない。でも,リスクを取ることは本能に違い厳しいことではない。リスクとは冒険で目指すべき宝,極端な場合は人生の目標。それを目指すために準備し,冒険していくことで生の充実を覚えないか?人生を生きている実感をどこで毎日味わっているだろうか。
トレードでは本能に従うし,ある意味快楽である。だから,強欲を制する必要があるし,配慮と思慮を巡らせねばならない。宝探しはビジネスにならない。予め答えのある所から,効率よく低コストで運搬してくるものは宝だとは言わないし,やればやるほど価値が無くなる。その時点でどんなにショボかろうと他人が見つけられない宝を掘り出してくるのだから,はじめて宝だと言える。物量はポジションを張れる枚数次第,それは証拠金次第なのだから,積み上げれば馬鹿でもいずれ手に出来る。
宝探しには法則もなければ限界もない。どこまでで取り尽くしになるかも己で決めつけ,なし得る限り早く降りて帰らねばならない。私のトレードは常にリスクを取ったビジネスとしてのトレードではない。それは絶対に選択したくない。値動きは生成される前から条件さえも確定していない。最初から答えが無いことにビジネスモデルがあるかのように語るFXコーチがいるとしたら,彼は詐欺師である。
冒険は果てしなく続く。私は本能に従った楽しいトレード,快楽を目指すトレードで2007年以降ずっとトレードし続けている。長生き出来るトレードかどうかは知らないが,少なくともその程度はトレードし続けて生活し続けることは出来ている。快楽を求め感情的になって,苦痛も無く努力もしないで,考え方も変えないチャート思考停止して眺めてみて,心から何も受け入れず,損切りをしないが,15年以上は生き続けられている。
私は常に適当にエントリーしている。勉強もしないで努力もしないで,快楽を求めて感情的な,リスクは取るがそれを苦痛としないトレードをしている。だが,常にトレードをやっていると知寡欲な発想が出てきたり,強欲が悪さして,勉強しスキルを上げようとする誘惑に駆られる。ありもしない法則を見出して来ようとしたり,ビジネスのように淡々と感触を無視してトレードしようとする誘惑に駆られる。如何にリスクを取るかを論じてみたり,ビジネスライクにトレードするにはどうするかトレードの掟を作ってみたりし始める。それに着手し他人の意見に耳を傾けだしたら,必ずトレードが上手く行かなくなってくる。確実がないところに確実を求めてはならぬし,答えのないところに答えを求めるのは良くない。にもかかわらず,将来出される答えが収斂されるべきところが分かるかのように思ったり,それが憶測出来る推論法が確立出来ると思ったりする強欲が常に誘惑してくる。そんな強欲に駆られないようにすることが大切な掟だ。そのために常に私は自身に言い聞かせている。学校で教えられる人生は貧乏人の人生だけ。
既に勝てているから,時間は掛かるが徐々に規模を大きくしていけば良い。ショートカットしたければ,原資をもっと増やせば良い(くれぐれも障害者になったり,精神を病んだりしない方法で。)ので,律義にここにあるように10万円から始めなくても良いのだが。自身の考え方を変える合理性も無い。何時かでは無く今勝ち続けているならば問題ない。世界が変わるなんてことは我々ニートは考えない。ニートは世界に絶望し,世界を捨てた人々である。最早捨てた世界で新型コロナが溢れていようと,自衛するだけ。自衛するためにも,かつての世界の無様さを論い,ああはならないようにしようと戒める。
社会にどうにかしてもらおうと考える気違いはどこにもいない。そんな妄想を述べているのは,岸田は経済に暗いと文句を垂れている経済界の人々,社会人だけだ。岸田がバカなら無視してやれる方法を探すのがニートだ。バカに言うのが一のバカで,付き合うなんて論外。社会が適正に変わるならば,より正義ある社会が運営されていなければおかしい。他人に寄生し,レバレッジを高めるだけ(他人の借金で己の所得を生産力以上に増やし,借金にインセンティブを政策で与えるべきだと真剣に考えているだけ)で,己の課題を何1つ解決しない無責任な社会人と,我々ニートとは全然違う。自身が自由になりたいならば,己の自由を奪い,己を貶め,己のリズムを見出す人との付き合いを断絶しなければならない。徹頭徹尾相手に正しさは無い。無いことが分かっているならば,そんなバカとは付き合ってはならない。付き合う限り,あなたは自由になれない。
2022-02-19 21:25
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