鎧は治ってます。
──クレマンティーヌを倒した日の、翌々朝。
モモンガは木漏れ日を受けながら、ぐぐぐと背筋を伸ばした。そうすると胸の豊かな双丘が嫌というほど存在感を発揮するのだが、人の目は全くないので問題はない。
トブの大森林に構えた拠点作成系アイテム『グリーンシークレットハウス』を片付けると、モモンガはひらりと大きな木の枝へ飛翔した。余り使うことはないものの、背に生えた翼も今では手足の様に扱うことができるようになった。
「……」
さわさわと木の葉がやわ風に揺れる。
鳥は囀り、朝露の落ちた緑はその生命力を誇示する様に青々と輝いていた。
大森林に一人。
思えばモモンガはこの世界にきてから、常に誰かと時間を共有していた様に思える。それは決して苦痛ではなかったが、それでもこうして一人で森林浴をしていると、こういう穏やかな時間も自分には必要だと思えてくる。
クレマンティーヌを仕置きした日の夜から、モモンガはトブの森に籠っていた。というのも、バレアレ家を警護させておくシモベの召喚・選別・実験を行なっていたからだ。
スキルによって無から生み出したシモベは召喚時間に限りがある。しかし骸を媒介としたアンデッドの創造にはその制限がない。
故にモモンガはトブの森を歩き回り、適当なモンスターの骸を収集していたのだ。転移した先にトロールの巣らしき穴倉があったのは彼にとって幸運だった。友好的な知的生命体の殺生は余りしたくはなかったが、グとかなんとかいうトロールがモモンガに絡んできたどころか食い物にしようと近寄ってきたのが悪い。即座にトロールの巣を殲滅し、その全ての骸を有効活用させてもらった。
そうして生み出したのは隠密能力に長けたアンデッド達だ。これをバレアレ家やカルネ村に常駐させておくだけで、今後それらはモモンガが出向かなくても守ることができる。カルネ村には既に配置させ、残りはこれからエ・ランテルに連れていく為、影の中に潜んでもらっている。
因みにバレアレ薬品店の諸々の補償だが、これはモモンガがクレマンティーヌを捕縛した報奨金を全て充てさせて貰っている。ということで、彼は今も絶賛無一文状態継続なのであった。
「……今日はいい仕事あるといいな」
モモンガはそう言って、銅級のプレートを指ではじいた。飯を食うには金が要る。彼は魔法を唱えて、エ・ランテルへと転移した。
「……ん?」
組合所の扉を開いたモモンガは、はたと違和感に気づいた。
組合に姿を現した彼に一斉に視線が突き刺さる──のはいつも通りなのだが、今日は何かがおかしい。
(……なんだ?)
いつもは自分を訝しむ目ばかりだが、今は様々な感情に富んでいるような気がする。
敵意や懐疑、品定めの様な視線から始まり、憧憬や敬意に満ちた目で見てくるものがいる。
これはやはり……。
(……『漆黒の剣』が俺のこと触れ回りまくった結果だろこれ)
自分のことを嬉々として語りまくる彼らの姿が容易に目に浮かぶ。
しかし『漆黒の剣』の話を素直に受け取った者や、眉唾だと受け入れられない者とがいるようだ。比率的には後者の方がかなり多そうだが。
「モモンさん」
入口で突っ立っていると、受付嬢のイシュペンが小走りで駆け寄ってきた。用件はモモンガにも想像がつく。
「組合長が応接室でお待ちです」
……そらきた。
『漆黒の剣』の語るモモンの英雄譚は結構脚色が多かったりする。案内してくれてるイシュペンの背中を眺めながら、彼は絶妙に居心地の悪い気分になっていた。組合長や他の冒険者達にまであることないこと言ってるのなら、その弁明が割と面倒くさい。今度彼らの語る英雄譚を一回検める必要はありそうだ。
「失礼致します。モモンさんをお連れいたしました」
「入室を許可する」
イシュペンに導かれて中に入ると、冒険者組合長のアインザックが既にテーブルに着いていた。白髭を蓄えているものの、服の下から盛り上がった精強な体つきのせいで、年老いているという印象をモモンガは抱かなかった。
「モモンさん。よく来てくれた。そちらへ掛けてくれ」
アインザックの表情はどこか固い。
口振りこそ尊大だが、一端の冒険者を相手にしているというよりまるで上役を相手にしているような固さがそこにはある。
モモンガは軽く会釈をしてアインザックの向かいの席へと着いた。
「初めましてになるな。私がこのエ・ランテルの冒険者組合長を務めているアインザックだ」
「お初にお目に掛かりますアインザック組合長。先日こちらの組合で登録を済ませたばかりのモモンと申します。それで、若輩者の私に何かご用件があると伺いましたが?」
「うむ……」
アインザックはイシュペンに配膳された紅茶にひと口つけながら、目の前のモモンを注意深く見た。組合長を長らくやってきた彼だが、これほど見事な漆黒の鎧はお目にかかることはなかった。それに確かに兜の中から発声されているものは間違いなく、女性の美しい声だ。
噂に違わぬ、とはこのことだろう。
アインザックは僅かな緊張感を孕みながら、静かに切り出す。
「……早速本題に入ろう。君を呼んだのは、魔樹ザイトルクワエの件だ」
まあそうだろうなと、モモンガは思う。
彼は頷いて、聞く姿勢を保った。
「『漆黒の剣』から君の話は散々聞かされたよ。世界を滅ぼせるだけの魔樹を単騎で打ち倒したという、君の話はね」
両者の間に、紅茶の湯気がゆらりと揺らめいた。
モモンガは何も言わず、静かにアインザックの次の言葉を待っている。アインザックは紅茶にひと口つけると、続きを語りだした。
「本日より、私が選抜したミスリル級冒険者チームの小隊を護衛につけて私自らその魔樹の跡地の調査に向かう予定だ」
「組合長が直々にですか」
「魔樹の話が本当なら、リ・エスティーゼ王国全土を巻き込むほどの大事だからな。組合長の私のこの目で確かめるべき事案だろう」
平坦な声で返すモモンガが、兜の中でどんな表情をしているのかアインザックに知る術はない。彼は僅かに唾を飲んだ。
「……君を疑いたいわけではない。ただ、信じ難いという気持ちも察してくれ。『漆黒の剣』の話を聞いた他の冒険者とて同じ気持ちだろう。空にも届くほどの魔樹をたった一人で打ち滅ぼすなど、誰が信じられようか」
当然の疑問といえば当然の疑問だ。
銅級の冒険者が、アダマンタイト級冒険者チームをダースで用意しても成し得ない偉業を遂げたというのは流石に話に無理が有りすぎる。
しかしモモンガはこれに本当です信じてくださいというのも馬鹿らしく思っていた。誇りたいとも思わないし、自分が口で言ってもどうせ信用足り得ないと分かっているからだ。
モモンガは真っ直ぐにアインザックを見ながら、静かに自分の意見を語り出す。
「私からお伝えできるのは巨大な魔樹を私の手で滅ぼしたということだけです。『漆黒の剣』は正直私のことをかなり……なんというか、英雄視してしまっているので、彼らの話は話半分で聞いてください。組合長自らザイトルクワエとの戦場跡地を見てきてくれるのは非常に助かります」
「……なるほど。身内や自分の言よりも、実際にその目で確かめてくれというわけだな。あくまでも判断は組合に委ねると」
「ええ。それとザイトルクワエを撃破できたのは全て私の実力というわけではないということを考慮していただければ。私はたまたまザイトルクワエを倒せるだけのアイテムを持ち合わせていたに過ぎませんからね。もしもアイテムの助けがなかったら流石に勝つことは無理でした」
「……そのアイテムとは、君の持つ剣のことかね?」
「いえ。これです」
モモンガはそういってどこからか『魔封じの水晶』を取り出して、アインザックの前へ置いた。七色の光を放つそれに、アインザックの目が丸くなる。
「……これは、『魔封じの水晶』か」
「第八位階の魔法が込められています。これと同じものを暴走させたからこそ、私は魔樹を撃破できたのです」
第八位階。
魔法はラケシルの専門分野だが、アインザックにも途轍もない位階魔法だということは分かる。もっと低位の魔法のスクロールでさえ高額で取引されているというのに、第八位階ともなるとその価値は想像もつかない。そもそも、値がつくものなのか。アインザックの背に、冷や汗が滲み出した。
「こ、こんなとてつもない秘宝を使ったというのかね」
「トブの森の近くにはカルネ村があります。人命には代えられませんからね」
事もなげに言い放つモモンガの底が、アインザックには計りしれない。
国がひっくり返るほどの価値を持つ秘宝を、何ら躊躇せずに人命の為に擲つ行動力。そしてそんな秘宝をもう一つ持っているという途轍もない財力。そしてその事に対して誇りも驕りもしない英雄性。
アインザックはなるほど『漆黒の剣』がモモンに惚れるはずだと納得を得た。
不可能を可能とするような力を、確かに目の前のモモンから見い出せる。彼の心が、俄かに熱くなった。自分は今、伝説を見ているのかもしれない、と。十三英雄や六大神の様な存在を、この網膜に映しているのではないのか、と。
君は、一体何者なんだ。
その言葉を、アインザックはすんでのところで飲み込んだ。それは素性や来歴関係なく働ける冒険者を束ねる組合長として、あるまじき発言だ。
「しかし噂通り……いや、噂以上の傑物だな。『漆黒の剣』の話も、あながち間違いは多くはなさそうだ……」
「過分な評価恐れ入ります。しかし組合長が実際に調査に向かわれるなら、これ以上私が語ることもないでしょう。百聞は一見に如かずといいますし、私は『漆黒の剣』が語る様な英雄になりたいわけではありません。一冒険者として、冷静かつ客観的な評価を組合には求めておりますから」
冷静な物言いに、アインザックは強烈な違和感を覚えた。
例えば冒険者にとって最も栄誉あることの一つである
……しかしそういった心の機微をアインザックはモモンガから感じ取れない。
そのことに違和を感じるのだ。例えザイトルクワエ討伐が真実でも虚偽でも、自分がやりましたと言い張る筈だ。金にせよ名誉にせよ、何の理由であれだ。
だが、モモンガの口振りは余りにも無味無臭。
はっきり言って人間臭さ──欲を感じ取れない。
ザイトルクワエがモモンにとってはそれほどの存在でしかないのか? いや、それは有り得ない。話だけならザイトルクワエは如何なドラゴンよりも難度が高いのだから。
やはりモモンは金や名声といった私欲の為に動いていないように、アインザックには思える。
(なんにせよ、今見たもの……そして聞き及んでいることだけを精査すると、『比類無き英雄』という評価は妥当だろうな)
滅私奉公という言葉があるが、モモンという冒険者はそれに近いと言えば近いし、違うと言えば違う。しかしながらモモンは私利私欲の為でなく、弱者の為に自分の力を振るうことに躊躇しない強い善性が確かにある、とアインザックの目には映っている。
聞きたいことは大体聞けた。
モモンという人となりもアインザックは評価できた。
後は実際に彼自身がザイトルクワエの戦場の跡地を見て、モモンの戦士としての実力をその目で確かめるだけだ。
……しかしアインザックにはもう一つだけ、モモンについて確認しておきたいことがあった。
「君の素晴らしい人間性はよくわかった。これからもどうかエ・ランテル──ひいては人類の為にその力を振るって欲しい」
「こちらこそ、冒険者の末席に私を加えて頂いて光栄です。ありがとうございます」
「よろしく頼むよ。……それより紅茶は苦手かね? これは私がよく好んで飲んでいるものでね。わざわざいつも取り寄せてもらっているものなのだが……」
それとなく、自然な流れで話題をそちらへもっていくアインザックはしたたかな男だ。結局アインザックもモモンの兜の中身が気になっている。ラケシルも『漆黒の剣』も、モモンは比べられる者がいないほどの美女だと口を揃えるのだから仕方がない。
莫大な財を持つ謎の英傑の素顔など、気になって当然だ。
対するモモンガは、丁度良いと頷いた。
この街の冒険者組合の長に自分のことを人間と認められ、広く周知してもらえば、このエ・ランテルで素顔を隠して行動するのに幾分か動きやすくなるだろう。アインザックに素顔を見せるメリットは大いにある。
「もちろんいただきます。せっかくの紅茶も、冷えてしまっては味も落ちてしまいますからね」
モモンガはそう言って、兜に手を掛けた。
アインザックの喉がごくりと鳴る。イシュペンも若干、身を乗り出していた。ザイトルクワエの話をしていた時とは別種の緊張感が彼の足元から這い上ってくる。噂に聞く美女の素顔を見れるということに、彼は胸を僅かに高鳴らせたが──
「なんと……」
──言葉が、出てしまっていた。
兜を脱いだモモンガの素顔は、アインザックの想像を遥かに超えるところにあったのだ。
兜に溜まった艶やかな黒髪が、はらりと落ちる。
冒険者モモンの美貌のその全容が露わになる。黒髪が揺れて、甘い香りが辺りに漂った。
綺麗、美しい、そんな言葉では到底表すことは叶わない。同性のイシュペンもハッと息を飲んだのを、視界の端で捉えた。
(こ、これほどか……)
モモンの美しさを女神や天使と形容していたラケシルの言葉が、今はすんなりと腑に落ちた。輝くような美しさ。そしてそこに粘性の高い毒液の様な妖艶さが纏わりついている。王国中……いや、大陸中を探してもこれほどの美しい女性はいないと断言できる。
「いただきます」
モモンガの桜色の唇がカップの縁に触れるのを見て、アインザックは唾を飲み込んだ。たったそれだけのことなのに、何か見てはいけないようなものを見ている気がしてしまう。自分はほとほと枯れかけていると思っていたのに、あの唇に触れてみたいという雄らしい好奇心に彼自身動揺していた。
紅茶を飲んだ後に吐いたあの艶めかしい溜息に触れてしまったら、どんな男もモモンガに魂を差し出してしまうのだろう。アインザックの頬を一筋の汗が滑り落ちていく。
(強さばかりに関心がいっていたが、この美貌だけで一国を滅ぼしうるぞ……。確かにこれは、一国の女王だと推察しても納得がいきすぎる……)
素顔を隠す意味が、理屈以外で分かってしまう。
この美貌は、そこに在るだけで他者の人生を大きく狂わせてしまう可能性が大いにある。アインザックはもし自分がもっと若かったらと思うと、僅かに肝が冷えた。
「とても美味しいです」
目を細めるモモンガの静かな笑みに、アインザックは心臓を掴まれた。イシュペンもその拍子にむせていた。
美しい。
余りにも、美しすぎる。
人外の領域の美に触れ、彼らはモモンガの美しさにのぼせ上がるばかりだった。
……それ以降の会話をアインザックとイシュペンは覚えていない。
素顔を晒したモモンガとの会話はまるで白昼夢を見ていた様で、そもそも会話していた記憶が本当に夢だったのではと思う程だ。
モモンガが退室した今、その記憶が現実だと証明するのはこの部屋に未だ芳しく漂う彼の甘やかな髪の香りだった。
「イシュペン」
「……はい」
疲労感を隠さないアインザックはソファに深く腰を落としながら、半分放心中のイシュペンに声を掛ける。お互い、まだ意識がふわふわとしていた。
「あのモモンという女性は、本当に人間か?」
「……女神の化身かと」
全く以て同意だよ、とアインザックは返す。
一体何度モモンに驚かされればいいのかと、彼は疲労感を覚えながら思った。
そして、この後ザイトルクワエの跡地に赴いて実際に魔樹の骸を見たアインザックは、来世の分まで驚かされることになるのだが。