ぼくののうみそ-・x・

ベトコンラーメン
会社の後輩に連れて行かれるまで、ベトコンラーメンのことはまったく知らなかった。
愛知県のいわゆるご当地ラーメンと言うと台湾ラーメンのことだろうと思っていたのだがこのベトコンラーメンも、岐阜・愛知を中心に割りとメジャーなラーメンであるそうだ。


iPhoneImage.png


ベトコンラーメンの発祥やそのネーミングについてはwikipediaに詳細を譲るが、簡単に言うとベトナム戦争のときのベトコンに感銘を受けて名づけたらしいのだが、色々ヤバかろうということで今はそれを否定している。


iPhoneImage.png

その代わりに「食べるとベストコンディションになる」という歯切れの悪い代替案が設けられており、これは食べるとベストコンディションになるということなのだが、その実ニンニクが大量に入っており受け手側がベストコンディションでないと食べられないという部分もあるのではないかと思う次第。


iPhoneImage.png

俺が行ったのは刈谷のお店で、金曜日だからか皆が当然のように付近の自動車部品メーカーのサラリーマンと思しき人々もシメのラーメンにベトコンラーメンを頼んでいる。厨房ではあらかじめ大量にすりおろされたニンニクがドバッと入れられたものの、外観自体はきわめてシンプルなラーメン。
きっとオリジナルはもっとベトナムに寄せた部分があったのだろうが、ここのお店に関していえば、これのどこにベトコン、南ベトナム解放戦線をイメージさせる要素があるのか不思議に思いつつ、現在の「ベストコンディション」の方がしっくりくるのではないかと首をかしげながら食べた。




ペンタブが直ったので「ハナ金川柳」なるものを書いてみた。
次に書くかどうかは分からない。

その週はとても疲れていて家に帰ったら、酔ったままに録画していた映画を見ながらそのままリビングで寝た。酒の力が8割だと思う。
最近妻は酔って帰ってきてリビングで寝ても起こさずにそのまま放置していくようになった。俺が絶対に起きないのも理由だが、寝室に酒臭いのを入れたくない意向もあるのだろう。そんなときは夜中に子供が泣くので正しいと思う。
特にその晩はニンニクも入っていたので絶望的である。

そんなわけでその晩はリビングで寝た。朝起きたら顔はムクんで腰は痛く息は臭い。ユーウツだ。
男34歳、もはや彼のコンディションを決めるものは食べ物というひとつの要素ではどうする事もできないのである。
| fabricio zukkini | 食べ物 | 10:17 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
痔の手術歴アリと
今年の健康診断も昨年と同じ病院でやったのだが、受付の若い女性が出してきた俺の個人データみたいな紙には前回回答したのであろう既往歴が書かれておりそこには思いっきり「痔の手術あり」と書かれていてひどく狼狽した。
俺は痔の手術などしたことがない。

確か昨年この窓口のやり取りで、事前に提出する既往歴に軽い気持ちで「痔」チェックしたのを思い出したが、手術したとまでは言っていない。
痔になったのもちょっくらお尻が痛くなった程度で、にも関わらずそれをわざわざチェックしてしまったのは、履歴書の内容が寂しいと妙に心細い就職活動のときの反動なのかもしれず、まるで取得した資格を自慢するかのように俺はこんなにたくさん既往歴もってるぞと、些細な病歴も漏らさずチェックしたからに他ならなかった。
確か昨年この既往歴の項目に妙に関心を示す受付の若い嬢に矢鱈と事細かに尋ねられ、その際に「痔は治療済みですか?」と割と大きな声で尋ねられてとても興奮した次第だが、その時には確かに治りましたとは言ったものの、手術しましたとは一言も言っていないのであって、あの嬢は痔は手術でしか治らないと言う思い込みもあったのか俺のペーパーには無残にも痔の手術完了!と記載された様である。

そのような背景は良いとして、差し当たりこの痔の手術を否定し履歴から削除してもらわねばならないのだが、狼狽に任せて「おやぁ、ぼくは痔の手術なんてしてませんよ!」と上ずったおおきな声になってしまったものだから、先方も、また待合室にいる人々もギョッとして、しばらくの後クスクスという実に恥ずかしい類の笑いの気配を感じることになってしまった。

俺の突然の申し出に受付の女性は半笑いで謝りながら、すかさず重ねての「痔は治りましたか」という質問をボクにぶつけてきたのだが、「ええ、自然に治りました…」と消え入る様な声で答えると、二重線で「痔の手術あり」は消された。
手術より自然に治りましたの方がなんか格好悪い。

痔の手術なんてそんなに珍しくないのだから、大人しくしたことにしておけばよかった。
世の中、痔の手術もしたことがないのにしたことになっていた人の方が余計珍しいのだから。
| fabricio zukkini | 日記 | 12:00 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
人生初の1塁塁審をした時の話
先般業界団体の交流を兼ねたソフトボール大会に参加してきた。
さすが同業同士の試合とあって野次や応援の声は業界用語が飛び交う仕事の延長感甚だしいビジネスソフトボールであったのだが、その内容はさておき俺が最も心を奪われたのが1塁の塁審を務めたときのことだ。

わずか1試合だけ、人生初めての1塁の塁審をやったのだが、アレはとてつもない楽しさだった。

「アウトーーー!」

大して声を張り上げる場面でなくても、試合を見守る両チームが俺の判定に一喜一憂するのだと思うと興奮して声も大きくなるというもの。
それに34歳、久しぶりに何ら不審に思われることなく堂々と野外で大声を出せるのだからたまらない。

「セーーーーフ!!!」

際どい判定で大げさなジェスチャー込みで「セーフ」などと叫んでみなさい、何か俺がすげえことでも言ったように攻め側のベンチが大盛り上がり。そこで得られるカタルシスはものすごく、「何だこれは・・・、もっと際どい判定をしたい!」という判定欲は高まるばかり。
チラリとみただけのプロ野球でおぼろげに覚えているプロ審判のムーブなどを真似て「オラア!」と腕を動かせば、それに応じてため息と感性が呼応する・・・、何て素敵な1塁塁審。

ただ、1塁塁審のつらい所は段々飽きてくるところで、次第に「アウトーー!」などと必死に叫ぶのも青臭い様に感じられ、そもそもサムアップして腕を高らかに上げておればアウトであることは周知されるのだから声のほうは「アウッ」などと短く言ってもよい訳だし、その様な気持ちで段々慣れてくるとさも長年1塁塁審をしているベテランであるかのような振る舞いにもなるというもの、最後には明らかにアウトの様なプレイでは1塁など一瞥かもしくはノールックで「アッ。」とだけ言ったりする横着振りも散見されるようになったところで「君、疲れただろう、オジサンとかわろう」などと腹の出たいかにも1塁塁審然としたオッサンに言われて《オイオイ 笑、1塁塁審に疲れたもあるかい》とは思いつつも、お役御免となった次第。

そうして迎えたその日の晩。風呂から上がった辺りから、明らかにわき腹の辺りに鈍痛がするようになり、今までに全く感じたことのない場所の、初めての類の痛みに狼狽しつつも、「これは1塁塁審により人生で始めて使った筋肉の痛み・・・?」と言う結論に至るまでそう時間は掛からず、アウト、セーフのあのようなシンプルな挙動にもご立派に専門の筋肉があるのだなあと思い、感心した次第。
そう思うとプロ野球の審判の太っちょはああ見えて特定の筋肉だけは一丁前に発達しているのだろうかと、彼らの上半身に思いをはせ何事も追求すればどこかマニアックな筋肉が発達するのだなあと思った風呂上り、夜のしじまであった。
| fabricio zukkini | 日記 | 11:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
息子が俺の似顔絵を
すっかり絵が上達した息子3歳が、俺の顔をチラチラ見ながら必死に何かを描いているので俺の似顔絵でも書いているのであろうと思い、ここぞとばかりにサービスの変顔などをしてそれに応じていた父親であったが、ピタリと筆が止まったところでそれを止め「どれ、みせてみよ」と確認してみたところ、そこにはなぜか1から12までの数字が書いてあっただけでとてもガッカリした。
それを妙に得意げに見せてきた息子であるが、俺の久しぶりの変顔を返してほしい。
| fabricio zukkini | 日記 | 22:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
息子にケツの拭き方を教えた
子供用のお尻拭きと便座用のクイックルワイパーを間違え「いたいいたい」と泣く息子に「甘えるな」言いながらゴシゴシやったヒドい父親であるが、最近とうとう3歳の息子がトイレのあとに自分でケツを拭くようになってうれしい限り。
息子にケツの拭き方を教えたあの日。こんな日が来るとはと思い、なかなか感慨深い一日であった。


便所で「おーい」と呼ぶ息子。妻に「そろそろケツの拭き方を教えてあげて」と言われたので「入るぞ」と便所に入ると、息子はクソを終え黙って座っていた。ケツの拭き方を知らない息子はこうしてケツを拭かれるのを黙って待つのである。
だがそれも今日までだ。俺が父親として今日はお前にケツの拭き方を教えたる。

「ウンチが出る穴を紙で拭きなさい」という実にストレートで不親切なアドバイスで息子にケツの拭き方を教えたのだが、他に言いようがなく、これでもかなり考えた上での発言なのである。
息子は言われたとおり黙ってウンチが出る穴を紙で拭いて、小声で(出来た)と俺のほうを見る。

「ちゃんと拭けたかどうかわかる?ウンチが出る穴はどんな感じ?」と聞いても「もうきれいになった」などと到底信用できない返答が来たので、「ウンチが出る穴がちゃんとふけていない時は、おしりが何か気持ち悪いはず」と内心《手っ取り早く肛門って言いたい》と思いながらも感情論交え懇切丁寧に説明したのだが、息子は小声で(出来た)と言うばかりなので、何でそのときだけ小声なのかは置いといて、拭けたか拭けていないか判定は「ケツを拭いた紙を見ろ!」とストレートに教えた。
こうして人に教えて改めて冷静に考えると、結局人は自分のケツがきちんと拭けたかどうかはどんなに文明が発達しても目視するしかないのである。情けないがそれが事実。

思えば俺は誰からケツの拭き方を習ったのだろう。
習ったときの記憶はもはや無いが、最初に習ったら最後、それを手直ししてくれる人はおらず、それがその人のスタンダードになるのだ。俺は息子にただしいケツの拭き方を教えられたのだろうか。そもそも正しいケツの拭き方って何だ。
ここから先習うことよりも人に何かを教えていくことのほうが増えるのだとしたら、それはとても難しいことだ。

息子は小声で(出来たよ)と言って嬉しそうに去っていった。
| fabricio zukkini | 日記 | 00:15 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
築地市場に響く爆発音の謎
度々書いている通り俺は築地市場青果部門の卸に就職したものの早起きが辛くて2年でやめた根性ナシなのだが、そんな僅か2年間であっても思い出は強烈で、「男の戦場」と呼ばれ、早朝からハイテンションな男たちがワーキャー叫んでいるとても活気のあったあの場所を振り返るととても楽しく、今では市場に就職したこと(すぐにやめた事も込みで!)は本当にいい判断だったと思っている。

市場のセリのときにセリ人が言ってる意味不明の言葉は符丁(ふちょう)というのだが、あれも人によって発声が全く異なり、聞きなれていないとすぐには理解できないのが実際のところだ。
例えば魚市場と青果市場は符丁が少し異なり、もっというと青果でも野菜、果物では説明が難しいが「ノリ」が微妙に違ってくる。
さらにセリをする人それぞれでまたクセがありクセの強い人の符丁もはや理解不能な感じなのだが、結局あるセリには大体同じ人しか来ないので長年の慣れでみんな「覚えて」いくのが実際のところである。

符丁のみならず、セリであがって行く値段の上げ幅もセリの種類によって全く異なる。
結局数字をあらわす符丁は1~99まで表現するに過ぎないので、例えば1,000円も10万円も同じ「1」か「10」を示す符丁で表されてしまう。相場感のわからない人がフラっと日ごろいかない商品のセリに混ざったとしても幾らなのか分からない事もあると聞いた。

以前すしざんまいが1億円オーバーのマグロをセリ落としたニュースを見ながら感じたのは、ケタが1億まで上がるには絶対に符丁じゃなくて口でどこかで一旦セリが中断するなどして「1億?」みたいな口頭の確認のやり取りが行われたんだろうなということだ。あそこまで異常に高騰した場合、示された「1」ないしは「10」の意味が符丁だけだと全く分からないからだ。

もしくはセリが始まった時点で「1億ジャイ!」とでも言ったのかもしれないが、とにかく基本的には1~99までしか表現できないので、ケタを上げていくには手っ取り早く「億!!」と言ったのではないかと推測している。
長々と書いたが、結局説明したかったのはセリの符丁にはローカルルールやタイムリーな相場などの要素があり、スタイルも人それぞれという要素も加わり、必ずしも誰しもが聞けばすぐ分かるというものではない、ということだ。

スタイルといえば、築地にいたあるセリ人のスタイルがとても気になっていた。
遠くで眺めていたこの人はセリ中の動きが非常に面白く、リズムを取るようにピョコピョコと絶え間なく体を上下に動かしながらセリをすることと、セリ落とされたときの感情の高ぶりを表現したのか時々「ドッカーーーン!」って謎の爆発音みたいなことをいうので、よく観光客、とりわけ外国人観光客が大爆笑しながら写真や動画を撮っていたのだが、人が真面目に仕事をしているのに何事か!と言いつつも俺も初めて見たときは「感情の大爆発!」などとめちゃくちゃ笑っていたので、Youtubeなどで「Funny Japanese~」みたいなタイトルで公開されているのではないかと「tsukiji」「seri」「explosion」など検索して、ワクワクしながら探したが残念ながらネットに乗せて全世界に爆発音を届けるあの人を見つけられずに舌打ちしたものである。

で、件の「ドッカーーーン!」なのだが、その後聞いたらこれはなんと爆発音などではなく、数字の「11.5」を表す符丁「ドウグハン」だと知ってしまった。ドウグ(11)、ハン(0.5)で11.5。115円にも11,500円にもなるのは先ほどの説明どおりだ。
まあよく考えると当たり前の話だが、ドッカーンって言っていたのはただ単にセリ落とした金額である「1150円!」と言っているだけだったので妙にガッカリ・・・。まあ今思えば、セリをしながら爆発音を叫んでいると思った俺の神経を疑わねばなるまい。

だけど、全然別の人で明らかに「パキューン!」って言ってる人が居てこればかりはどの符丁にも当てはまらず、マジでパキューン!っていう発砲音を口で言っていたのではないかと思う。「お前が、買えッ(パキューン!)」みたいな。
ネタだと思った人は築地青果部門の関東近在野菜コーナーに是非行ってみてほしい。早起きが辛くて辞めてなければパキューンの人がきっと居るはずである。
早朝から繰り広げられる爆発音に発砲音、これが「男の戦場」と呼ばれる所以なのだろうか。また久しぶりに行ってみたくなった。
| fabricio zukkini | 思い出 | 08:28 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
利益
前回に続いてゲームの話をするが、小学生の時近所にゲームショップがあり、俺の友達とその弟がそこにソフトを売りにいくというのでついていった事があった。
兄弟が大事そうに持っていたのはジャレコという一度聞くと忘れないダセエ名前のメーカーの緑色のカセットだったと思うが、歯がスカスカのどうみても子供もゲームどちらも好きでも何でもなさそうなクタクタの愛想も何もあったもんじゃないおばちゃんから告げられた買い取り価格がなんと「50円」で友達の弟がショックでその場で泣き崩れたのが忘れられない。
すげえなと思ったのはそれでも泣きながらソフトを50円で売ってたことで、その金で兄弟は帰りにぼんたん飴を買っていたが俺には1個もくれずに二人で食べていたのが悲しかった。

お好み焼きやの二階にあったその店はゲーセンも兼ねており、ゲームを持たない俺としては、中学生にビクビクしながらたった100円だけを持ってたまに遊びに行った程度だったのだが、こうしてソフトが売買されていること、小学生相手にも取引に応じてくれてお金が貰えることなど、色々と驚きがあったものだ。

後日そのゲームショップに行ったという兄弟の兄のほうが、「俺たちから50円で買ったゲームソフトをあの店は200円で売っていた!!」と大いに怒っており、俺も彼らがぼんたん飴を一個もくれなかったことなどすっかり忘れて義憤に駆られ「あの店は子供をだまして金儲けしている!」と言う話を地区別集会という、同じ地域の子供たちが学年を問わず一箇所に集められて行われる集会の場で名前を挙げて非難したものであった。
利益というものの存在を知る前の、悲しい話である。
| fabricio zukkini | 思い出 | 23:38 | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |
A4紙の運命
仕事中、複合機の紙切れによるA4紙交換中にふと思ったことなのだが同じA4紙であっても重要書類として重要な任務を授かる者も居れば至極どうでも良い案内書類やファックスの表紙のような刹那的な扱いを受けるケースもある。(マジに重要な書類は用紙を専用紙に換えたりするだろうが)
間違って印刷されたりしてあえなく廃棄、良くても裏紙としての屈辱を味わう者もいるのだろう。

同じ紙なのに印字された瞬間にその重みがガラリと変わることもあり、重ねられたA4紙のどこにあるかによって全く異なる運命をたどるA4紙というものに妙な趣の深さを感じた次第。

いい歳しておセンチメートルにA4紙の心配をしてる場合ではないが、余白の調整を誤り、文章末尾の「。」だけが誤印刷されたA4紙を手に取り、供養してやりたく書いてみた次第である。

お前は立派な裏紙になりなさい。さようなら。
| fabricio zukkini | 雑記 | 18:17 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
お前のMA-1はニセモノだと言われ
最近街を歩くとMA-1を着ている若者をよく見かけ、懐かしい気持ちで眺めている。
流行に鈍感な俺でも、ここ最近80年代末~90年代のファッションがリバイバルしているのは街中を歩けば気づくことであり「ああ懐かしいなあ」と思う反面、いくら流行とはいえ昨今のファッションはかつて無く着るものを選ぶものではないのかと思う次第で、若者の中には一定数必ずいる「あえてそうする層」でもない、ごく一般の若者ですら完全にコメディアンのようなナリをしているのを見るにつけ極めて居た堪れない気持ちになる悲しみのジジイである。
いつの時代でもそうだが、我々ブス、ブサイク諸兄姉にとって、流行のファッションの激戦地にドップリ身を投じる事は、戦力差がありながら逃げ場の無い同一ルールを強いられた悲しいハンデマッチを戦いに行く無謀な特攻行為に他ならず、一度立ち止まり鏡を見るなどして少し考え直して欲しいと思う。

で、話をしたいのは若者という雲の様な存在へのジジイ特有の「いかがなものか」トークじゃなくて冒頭申したMA-1である。ボクはMA-1の話がしたいんである。
MA-1には懐かしい響きがある。MA-1、M2-B、M3-Bなどといわゆるミリタリージャケットの類は、先に書いたとおり80年代後半~90年代、まさに俺が小学生の頃に流行をし、あの頃の小学生ファッションにも大きな影響を与えたアイテムである。
忘れもしない小学四年生。初めてファッションの流行というものを意識し、「ぼくもほしい!」と強く願った服がMA-1だったのだ。

今思えば、あの時分、MA-1を最初に着始めたのは兄が居るマセた連中か、親がやたら子におしゃれをさせたがるご家庭のご子息だったと思う。
緑、黒、灰色といったミリタリーあるあるカラーのジャンバーがクラスの比率を埋めていく中、まだチャイルドだった俺でも流行っていると気づいたしその流行に乗りたいと思ったもの。
結局小学4年の冬はMA-1を買って貰えずにMA-1っぽさのかけらも無い母親のお下がりの、表は黄緑で裏地が黄色のやたらワッペンが沢山ついているWINKとかがPVで着てそうな謎の80年代ジャンバーを着てしおらしく通学した俺であったが、翌年の冬が近づく頃にはMA-1を強く渇望する事となったのである。

MA-1が流行するに従い、学徒動員さながら、小学校の高学年の半分近く、少なく見ても1/3はMA-1を着ていた気がする。
そんなMA-1大量発生と同時に、「MA-1のニセモノ」と呼ばれるシロモノが多数登場し、その見分け方が周知されるようになった。
そもそも、おうちがお金を持っているやんごとないご家庭については、一目見て分かる「AVIREX」の文字や「U.S AIR FORCE」といった、意味は分からないながらも何となく凄そうな「英語のお墨付き」の様なものがついていたのであるが、それ以外の庶民用は完全無地でMA-1たる証拠としては「裏地がオレンジ」という事ぐらいしかなく、そういう見分け方を設けなければ無地のMA-1には明確な違いが無かったのが実際のところである。
従い、増え続けるMA-1人口に対し、元々MA-1を着ていた層が自らの地位を守るため、半ば言いがかり的な感じで提唱しだしたのが「ニセモノ」の実際のところだと考えられるが、そもそも論として、佐世保で米軍払い下げで買った様な米軍のお墨付きでもなければニセモノも何も一律みな同じ「MA-1タイプブルゾン」で仲良くすれば良いはずなのである。

MA-1のニセモノ理由は色々あったが、二の腕の弾入れ用ポケットにダミーの弾丸が無いとか、裏地(オレンジ側)のポケットのボタンに色がついてないという具体的なご指摘はまあ許すとして、綿の量が少ない!とか、色ツヤがおかしい!などと言ったかなり主観的なイチャモンも登場した上、さらにはユニクロやスーパーで買ったものはすべてニセモノなどという流通面に言及するイカレポンチまで登場する始末。
こうして「綿が少ない!」とか「あそこにホンモンのMA-1が売ってあるわけが無い」いう理由で気に入らないヤツのMA-1をニセモノ認定するのがMA-1警察の目的であり、俺も翌年念願の緑色のMA-1をゲットしたものの、大分後発であったからこのMA-1警察の検問に引っかかり、お母さんが買ってきてくれた貴重な俺のMA-1は「綿が少ない」などとイチャモンを付けられてニセモノの様に扱われたものである。あの屈辱!

そんな訳で俺の中でのMA-1の流行はニセモノ認定によりあっさり冷めていくことになり、そうした経験が尾を引いているのかあれからもう二度と袖を通すことは無かった。
今リバイバルを果たしたMA-1を着る若者を横目で見るたび、俺は大昔のそんな悲しいエピソードを思い出すのである。

 
| fabricio zukkini | 思い出 | 17:14 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
月に1度しか開館しない山の中の貨物鉄道博物館に行ってきたぞ
相変わらず電車の踏切の魅力に取り付かれている息子は、最近では個々の踏み切り名まで覚える始末で、近所の踏切を車で通るときなどは「○○○踏み切り!」と叫ぶなどして踏み切り愛は弱まる気配がない。
車移動の際はあえて踏み切りを通るなどしないと機嫌を損ねることもあるので極力踏み切りを通過するようにしていて正直面倒な部分もある。
そんな中、最近の観察の結果気づいたこととしては息子は踏み切りそれ自体も確かに愛でているようなのだが、特に踏み切りが閉まり、車が列をなし、そこに電車が通過するという一連の風景が特に好きなようで、その中でも貨物列車の通過に異常な興奮を示すようだ。

また最近ではそうした踏切ー貨物コネクションが飛躍したひとつの形なのか、息子は貨物列車自体にもただならぬ興味を示すようになり、結果クリスマスプレゼントとしてプラレールの大層な貨物鉄道セットを購入する運びとなったほどである。
そして貨物、貨物と連日連呼するほど息子の貨物鉄道への愛が本物であると分かったのと同じタイミングで三重県の山中に「貨物鉄道博物館」なるドンピシャな博物館がある事を知った。
調べるとその辺鄙な立地に加えて「毎月第一日曜のみ開館」とあり、その妙なストイックな生き様と博物館としてのハードルの高さには単純に心ひかれるところであるし、またそのHPから漂う「不完全さ(これはいい意味である)」といった、昨今の鉄道ブームにも関わらずあまり洗練されていない諸々は息子の為でなくとも行ってみたい気持ちになるというもの。

貨物鉄道、また鉄道一般の事は全くあかるくないものの、興味本位で足を運んでみた「貨物鉄道博物館」について書いてみたい。


*****




最近の鉄道関係の博物館が都心近くに大規模な施設を有し、またどこででも盛況な中、貨物鉄道博物館は周囲を山とゴルフ場に囲まれた、三重県いなべ市という割と慎ましい、平たく言うとド田舎でひっそりと月一回のみでひっそり運営を続けている。





立地のイメージとしてはこのような感じ。
付近の風景としてはこのような具合。落ち着くにもほどが有るサブ・アーバンな雰囲気しかそこにはない。




そしてローカル線・三岐鉄道三岐線「丹生川駅」に隣接する形で、建っており





周囲の景観を全く損ねることなく建つのが




やんごとなき貨物鉄道博物館である。

温かい手描きの看板、壁のイラスト。手作り感溢れていてとても安心する作り。
年季の入った小さな小屋に思いのほか多くの来館者の姿。月一回の開館日を狙ってここにやってくるファンが確かにいるのだ。




それにしても周辺の住宅地や駅と博物館の境界のあいまいさは目を見張るものがあり、これも本博物館の魅力であろう。
博物館にいる傍らで、真横を色鮮やかな三岐鉄道の車両が通るたび来場者は沸き立ち、館を抜けてカメラを向ける。




観光地やレジャースポットへ行くと本題に入る前にその周囲をジロジロ見てしまい時間を費やすのが悪い癖なのだが、でも周辺に面白いものがあることが多いのも事実。
博物館の周囲には割りと無造作に、退役した鉄道車両が置いてある。




ここに収蔵されている車両4両は「大正から昭和の技術的に貴重な貨車」として登録されている。のだが、結構フランクに中に入れたりして貴重なくせにかなりフレンドリーなヤツである。




説明もなく置かれたこちらの貨物車両、男の背中を感じさせるたたずまいはどうだろう。
博物館のものかどうかも分からないが、こんなに無愛想な展示車両が他にあるのだろうか!




詳しくない人間でも突然、無防備にこの様に列車が置かれているのを見ると興奮してしまうもの。
鉄道に詳しければもっと具体的に「アレがコレで、ソレがアレやあ!」等と興奮できるのだろうが、ただ大きな乗り物を見て興奮する子供と同じように「うわー、大きい、すごい」とアウアウ喜んでしまうジジイです。




中はこんな感じ。
倉庫感が甚だしいが、中にはスペースの関係で色んなものがギッシリ詰め込まれている。




ジオラマは標準装備として、子供たちに大人気。




その中に分け入るジジイとしては、看板のセンスにキラリと光るものを感じて撮影を禁じえない。




聞けば全てボランティア運営だそう。
近隣の方だけでなく、関西やもっと遠方から月に一回集合してこちらの運営を手伝うのだそうだ。
館内には合計3点の力作ジオラマがあり、子供たちを楽しませる。





こちら20円を入れても稼動せず、係りの人を呼んで手渡しで20円払い、手動でスイッチ入れて貰わねばならない遊具。




色んなものが無造作に置かれているので実感が沸かないのだが、




これらは2011年度産業考古学会推薦産業遺産「貨物鉄道博物館の保存車両・資料群」として登録されているのだそう。




そうした徳の高い一面もありながら子供が遊ぶスペースもあり、一部のマニアを対象にした排他的な雰囲気は全くない。




物販も充実。参加費100円払えば、館内で蚤の市スタイルで出展が出来るそう。
それ以外にも貨物鉄道博物館オリジナルグッズが充実していた。




幾つか買ったがコレが一番気に入っている。

こんなに朴訥なプロマイドがあるだろうか。
ド素人なので認識の甘さ、また表現が拙いのはご勘弁願いたいがこれっていうのは電車と電車の間の部分ではないのか。V6でいうと長野クンではないのか!編成単位でなく、ソロ活動もきちんと取り上げる愛。例えばジャニーズには長野クンのソロ活動をバックアップする覚悟はあるか?!なかろうが!

いやはや、モノの価値は様々だが、松屋の定食は+100円で特盛になるという。その特盛を我慢するたびこのプロマイドが手に入るのである。




「ディーゼル機関車 写真 1枚 80円」

かなり気になる表紙で輝きを放つ、手作りのフォトアルバムを発見。
先の商品と比べるとたった80円とは安いではないか。もしやこちらのほうがお得なのでは??とページをめくるが、




中から出てきたのは割とオッサンがメインの普通の記念写真的な一枚ばかり。
いやまて、乗り鉄、撮り鉄、録り鉄、駅鉄・・・・ド素人には到底想像の及ばぬ鉄道界の、その中でも特殊と思しき貨物鉄道界のことである。
鉄道だけではなく、それを操る「作業員のオッサン鉄」という、フェチズムの領域もすぐそこに捉えたコア・オブ・コアな世界もあるかもしれない。




「オッサン鉄、いいかもしんない・・・」

それはページをめくるたびに必ず写りこんでくる作業員のオッサンの、その味のある佇まいに徐々に引かれていく自分自身の素直な気持ちが何よりの証拠・・。




物品購入者には何故かMEIJIブリックの袋で渡してくれるのだが、こういうところも愛さずにはおられないポイント。
昨今の何が何でも自社商品ごり押しの、秘伝の儲け主義にどっぷりつかって4代に渡って注ぎ足されたようなレジャー施設には到底真似の出来ない奇跡のコラボレーションなのであるから。





この日は鉄道やその歴史に関する貴重な資料をスライドショーで説明する催しがあった。
単に展示するだけに留まらず、積極的に伝えていくのも博物館の役割のひとつ。
ボランティア運営とは言え、その辺りの努力には頭が上がらない。




ただ、1時間のスライドショーをするにはいささか画面サイズと発表者の声が小さすぎたのか、もはや関係者しか座っていない聴衆席にも睡魔の攻撃が!
スライドに出てくる資料がかなりマニアックで興味深かったことはお伝えしたい!




鉄道に関するスライドショーであるから、差し棒もプラレール。
先ほど紹介した子供が遊ぶスペースから調達したのだなあと思うと頬が緩むが、ご愛嬌なのである。






最後に「ついで観光」情報をひとつ。
この日は、この貨物鉄道博物館と(たぶん)同じ方々が運営される軽便鉄道博物館もすぐ近くで開館していた。
こちらは第1、第3日曜日の開館で、貨物鉄道博物館とセットで回られることをオススメしたい。




軽便鉄道、あまり聞きなれない名前だが簡単に言うと「安くて小ぶりで簡易的な鉄道」という事になるそうなのだが、詳しくはWikipediaで確認して貰いたい。(Wikipedia「軽便鉄道」)




そしてコチラではミニ電車に無料で乗せて貰えて最高。




見える景色はこの様に実に生活感溢れたもんですが、ご愛嬌。




鉄道の上を自力でこいで進むマシンも体験できたりして、こちらは体験型の楽しい博物館。




ボランティアの方々、本当にありがとうございます。


中部地区の皆様、興味があればぜひ一度貨物鉄道博物館、または軽便鉄道博物館へ足を運んでみてはどうだろうか。
こんなところに?!という驚きもあってとても楽しめますし、ドライブするにもなかなか良いエリアだと思います。


終わり
| fabricio zukkini | 旅行 | 17:13 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |







・x・最近の記事
・x・コメント
・x・カテゴリー
・x・記事一覧
・x・リンク
・x・プロフィール