山本コウタローさんが発起人となった平和を訴えるチャリティーコンサート(「HIROSHIMA」)のリハーサルでお話を聞いたことがある。中学時代は野球少年だったが、レイ・チャールズの「我が心のジョージア」を聴いて、音楽が大好きになった。「私の人生を変えた曲です」と話した。

平和への意識は父の影響もあった。上智大英文科在学中に学徒出陣したが、結核で戻された。多くの仲間が亡くなった。父は無念の思いで「(あの時代は)しかたがなかった」と話した。コウタローさんは「しかたがある人生」を生きようと決意した。大学で「平和の心は与え合う心、違いを認め合う心」と学生に話した。

仲間を大切にする方だった。「ソルティー・シュガー」は、日比谷高校の仲間と結成した。メンバーの佐藤敏夫さんがデザイナーを目指して、デビュー前に脱退することになった。仲間の絆を残そうと「さとうとしお」を「砂糖と塩」に読み替えて「ソルティー・シュガー」と命名した。

ヒット曲「走れコウタロー」を作詞作曲したリーダーの池田謙吉さんが、同曲の発売直前に急性心不全で21歳の若さで急死した。解散も考えたが、池田さんの母が「続けてほしい」と願った。佐藤さんを説得して復帰してもらい、1年間活動を続けた。もう1つの代表曲「岬めぐり」が失恋の歌なのに、さわやかに聞こえるのは、そんなコウタローさんの人柄からなのかもしれない。 【笹森文彦】