山上容疑者が送っていた「統一教会”SOS”メール」現物入手!
なぜ、山上容疑者は統一教会を恨んでいたのか。なぜ、安倍元首相を狙ったのか――。その理由を知るには、山上容疑者が歩んできた人生を振り返る必要がある。
幼少期に父を亡くした山上容疑者は、兄、妹とともに奈良県内の祖父のもとに移り住んだ。当時の山上一家は比較的裕福な生活を送っていたという。
「山上一家は祖父と一緒に暮らしていました。おじいさんは建設会社を経営し、不動産をいくつか持っていた。マンションを徹也君の母親が案内してくれたこともあります。母親は特に仕事もしていなかったと思います」(近隣住民)
山上容疑者は、祖父の家に高校生頃まで住んでいたと見られる。
「お兄ちゃんは徹也君の一つ年上。妹さんは3〜4歳下でした。お兄ちゃんと徹也君とは、小学生のときによく野球をして遊びました。お兄ちゃんは首のところにコブがあって、体も弱かった。一方の徹也君は、運動神経は良いんだけど、とにかく大人しい子という印象でしたね」(山上容疑者の兄の同級生)
中学時代の山上容疑者は、バスケットボール部に所属。持ち前の運動神経を活かし、レギュラーとして活躍していたという。中学の同級生が明かす。
「同学年の部員が約30人いるなかでレギュラーでしたから、バスケはうまかった。みんなからは『こてつ』というあだ名で呼ばれていました。性格はとにかく大人しかったです。自分からはほとんどしゃべらない。ただ、イジメとかはなく、他の部員ともうまく付き合っていた。それに、勉強もトップクラスでした」
高校は県内有数の進学校に進んだ。応援団に所属し、変わらず勉強にも真面目に取り組んでいたという。
生活に不自由はなく、学校生活にも問題はなかった。だが、山上容疑者を取り巻く環境は、祖父の死により一変した。
「’90年代の後半ですかね。おじいさんが亡くなり、母親は女手ひとつで子供3人を育てなければいけなくなった。おじいさんの会社を継いだからすぐに経済的に困窮したということはないんだろうけど、いろいろと大変だったんじゃないかな。当時は、この辺にも統一教会の勧誘がいっぱい来ていたしね……」(近隣住民)
7月11日に行われた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の会見によると、山上容疑者の母親が入信したのは’98年頃。祖父が亡くなった時期と一致する。祖父の家を売却し、一家は奈良県内の別の一軒家に移り住むが、母親は教団への献金を重ね’02年頃に生活は破綻した。
旧統一教会について取材するジャーナリストの鈴木エイト氏が言う。
「旧統一教会の関係者によると、山上容疑者の母親は『篤志家』として有名だったそうです。教団で『篤志家』とは、1億円以上の献金をした人を指します」
山上容疑者は海上自衛隊に’02年から3年間所属した後、’20年から京都府内の工場で派遣社員として働いていた。
FRIDAYは、当時の山上容疑者の心境を示す重要な資料を入手した。ある相談機関に向けて送ったメールだ(下)。日付は、一家の破綻から2年ほど経った’04年5月8日、メールの件名には「統一協会について」とある。統一教会にのめり込む母に思い悩み、外部へ助けを求めようとしていたのかもしれない。
前述した旧統一教会の会見では、’09年頃に山上容疑者の母親は一度教団から離れたことも明らかにされた。息子たちの必死の説得があったのかもしれない。だが、8年ほど過ぎた’17年頃、再び母親は教団に戻ってしまう。
「5年前といえば、脱会した信者を再び呼び戻す指示が旧統一教会内で出された時期と重なります。親しかった信者に連絡を取らせ、集会やイベントに誘うというやり方です」(前出・鈴木氏)
母親が再び教団に戻ったときの山上容疑者の絶望はどれほどだっただろうか。供述によると、山上容疑者は昨年春頃からYouTubeを見て銃の製作を始めたという。当初は教団のトップを狙ったが、「接触が難しかった」。そんなときにネット上で目にしたのが、安倍元首相のメッセージビデオだった。