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評者◆添田馨
もうひとつの“天の香具山”──福岡県田川郡・香春岳を訪れて
No.3113 ・ 2013年06月08日




 いまから七年ほど前の夏に、小さな旅行を通してとても面白い体験をした。というのは、それがきっかけで、よく知っているある万葉古歌のイメージが私の中で劇的に変貌したのである。その古歌とは持統天皇御製歌とされる有名な次の一首である。「春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の香来山」(万葉集 巻一・二八)
 従来この歌の解釈は、春から初夏へと移ろいゆくあわいで、その季節の変化を物語るかのように天の香来(具)山に白い衣が干してあることよ…というような内容だったと思う。つまり、日本的な時節感を“白い衣”という相関物によって見事に表現したものだと。香具山は奈良盆地にある低い山で、そこに白い衣がひらひらと風に踊っている、そんな清々しいイメージを誰しもが抱いてきたにちがいない。
 ところが元々の“天の香具山”は、福岡県田川郡にある香春岳だという説があるのをご存じだろうか。わが国の古代史研究には九州王朝説なる分野があって、古代においてわが国の都は近畿大和ではなく北部九州に在ったとする説である。それによると万葉集の和歌が歌った自然も、北部九州のものだということになり、私の旅行も実はこの香春岳を見に行くのが目的だった。行ってみて驚いた。私はほとんど直感的に、この香春岳こそ持統天皇が歌った“天の香来山”に間違いないと確信するに至ったのである。
 香春岳は三連山で、全体が石灰岩からできている山だ。現在、その一部が大きく削られてはいるものの、その姿は見る者をなぜか厳粛な気持ちにさせる。所々むき出しの岩肌は陽光を浴びると美しい白色に輝きわたり、周りの樹々の深い緑とその岩肌とはまぶしいコントラストを描きだす。その姿は神々しくさえある。「白妙の衣」とは威容を誇るこの山肌と夏の緑が織りなした眺望、神が宿るとされたその形姿そのものを指していたのだ。この構図が、突然了解されたのである。私の中で古歌のくすんだ表現価値が何倍にも膨れ上がった瞬間だった。
(詩人・批評家)







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