2022/07/13-A
13 2022/07/13版
第13回 アート&デザインにおける文様 -文様装飾の基礎講義 2
今回はメインページとフィードバックページの更新がありません。Googleクラスルームに書いてある情報を確認してください。
7/13㈬は最終評価レポートの提出締め切り日です。忘れずに提出してください。
毎週の出席レポートの提出先と最終成績評価レポートの2つの提出先があります。
くれぐれも間違えないようにしてください。
講義概要
前回の講義では、文様を概論的に捉えその歴史や役割、機能について概要をまとめた。さらに、タータンチャック、イスラムの文様芸術、唐草文様など、代表的な文様の美術に触れた。そして我々が行っている「アジア文様プロジェクト」の紹介と、これまで制作してきた文様ドキュメンタリーのいくつかを公開して、インドネシア・バリ島の文様文化を紹介した。
第二回となる今回は、我々がこれまで制作してきた文様を扱った映像表現のいくつかを紹介します。
07 唐草、その記憶の旅
・資生堂と唐草文様
明治維新からまもない1872年、資生堂創業者・福原有信(ふくはら ありのぶ)は、日本初の民間洋風 調剤薬局「資生堂」を銀座に開いた。
資生堂の社名は、儒教の経典である「五経」の一つ、「易経」の「至哉坤元 万物資生(いたれるかな こ んげん ばんぶつ しせい」という一節に由来する。
創業時から資生堂は西洋医学の長所を取り入れながら、日本人の心と体に合う良質な商品を作り続けてきたが、化粧品にもそのエッセンスが注ぎ込まれた。
創業150年を迎える、日本を代表する化粧品会社資生堂は、その創業時から3世紀に渡り、唐草 文様をデザインの源泉としてきました。
資生堂がデザインの要めとした唐草文様は、包装紙から香水瓶まで、西洋美と日本美を融合するシンボルとして広く使われた。
世界の唐草をベースに生み出された資生堂唐草は、初期には「ルイの唐草」と称される、フランスのルイ王朝時代の唐草と規範とした。
また資生堂唐草は、シルクロード経由で伝えられた日本の唐草の歴史の記憶も受け継いでいる。
資生堂の初代デザイナー、小村雪岱(こむらせったい)のデザインした資生堂の包装紙は、シルクロード の倉庫とされる正倉院収蔵の染織の草花文様をモチーフとしたものである。
資生堂唐草の歴史は、資生堂のデザイナーたちの創造と想像力の足跡である。
資生堂の代表的なデザイナーだった山名文夫(やまな あやお)は、日本の近代デザインの草分けであり、長く多摩美術大学教授として後進の指導を行った。
https://nostos.jp/archives/110549
https://openers.jp/Gallery/314968?
https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/now/6284/
唐草の誕生と創造性の歴史
〜「古代エジジププト文明と美術」(砂漠芸術論(2018年)より)
・古代エジプト文明の美術
古代エジプト文明の美術はきわめてユニークだ。その石造建造物はどれも異常なほど巨大である。ピラミッドのシンプルな四角錐は強烈な印象を残す。どれほど時間が過ぎても「聖地は一ミリたりとも動かない」と宗教学の植島啓司は書いた。ピラミッドは消し去りようのない不減不変のまま残り続けてきた。ピラミッドは霊性的な印象と建造した人々の超大な力を表したまま現代に至る。
ナイル川流域に紀元前一万三〇〇〇年頃から人々の定住が始まり紀元前五〇〇〇年頃に集落が形成された。古代エジプト文明とは紀元前三〇〇〇年頃に始まった第一王朝から紀元前三三二年にアレクサンドロス大王によって統治され紀元前三〇年にプトレマイオス朝が共和制ローマによって滅ぼされるまでの時代を指す。この地域は古代から砂漠が広がっていたがナイル川流域の地域は居住に適していた。毎年氾濫を起こすナイル川が農耕に適した肥えた土を下流へと広げた。ナイル川の恩恵により砂漠の真ん中で古代エジプトは繁栄を続けた。
美術や歴史に詳しくなくてもピラミッドと同じく古代エジプトの美術は一見してそれだとわかるほどその様式は特徴的だ。工芸建築墓の内部に納められていた死者の棺や埋葬品スフィンクスなどの巨大な石像で知られる彫刻埋葬品それらからうかがい知る当時の服装コブラやハゲタカといった記号ヒエログリフの象形文字など古代エジプトの美術は紀元前五〇〇〇年頃から西暦が始まる頃までという膨大な歴史の中でほとんど不動・不変のまま受け継がれていった。
ナイル川に茂る睡蓮の花をモチーフに壁画に描かれた模様は転生や生命を表す唐草文様の原型となって世界中に広がっていった。エジプトの美術はどれも保守的で単純明快だ。そのほとんどが永遠性をもっとも重要なものとして作られている。人間の魂は死んだ後も再びミイラや像を通して墓や棺によって存続されると彼らは考えていた。死後の住処であるピラミッドや棺はどれも堅牢な造りである。古代エジプトの遺跡には「太陽のごとく永遠に」「永遠永劫に」「永遠の生命」といった言葉が至るところに刻まれている。古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ人々はいない。
レリーフや壁画には儀礼や建設作業の様子などが正面を向いた胴体に横向きの顔と両足という人物の図で表されている。これらの図法には厳密なルールが決められていて集団として描かれる群衆は上下左右にほどよくずらしつつ重ねて描き地位の高い人物ほど大きく描かれる。古代エジプト人たちは人間の見ための感覚的な把握よりも説明図的解釈の方がより明確に物事を表すと考えていた。その絵画は図面でありながら文字による記録に等しかった。
王の額にあしらわれたハゲワシやコブラの紋章が権力や支配者を表したようにすべての動物のモチーフは記号的な意味と象徴性をもっている。それどころか視覚的に表しにくい大気風生命安定永続性といった抽象的概念もなにかしらの形で表されている。それらの図像は象形文字のルーツとなった。
彫刻などの立体芸術は比較的写実性をおびた造形物が造られているが型に嵌たような作品がほとんどで絵画と同じく均一的である。ツタンヵlメン王の仮面は純金の打ち出しで作られた贅を凝らした造形物だがその意匠から実在した人物や作者を知ることは不可能だ。建築にも永遠に倒れることなく鎮座し続ける石像や石碑と同様の性質がうかがえる。どしっとしていてバランスが良く単純明快で均一的だ。すべての造形物に共通する細部にまったくこだわらない単純さや簡素さは力強さを感じさせる。ピラミッド神殿オベリスクといった建築物からは幾何学への強い指向がうかがえる。ピラミッドに覚える長怖の念はうつろいや感情的な把握などをことごとく排除した幾何学的な特性により生まれるのだ。
古代エジプトの表象における強度な記号性と象徴性は色彩にまで及ぶ。古代エジプトはナイル川の沿岸だけが巨大なビオトープのごとく栄え続けた。生物が住めるのはナイル川沿いの黒い色をした土の大地(ヶメト)の場所だけでその外は不毛な赤い砂(デシェレト)が延々と続く死の砂漠であった。ナイル川が運んだ黒い肥えた土の色と外界の赤い砂漠の色は「生」と「死」を明瞭に分ける色彩とされた。ケメトの「黒」やその豊穣な大地に生い茂る「緑」は「生命」や「再生」を象徴する色彩であり再生と復活を司るオシリス神は緑や黒の肌で表された。古代エジプト人たちにとって通説的な肌の色の違いや個体差などたいした問題ではなかった。
・ナイル川の植物モチーフ
「唐草の文様」は砂漠地帯で生まれた。その起源は諸説あるが古代エジプトに見られる弧線の植物文様や帯状の渦文が唐草文様の起源と推測されている。
古代エジプトに豊穣をもたらしたナイル川の水辺に咲くロータスの花やパピルスは豊穣のシンボルとして建築や工芸品に広く用いられた。最初は簡単な紋章のようなものから始まりやがてロータスの連続文様として縁飾りなどに使われるようになった。さらにロータスの側面の形とロゼットの正面の花冠の形が融合したパルメット唐草が作り出された。唐草はその後世界中に広がりイスラームの美術に取り入れられ植物の文様さらに幾何学模様へと転用された。
唐草文様は植物の特徴を保ちながらより複雑にからみあう細密で精緻な連続パターンとなって空間を埋めつくすようなものへと変わっていきョーロッパアジアヘと拡散して国や宗教による扱いやデザインの違いをもつものになっていった。ギリシャローマビザンチンゴシツクさらにアールメーボーそしてシルクロードを渡り仏教美術の装飾にも強い影響を及ぼした唐草は生命力・母性の象徴としてさらに生活や住環境に潤いをもたらす文様として世界中に広がっていった。
唐草文様は時代ごとにアレンジを変えて進化するかのように紀元前数千年前の砂漠から現在に至るまで受け継がれてきた。
一八世紀に西洋社会で起きた産業革命はパリやロンドンといった巨大都市を誕生させたが工業化とともに都市化が進み人間の生活から自然が遠のいたこの時代にウィリアム・モリス(一八三四~一八九六年)の室内装飾やアールデコやアールヌーボーのデザインで唐草の文様は重要なモチーフとして取り入れられた。
唐草文様は不毛な砂漠空間に潤いや自然の豊穣さを取り入れる装飾文様であるが人工的で無機質になりがちな現代の都市生活の環境においても優美な自然を身の周りに配する意匠として至るところで用いられている。多くの人間がコンクリートの壁に閉ざされ電子の光に照らされて生活している現代の人工的な環境で唐草は自然の象徴でありながら潤いや活力を与える生命の意匠として古代エジプトの時代と同じ機能を現在も果たしている。
永遠の生命豊穣の土豊穣の自然と渇きを潤す冷たい水がもたらす幸福感という人間にとって根源的な喜びと願いを内包している唐草文様は砂漠の人間が作り出したもっとも偉大な芸術のひとつである。唐草は時代に伴いこれからも変遷を繰り返しながら人類とともに永遠に再生され続けていくだろう。
上海国際バンコク博覧会(2010年)メイン・パビリオン中国館
上海万博 日本産業館
「青花流水 Blue & White」展示風景(2010)
「青花流水 Blue & White」映像データ(2010)
ディレクション:佐々木成明
音楽:ヲノサトル
企画監修:伊藤俊治
08 2010年中国万博「青花流水」
上海万国博覧会の日本産業館は「日本の創るよい暮らし」をテーマに、日本の企業や自治体が連合して出展する展示館であった。
この日本産業館で、INAXは「青花流水 Blue & White」と題して、染付古便器など日本のトイレ文化を紹介した展示を行った。
4世紀の中国・景徳鎮ではじめてつくられた「青花(=白地にコバルトで青い絵を描いたやきもの)」が日本に伝わると、染付「そめつけ」という名前になって、いろいろなやきものに花開した。
やがて、ダイナミックな構図と青と白の2色で構成される美しい染付トイレが登場した。
それは他国にはない日本人の美意識が生み出したトイレの始まりであった。
青磁 染め付け便器(明治、大正期のもの)
09 文様(唐草)のデジタル・データ制作
資生堂、LIXLなどの制作で、数百点におよぶ唐草文様のベジェデータを制作した。
・唐草生成アプリケーションの開発
現在はこれらのデータを利用し、さらに解析することから、唐草文様を自動生成する文様アプリの制作を現在行っている。
上 参照作品例
下 開発中の記録(2020年11月)
文様生成アプリ“karakusa 2021 ver.0.9”(2021年2月ヴァージョン)
まとめ
前回に続き2回に渡り「アート&デザインにおける紋様」をテーマに授業をおこなった。文様表象は我々の文化、アートとデザインになくてはならない重要なエレメントである。文様は、人間の装いであり、空間を装飾し、イメージの言葉であり、文明の遺伝子である。自然と人工の両方のイメージをもつ文様は、安らぎや、シャープさや、活性感や、クールさなど、様々な印象を与える。文様は国の文化や、歴史に留まるだけでなく、民族や文化の記憶を奥底に抱えている。文様とは文化そのものであり、人類のアート&デザインの骨幹に横たわる表象である。