有田芳生の『酔醒漫録』

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

上田耕一郎の「いろいろ」

2006-09-20 09:34:58 | 政談

 9月19日(火)朝8時過ぎの地下鉄に乗る。超満員だ。これはまいったとなるべく女性の近くから離れるようにした。痴漢冤罪などたまらないからだ。満員電車は女性も男性も緊張の時代だ。「女性専用車」だけでなく、「男性専用車」も作ってもらいたい。9時に日本テレビを出て都内を取材。歌舞伎町でホストクラブを経営している30歳男性の国会議員への怒りが正直でよかった。やはり30歳で会社を経営する男性はIT関連。50万円の家賃を払っているという。若者もそれぞれだ。夕方になり都内某所に移動して『はり100本』(新潮新書)の竹村文近さんに治療をしてもらう。終ったところで雑談。「この二日、酒を飲んでいないんですよ。今日もそうしようと思っているんです」。こう言ったところ竹村さんがニコッと笑った。「今日は飲んで下さい。美味しいですよ~」。「そうですか」と言うと「飲んだ方が身体がほぐれますから」というのだ。そうだ、水道橋に行こう。そう決めてから紀伊国屋書店に行く。上田耕一郎さんの『人生の同行者』(新日本出版社)を探すためだ。まず思想書のコーナーに行くとも見つからず。レジで検索してもらうが、書店員はいまや上田耕一郎という名前を知らない。青山ブックセンターでもそうだった。「こういちろうって、どういう字ですか」というのだ。階の違う政治のコーナーにあることがわかる。パソコンには「在庫14」とあったから、おそらく入荷は15冊で、1冊が売れたのだろう。この単行本は上田さんが旧制一高時代に寮で同室だったノーベル物理学賞の小柴昌俊さん、哲学者の鶴見俊輔さん、作家の小田実さんとの対談をまとめたものだ。わたしは期待した。それはまず、それぞれの対談が新聞や雑誌に発表されたものだからである。編集作業のなかで、対談全文が公表されると思っていたからだ。普通は雑誌などに掲載される対談は、紙数の関係から全体の一部を発表することが多い。したがって単行本化するときには、全文掲載になるか、それがすでにほとんど公表されているならば、新しい読者のために書き下ろしなどが行われる。それが読者への良心だ。

060919_16390001  ところが単行本を見ると、掲載時の内容そのままなのだ。何の加筆もない。ここでがっかりした。もうひとつは、上田さんと小田さんの対談が雑誌『経済』で行われたとき、何事もなかったかのようにあっさりと「小田さんとは『文化評論』(1981年1月号)で対談をしていらい2回目ですね」「25年ぶりですね」と挨拶していたことに関わる。わたしはその対談を企画した編集者として政治的に厳しく追及された。個人的感情としてはもはや遠い追憶の世界なのだが、政党や政治家としては曖昧にしてはならないことだとずっと思っている。対談後に「敵」だと認定し、新聞などでも厳しい批判を加えた相手=小田さんがいつの間にか「人生の同行者」となっている。悪いことではない。しかし態度を180度変えた理由を説明をするのが公党の国民に対する責任である。そのことを上田さんが新刊のなかで触れているかもしれないと思った。ちなみにこの「人生の同行者」という表現は小田さんが結婚するとき、相手のことをこう呼んだものだ。今度の単行本のタイトルにすることを上田さんは小田さんに断っている。「はしがき」は3ページ。こう書いてあった。「小田氏とはいろいろないきさつがあったが」。これだけである。立ち読みしていて、ふーんと思った。
こんなものだよという「ふーん」だった。「いろいろないきさつ」か。この10文字のなかに、ひとりの人間に与えた混迷や政治家としての説明責任を閉じこめたのだ。上田さんの新刊を買うのをやめて平台に戻した。水道橋に行き、「北京亭」。たしかにビールはとても美味しかった。


「レッテル貼り」という方法

2006-09-19 06:57:04 | 思索

 9月18日(月)ジムを出たところで大阪から来た友人といっしょにいるという長女から電話があった。「どこにいるの」「表参道で泳いだところ」「見て見て、空を。すごくキレイだよ」。空を見上げるとたなびく白雲がまだらに薄紅く染まっていた。地下鉄に乗る。休日の車内は家族連れが目立ち、普段は背広姿のビジネスマンもラフな姿だ。週刊誌の吊り広告を見て「レッテル貼り」について考えた。疑心や不安から、あるいは他人を効果的におとしめるために使うのがこの手法だ。ネット検索すると「人・ものを『××だ』と決めつけること。人や事物を大まかにカテゴリー分類すること。特に政治的・思想的な分類に対して批判的に言及する際に用いられる」とある。数年前のこと。月島のもんじゃ焼き関係者から問い合わせがあった。「新しい店が繁盛しているんですが、どうも統一教会が経営しているようです」。調べて欲しいというのだ。「根拠は」と聞くと、店名がどうも怪しいという。たしかに統一教会信者を指す英語名に似てはいる。そこで調査をしたのだが、統一教会(信者)が経営しているという事実はまったくなかった。依頼者は「おかしいなあ」と不満げであった。それからさらに数年。マスコミ関係者数人で月島に行った。「怪文書」の研究で知られる先輩がさらりとこう言った。「ほら、あの店、統一教会なんだってね。アリタさんだから知っているでしょ」。つい最近のこと。朝日新聞政治部記者の知人と築地で飲んだ。「月島のもんじゃ焼きに統一教会が進出しているんですって。もんじゃだけじゃないですよ。いま話題の寿司屋チェーンにSってあるでしょ。安くて美味しいんですよ。あれ統一教会ですってね」。「そんなことはないよ」と言っても、もはや都市伝説になると「ここだけの話」が「事実」となり、広く流布する。オウム真理教しかり。板橋に開店したケーキ屋は噂が原因で廃業に追い込まれてしまった。後発の同業者が多くの客を集めて繁盛しているとき、統一教会やオウム真理教のレッテルは、素早く浸透していく。

060918_17580001  週刊誌がこの「レッテル商法」をすることには、どこに問題があるのか。それは取材方法論の核心に関わるからである。わたしには恥ずべき経験がある。霊感商法を取材するまで「統一教会=勝共連合=韓国生まれの国際的謀略組織」という図式がすり込まれていた。書籍や新聞などから得た知識である。「朝日ジャーナル」の霊感商法批判チームに加わりーーといっても藤森研さんとわたしだけだったがーー取材をはじめたとき、尾行や無言電話もあった。北海道の施設を訪ねたとき、出てきた責任者が身体を震わせながら「ぶっ殺してやろうか!」と叫んだこともあった。それでもわたしは自分が信じ込んでいた図式は違うぞと思うに到った。何人もの元信者や少ない現役幹部から話を聞き、とても謀略を行うような人たちではなかったからだ。もちろんなかには「非合法」的な任務を与えられる信者もいる。ここで気がついたのは方法論の間違いであった。哲学的にいえば「演繹法」ではなく「帰納法」でなくてはならないということだ。『明鏡国語辞典』(大修館書店)を見る。演繹とは「一般的な前提から、経験にたよらず論理によって個別の結論を導き出すこと」、帰納とは「個々の具体的な事実から共通点を探り、そこから一般的な原理や法則を導き出すこと」とある。つまり取材を通して得た事実から出発して結論を出すのがジャーナリズムなのだ。はじめに設定した「一般的前提」に取材対象を流し込んではならない。わたしはフリーランスになったばかりとはいえ、霊感商法の取材を通してそのことを学んだ。中身がないのに大声で啖呵を切るばかりの「レッテル貼り」は取材方法論として根本的に間違っているのである。


上祐オウムの麻原隠し

2006-09-18 07:48:18 | カルト

 9月17日(日)朝4時半起床。原稿を書き、6時半に迎えの車に乗って日本テレビへ。「ザ・サンデー」に出演。打ち合わせのなかで、上祐史浩を生出演させたことへの批判が社内でもあったことを知る。徳光和夫さんも同じ意見だった。10年の裁判や社会への影響を語るには時間が無さすぎる。コメンテーターの室井佑月さんに「どうしてブログをやめるの」と聞いたら単純な理由だった。どうやらそのうちに再開する感触を得た。コーナーが終って「ザ・ワイド」のスタッフルームへ。オウム真理教=アーレフ取材のため世田谷区の南烏山に向う。駅から近い住宅街に教団施設はあった。狭い道路を隔てた二つのマンションに「上祐派」と「原理派」それぞれ40人ほどが住んでいる。このマンションが教団施設となり、資産価値はいっきょに下落した。1978年に新築時1680万円だった資産価値はバブル時には5000万円になる。その後下落し教団施設が入らなければ現在は2000万円ほど。ところがオウムの拠点となったことで、資産価値は300万円から400万円になってしまった。「死刑判決」が確定しても、住民にとっては何も変わらないのだ。出てくる信者に話を聞こうとするが、ほとんど挨拶程度で答えてくれない。そのうち「上祐派」の一人から長時間話を聞くことができた。93年に出家したというから13年。出家の動機は仏教の斬新な解釈に惹かれたという。二つの集団に別れたことについて訊ねると「そんなに変わりはないですよ」と正直に答えた。麻原彰晃から離れると上祐代表は語っているものの、内実は教祖のテキストや教えは日常の修業で使われているというのだ。

060917_12360001  サリン製造の中心にあった科学技術省に在籍したとき、地下鉄サリン事件で死刑判決を受けた元信者とも交流があったそうだ。「事件の前後に何かおかしいぞと思わなかったんですか」と聞いて見ると、「あのころは世間がおかしいと強調され、信じていましたから、気付かなかった」と答えた。最後にこんな質問をしてみた。「これから10年、20年後の自分を思えば、そのときもここにいることに不安を感じませんか」「いつも思っています。ここにいることが自分の目標でなくなるような気もする。そのときはどこかにいるでしょうね」。そう思っている信者はほかにもいるようだ。アーレフはいずれごく一握りのグループになる予感を実感した。いくつかの取材を終え、午後3時前に現場を離れるとき、「原理派」のある部屋が目に入った。朝10時も午後3時もずっとビデオが流れている。そこに映っているのは教団服を着た麻原彰晃であった。教祖への死刑判決が確定しても表面上は変化なし。隠すことなき行動はむしろ挑発的でさえある。A君に会いたかったが、テレビカメラのある前で真情を語ることは無理だろうと思い、そこにいるはずの3階を見上げて、駅に向う。かって渋谷の喫茶店で「将来の自分を想像できますか」と聞いたとき、しばらく黙っていたことがとても印象に残っている。帰宅して1時間ほど仮眠。路上の待ち時間にメモした単行本『X』の構成を見ながら原稿を書き進める。楽しい時間。しかし眠い。


『ペンギンの憂鬱』

2006-09-17 05:31:30 | 読書

 9月16日(土)朝刊各紙の「麻原死刑確定」はもちろん1面トップ。夜まで何も読まなかった。被害者の悲しみにはとても追いつかない。語れないところに真実は隠されている。そんな思いが大きい。「ざ・こもんず」にオウム問題の原稿を少し書いたものの、どうも気分が乗らない。統一教会問題の「同志」宮村峻さんと電話。「まだ読んでいないんですけど、どうですか」と聞いたのは「週刊現代」の「安倍晋三と統一教会」という記事だ。新聞広告には馬鹿でかい広告が出ていた。宮村さんは「中身のない記事だよ」という。そこで週刊誌で仕事をする知人からファクスで送ってもらい一読。スカスカ記事の典型で無惨。アンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』(新潮社)を読む。売れない作家とペンギンとの生活に不気味な政治が飛び込んでくる。ウクライナを舞台にした不条理小説だ。なべてこの世はこんなことばかり。いつものようにテレビも見ずにただ単行本『X』の原稿を書く。まだプロローグを書いているのだが、文才がないなと自嘲する。ならば何度も推敲するしかない。最初のシーンで何を伝えるべきなのか。梯久美子さんが書いた話題作『散るぞ悲しき』(新潮社)はとてもすぐれた作品だった。硫黄島で総指揮者として散った栗林忠道の人生をたどることで、筆者が声高に語らずとも戦争の悲惨さはよく描かれていた。

 編集者の多くは、この読み物が「読ませ」「よく構成されたもの」だと評価する。熟読してたしかに読みやすい筆致だとは思った。しかし、事実を確認することでいえば、引用された体験記の信憑性がどこまであるのかがいちばん気になった。経験を記した手記に虚構が入り込むことはしばしばだからだ。その場にいた証言ほど「事実」だと他人は思い込みやすい。実はそうではないのだ。文中に「私」が突然登場することも気になった部分だ。しかし完璧などないのだから、それでいいのだろう。いま新たな原稿を書きつつ自覚することは、方法への意識を持ちつつも、自由に書くことだ。誰かに評価してもらうために取り組んでいるのではなく、やりたい仕事を完成させることにあるからだ。面白さではない。歴史の事実を記録することなのだ。麻原裁判もそこに問題がある。夕方、茗荷谷クリニックで昨日の検査結果を聞き、池袋「おもろ」で泡盛を飲む。話題はもっぱら植草一秀さんの痴漢問題。今度は実刑判決だろう。冤罪ならばどう逃げればいいのか。逃げるしかないというのが一般的意見だ。それでも捕まったときには弁護士に連絡すること。池袋から地下鉄に乗り、乗客が少なかったのでホッとした。


ああ言えば上祐のウソ再び

2006-09-16 08:54:51 | カルト

 9月15日(金)不意討ちとは当たり前のように思い込んだ認識の隙間を狙って襲ってくるものだ。まさか麻原彰晃の死刑確定があるとは思いもしなかった。「週刊朝日」に昼過ぎに原稿を送り、電話で山口一臣編集長と打ち合わせ。いつもなら土曜日が締切りで、その夕刻に校了なのだが、月曜日が祝日なので、一日繰り上げのスケジュールだった。しかし「死刑確定」があるかどうか不明だ。念のため原稿をゲラにして、午後3時までに最高裁決定がなければ、次号以降にまわすことになっていた。単行本『X』の原稿を書く。「最高裁の決定はないな」と判断し、茗荷谷クリニックに向った。銀座「はら田」で知り合った医師夫妻が千葉で開業している総合病院とは別に経営している診療所だ。レントゲンを撮り、心電図を取っているとき、しきりに携帯電話が震動していた。それも何度も。検査の合間に密かに見れば速報で「死刑確定」との知らせがあり、コメントを求める留守番電話がいくつか入っていた。「どうするかな」と困ったのは、「週刊朝日」のゲラ刷りを点検することができないことだ。クリニックを出て電話でいくつかを処理。池袋に出てJRで渋谷。歩きながら共同通信への長いコメントを語る。シネカノンの試写室で前回試写を終えた山田洋次監督とばったり。ケン・ローチ監督の「麦の穂をゆらす風」を見る。今年のパルムドール賞を獲得した作品で、1920年のアイルランドを描いた傑作だ。イギリスからの独立を求めて闘う義勇軍の若者たち。講和があり「平和」が訪れるものの、内部対立から昨日の同志が殺し合う悲劇が生れる。「愛するものを奪われる悲劇を、なぜ人は繰り返すのだろう」というキャッチコピーがこの映画を的確に表現している。たまたま隣に座ったテレビ局の知人に「年間どれぐらい見るんですか」と聞いたところ「380本ぐらいですかね」の答えにびっくり。1日に3本のときもあり、週に7本は見ているというのだ。代々木に出て「馬鹿牛」。「森伊蔵」「兼八」を飲みながら「牛ハラミ刺し」などを食べて帰ろうとしていた。そこへカメラマン矢口から電話。神保町から向うので待てという。やがて人妻を連れてほろ酔いで来店。しばらく話をして先に店を出た。

 帰宅してTBSに出演した上祐史浩のビデオを見る。司会の追及の弱さにあきれる。サリン製造計画に参加した上祐をなぜもっと具体的に問い詰めないのか。さらに時間を変えて同じ質問を繰り返しているのは視聴率稼ぎの意図がありあり。結果的には教団の「原理派」と違い、「上祐派」が事件を反省し、麻原彰晃と訣別したかのように見えてしまう。「ウソをつくのがワーク」だと世間を欺いてきた上祐史浩などに生放送で弁明と宣伝の場を与える必要などない。「教祖の裁判」では、麻原彰晃に訴訟能力があるかどうかが焦点となった。「ある」「ない」などの評価は真っ向から対立。専門家でさえ意見が異なるのだから、どこかで短期間でも治療を行うべきだった。「何も期待できない」と突き放す意見もわかるが、国際的に注目された裁判ゆえに、適正な手続きをできるだけ行う必要があっただろう。「おれは無罪だ」と語ったという東京拘置所の記録も、客観的には誰も検証できない。かりに本当だとしてもどういう情況のもとで、そうした言葉が出たのかを知れば、ただの「つぶやき」でしかない。それで「正常」な判断能力があるといえるのか。死刑は確定しても、後世まで疑問は残るままだ。ひとことでいえば「虚しい裁判」だった。破壊的カルトの裁判だという視点が、裁判所にも検察にも、そして弁護団にもほとんどなかったからだ。最初の時点から精神科医やカウンセリングの専門家が関わっていれば、もっと違った展開があったことだろう。浅見定雄さんが当時語ったことがいまでも強く印象に残っている。「文鮮明は無理ですが、麻原なら脱会させることは可能です」。ポイントは教祖になりたいと思うに到った松本智津夫の人生にある。貧困ゆえに親から捨てられたと思い込んだ子供時代からの個人史に問題の原点があった。そこから解きほぐすことを誰もなしえなかった。裁判がはじまったのは96年4月24日。長い10年だったと、とくに被害者は感じてきたことだろう。しかし、わたしの実感は「10年はあっという間だったな」というものだ。いろんなことがあった。


麻原も植草も「おれは無実だ」

2006-09-15 09:04:00 | 事件

 9月14日(木)麻原彰晃=松本智津夫被告に振り回された一日。最高裁の決定が出て、死刑判決が確定するとすべてのマスコミが思い込んでいた。週刊誌の予定原稿を書く。「ザ?ワイド」も決定がある場合、ない場合と番組進行には8パターンが予定されていた。弁護団にもまったく情報は入ってこない。いくつかのマスコミに問い合わせてもわからないという。最初は午後3時すぎだという噂があったが、何事もなく番組は終る。フジテレビの「スーパーニュース」から連絡があり、決定は午後5時前後だという。そうなれば電話でコメントを語れというが、本当に決定があるのかどうか。不明のまま待機することもできない。予定コメントを録音したいというので表参道のジムのラウンジで裁判の意味を語った。泳いでいても気になったが、結局最高裁の決定はなかった。なぜマスコミが「今日決定アリ」と判断したかといえば、NHKが「今週中」と報じたことが根拠となった。15日には紀子さんが退院する。皇室の慶事がある日に「死刑確定」を公表することはない。ならば「今日しかない」という判断であった。「読売新聞」は9月10日の朝刊1面で、控訴棄却後に「おれは無実」と語ったから訴訟能力があると判断されただろうとスクープした。訴訟能力があれば弁護団が期限までに控訴趣意書を出さなかったから控訴を棄却した東京高裁の判断は正しかったということになる。ところが東京拘置所の記録はそう単純なものでもない。素直に読めば意思の疎通はできていないのだ。松本智津夫が語ったとされる発言は本当に「あった」ことなのだろうか。誰も検証できない。

 「ザ?ワイド」で急きょ入ったのは「教祖の裁判」ではなく植草一秀教授が痴漢で逮捕されたというニュースだった。「やっぱりな」と思ったのは、2年前の逮捕時に、警視庁某幹部が「いずれやりますよ」と語っていたからだ。のぞきにしても痴漢にしても、はじめて実行したときにたまたま現行犯逮捕される例は少ないという。逮捕されるほどの人物は、必ずそれまでの行為がある。大きな事故が起きるまでには目に見えない小さな事故や危うい情況が数多くあるという法則と同じだ。難しいのは冤罪があることだ。しかし今回の逮捕は17歳の女子高生のスカートの中に手を入れたことによる現行犯逮捕。「酔っていたので覚えていない」と言い訳をしても前回のように「冤罪だ」とは主張できない。実家に戻った妻子の苦悩は抑止にならなかった。これは病気だ。赤坂でプロデュースハウス都の中村一好さんと飲みながら打ち合わせ。23日に東京堂書店で行う都はるみトークショーは満席打ち止めとなった。定員80に対して申し込みが100人を超えたのは2日前。佐野衛店長は「120人で締め切ります」と言っていた。会場に入れない人たちでも『メッセージ』にサインを希望するならば、それは受け入れるそうだ。『歌屋 都はるみ』(文春文庫)は絶版になったまま。その増補改訂版にそろそろ取りかからなければならない。文庫が出てから都はるみさんに会ったときどきにメモを取っていたので、それを生かすことも必要だが、新たな項目も付け加える必要がある。日本酒に酔い、気がつけば深夜。


安倍晋三の訪中日程

2006-09-14 07:51:30 | 政談

 9月13日(水)朝から冷たい雨が降っている。まるで晩秋に降る冷雨のようだ。外出を控えて単行本『X』の原稿を進める。今週にも麻原彰晃=松本智津夫被告の死刑判決が確定するとの情報がある。すでにNHKはそう報じたらしいが、関係者に問い合わせても確たる根拠を手に入れることができない。刑が確定すれば週刊誌に頼まれた原稿を書かなくてはならない。もし最高裁の決定が金曜日なら原稿を書く時間がない。そこで予定稿を書きだすことにした。資料を読み、何人かの弁護士にコメントをもらう。一日中パソコンに向っていると、肩がじわじわと凝りだすのがよくわかる。泳ぎに行くかともふと思ったが、わざわざ雨中を1時間もかけて移動するのも面倒だ。都はるみさん愛用の「バンテリン」を塗ってせっせと原稿を書いた。疲れれば本を読み、また原稿を書いては休んで小沢昭一さんの節談説教を聴く。『文藝春秋』10月号をぱらぱらと見ていて大島史洋さんの短歌が目に入った。日本で1940年に流行した「贅沢は敵だ」という言葉がロシア共産党で使われているというのだ。もっともここでいう「ロシア共産党」がいつの時代のものかがよくわからない。軍国主義日本にあって、この流行語を作ったのは、治安維持法を逃れるために右翼を擬装したマルクス主義者だったという説がある。いずれにしても思想的問題がここにはあるのだろう。

 
“贅沢は敵だ”をロシア共産党の宣伝用語と知る夜

 外務省が水面下で進め、安倍晋三がどうしても実現したい日中首脳会議は、時期としては10月初旬である。まずソウルで日韓首脳会議を行い、次に北京へと入る。ブッシュ大統領との会談は11月にベトナムのハノイで行われるAPECの会場でとなる。このアジア重視の政治行動は、実は祖父の岸信介のものでもあった。岸が石橋湛山の病気辞任によって総理に就任したのは1957年2月のこと。外相も兼務した岸は、5月に東南アジア6か国を歴訪し、6月にアメリカを訪問する。さらに11月には東南アジア7か国を訪問することでアジア重視を打ち出した。日米安保改定交渉はそのあとだった。もし安倍の構想が実現するならば、打撃を受ける政治家がいる。福田康夫である。側近のなかには来年の参議院選挙で自民党が大きく敗退した場合、安倍政権は短命だと見ている。立花隆が予測するような小泉再登板など現実にはありえず、アジア外交に意欲を示す福田が登場する条件が生れるというのだ。父の福田赳夫が総理になったのが71歳。息子の康夫も来年には同じ年齢となる。まだまだ可能性があるというのだ。ところが安倍政権誕生でアジア外交が前に進むなら、福田周辺の思惑は潰えることだろう。


安倍10月訪中計画の背景

2006-09-13 09:47:14 | 政談

 9月12日(火)「ザ?ワイド」の取材がなくなったので、「アサヒカメラ」に依頼された都はるみさんの『メッセージ』の書評第1稿を書き上げる。午後から京橋の映画美学校で「明日へのチケット」の試写を見た。ケン・ローチ、アッバス・キアロスミタ、エルマンノ・オルミ監督の共作で、3つの物語が、それぞれ列車のチケットを軸に繰り広げられる。世間はそれぞれの哀しみや希望を秘めながら他人と関わりながら生きている人たちで満ちている。文句なく楽しめる。こんなことを書いていると、雑誌「FACTA」が予告したスクープメールが送られてきた。「安倍氏が10月にも日中首脳会談」というタイトルだ。安倍晋三が総理に就任した直後の10月に日中、日韓首脳会議を行うというのだ。この情報はマスコミの多くが潜行して取材を続けていた。それに先んじて「FACTA」が9月20日発売の10月号の要約を購読者にメールで配信した。大手マスコミでなく、一雑誌がスクープを放ち、それを大手が追いかけるという構図が面白い。それによると安倍は靖国問題を曖昧にし、台湾カードを切るという。目的は3つ。アジア外交で先手を取り、ブッシュ政権の不安を取り除き、来年の参議院選挙で勝つためのサプライズである。安倍は11日に日本記者クラブで行われた総裁候補による討論会で、日中首脳会談について問われたとき「つまびらかにできない」と答えていた。

 「FACTA」では触れていないが、転機は8月3日である。この日、民間主催の日中交流シンポジウムが行われた。安倍は「直接の対話を通じて建設的に議論を」と発言。それに対して王毅大使は首相が靖国神社参拝をしないよう求め、「再び正常発展の軌道に」と語った。安倍が誰の知恵で動いたかは不明だが、その夜、4月15日に靖国神社を参拝したことがNHKと産経新聞だけにリークされた。NHKは深夜のニュースで報じ、産経は4日の朝刊で報じている。安倍は記者に問われると「靖国に参拝したかどうかは言えない」と語る。この「行ったかどうかも言えない」という曖昧路線は、実は中国へのメッセージだったのである。安倍周辺によれば、それは「宮沢方式」だという。宮沢喜一元首相は、1993年4月に参拝したとき、周囲にその事実を語った。ところがマスコミが問い合わせると、宮沢事務所は「参拝したかどうかは答えられない」とした。はたして「安倍方式」で中国側が納得するのかどうか。李登輝との会談を突然キャンセルした安倍の対応に台湾からどんな反応が出てくるのか。11月にハノイで行われるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会談時ではなく、10月に日中首脳会談、日韓首脳会談が行われるならば、安倍にとっては満足できる政権発足となる。


安倍晋三と統一教会(1)

2006-09-12 09:08:02 | 政談

9月11日(月)「同時多発テロ」という表現にいつも違和感を感じている。「9・11」からはや5年。TBSのよくできた特集「NYテロ5年目の真実」を見た。安住とかいうアナウンサーのだらしない姿でのインタビュー以外は「さすが」と思った。ジムで泳いだあと青山ブックセンターに行く。「9・11」は陰謀だという本がいくつか。ぱらぱらと見たけれどこれまでに読んだものと内容はたいてい同じもの。「どうかな」と疑問なのは、大韓航空機爆破事件当時も「KCIAの陰謀」説が、とくに日本で報道されたからだ。デーブ・スペクターに「アメリカではどうなの」と聞いてみた。「話にならないですよ。アポロが月に行かなかったというのやホロコーストはなかったと主張するのと同じで、すでにマスコミでは否定されています」と言う。「でもペンタゴンに旅客機は突入していないというよ」と聞いた。「いやいや何万ページもの報告書のなかには、客席の遺体などの写真もあります」という。「では機内から携帯電話で家族に電話をしたというけど、携帯では地上に届かないという意見は?」とさらに問うと、「あれは客席に設置された電話を使ったんです。これも報告書をちゃんと読んでいればわかることですよ」という。そもそもテロ計画はクリントン大統領時代から計画されたというから、「反ブッシュ」のための「陰謀説」には歴史的に無理があるというのだ。そうは思うものの、まずは時間を見つけて「9・11」についての報告書を読んでみたい。たとえば「TIME」「U.S.NEWS&WORLD REPORT」(9月11日号)には、「疑惑」に対する「事実」を明らかにした記事がある。そこでは疑惑説が主張するミサイルや小型飛行機ではなく、ボーイング757機がペンタゴンに突入したときの様子、乗客64人の遺体が1人を除いて確認されたことが紹介されている。

 あるマスコミから問い合わせがあった。安倍晋三官房長官の『美しい国へ』は統一教会元会長の著作をなぞったのではないかという。「きっこのブログ」などのネットで流れている噂だ。久保木修己遺稿集のタイトルは『美しい国 日本の使命』。「美しい国」という言葉は同じでも、内容は違う。思想的流れとして復古主義的であることは同じでも、安倍が統一教会本を「丸写し」したという批判には、何の根拠もない。それと同じで安倍事務所が官房長官名で統一教会系の「天宙平和連合」に祝電を打ったことで本人を批判することには無理がある。国会議員の事務所は、祝電でも弔電でも、関係者から依頼があれば、その事務所レベルで判断する。いちいち「議員先生」本人に問い合わせることなどしない。安倍には統一教会への対応方針がある。それは拉致問題などを行った北朝鮮を経済的に支援する統一教会は問題であること、しかも霊感商法などで日本の公安当局から監視対象である団体である以上、面会を求められても会わないようにしている、というものだ。これはわたしが安倍本人から聞いたことである。総理への道を眼の前にした時期に、そうした方針を変えることなどありえない。今回の祝電も地元事務所の判断で安倍があずかり知らないところで送られたのが事実である。統一教会からすれば、岸信介、安倍晋太郎との深い関係から安倍晋三をも利用したいのだろう。しかし、霊感商法が社会的に批判されてからは、国会議員の対応にも変化がある。安倍本人が「天宙平和連合」の大会に参加して激励したとか、本人の意思で祝電を打ったのなら厳しく批判されるべきだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ような批判の仕方は政治の世界だけでいい。わたしは安倍の改憲をふくむ戦後の枠組み解体路線には断固として与しないが、事実を誇張した批判にも賛同はできない。


外岡秀俊の『傍観者からの手紙』

2006-09-11 07:59:46 | 読書

 9月10日(日)朝から今日は一歩も外出しないと決めて、音楽を聴きながら原稿を書く。「フィガロジャポン」には「上海の伯爵夫人」の映画評。音楽は大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」、上條恒彦と六文銭の「出発の歌」など。静かな時間のなかにいると、ふと感傷が襲ってくる。ネットのミュージックストアで大塚博堂のアルバムを買ってしまった。いかんいかんと読書の世界へ。新聞記者になるY君に推薦書として外岡秀俊さんの『傍観者からの手紙』(みすず書房)をあげたことを思いだし、「みすず」連載の続編を読む。9月号のタイトルは「野草」。上海の変貌にも関わらず変わらぬ魯迅の精神を描いていた。魯迅の散文詩「野草」の言葉がいい。「だが私は、心うれえず、心たのしい。高らかに笑い、歌をうたおう」。なぜ外岡さんかといえば、ニュースを普遍的文章として記録できる希有な書き手だからだ。文体を支える深い教養がある。形容詞でやたら飾り立てる書き手があちこちにいるが、その薄っぺらさはまるであぶくのようだ。「ウソ臭い」文章など残りはしない。それに比べて外岡さんの文章は身体と言葉が密着しているのだ。同世代としてとても敵わないといつも思う。週末の調査行で、もはや高知で特別に調べなければならないことはなくなったように思える。それでも理由を探してでも行くことになるのは、街のたたずまいが気にいったからだ。金曜日の夜にまず行ったのが「五番街」。そこには午前0時を過ぎてから開店するバーもある。

060908_19170001  理想は高知のどこかの旅館に1か月ほど滞在して、昼間は高知大学に出かけ、木村久夫さんの蔵書と対話をしながら原稿を書き進めることだ。半ばそうしたいと傾いている真情があるが、現実を思えば無理だろうな。『文藝春秋』10月号を読む。吉村昭さんを追悼する城山三郎さんの話がいい。城山さんは「主人公が夢に出て来てくれると、ああ、これでこの小説は書けるなという気がする」。吉村さんもそうで、「『長英逃亡』を書いているときは、目明かしに追われる夢をずいぶん見たんです」と語っている。そして「方法」だ。「『とにかく現地へ行ってみること』が、小説の出発になると言っていた。(中略)そうして同じ空気の中に立ってみると、湧いてくるものがあるそうだ」。「木村久夫さんの高知」を再訪する理由はやはりある。特定の史料を探すだけではなく、そこにいることで感じるものが大切なのだ。同窓生の西村富博さんが送ってくれた木村さんの写真を見つめる。4人の高知高校生。その背後にはいくつかの建物が見える。ここはどこだろうと、西村さんに電話をした。「新京橋です」と言われ、まだそこを歩いていないことを知った。また高知に行ける。