今日は、どんげde SHOW♪

岡田家四代目

テーマ: 歴史
2014年4月11日
高知県は香南市土佐山田町神通寺へ2人は向かった。


ここは以蔵の父、義平が土佐沖に現れた外国船に対する海岸防備のため郷士・足軽として徴募されそのまま城下の七軒町(現代の高知市相生町)に住むようになるまでの以蔵の先祖が眠る地(先塋せんえい地)いわば、岡田家の本家がある地である。


突然のアポに快く面会を引き受けて下さったのは、岡田家四代目 岡田義一(よしかず)さん(90)。




義一氏は、自身の趣味で川から大きな岩を軽トラで運び、池に鯉を飼いそれはそれは素晴らしい日本庭園を自ら作り上げ軽トラが2日で大破したという。



彼自身、海軍の特攻の話や散って逝った戦友の話をして下さり、国防に携わるうちに先祖である岡田以蔵も国のために散って逝った一人であると認識し、それまでは罪人としてしか語られなかった以蔵の実態だが、佐川町立青山文庫名誉館長であり著者の松岡司(まもる)氏の本
『正伝 岡田以蔵』
を手に「これが、一番以蔵を詳しく正確に書いちゅうぜよ」っと語った。



そして、今回訪ねた趣旨を説明し慰霊祭で配りたい資料をお渡しした。


以蔵の先祖や弟、啓吉の話や以蔵の生まれた相生町付近は、山田獄舎の名の通り山田町とも言われており山田町というのは土佐山田町から移り住んだ人々が多く、山田町と言うようになった話や

家からほど近い場所に岡田以蔵以前の先祖の墓がありその墓は、当時からすると立派な墓で坂本龍馬の先祖の地、才谷村の墓(才谷屋以前の先祖の墓)よりも立派で岡田家は、裕福であったのでは?と語る。

そして、岡田以蔵の遺品とされているピストル(厳密には、フランス製のリボルバー)を見せて頂いた。





これは、以蔵が京都で『天誅の名人』と呼ばれ暗躍した後、八月十八日の政変を
期に土佐勤王党は衰退し、弾圧へと傾いている頃以蔵は、姿をくらまし江戸へ向かう。
坂本龍馬の紹介で勝海舟の護衛をしている。
その際、龍馬からもらい受けた?
とされるピストルが、弟・啓吉に渡り代々伝わっているという。

そんな短銃を素手で触らせて頂いた。



義一氏は、「博物館まで行ったぜよ。」

っと嬉しそうに語って下さった。

勿論、個人所有の為登録証もある。




約2時間程、貴重な話をして頂いた。

そして、来る5月11日の以蔵の慰霊祭の話で私が作った資料をお渡しし、墓参りに来て下さった方にパンフレットとしてお配りしていいかの承諾を頂いた。

「色々、全国から以蔵が好きや。とか研究者やら以蔵の酒を作る。言うんがワシんとこ来て許可を貰いに来ゆう、ちゃんと来てくれるんは嬉しい事やね。」っと義一氏

そばにいた娘さんも「本当にありがたい事です。」と行ってくれた。

「ワシももう歳やき、墓にはよう行かん」っと

以蔵の生涯から代々生きてきた子孫の方は、決して世間にもてはやされる事もなくひっそりと暮らして来た。
英雄視され続ける龍馬とは、真逆の人生が
子孫にまで影響する。
公表したくない子孫もいる。

そんな中、岡田義一さんに会えた事は、この上ない感激と義一さんの顔つきからは、以蔵の面影を追う自分がいた。

岡田以蔵の血が繋がった方を目の前にして、岡田以蔵とはきっとこんなに優しい方だったんだと思わずにはいられなかった。

どうか、金の臭いがする輩が岡田以蔵の子孫だ!っと祭り上げ、岡田家のペースを掻き乱す様な事は、しないで欲しい。

国のため、友のため、修羅になった以蔵。

忠義を貫き通し、一筋の剣の道を全うした以蔵。

誰もが持つ孤独や闇。

そんな岡田以蔵の冥福・岡田家の繁栄をいつまでも願って。

そして、2014年5月11日。
岡田以蔵没後150回忌を迎える。
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