記者
1994年 | 大阪で生まれる。幼少期から本が好きでした |
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2013年 | 大学で元新聞記者が教授のゼミに入る。ジャーナリストの仕事に惹かれる |
2017年 | 入社。広島支局に配属。県警担当として事件事故を取材、合間に街ダネも |
2018年 | 県警キャップ。司法取材も担当に。原発や被爆者援護に係る裁判を取材 |
2019年 | 広島市政・平和キャップ |
原爆は今に続く問題
70年以上前に起こった戦争なんて、「単なる昔話」だと思っていました。しかし、大学2年の時に訪れた広島で被爆者の男性に会い、平和報道に関心を持ち始めました。地球上に核兵器が1万発以上あるなんて知らなかった、原爆の放射線が今も被爆者の体をむしばんでいるなんて知らなかった――そんな自分が恥ずかしくて、初任地には広島を希望。日々、身を削るようにして語り続ける被爆者に、お話を聞かせて頂いています。
最も力を入れて取り組んでいるのは、原爆投下後に降り注いだ放射性降下物を含む「黒い雨」体験者への取材。国は比較的大雨だったとされる地域にいた人を援護対象に指定しています。一方、小雨地域の人たちは黒い雨を浴びたにも関わらず、曖昧な根拠で線引きされ、今も置き去りにされたまま。不公平を正すべく、70~90歳代の体験者たちが裁判で闘っています。
法廷はいつも、祖父母と同年代のお年寄りでいっぱいです。杖をつく人、車椅子で傍聴する人、体調を崩して途中で帰る人もいます。「なんでこんなおじいちゃんおばあちゃんが今も闘わなあかんねやろ」と、胸が苦しくなることもしばしば。改めて、戦争は昔話ではない、原爆は今に続く問題だ、と思い知ります。原告の皆さんの体験や抱える思いを知りたくて、広島・備後版では、お会いした方全てのお話を紹介する連載を続けています。取材は、被爆者の人生そのものを聞くことになるので、長い時には3時間以上、また数日をかけてお話を伺うこともあります。
今を生きる私たちには、核兵器廃絶のために努力する責任があると考えます。私は被爆者の体験や思いに耳を傾け、書き続けることでその責任を果たしたいと、毎日走っています。体も頭もフル稼働で大変な時も多いですが、私は記者生活がとても楽しいです。
One day
- 7:30
- ニュースチェック。余裕がある日はお弁当も作ります
- 9:30
- 広島市政記者クラブでリリースの確認。原稿執筆、アポ入れや取材の準備など
- 13:00
- 被爆者に会いに行く。「黒い雨」体験者は郊外の方が多いので約1時間ドライブ
- 14:00
- 到着。2~4時間かけて、お話を伺う
- 17:00
- 運転しながら頂いたお話を振り返り、構成を頭の中で練る
- 18:00
- 帰社。原稿執筆やゲラの確認
- 20:00
- 飲みに行く。取材先や同業他社の友達の他、ネタ探しでひとりで飲むことも
Q&A
- 学生時代に打ち込んだことは?
- 英語スピーチ。障害者の性や実名報道の賛否について調べ、発表していました。
- 仕事をする上で大事にしていること・ものは?
- 自分のストーリーを押しつけない。目の前にいる人が伝えたいことは何か、耳を傾ける。
- 入社して意外だったことは?
- 年次に関係なく、良いネタは全国版で大きく載せてもらえること。自由時間が多いこと。
- 現在の仕事内容や取り組む姿勢を一言で表現すると?
- 粘り強く!