第百三話「姉妹の処遇」
ルイジェルドを見送ってから、家へと戻ることにする。
途中、シルフィと別れる。
シルフィは一緒にいたがった。
が、彼女には仕事がある。
無断欠勤はよろしくないだろう。
アリエルへの事情説明の意味も含めて、学校に送り出した。
家にたどり着いた時には、いつの間にか昼を回っていた。
昼食を作って食べる。
ノルンと一緒にいると間が持ちそうになかったので、俺が作った。
アイシャが手伝おうとしてきたが、ここは俺が一人で作らせてもらう。
出来上がったものは、かなり男臭い料理だった。
あえて名前をつけるなら、豆チャーハン、みたいな。
仕方がない。俺はシルフィと違い、真面目に料理など学んでいないのだ。
「うまいか?」
「おいしいです!」
「……」
アイシャは元気よく食べている。
ノルンも文句は言わず、黙々と。
シルフィの作る料理に比べれば雲泥の差だが、まずくはないらしい。
食べ終わった後、リビングに移動した。
アイシャとノルンを並んで座らせ、俺はその前へ。
一息ついた所で、さてと切り出す。
「さて、少し遅れましたが、まずは長旅、お疲れ様でした」
「はい、お兄さまもご健勝なようで」
アイシャは、すました顔でそう言った。
服装はメイド服だ。
いつぞや見た時はだぶだぶだったが、今はピッタリだ。
あちこちにツギハギが見える所を見ると、いつぞや着ていたものと一緒なのだろう。
部屋の中が珍しいのか、チラチラと周囲を見ている。
元気そうな茶色のポニーテールがフラフラと揺れている。
ポニーテールをまとめている白いリボンと、やや無骨な鈍色の飾りが目を惹く。
「……」
ノルンは子供のように俯いていた。
服装は、いわゆる普通の子供という感じだ。
水色を基調とした可愛らしいデザインだ。
ミリシオンではこういう服を着た子供はよく見かけたが、この辺りでは少々目立つかもしれない。
アイシャより長いであろう金髪は、首の後ろあたりで纏められている。
クリップみたいな大きな髪留めがオシャレだな。
「アイシャは随分と頑張ったようですね」
「はい、全てはお兄さまに会うため。大した苦労ではありません」
アイシャはすまし顔だ。
しかし、なぜか今日は口調がおかしい。
なぜこんなに澄ましているのだろうか。
「僕たちは家族で、今日からここは君たちの家です。
何の遠慮も必要ありませんので、くつろいでください」
「はい、お兄さま、ありがとうございます。
しかし、家族とはいえ、ここはお兄さまの家。
ただ泊めてもらうだけでは心苦しいので、
家事などの手伝いをさせていただこうと考えています」
なんだかしらないが、すごい距離を感じる。
何かしただろうか。
なんでだろうか。
敬語だからか。
「なあ、妹さまよ」
「何でしょう、お兄さま」
「その口調、やめませんか?」
「嫌ですわお兄さま、目上の方が敬語で話してらっしゃるのに、どうして私がやめられましょう」
俺のせいか。
俺が敬語を使っているから、自分もやめないってか。
「わかった。じゃあ、俺は敬語をやめよう」
「わかった。やっぱり兄妹で敬語だと、距離を感じるよね。でも、私は場合によっては敬語を使うね、お兄ちゃんは目上の人だし」
おおい、そこは私もやめるよって流れじゃないのか。
まあ、いいか。
小さい頃から敬語を使うことを覚えさせるのは、悪いことじゃない。
場合によって言葉を使い分ける、重要な事だ。
しかし、距離を感じるという言葉。
もしかすると、ルイジェルドやエリス、その他もろもろの人たちもそう感じていたのだろうか。
敬語で話す事は、人と人との円滑なコミュニケーションの第一歩と思っていたのだが。
次に会うときは、もっと軽い感じで話しかけてみるか。
『ヘイ、ルイジェルド、調子はどうだい。
随分と変わってしまったな、昔はあんなに痩せてたし、ヒゲも生えてなかった。
何? 自分はそんな名前じゃない?
おいおい、名前まで変わっちまったのか。
でも言い方は前のまんまだな』
……ないな。
ルイジェルドは尊敬できる相手だ。
尊敬できる相手には敬語。当然の事だ。
もし平行世界の俺がルイジェルドやロキシーにタメ口をきいてたら、ぶん殴るね。
「まあ、なんだ。アイシャ、ノルン。こうして一緒に暮らすのは初めてで、お互いわからない事もあるだろうけど……仲良くしよう」
「はい!」
「……」
アイシャは元気よく頷いた。
あれだな、肉で釣っている時のプルセナみたいな感じだ。尻尾が見える。
なんでも言う事を聞いてくれそうな感じだ。
対して、ノルンの方は不機嫌そうだ。
俺の所に来る事が不本意だという顔だな。
再会した時の状況が悪かったな。酔っ払って女連れで。
あまりいい印象は与えられないだろう。
この子に対しては、少し慎重に接した方がいいか。
「でも、お兄ちゃんがまさかシルフィ姉と結婚してるとは思わなかった。びっくりだよ、ね、ノルン姉もそう思うよね?」
アイシャがノルンに話を振る。
対するノルンは首を振った。
「……私、シルフィさんの事、あんまり覚えてない」
ノルンはシルフィの事をあまり覚えていないらしい。
まあ、仕方ないか。
一緒に礼儀作法なんかを勉強していたアイシャと違い、
あまり接点もなかっただろうしな。
「ね、ね、お兄ちゃん、何があったの?
前に一緒に居たエリスさんはどうしたの?」
アイシャは身を乗り出して、そんな事を聞いてきた。
エリスの事か。
やっぱり、みんな気になるんだろうか。
「そうだな……」
俺は苦笑しつつ、それまでの事を話す事にした。
アスラ王国のフィットア領に帰り、エリスと別れて冒険者になった事。
そこで病気に掛かり、それを治すために魔法大学を勧められた事。
魔法大学でシルフィと出会い、病気を治療してもらった事。
病気の内容というか、EDとその治療方法についてはボカしておいた。
十歳前後の女の子に聞かせていい内容じゃないからな。
また、シルフィの置かれている状況が非常に難しいものであるがゆえ、
人前では男装している事が多い事なんかも説明しておいた。
その辺については、アリエルから俺の判断で話すべき相手に話せばいいとは言われている
正直、妹二人には知らせない方がいいのかもしれない。
まだ幼いしな。
だが、これから一緒に暮らすのだから、いずれバレるというか、疑問を持たれるのは必然だ。
その時に起こる問題を考えたら、先に話しておいた方が賢明だろう。
対処もしやすいだろうし。
「と、いうわけだ」
ひと通り話が終わった。
ノルンは難しい顔で俯いている。
アイシャは心配そうに俺の顔を覗いてきた。
「それで、その病気の方は大丈夫なの?」
「ああ、完治した。もう心配ない」
定期的なリハビリを三日に一度行なっているが。
アイシャは、そっか、と呟くと、ポンと手を打った。
「あ、そうだ!」
「ん?」
「お父さんからお兄ちゃんに会ったら渡すように言われていたものがあったんだ」
アイシャはそう言うと、パッと立ち上がり、タッと二階に駆けていった。
そして、すぐに四角い旅行かばんを持って降りてくる。
トランクだな。
「はい、どうぞ!」
厳重に鍵を掛けられたトランクだ。
でかいのが三つも付いている。
用心深いといえばそれまでだが、これでは狙ってくれと言わんばかりだ。
いや、これはアイシャやノルンが中を開けて紛失しないようにという配慮だろう。
魔術で解錠する。
「あ、鍵……」
「ん? おお」
見ると、アイシャが鍵束を手に固まっていた。
一応受け取っておく。
鍵をポケットに仕舞い込み、トランクを開ける。
「おぉ」
するとそこには金銀財宝がザックザク。
というのは言い過ぎだが、結構な大金が収められていた。
ミリス王札が十数枚と、貴金属の類だ。
一見すると価値がわかりにくいが、売れば金にはなるだろう。
手紙に書いてあった、当面の資金というやつだろう。
我が家はこれであと十年は戦える。
けど、無駄遣いはしないように気をつけないとな。
トランクの蓋側には、二枚の手紙が入っていた。
確認してみる。
一枚は、先日届いたのと同じものだ。
パウロからのもの。
もう一枚は、リーリャからのもの。
アイシャとノルンの現在の学習状況と、性格的な欠点が書かれている。
アイシャは優秀で失敗もしないが少々テング気味なので厳しく接するべし。
ノルンは一般的だが、学校でよくアイシャと比べられた事で、少々腐ってしまっているらしい。
虚勢を張る事も多いけど、優しく接するべし、と書いてある。
リーリャはアイシャに対して、少し厳しめだな。
自分の事は妾か愛人と思ってそうだし、ノルンに対しては一歩引いているのかもしれない。
俺としては、姉妹両方同じように接するべきだと思う。
しかし、アイシャは本当に優秀だ。
一年前の時点ですでに教える事がほとんどない。
読み書き計算、歴史に地理といった科目はすでに十分なレベルで習得している。
更に、掃除洗濯家事炊事。
剣術は水神流の初級を習得。
魔術の方は、基礎六種を初級。
ミリシオンでは学校に通っていたようだが、
すぐにロキシーたちが来て旅立ったから、それほど長い期間ではなかったはずだ。
それでコレなのだから。ノルンが腐るのもわかる。
対してノルンは普通だな。
可もなく不可もない。
同い年のエリスよりは優秀か。
平均か、平均よりちょっと低いぐらいだろう。
ノルンは転移でバタバタしていた。
あの状況でこれなら、頑張っていると言えるだろう。
腐るほどの事は無い。
手紙は他にはない。
ロキシーからも何か一言あるかと思ったが……。
まあ、これは家族から家族への手紙だ、遠慮したのかもしれない。
「何にせよ、二人とも、少し落ち着いたら学校に通わないとな」
「えー!」
不満気な声を上げたのはアイシャだ。
学校には嫌な思い出もあるのだろうか。
「私、もう学校で習う事なんてないよ!
お兄ちゃんに仕えるために頑張ったんだもん!」
「でもな」
「お兄ちゃんのお世話がしたい!
前に約束したじゃん!
ほら、あの時のだっていつも持ってるんだよ!」
と、アイシャがポニーテールを解いて、髪を結んでいたものを見せてくる。
いつの日か渡した鉢金だった。
鉄板の部分が加工され、髪飾りになっているのだ。
どうりで少し無骨に見えるわけだ。
自分の上げたものが大事に使われていると、なんか嬉しいな。
しかし、それはそれとして。
学校に行かないというのはどうだろうか。
俺は正直、学校なんて行かなくてもいいと思っている。
学校云々より、学ぶという意志の方が大事だからな。
それなくして学校に行った所で、時間を無駄にするだけだ。
中学時代の俺みたいに。
とはいえ、パウロの手紙には、二人をきちんと学校に通わせるようにと書かれている。
この世界には義務教育というものは無いが……。
「じゃあ、せめて魔法大学の試験を受けてみてくれ。その結果で判断しよう」
「え? あぁ……はい。わかりました」
アイシャは自信ありげにニヤッと笑った。
試験で高得点をとる自信があるらしい。
まあ、実際に高得点を取れるなら、別に学校には行かずともいいだろう。
パウロには俺の方から言っておいてやろう。
「ノルンの方も、一応試験を受けてみようか」
「……」
ノルンに話を振ると、彼女はそっぽを向いたまま、目線だけをこちらに寄越してくる。
嫌われてるなぁ……。
このまま一生口聞いてもらえないんだろうか。
と、思ったら、ノルンがポツリとつぶやいた。
「……でも私、試験、落ちるかもしれないし」
初めて口をきいてもらえた気がする。
いや、実際にはそんな事はないんだが。
ともあれ嬉しい。
やっぱ無視はダメだよ、無視は。
「それは心配しないでいい、あの学校は金があれば誰でも入学できるから」
「っ……そこまでして学校行きたくない!」
怒鳴られた。
裏口入学っぽく聞こえたかもしれん。
「ちょっとノルン姉! お兄ちゃんになんて口聞いてんのさ!」
「だって聞いたでしょ! お金でなんとかしようなんて!」
「ノルン姉が勉強できないのが悪いんでしょ!」
「できなくない!」
ノルンが怒鳴り、アイシャの髪を掴んだ。
アイシャがノルンの手首を掴み返し、顔に手を伸ばす。
引っ掻いたり、引っ張ったり。
女の子の、いや子供の喧嘩だ。
いいな。やっぱり喧嘩はこうじゃないとな。
顎先に一発当ててからマウントをとるのは喧嘩とは言わない。
適度な喧嘩は悪くないが、今のは俺の言い方が悪かった。
止めるとしよう。
「やめなさい」
思った以上に低い声が出た。
二人はビクリと身を震わせて、手を止めた。
「……」
ノルンはまだ何か言いたげに俯いた。
その目には涙が溜まっている。
……うーむ。
俺が思っている以上に、俺やアイシャの存在がコンプレックスになっているのだろうか。
「ええと、ノルン。この町の学校はね、お金さえ払えば種族や身分、才能に関係なく誰でも入学できるんだ。だから、別にお金で無理やり入学させてもらおうってわけじゃないんだ」
「……ぐすっ」
ノルンは涙を拭って、鼻を鳴らした。
「ロキシー先生のことは覚えてるよね?
彼女も通ってたんだ。
いい学校だよ。
先生もたくさんいて、色んなことを教えている。
もしかすると、ノルンが……好きな事も、見つかるかもしれない」
ノルンがアイシャに勝てる事も見つかるかもしれない。
そう言いかけて、やめた。
こういう時は、比べるような発言はしない方がいいだろう。
ノルンはしばらく俯いていたが。
「…………わかった。試験、うける」
やがて、一言そう言って、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
そのまま、リビングから出て行こうとする。
その背中にアイシャが苛立った声を掛けた。
「ノルン姉! まだ話終わってないよ!」
「うるさい!」
ノルンはドタドタと階段を登り、二階からバンと乱暴に扉を閉める音が聞こえた。
なるほど。
確かに難しい子だ。
難しい年齢で、難しい性格。
俺は彼女と仲良くなれるのだろうか……。
「まったく、ノルン姉はいつもあれなんだから。あーあー、聞き分けのない子供って嫌だよね。ね、お兄ちゃんもそう思うよね?」
アイシャは肩をすくめつつ、俺に同意を求めてきた。
アイシャはアイシャで、そんなノルンを見下しているようだ。
これも良くないだろう。
「アイシャ」
「何?」
「ノルンに対して、勉強できないとか、見下すような事を言うのはやめなさい」
「えー……」
そう言うと、アイシャは口を尖らせた。
不満そうだ。
「だって、ノルン姉、頑張ってないんだもん」
「そりゃあ、お前から見ればそうかもしれないけど、ノルンはノルンなりに頑張ってるんだよ」
「…………まあ、お兄ちゃんがそう言うなら、気をつける」
実に不本意そうだが、頷いてくれた。
まあ、俺が何を言った所で説得力は無いだろう。
なにせ、俺は二人の事は何も知らないんだから。
しかし、この年頃の女の子は、どう扱えばいいのだろうか。
難しいな。
---
昼下がり。
俺は妹二人を家に残し、学校へと赴いた。
午前中に職員室に赴き、試験についてジーナス教頭に話をしてみる。
「他の学校に通っていたのでしたら、授業にもついていけるでしょうし、
早めに試験を受けてみた方がいいかもしれませんね」
という事だそうだ。
なので、一週間後に二人に試験を受けさせる事にした。
抜き打ち試験のようになるが、問題あるまい。
「しかし、ルーデウスさんの妹さんとは、さぞ優秀なのでしょうね」
「片方は優秀ですが、もう片方は普通の子ですよ」
「またそんな事を言って、実は無詠唱の魔術が使えたりするんでしょう?」
「まさか」
ジーナスと適当に世間話をしつつ、俺はふと、ある事を思い出した。
「そういえば教頭先生。今日はバーディガーディ陛下は学校には来ていますか?」
「……陛下ですか? 今日は、みえていないと思います」
「そうでしたか」
神出鬼没だしな。
ただ、出没すれば必ず騒がしくなるから、すぐわかるのだが。
「何かご用でしたら、私の方から伝えておきますが?」
「いえ、用というほどでは、二人きりで落ち着いて話をしたいだけなので」
「わかりました、お会いしましたら、そう伝えておきましょう」
俺はジーナス教頭と、そういって別れた。
そのまま帰ろうかと思ったが、少し時間があった。
なので、ナナホシの所に顔を出すことにした。
ノックをして、研究室に入る。
しかし、そこにナナホシの姿はなかった。
おかしい、引きこもりのあいつがここにいないとは。
一応、実験室も見ておくが、いない。
寝室は立ち入りを禁じられているので、一応ノックしてみる。
「……ん、うぅ」
うめき声が聞こえた。苦しそうだ。
中に入るかどうか迷う。
が、少しして、真っ青な顔をしたナナホシが出てきた。
「お、おい、大丈夫か?」
「あ……あたま……痛い……気持ち……悪い……」
うわ、酒くせぇ。
二日酔いか。
まあ、あれだけ飲めばな。
急性アルコール中毒になってもおかしくない飲み方だったし。
「ちょっと座れ、今、解毒かけてやるから」
俺はナナホシの研究室に戻り、椅子に座らせ、その頭を鷲掴みにした。
解毒を詠唱。
その後、治癒魔術で痛みを取り除いてやる。
「ふぅ……助かったわ」
ナナホシは頭を振り、こめかみを押さえつつ、礼を言った。
そして、机の上に置かれていた仮面を身につける。
仮面の女『サイレント・セブンスター』の登場だ。
「今日は何? 報酬の件なら、まだ用意してないから今度にして欲しいんだけど」
クールな対応だが、少し照れが混じっている。
これが噂のクーデレという奴なのだろうか。
「先日、家に帰ったら、妹がうちに来ましてね、学校にも通わないといけないので、その準備のついでに寄っただけですよ」
「……妹さん? もしかして前の世界の? トリップしたの?」
「いやまさか。こっちの世界の妹だよ」
「そう」
ナナホシは、俺の顔をじっと見つめてきた。
「こっちの世界のあなたの妹なら、大層可愛らしいのでしょうね」
「もしかして今、俺の顔を褒めました?」
「私達の感覚で言っただけよ。あなた、前はどうだったかしらないけど、今は西洋系で整った顔立ちしてるじゃない?」
「お、おう」
顔をほめられた。
危ないやつだ。
生前なら「もしかしてコイツ、俺の事好きなんじゃ」と勘違いしてしまう所だ。
今の俺は童貞でもなければ、独身でもない。
こんな一言では揺るがない。
「何歳なの?」
「確か、十歳だったかな」
「そう。私も同じぐらいの弟がいるわ。もし向こうで同じだけの時間が流れていたら、私より年上になってるけど」
ナナホシはそう言うと、懐かしそうに目を細めた。
日本の事を思い浮かべているのだろうか。
俺は弟という単語には、あまりいい思い出はない。
「なんだかプリンが食べたくなったわ」
ナナホシは、唐突にそういった。
話が飛んだな。
なぜにプリン。
「プリンに何か思い出でも?」
「冷蔵庫に入れておいたのを、勝手に食べられたのよ。高いやつだったのに……」
どこの弟も似たようなものらしい。
しかし、そんな思い出でも、ナナホシには恋しいものであるらしい。
やや上を向いている。
泣くのをこらえているのだろうか。
見ないでやろう。
「では、また来ます」
「ええ……この間は、その、迷惑かけたわね。ちょっと見直したわ」
「ふっ、俺に惚れるとヤケドするぜ?」
「なにそれ、かっこつけてるつもりなの?」
ナナホシはそういって、少し笑った。
ジェネレーションギャップだ。
まあ、実験について話を聞くのは、もう少し落ち着いてからでいいだろう。
---
放課後。
シルフィと一緒に帰路につく。
彼女には、妹二人の色々について相談したい。
歳が近いから、色々と分かることもあるだろう。
「あ、そうだルディ。買い物に行こう。人が増えたから、ちょっと多めに買っておかないと」
シルフィの提案で市場へと赴く。
市場に足を踏み入れると、豆を煮る甘い匂いがぷんと漂ってきた。
商業区の市場は、夕方でも盛況だ。
食料品の市場というのは朝方こそ盛況、というイメージだが、
この辺りで新鮮な食料といえば、肉である。
肉は、冒険者や猟師が、魔物や野生動物を狩る事でまかなっている。
猟師はともかく、冒険者は昼の間に森や平原に行き、夕方に戻ってくる。
仕入れが昼間なので、夕方に市場が盛況になる、というわけだ。
もっとも、それほど品が多いわけではなく、価格も割高だ。
それでも、金でなんとかなるだけ魔法三大国はマシな方だ。
東にいけば、もっと貧しい国も多いらしい。
買いたくても商品が無い、そんな国が。
ちなみに、獲得した獲物を凍らせるだけの簡単なお仕事が、ここらの冒険者依頼には存在する。
魔術を覚えたばかりの学生向けの依頼だな。
俺はシルフィと二人で買い物をしつつ、これからについて話し合う。
「そっか、確かに二人はそんなに仲がよくないのかもしれないね」
「正直、あの年頃の子は何を考えているのかわからん」
「そうかもね」
「アイシャは学校に行かず、うちのメイドになりたいらしい。どう思う?」
「家の事はちょっとおろそかになってるから、アイシャちゃんが手伝ってくれるって言うなら、ボクとしては嬉しいかな」
シルフィは笑っていた。
自分の仕事が取られるとは思っていないらしい。
「とはいえ、シルフィ、俺たちは責任ある大人だ」
「うん」
「アイシャを学校に通わせ、可能性を示してやるのが仕事なのではないだろうか」
「うーん。だったら、魔法大学でちょっと毛色の違う事を習わせてあげるのもありなのかな?」
シルフィは顎に手をあて、考えている。
どっちにしよう、という感じの顔だ。
その視線の先には、食料品のハムが並んでいる。
右と左でちょっとだけ値段が違う。
「シルフィ、真面目な話をしてるんだ。ちゃんと考えてくれ」
「もちろん考えてるよ。でもね、アイシャちゃんは多分、ルディが考えてるより優秀な子だよ?」
「優秀だからなんだというのだ」
「きっと、学校に行ってもいかなくても、彼女はうまくやると思うよ」
「ほう」
「だから、あれこれ考えず、やりたいことをやらせて上げるのがいいんじゃないかな?」
シルフィのアイシャに対する信頼度が高い。
そういえば、シルフィはアイシャの事を知っていたな。
もっと幼い頃のアイシャを。
アイシャは当時から優秀だったという話は聞いている。
「問題なのはノルンちゃんの方かな。
パウロさんやルイジェルドさんと離れて不安そうにしてるみたいだし。
ボクらがちゃんと面倒を見てあげないとね」
「そうだな」
落ち着いたシルフィを見ていると、
自分が少し浮き足立っているのがわかる。
なんかシルフィが頼もしいな。
まるでフィッツ先輩のようだ。
ああ、いや、フィッツ先輩なのか。
「アイシャは自由にやらせて、ノルンにはレールを引いてやる、という事か」
「レール?」
「道を作ってやるという意味で」
「うん、そうだね、それがいいと思うよ」
とはいえ、そうやって姉妹で扱いに差をつけるのはどうなのだろうか。
いや、能力に大きな違いがあるのだ。
なのに無理に同じ扱いにするというのも、おかしな話だ。
差別と区別を履き違えてはいけない。
「うーん……なんかボク、偉そうな事言っちゃったかな」
「いや、助かったよ。少し整理できた」
「でも、ボクはアリエル様の護衛があるから、あんまり面倒見れないのに……」
シルフィは耳の裏をポリポリと掻きつつ、困った顔で言った。
アリエルの護衛があるから。
そういえば、その事について、何かあると困った顔をするんだよな。
案外、彼女も悩んでいるのかもしれない。
結婚するなら仕事はやめろと俺が言い出す可能性について。
ふと、聞いてみることにした。
「なあ、シルフィエットさんや」
「なあに、ルーデウスさん」
「もし俺が、結婚するなら王女の護衛をやめろ。
って言ってたらどうするつもりだったんだい?」
なるべく、軽く聞いてみた。
シルフィは振り返り、俺を見る。
真面目な顔で。
「……ルディとの結婚を、お断りしたかもしれないね」
あれ?
……ちょっとショックだ。
もうちょっと時間掛けてから聞いた方がよかったかもしれないな。
うん、そうか。
俺よりアリエルを選んじゃうか。
そうか、そうか……。
「あ」
俺の顔を見て、シルフィがにわかに慌てだした。
「勘違いしないでよ。ルディの事は好きだよ。
ううん、好きって言葉じゃ言い表せないんだ。
もっと色んな思いがごちゃまぜになってて、ボク自身もわかんない」
慌てるシルフィは可愛いな。
「結局はどれも『好き』だと思うんだけどね。
その、ルディとの子供も、自然と欲しいなって思えたし……」
シルフィはお腹のあたりを撫でつつ、そう言った。
その動作に、俺も顔が熱くなるのを感じる。
今日のシルフィは結構饒舌だな。人前だというのに。
「けどね、アリエル様も好きなんだよ。
これはルディとは違う好きで……。
友達としての好き、なのかな」
そういえば。
シルフィの、アリエルに対する気持ちというものは、初めて聞く気もするな。
「アリエル様は、ああ見えて結構ダメな所もある人なんだ。
きっと、ルディはボクがいなくてもなんとかやっていけるけど、
アリエル様は、ボクやルークがいないとすぐに死んじゃうと思うんだ。
だからね、見捨てたくないんだよ」
シルフィはそう言って、ポリポリと耳の裏を掻いた。
そして、「あ、でもね」と付け加える。
「今の生活、結構、夢みてたんだ。
だからその……できれば、一緒にいさせてください」
シルフィは自分では虫の良い事を言っていると思っているのかもしれない。
本来なら両立できない二つの事を、俺の好意で成立させてもらっている、と。
だから、俺に都合のいい女であろうとしてくれているのかもしれない。
そんな事はないんだが。
「……」
俺は返事をする事なく、シルフィのほっぺにちゅーをした。
その途端、周囲からヒューヒューという声と、やっかみの混じった舌打ちが聞こえてきた。
いつの間にか、注目の的になっていた。
シルフィは耳まで顔を赤く染め、最終的にはサングラスを掛けてしまった。
フィッツ先輩は相変わらず可愛いな。
数分後。
シルフィが落ち着いたので、買い物を再開した。
少々話がズレてしまった。
ともあれ、話すべきことは大体話した。
シルフィが二人と仲良くしてくれるのなら、俺の苦労も減るだろう。
正直、この年頃の女の子が何を考えているのかって、よくわからんしな。
「女の子の事はよくわからないので、またシルフィに頼る事になりそうです」
「うん、困ったときは助け合わないとね。夫婦だし」
シルフィはそう言って、はにかんで笑った。
うちの嫁は頼りになる。
それにしても、ルディはボクがいなくても大丈夫。
けどアリエル様はボクがいないとダメ、か。
きっとシルフィは、俺がいなくてもなんとかなるのだろうな。
昔と違って。
---
一週間後。
アイシャは試験で満点を叩きだした。
:アイシャの能力:
一見低そうに見えますが、すでにメイドとして王宮で働けるレベルです。