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無職転生 - 異世界行ったら本気だす - 作者:理不尽な孫の手

第11章 青少年期 妹編

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第百一話「文殊の知恵」

 ナナホシを保護して一週間が過ぎた。


 彼女は一日中家でボーっとしている。

 だが、一番悪い期間は過ぎたらしい。

 食は細いが飯も食うし、促せば風呂にもはいる。

 溺死する事無く上がってくる。


 だが、張り詰めた緊張が切れたのか、以前のような覇気は感じられない。

 簡単にへし折れそうな感じだ。

 気力もない。

 言うなら、ヤクザに騙されればあっという間にAV女優になってしまいそうな雰囲気だ。

 放っては置けない。

 ルークあたりに会わせないように注意しよう。


 今のナナホシから感じられるのは、諦念だ。

 あの実験の失敗が、それほど堪えているらしい。

 自信ありそうだったし、盤石な理論だったのかもしれない。

 あの失敗には、彼女の数年を全て無駄にするほどの意味が込められていたのだろう。


 俺はそこまで大きな挫折を体験したことはない。

 一番近いので、数年間、廃人となって続けてきたネトゲのデータが消されるようなものだろうか。

 ログイン不可のメッセージとアカウント停止のメールを見た瞬間、動悸が激しくなり、丸一日何も考えられずに過ごした。

 運営に抗議して、徹底抗戦を叫び、最後には泣き寝入りした。

 その後、一ヶ月は何もやる気がおきなかった。

 あの時、二度とネトゲに本気は出すまいと誓ったものだ。


 ナナホシのはネトゲとは違う。

 彼女には元の世界に帰るという目的がある。

 それを諦めたら、きっと彼女は生きてはいけまい。


 そう思い、あれこれと世話を焼いてみたが。

 彼女は一日中、ボーッとしているだけだ。

 俺の話を聞いているのかどうかすら、わからない。

 そう思っていたのだが。


「全部塞いだと思ったのよ……」


 ある日、ぽつりと彼女は言った。

 俺は返事をせず、ただ聞いていた。


「魔法陣は、元の世界で言う所、基板みたいなものなのよ。

 いくつものパターン回路を組み合わせる事で、一つの機能を作り出す。

 けれど、どうしても、あの一点、回路が繋がらなかったのよ。

 どれだけ配線を変えても、ある一点とある一点が繋がらない。

 無理やりにつないでみたけど、するとどこかにまた不具合が残る」


 繋がらないはずの回路をつなげるため、本来の半分以下のサイズだったものが肥大化。

 それで一つの歪を埋めるために、別の回路を組み。

 結局一箇所、不具合の残った魔法陣。

 一見すると、無駄は無いのに。

 ただ一箇所だけが繋がっていない。


「物理的に無理なのよ。つまり、私も家に帰れないってこと」


 ツギハギだらけのハリボテのような魔法陣。

 ナナホシは努力したのだろう。

 一見すると、もう少し努力すれば、繋がらない回路も繋がるように思える。

 だが、そうするとまた別の回路が繋がらなくなるのだろう。


「もう、無理よ……」


 ナナホシは、そういって、ベッドに突っ伏した。



---



 俺はナナホシの研究所に赴き、図面を回収することにした。

 俺は彼女の話を聞いて、ある事を思い出していた。

 もしかすると、解決するかもしれない。

 とはいえ、ぬか喜びはさせたくない。

 まずはどうにかできるか、確かめる事にした。


 翌日。クリフをザノバの研究室へと呼び出した。

 三人寄れば文殊の知恵とも言うしな。

 天才様の知恵を借りる事とする。

 研究室には、当然のようにエリナリーゼがついてきた。


「あのサイレントがあんな状態になるなんて、信じられませんわね」


 彼女、クリフの研究所に入り浸っているようだが、授業はどうしているのだろうか。

 進級は出来たようだが、もうすぐ退学になったりするんじゃなかろうか。

 まあ、個人の自由か。


「もう少し、強い子に見えましたけど」

「本当に強いやつは引きこもって一人で悩んだりしませんよ」

「まあ、それもそうですわね」


 エリナリーゼは肩をすくめた。

 いかにエリナリーゼも、ナナホシには接触していないようだ。

 彼女に、何か息抜きのようなものを頼むのもいいかもしれない。


「さて、お二方。まずはこれを見てくれ」


 ザノバとクリフに図面を見せる。

 その途端、クリフは渋面を作った。


「汚い魔法陣だな」


 汚いとは、面白い表現だな。


「汚いとか綺麗とかあるんですか?」

「当たり前だ。魔道具を作るには、小さく綺麗に書かないと収まらないからな。僕ならもっと綺麗に書くね。例えばここを、こっちに繋げれば、この辺りがもっとスッキリさせる事ができる。」

「ほう」


 クリフが魔法陣を指さし、自慢気に語っている。

 まあ、出来上がったものを批判するのは誰でもできる。

 多分、クリフの言うとおりにすると、また不具合が増えるのだろう。


「あ、でも、アイデアは凄いな。この部分をループさせるなんて、普通は思いつかない……そうか、この記述のせいでこっちが複雑になっているのか……」


 クリフは魔法陣を見て、ブツブツと何か言っている。

 この、とか、こっちのとか、この辺りとか。

 そんな単語ばかりだ。

 俺ももっと勉強しておけばよかっただろうか。

 勉強した所でわかるとも限らんが。


「それで、師匠、これは何の魔法陣なのですか?」

「サイレントが研究している、召喚の魔法陣だ。ちょっと行き詰まったから、お前たちの知恵を借りたい」


 そう言うと、ザノバは首をかしげた。


「しかし師匠、我々は召喚魔術は専門外ですが?」

「まあ、解決できなくてもいいさ」


 ただ、一人では分からなかった事も、何人かで考えればわかるかもしれない。

 逆に、分野が違えば、出てくるアイデアも違うだろうしな。


「とりあえず、この部分を見てくれ、ここで魔法陣が切れてるらしいんだが、わかるか?」


 俺が、実験の時に破れた部分を指さす。


「……え? ああ。ここで切れてるのか、気づかなかったな。未完成なのか、この魔法陣は。ええと、これにつながるのは……ここか」


 クリフが驚いている。

 天才を自称するわりに、そういう部分にはすぐには気づかないらしい。

 そんなもんだ。


「この回路をつなげるのに、何かアイデアはありませんか?」


 そう聞くと、クリフは腕を組んで考え込む。

 あっちとこっちが、とブツブツつぶやき。

 手に持ってきたメモに、あれこれと書いている。


「これは難題だな。一から書き直せば……いやでも……無理だな」

「多重構造にすればいけるのではないですか?」


 クリフが結論を出しかけた所で、ザノバが口を挟んだ。

 クリフが訝しげな表情を作る。


「多重構造? 何の話だ?」

「余の研究している人形は、いくつもの魔法陣を重ね合わせる事で一つの効果を生んでいる。とはいえ、余も研究をはじめたばかりで、まともに魔法陣など書いたことはないのだが……」

「ちょっとまて、人形って、この間のか? ちょっと見せてくれ」

「師匠、よろしいですかな?」


 なぜか俺の許可を得てから、ザノバは人形の腕の輪切りを持ってきた。

 クリフは興味深げに輪切り断面の魔法陣を見ている。

 そして、断言した。


「これを作った奴は天才だな」


 自意識過剰なクリフがこう言うとは、それほど凄いらしい。


「こんな魔法陣は見たことがない……くっ……全然理論がわからん。二つの魔法陣を重ねているのか……。いや、違う、もっと多重なんだ。全部揃ってないとうまく動かない……。でも、折れているのに動いていたし……。なんでだ……くそっ、なんなんだこの魔法陣は」


 クリフが悔しそうに歯噛みしている。

 伝説の超人を目にした野菜の国の王子様みたいだ。


「余もまだ詳しくはわからんのだが。本によると、肘の動きを制御するための魔法陣であるらしい」


 ザノバが何気なく言うと、クリフが泣きそうになった。

 自分にわからないものを、ザノバがわかっているのが悔しいのだろう。

 すぐさまエリナリーゼが駆け寄る。

 頭を胸に抱いてなでなで。


「はいはい、クリフは天才ですから、あなたが調べていればもっと詳しくわかっていましたわよ」

「わ、わかってる!」


 クリフは真っ赤になって元気を取り戻した。

 さすがエリナリーゼだ。頼りになる。

 でも、今はわりと忙しい時だから、帰ってからやって欲しいものだ。


「クリフ先輩。この人形に使われている技術を使えば、サイレントの魔法陣の問題は解決すると思いますか?」

「わからない。けど、可能性はあると思う」


 確実に、とは行かないか。

 しかし、手がかりにはなるだろう。

 今まで、ナナホシは平面でしか魔法陣を書いてこなかった。

 重ねたり、折り曲げたりするという発想は出て来なかったのか。

 あるいは別の理由でやってなかったのかもしれない。


 この話がナナホシにとっての盲点であることを祈ろう。

 そして、願わくばやる気を取り戻してくれるといいがな。



---



 翌日、俺はナナホシを連れ出した。

 行き先は彼女の研究室。


 散らかった部屋は、昨日の時点で整理しておいた。

 まだ雑多な感じの残る部屋に、ザノバとクリフが待機している。

 二人が見ているのは、今までナナホシが調べていた研究資料だ。

 ナナホシはそれを見て、ハッと鼻で笑った。


「なに……男三人で、私をレイプでもするの?」


 レイプって。

 どんだけ自暴自棄になってるんだろうか。

 たった一度の失敗で……。

 まあ、人生を狂わせるのは一度の大きな失敗だ。


「なんだと! 敬虔なミリス教徒だぞ! 僕は!」


 クリフが激高する。

 ミリス教というのは、貞操観念という点ではキリスト教に似ている。

 生涯、一人の女性を愛すべし、姦通はすることなかれ、と。

 禁欲的なのだ。


「ああ、そう」


 ナナホシはふらふらと頼りなく歩き、椅子に座った。

 そして、ぐったりともたれかかった。


「クリフ先輩、ザノバ、とりあえず昨日の話を」


 俺はナナホシに、二人が昨晩の間に考えておいた、いくつかの案を見せた。

 ナナホシは、つまらなさそうにその説明を聞いている。

 クリフによって赤字で修正された魔法陣。

 ザノバの研究によって提案された、魔法陣の重ねあわせ。

 俺が思いつきで提案した、立体的な魔法陣。


 それらをつまらなさそうに。

 何の表情の変化もなく。

 じっと見ていた。

 じっと。

 目の焦点があっていた。

 つまらなさそうなのではない。 

 無表情なだけで、集中していたのだ。 


「あ」


 唐突に、ナナホシは声を上げた。


「できる、かも……」


 そう、ぽつりとつぶやいた。



 そこから、ナナホシは跳ねるように椅子から立ち上がった。


「そうか、そうかそうか、何も平面にこだわる必要はなかった。

 そうね、そうよ。紙に書いたって厚みは出るのよ。

 積層させれば、どれだけでも大きな魔法陣は書けるんだわ。

 どうしてそんな簡単な事を思いつかなかったのかしら!」


 部屋を三、四周、ぐるぐると落ち着きなく周り。

 机の上の紙とペンを手にとった。

 そして、がちゃがちゃと図面を書きなぐり始める。

 計算式のようなものを書き込み、ぐちゃぐちゃと消し、また書く。


「あー、違う、こうじゃない!」

「おい、こうじゃないのか?」


 そんな動物園の熊のようなナナホシに、クリフがひょいと首を突っ込んだ。

 いつしか手にもった赤インクのペンで、ナナホシのメモに注釈を入れる。

 さすがクリフ先輩だ。

 いきなり変わった空気ももちろん読まない。


「あ、そっか……あなた賢いわね」

「当然だ、僕は天才だからな」

「じゃあこれは? どうすればいいの?

 前から疑問に思ってたんだけど……」

「えっ、ちょっと待て……」


 クリフとナナホシが、仲良く肩を並べて一枚の紙に落書きをし始めた。

 覗きこむが、子供の落書きにしか見えない。


「ザノバ、わかるか?」

「あのレベルはさっぱりわかりませんな……」


 蚊帳の外に置かれてしまった。

 それにしても、クリフは凄いな。

 あいつも魔法陣の研究は始めてそれほど経ってないはずだ。


 まあいいか。

 ナナホシが元気になったようだし。

 ……これなら、成功しなくとも、何かの足がかりは出来るだろう。


「ザノバ、悪いが見ててやってくれ」

「師匠はどちらへ?」

「エリナリーゼさんを呼んでくる。自分の男が他の女と仲良くしているのを見たら、あいつも嫌だろうからな」


 そう言って背中を向ける。

 研究室を出るとき、ナナホシの浮かれた声が聞こえてきた。


 あんなナナホシの声を聞くのは、出会って初めてかもしれない。



---



 一週間。

 ナナホシは魔法陣を完成させた。

 五枚の紙を重ねあわせた、ボール紙のような魔法陣。

 それぞれバラバラにかかれ、糊で密着させている。


 クリフやザノバ達の見守る中、俺の魔力が注がれる。

 ぐいぐいと吸い取られていく魔力。

 魔法陣が光を放ち始める。

 まぶしい光。

 部屋が真昼のように照らされる。

 光の中。次第に形が露わになりはじめる。


 光が収まった時、この世界に異世界の物品が召喚されていた。

ペットボトルだ。

ラベルもキャップもない、シンプルな形のペットボトル。


「おぉ、これはすごいですな」

「なんだこれは……ガラスか? 違うな……もっと」


 ザノバとクリフは、初めてみる500mlのペットボトルに興奮を隠せないようだ。

 エリナリーゼやジュリも、興味津々の顔で覗き込んでいる。


 ナナホシも、呼び出したものを見て、拳を握りしめて、小声で小さく「よし、よしっ」とつぶやいている。

 ペットボトルを見て、だ。


 たかがペットボトル。

 されどペットボトル。

 あの瞬間、確かにこの世界と前の世界はつながった。

 生物ではなく無機物、極めて単純な構造の物品。

 しかしこの世界には無いものが、呼び出されたのだ。


「成功ですね」


 ナナホシにそう呼びかける。

 すると彼女は、こくこくと頷いた。

 実に嬉しそうだ。


「ええ、成功よ、これでようやく次の段階に進めるわ! 積層構造の魔法陣、これを突き詰めていけば、恐らくどんなものだって召喚できるはずよ。魔法陣をもっと整理できれば、二枚目と三枚目を差し替えるだけで……」


 と、そこでナナホシはハッと我にかえった。

 そして、罰の悪そうな顔で目線を逸らした。


「……悪かったわね。せ、世話を掛けたわ」

「ギブアンドテイクでしょう? 今度、僕が困ったときに助けてくださいよ?」

「……も、もちろんよ」


 しおらしいナナホシもいいものだな。

 ふと見ると、エリナリーゼがこちらをじっと見ていた。


「なんだか親密ですわね」

「エリナリーゼさんは、すぐそうやって色恋に結びつける」

「男と女ですもの。でも、あまりよくありませんわよ」


 姑の目が光ってる。

 浮気なんてするつもりはないのに。

 シルフィだって今日の事は知ってるのに。


「そうね、新婚だものね、奥さんに誤解されたら大変だわ」


 ナナホシが一歩距離を置いた。

 エリナリーゼはにこやかに笑い、ナナホシの肩を抱いた。


「うふふ、そんなに気にする必要はありませんわ。そうだ! 今日は酒場に行きましょう! もちろん貴女の奢りで!」


 エリナリーゼの提案に、ナナホシは苦笑した。

 いつもなら露骨に嫌そうな顔をして拒否する所だろう。

 だが、まぁ、今日は断れまい。


「しょうがないわね。でも、それであなた達への貸し借りは無しよ」

「もちろんですわ、ねぇクリフ?」


 呼びかけられ、ペットボトルをペコペコと凹ませていたクリフが振り返る。


「え? ああ、そうだな! うん、貸し借り無しだ。けど、君はなかなか優秀なようだから、今度、僕の研究に力を貸してくれてもいいぞ!」


 そんな言葉で、エリナリーゼはくすくすと笑った。



---



 俺達は昼間から酒場へと繰り出す事になった。

 なぜか、校舎内でリニア、プルセナが加わった。

 除け者は嫌なの、連れて行くニャと。

 どこで嗅ぎつけたのやら。


 ゾロゾロ連れて歩いていると、アリエルが何事かと話しかけてきた。

 経緯を話すと、「ではお目付け役を付けましょう」と、シルフィを寄越してくれた。

 お目付け役とは名ばかりの、アリエルの配慮である。


 校門を出る頃、いつしかバーディガーディが一番後ろに並んでいた。

 いや、本当にいつの間にか。


 途中で魔術ギルドに寄って、ナナホシが金を下ろしてきた。

 どうやら、結構な大金を魔術ギルドに預けてあるらしい。

 銀行代わりだ。


 酒場はバーディガーディの行きつけだった。

 昼間だが、一応ながら客はいた。

 だが、ナナホシはそんな事は一切気にしない。

 カウンターに、袋いっぱいの金をドンと置いた。


「貸切にして」

「え……えぇ?」


 困る店主に、バーディガーディは「待て待て」と一言。

 自分の懐から金貨袋をドン。更に倍。


「今日は祝いの席である。本日この店にくる客全てにタダ酒を振る舞うように」


 そう、宣言した。

 貫禄である。

 さすが王様だ。そこに痺れる憧れる。


 魔王様は当然の顔をして、酒場で一番でかいテーブルを占拠した。

 そして、言い放つ。


「この店のメニューにある、全ての料理を持ってくるのだ!」


 一度は言ってみたいセリフだな。

 俺が金を出すんじゃないからいいが、この人数で食いきれるのか?

 まあいいか。


 最初の料理が来たあたりで、魔王が立ち上がり。

 そして、言った。


「で、今日は何の祝いであるか?」

「サイレントの研究の成功ですわ」

「なるほど、ならばサイレント、立て。開催の挨拶をするのだ」


 ナナホシは立たされる。

 やや不本意そうな顔をしている。


「…………今日は、ありがとうございました」

「よし、乾杯である!」

「乾杯!」


 いつぞやの結婚式のような流れで、宴会が開始された。



---



 楽しい宴会だった。


 良いことがあった時に騒いで酒を飲む。

 この手の集まりは、生前では一度もしたことがなかった。

 この世界でも、数えるほどしかないな。


 冒険者時代はそれなりに付き合いで飲んだ。

しかし、どこか斜に構えていた所があったように思う。

 酔って騒いで暴れる奴はアホだと。

 周囲の迷惑を少しは考えろ、と。


 しかし、自分がその渦中に入ってみて、ようやく気持ちがわかった。

 人には、タガを外して騒がなければならない時がある。


 そう思う。

 リニアの耳を撫でつつ、日本語でアニソンを歌うナナホシを見て、そう思う。

 たまにああして全てを忘れないと、到底生きてはいけないのだ。

 人生は辛いことばかりだからな。

 無理やりでもいい出来事を作らないと潰れてしまう。


 きっと、エリナリーゼやバーディガーディあたりはそのへんをよくわかっているのだろう。

 さすが年の功という所か。

 まぁ、中には飲んだくれてドツボにハマる奴もいるが。

 酒は百薬の長だ。

 時には心の病も治してくれる。



 今日は俺とシルフィも遠慮なく飲ませてもらう。

 俺たちは家では酒は飲まない。

 そういった習慣が無いからだ。


 だからというわけではないが。

 俺はシルフィの酒癖の悪さを今日、初めて理解した。

 いや、悪くはない。

 悪くはないのだ。

 ただちょっと甘え上戸なだけだ。


「ねぇ、ルディ、頭撫でて」

「はいはい、よしよし」

「耳、食べてもいいよ?」

「頂きます」

「あはは、くすぐったい」


 先ほどから、シルフィが非常に可愛らしい生物になっている。

 素晴らしい。

 今度から積極的に飲ませよう。

 ああ、でもこんなだと、俺のいない所で飲んだりしたら心配だな。

 家の外では飲まないように言うべきだろうか。

 そういう束縛をしちゃってもいいんだろうか。

 いい、構わん。

 俺のものだ、俺が好きにして何がわるい。


「ルディ、ギュってして?」

「はいはい、腰をギュっとね」

「うへへ。ボクは幸せだなぁ……」


 シルフィの笑い声がなんだかだらしない感じになっている。

 ああ、しかし酔っ払って女の子を抱きしめるとあれだな、

 この世の中にラブソングがあふれている理由が実感できるな。

 んばんば、めらっさめらっさ。

 よし、今日はこの子をお持ち帰りしよう。家は同じだし。


「ルディさ、あのね。ボクね、この間ね、ヤキモチ焼いちゃったんだ」

「え、まじで。誰に? もう近づかないようにします、縁も切ります」

「うん、ルイジェルドさん。このあいだ話してくれたでしょ?

 ルディ、ルイジェルドさんの話をしてる時、凄いこう、ね」

「いや、あの人は本当に尊敬しているので、勘弁してください」

「やだー、ボクだけを見てよぉ……」


 ボクだけを見て、とは、この間言ってた事と少し違うな。

 これがシルフィの本音だろうか。

 俺にとって都合がよくて怖いなーと思っていたが、シルフィは努めてそうあろうとしてくれているのかもしれない。

 まぁ、難しい事は後にして、いまはこの可愛い生物を楽しむとしよう。


 シルフィを膝の上に乗せてイチャイチャしていると、ナナホシが近づいてきた。


「なによ、バカップル。ふざけないでよ。

 あたしが何年アキと会ってないと思ってるのよ」


 絡んできた。酔っ払っている。

 歌はもういいのだろうか。

 有名ドコロなら俺も知ってるからデュエットしてもいいが。

 またジェネレーションギャップを感じてしまうやもしれん。


「イチャつくなら、もっと人目につかない所でやりなさいよ」

「まぁそういわんと。今は酒の席。無礼講でお願いしやす」

「だいたい前から言いたかったのよ、私の部屋で、イチャイチャ、イチャイチャ。なに、結婚? なにそれ、いいけど、何なのよ、人が落ち込んでる時にまで……夜中に音が響くのよ、まったく……キャァ!」


 ナナホシがバーディガーディに担ぎあげられた。


「フハハハハ! お前はこっちだ! 今日は貴様の変な歌を聞く日なのだ!」

「変じゃない! 私の世界ではこういう歌が流行ってたのよ!」

「興味深い話よ! どこの世界か知らぬが、我輩に捧げさせてやろう! さぁ、存分に歌うがいい!」

「ちょっと、その前にルーデウスに話が……」

「フハハハ! 助けてもらったくせに憎まれ口しか叩かぬなら歌ったほうがマシよ! 歌え歌え!」

「あれは話の枕で……!」


 ナナホシは何やら喚いていた。

 礼でも言いたかったのだろうか。

 まぁ困った時はお互い様よ。礼などいらぬ。


 それにしても、魔王に攫われるとは、いい身分じゃないか。

 まるでどこぞのお姫様だ。


 ただ、そのお姫様が攫われた場所は牢獄ではなかった。

 酒場には必ずあるお立ち台であった。


 しばらくすると、ナナホシの歌が流れてきた。

 少し遅れて、伴奏が始まる。

 吟遊詩人なんていたか、と思ったら楽器を持っているのはバーディガーディだった。

 あいつ楽器なんて出来るのか。

 ていうか、捧げろといって自分が楽器を弾くのか。

 やはりあいつはよくわからん。


 それにしても、懐かしい曲だ。

 なんだっけか……。


 ああ、そうだガン○ーラだ。

 世代じゃないだろうに、よく知ってんな。

 いや、一応有名だし、そんなおかしくないか。

 しかしヘタクソだな。

 伴奏がメロディをわかってないからか。

 いや、伴奏もナナホシがヘタだから合わせる事すら出来ない感じだ。

 でも、楽しそうだ。


 まあ、今日は、ナナホシが輪の中心だ。

 いいじゃないか。ヘタクソで。


 ヘタクソな歌だが、気持ちが伝わってくる。


 そんなに、帰りたいか。

 俺には理解できない気持ちだな。

 俺にとっての愛の国は、今ここにある。



 ともあれ、いい宴会だ。

 祝い事があったら宴会を開く。

 いい慣習だ。

 覚えておくとしよう。



---



 打ち上げは、主役であるナナホシが完全に潰れた所で解散となった。


 ナナホシはリニアとプルセナが寮の自室まで運び、おとまり会をするらしい。

 他は三々五々、散っていった。

 また、一部の酒豪は別の店で飲み直すつもりだとか。


 俺とシルフィも帰ることにした。

 酔っ払ったシルフィは、でゅふふと笑いつつ、俺の腕にしがみついている。

 足元がおぼつかないので、腰をしっかりと支えてやる。

 シルフィは完全に俺に体を預けている。

 今の俺なら合コンで「ヤれる!」と確信しているチャラ男の気持ちが分かる。

 もっとも、俺にやましい気持ちはない。

 今はな。

 家に帰ったら別だ。


「……ルディ、なんか騒がしくない?」


 ふと、シルフィがそんな事を言った。


「ん?」


 そう言われて耳を澄ませてみる。

 すると、ガンガンと何かを叩く音と、言い争う声が聞こえた。

 どこかで喧嘩でもしているのだろうか。

 猫の喧嘩の時の声にも似ている。


 なんだろうと思いつつ、俺達は自宅の近くまできた。


 するとそこに、いた。

 俺の家の玄関をガンガンと叩いている連中が。

 遠目でシルエットしかわからないが。確かにいた。


 近所の悪ガキか、それとも物取りの類か。

 酔った頭で考えつつ、魔眼だけは開眼しておく。

 シルフィも顔をパシッと叩いて、よろめきつつも自分の足で立った。


「ルディ、解毒するね」

「了解」


 シルフィに無詠唱で解毒を掛けてもらい、体内のアルコールを飛ばす。

 完全には酔いは覚めないが、問題あるまい。


 俺たちは見つからないように、こっそりと彼らに近づく。

 声が聞こえた。


「ノルン姉が道間違えるからこんな時間になっちゃったじゃん!」

「……アイシャだってあっちで間違いないって言ってたし」

「大体、ほんとにここで合ってるかどうかもわかんないし!

 どうすんの、もう宿なんて閉まってるし! この寒いのに野宿する事になるじゃん!」

「……私だって嫌だよ。でも、大体、今日はあいつの所に泊まるから宿はいらないって言ったのアイシャだもん。私は別にあいつの家になんか泊まりたくないのに、無理やり連れてきたのも」

「だって、ジンジャーさんに大丈夫って言ったんだもん! それなのにあたし達だけ宿を取るとか馬鹿みたいじゃん!」

「……アイシャはすぐそうやって見栄張ろうとする」


 キーキーと騒がしい声。

 少しだけ聞き覚えのある、子供の声だ。

 そんな会話の中に、聞いた事のある名前がある。

 そして。


「お前たち落ち着け、ここで間違っていない。懐かしい気配だ」


 落ち着いた男性。

 その声を聞いた瞬間。

 俺の胸の内に、言いようのない感情が渦巻いた。

 俺はほっと息を吐いて、彼らの前に出た。


「……あ」

「お兄ちゃん!」


 成長した二人の妹がいた。

 ア○スクライマーのような色違いの防寒具に身を包んでいる。


 ノルン・グレイラットとアイシャ・グレイラット。

 俺を見てちょっと難しそうな顔をしているのがノルンで、

 勝気そうな目を嬉しそうに輝かせているのがアイシャだろう。


「お兄ちゃん! 会いたかった!」


 アイシャが飛びついてきた。

 子泣きじじいのように、俺の胴を両手両足でガッシリとホールドしてくる。

 そして、そのまま頬ずりをしてくる。

 ぷにぷにと柔らかい頬が、俺に押し付けられる。

 やけに冷たいのは、俺が酔っているせいか。


「うひゃあ、お兄ちゃんあったかい! お酒臭い!」

「俺は冷たい……。ちょっと離れなさい」


 アイシャを引き剥がしつつ、ノルンを見る。

 彼女は口をキュっと結び、顎を引いて挨拶してくる。


「……お酒、飲んでるんですか」

「ああ、ちょっと祝い事でな」


 不機嫌そうな面持ちだ。

 照れているわけではないだろう。

 嫌われてるって話だし、仕方がない。

 そして、ノルンの後ろには、


「ルーデウス、久しぶりだな」


 顔に傷のある禿頭の男がいた。

 三叉槍を持った、誇り高き戦士が。

 三年前と変わらぬ姿で。


「はい、お久しぶりです。ルイジェルドさん」


 胸のうちにあふれたのは懐かしさだ。

 三人で旅をした日々。

 出会い、別れ。


「……」


 なんと言えばいいのか。

 言葉を選ぶうちに、ふとルイジェルドが俺の後ろを見た。


「冒険者ギルドで結婚したという情報を聞いたが……エリスではないのだな」


 ルイジェルドの瞳に映るのはシルフィだ。

 彼女は驚いた顔をしつつも、ぺこりと頭を下げた。


「あの、ルディ。とりあえず入ってもらったら?」

「ああ、そうだな。入ってくれ」


 俺は家の鍵を開け、三人を迎え入れた。


 まさか、このタイミングで来ているとは。

 手紙が来てから一ヶ月と少しか。


 予想よりずっと早かったな。


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